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第20話 長い一夜②

 

 山の稜線に沈んだ太陽がほの赤い光を弱めるごとに、藍色の空は暗さを増す。

 薄く空を覆う雲の切れ間から、青白い月の光が差し込む。

 次の瞬間、俺たちの前には家よりも大きく、見上げるほどに黒い闇の塊が吹き出していた。


『ルー……カス……アエリウス……』


 割れ鐘を打ち鳴らすような薄気味悪い声が周囲に響き渡る。昨晩と違いその声は切れ切れで、電波が繋がりにくいラジオのようだった。

 俺以外も頭を押さえているので、皆にも聞こえているようだ。

 何度も言い聞かせていたのにも関わらず、やはり村の人たちは本気に受け取っていなかったようで、ビルほどもある巨大な闇を見上げて完全に腰が引けている。


「気にするな! こいつらは明かりの中には入って来ない!」


 強い口調で檄を飛ばす。俺の声を聞いた村人たちは恐る恐る辺りを伺いながら、じわじわと焚き火の方に近寄った。

 けれど俺の言葉を否定するように闇は俺たちの頭上に広がると、雪崩のごとく触手を降らせ始めた。


 なんだって!

 一瞬、慌てふためいて逃げ出したくなったが、すかさず聞こえてきた声にどうにか踏み留まる。


「怯むな! こけおどしだ!」

「よく見ろ! 明かりの中では形を保てていない!」


 セインとアレクの頼もしい大声が俺の頭を冷静にさせる。

 しっかり目を見開いて見上げると、闇は俺たちの上に幾筋もの黒い手を降らせようとしているが、それは形だけ。光の中では姿を保てず、すぐに立ち消えている。

 こちらのパニックを誘うのが狙いか。


 おおよその村人は怯えのあまり動けなかったのか、俺と同じように途中で冷静になったのか、その場に留まった。

 しかし幾人かが混乱をきたしてバラバラの方向に走り出している。

 人数が多いのを逆手に取られた!


「うわああぁぁぁ!」


 明かりの端に近づきすぎた数人が、暗闇から伸びてきた黒い手に捕らえられてズルズルと引きずり出されそうになる。

 セインとアレクが走って村人に絡みつく黒い闇を切り刻むが、人数的に間に合っていない。


 俺も咄嗟に近くの人に駆け寄ると、腰の剣を引き抜いて闇を切った。まったく手応えはなかったがその瞬間だけ、村人に絡みついている闇は霧散した。

 だが村人は腰が抜けていて、その場にへたり込んでしまっている。


 切っても切っても、身動き取れないその足に闇が這い上がってくる。

 俺はその人をなんとか明かりに近づけられないかと腕を持って引っ張った。だが、六歳児の力では大人の身体はピクリとも動かない。


「ルーカス様、出過ぎです! もう少し下がって!」

「そんな事言われたって~~!」

「ひいぃー! 来るな、来るなー!」


 我を失っている村人は錯乱状態で、闇が絡む足をジタバタと振っている。


「立って! 早く、焚き火の側に戻るんだ!」


 何度か声をかけて立たせようとするが、真横にいる俺にも気づいていない様子だ。

 腕を掴む俺ごと、徐々に暗闇の方に引きずり出されそうになる。


「今、行きます!」


 アレクが自分の目の前の人を放って俺の方に駆け寄って来ようとするが、冗談じゃない。アレクがこっちに来たら、俺がいる意味がない。


「いい、来るな! 僕はまだ大丈夫だ! お前は先にそっちを助けろ!」


 誰でも自分に出来る事をするんだ!

 俺の微々たる力でもなんの役にも立たないなんて事あるわけがない。


「ルーカス様はお戻り下さい! 村人のために御身を危険に晒すなど本末転倒です!」


 セインからも激しい怒声が飛んでくる。あれだけ言ってもまだ分かってなかったのかよ!

 俺だからとか、村人だからとかで、命の重さを決めるなよ!

 王子とか神子だからとか、身分なんかでその人の価値が決まるわけじゃないだろ!


「バカ言うな! 俺だろうが誰だろうが、命の価値は同じだろ!」


 大声で叫んでもう一度、剣に手をかけようとする。

 その時、目なんてないはずなのに暗闇の中からジロリと誰かに睨まれたような感覚がした。


 俺に気づかれた。

 闇は明かりの端の弱々しい光など大したものではないと言わんばかりに黒さを増した。途中で立ち消えるのにも構わず村人の身体を伝い、どんどんと俺の方へ向かってくる。

 駄目だ。

 このままじゃこの人は!


「僕の力が弱くてごめんなさい! お願い、立って、立って下さい!!」


 なんとかこれ以上、闇に引きずり出されないようにあらん限りの力で腕を引っ張りながら耳元で叫ぶ。


「うおおおぉぉぉ!」


 その時、俺の後ろで自分に喝を入れるような叫び声が響いた。何事かと思う間もなく、ドタバタと乱雑で慌てふためいた足音が近寄って来る。


「神子様、今、行きますぞ!」


 それは村の人を見守るだけで戦闘には参加しないはずの村長さんだった。途中、慌て過ぎてけつまづきそうになりながらも、彼はなんとか俺の隣まで辿り着いて、一緒に村人の腕に手をかけてくれた。

 枯れ木のような細身だと言うのに、村長さんはどこにそんな力があるのかと思うほど村人の腕を強く引っ張りながら怒鳴った。


「馬鹿者ー、皆、何をしているのじゃ! 神子様を、皆を助けるんじゃ!!」


 村長さんの声に、事態について行けず固まったままだった村の人たちの顔がハッと我に返る。

 この中で一番力が弱い俺と村長が最前線にいて、自分たちが何もしていない事実にふがいなさを感じたようだ。


「うおおおぉぉぉ!」


 彼らも村長と同じく、それぞれに気合いを入れ直した。棒のように地面に張りついていた足を強く、前に踏み出す。


「神子様!」

「村長!」

「今、行きます!」

「みんな……」


 俺たちの周りにも幾人かが駆けつけてくれた。暗闇に引きずり出されそうになっていた村人は、すぐに安全なところまで引き戻された。

 それ以外の人のところにも、他の人が向かってくれたので全員、事なきを得る。

 パニックを起こしていた男性は次第に落ち着きを取り戻して、決まり悪そうに周囲を見回した。


「俺……すみません……」

「何言ってんの、無事で良かったよ!」


 彼があまり気に病まないように、まだへたり込んでいるその肩を笑顔でバシリと叩く。誰も大した怪我もしていないようで、本当に良かった。

 敵があんな手を使ってくるなんて。

 あからさまに昨日より知恵をつけている。これは気を引き締めないといけないな。


「みんなも来てくれてありがとう」


 助けに来てくれた人たちを見上げてぐるりと見回すと、彼らは一様にブルッと身を震わした。大の大人たちに無言で見下ろされてちょっと怖い。

 え? 俺、なんかおかしな事言った?

 戸惑う俺の前に村長さんは両膝をついた。震える手が伸びて来て、遠慮がちに俺の両手を握る。


「貴方様がなぜ暁の王子と呼ばれているのか、今、分かりましたぞ」


 村長さんが俺を見つめる瞳は、今や揺るぎない決意に満ちていた。間近で揺れる焚火の炎を受けて瞳が輝く。


「皆も分かったな。この方を、決して失ってはならぬ。この方だけがきっと、この世界に光を取り戻せるお方なのだ」


 村長さんの毅然たる視線が周囲に立つ一人一人を見回す。その気迫が乗り移るように、一人、また一人と瞳に光を宿して力強い頷きを返す。

 何が行われているのか分からずに、俺はポカンと彼らの様子を見守るしかなかった。


 村人が全員助かったので俺の側に戻って来たセインとアレクも、不思議な光景を見るように彼らを眺めていた。

 村長さんはその場にすっくと立って、拳を握り締めた。


「皆、良いな! これより、この村が壊滅しようとも、我ら全員が死に至ろうとも、最後の一人になるまで神子様をお守りする!」


 夜の闇を切り裂くような村長の檄に、うおおぉぉぉ!と雄叫びを上げて男たちが拳を突き上げる。


「もちろんです!」

「神子様、すみませんでした!」

「これよりは我らにお任せください!」


 そこにいるのは、もはや昼間までの気楽な農民たちではなかった。

 歴戦の猛者のような雰囲気を漂わせて、彼らは農作業で鍛えられた屈強な身体に槍を握り、奮起していた。


 どうしてこうなったのか、よく分からない……。

 まだ地面にしゃがみ込んだままだった俺にアレクが手を貸して立ち上がらせてくれる。

 セインとアレクはわずかに口元に笑みを浮かべて村人の様子を眺めていた。


「な、なんか僕、変な事したかな?」


 途方に暮れるばかりの俺を、セインが目を細めて見下ろす。


「貴方がそう言うお方だからこそ、我らも共に在りたいと思ったのです」


 返事になっていないと思うんだけど。


「う、うーん? やる気出してくれたのはいい事かな?」


 なんかやる気あり過ぎのような気がするけどな。テンション上がりまくりの村の人たちに少し困ってしまう。

 まだまだ夜になったばかりで先は長いんだけど、大丈夫なんだろうか。


「もちろん、いいに決まってますよ!」


 アレクが、あほ面で親指を立てて見せつけてくる。こいつ、ほんと悩みなさそうだよなぁ。羨ましいわ。

 俺は本当は神子になんてなりたくなかったけど。

 人々が、俺の先に神の姿を映し出すと言うなら、見たいものを見ればいい。


 きっと、それは彼ら自身の姿だ。

 まだ見ぬ敵なんて知った事か。俺の出会う人はいい人しかいない。

 この人たちを失いたくない。決意も新たに、俺を取り囲んで守る男たちの姿を見上げる。


「さーて、やっこさん、次はどんな手を使ってくるんでしょうかね。第二ラウンドといきますか!」


 アレクが肩に担いでいた槍を片手に取り、蠢く闇へビシリと突きつける。

 俺たちを飲み込まんとばかりに大きく膨れ上がった闇は、作戦が上手くいかなかった怒りに震えるように、その実体のない姿を揺らしていた。



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