第22話 弓の練習
その日の朝の鍛錬に俺は弓矢を持って行った。いつもの筋トレとランニングを終えた後、端に置いていた弓と矢筒を持ち上げながら奴らに宣言する。
「はーい、これから俺はユーリに弓を習うので他の人は解散してくださーい」
「なんでですか」
「ルーカス様がなさるなら、我らも弓の練習を致します」
俺は解散しろって言ってんだよ、ゴラァ!
しかし誰一人として帰ろうとする奴はおらず、仕方なく皆でゾロゾロとレートで借りている別荘の裏手に移動した。昨日、ユーリが的を作ってくれたのだ。
弓の腕前を見せたくないから帰ってくれって頼んでんのに。
まったく、言う事を聞かない奴らだよ。
騎士団では弓術ができるにこした事はないが、必須項目ではない。弓兵は別に民兵に専門の部隊がある。
騎士はその名の通り騎乗して戦うので、馬上での槍術と、混戦になったり馬から落とされた際の剣術を主に仕込まれる。
戦場では何もかもができる器用貧乏な人は生き残れない。騎兵なら騎兵、歩兵なら歩兵、それぞれに特化した部隊をいかに配置するかが勝敗の肝だ。
それを考えればユーリの弓の腕は異様だ。騎士として必須でないはずの技術が、誰が見ても尋常じゃない域に達している。
ユーリはどうせ皆も練習すると言いだすと思っていたのか、木の的を二つ用意してくれていた。
もう一つの的に向かい、セインたちも順番に弓を引く。
奴らも曲りなりに外す事はなく的の真ん中に寄せてくるが、ユーリには敵わない。
ユーリは俺の前で、わざとゆっくり弓を引いて手本を見せてくれた。
ピンと張られた弦を造作もなく引き絞ると、的を一瞥する横顔が引き締まる。動くのは腕と肩の筋肉だけだ。上半身は微動だにしない。
そして無造作に解き放ったように見えて、風のように飛び立った矢は狙い過たず、的のど真ん中に突き刺さって揺れた。
極限まで研ぎ澄まされた無駄のない動きは、まるで一種の舞踏を見ているように美しかった。
俺は思わず両手を打ち合わせてパチパチと小さく拍手した。他の奴らも、おーっと声を上げている。
「流石だな」
「相変わらず見事な腕前だ、ユリアン」
手放しで褒められてユーリはちょっと気恥ずかしそうだ。
「所詮、動かない的ですからね」
「そう謙遜するものではない。素晴らしい技術は誇るべきだ」
セインがユーリを見る目は優しい。一時はどうなるかと思ったが、仲直りできたようで良かった。
俺もユーリに教わりながら弓を構えた。
けれど右手で弓弦を引き絞れば弓を持つ左手がブレるし、左手に集中すると矢の方向が怪しくなる。
どうすれば右手と左手を同時に制御できるのか分からない。
解き放った俺の矢はヘロヘロと頼りなく失速し、的まで辿り着かずにポトリと地面に落ちた。
「惜しい」
「真っ直ぐ飛んではおりましたよ」
うううるさーい! 心にもないお世辞を言うんじゃない!! これだから見られたくなかったんだよ!!
「もう少し前から打ちましょうか?」
ユーリは俺の矢が落ちた場所から的までの距離を目測で把握したらしく、俺を少し前へ促した。
指示された位置から落ち着いて打ったら、今度は的に当たった。端っこの方だったけど。
こんな前からとは言え、当たると嬉しいもんだな。
「なかなかお上手でしたよ」
「先程より構えも良かったと思います」
「案外、才能あるんじゃないすか?」
なんだ、こいつら。褒めて伸ばす方向にシフトチェンジしたのか? 口々に下手くそなお愛想を伝えてくる。
ちなみにルッツはいい褒め言葉を思いつかなかったのか、いつも通り笑顔で腕を組んで、うんうんと頷いているだけだった。
おべんちゃらだと分かっていても褒められて嬉しくないわけがない。
「えへへ」
俺は現金にもいい気になって、それからも奴らにやいのやいの言われながら弓の練習を続けた。
しばらく弓を引き続けていると肩や二の腕がズシンと重たくなってくる。
俺がダレてきたのに気づいたのか、アレクがいい事を思いついたとばかりに目を輝かせながら、地面からヒョイと小石を拾い上げた。
「ユーリ!」
声をかけられてユーリはあまり乗り気ではない様子で渋々と矢筒から弓を二本抜いた。
アレクが大きく振りかぶって、裏手の森に石を投げる。遅れて、バサバサと山鳩のような鳥が数羽、空へと飛び立った。
稲妻のようにユーリの手元から放たれた二本の矢は、鳥の集団の中から二羽をドサドサッと地面に撃ち落とした。
すかさずアレクが猟犬のように駆け出して、鳥を手に戻って来る。
鳥さん……可愛いから……俺はまだちょっとビクビクと動いているそれを直視できない。こう言うところが軟弱なんだろうなぁと思う。
ユーリは動いてない的なら見なくてもとか言ってたけど、飛んでる鳥だって目を瞑っても落とせそうな勢いだな。
「ユーリ、ナイス! 料理場で焼いて貰って夕食にでも食べましょうか?」
アレクは浮き浮きとご機嫌で俺に聞いてくるが、ユーリの顔はあからさまに曇っていた。
「えー。俺、野鳥とかあんまり好きじゃないんですよね」
「なんでだよ。ユーリが落としたんだろ」
「それはアレクがやれって言うからー……」
二人がワイワイと言い合うのを、俺はニコニコと顔をほころばせて見上げていた。
この二人、前から悪だくみ仲間みたいに気が合うみたいだったが、ユーリが先輩呼ばわりをやめてからわずかにあった壁が取り払われて、今や遠慮すらなくなっている。
こうしているとほんと、馬鹿ばっかりやってる高校生か大学生にしか見えない。
「野鳥って食べるとこも少ないし、骨ばってますよね。俺は肉は牛、せめて豚じゃないと食べたくないです」
「贅沢だなー。そりゃ俺だって肉は好きだが、鳥だって美味しくない?」
「肉が食べられなきゃ、騎士団なんか入ってないです」
ユーリくんの志望動機は肉。あんまり食に拘っているようには見えてなかったので意外だ。
「あ、いや、それ以外にも理由はありますよ。でも軍に入れば食いっぱぐれないじゃないですかー」
俺たちに驚いたように見つめられて、ユーリは慌てて軽く手を振った。
やっぱり一応とは言え先輩たちに、肉が食べたくて騎士団に入ったと思われるのは体裁が悪いのだろう。
「それなら民兵の方でも良かったんじゃないの。あっちも食事はそう変わんないよ。ユーリの腕なら、すぐに隊くらい任されただろうに」
「したっぱーですけど、ウチの親父も一応、騎士なんすよ。騎士団以外に入れるわけないですよ」
ユーリはちょっと前までの諦めモードの顔になって、遠くを眺めた。
そうか。ユーリが腐ってたのは、本当は騎士団に入りたくなかったからか。騎士道とか剣術に興味がないから手を抜いていたんだろう。
十二、三歳くらいで進路を選択しなければいけなくなった時、ユーリは何を考えたんだろう。これほどの腕前なら、自分を生かせる道に進みたいと言う憧れがなかったはずがない。
ユーリには悪いが、騎士団に入ってくれて良かった。じゃなきゃ出会えなかったからな。過去の自分の選択が悪いものではなかったと思って貰えるように、転職先の上司としてはユーリくんをきちんと評価しないとね。
「じゃあ、ユーリはこれから僕の軍の弓部隊の隊長ね」
「部隊って、俺一人ですよね」
「アレクを下につけよっか?」
俺がキラリと目を光らせて視線を向けると、話を振られると思っていなかったのかアレクはあわあわと慌てた。
「お、俺は騎馬部隊がいいです!」
「えー、アレクが隊長とか部下が可哀想じゃない?」
「まだ見ぬ部下に同情するのはやめていただけますかね!」
アハハハと笑い声が屋敷の裏にこだまする。良かった。セインもちゃんと笑ってた。
まだ声を立てて笑うのは難しいみたいだけど、すっかり少年みたいな顔でアレクの肩をポンと叩いている。そっか。こいつら、ちゃんと同い年だったんだな。
冗談のつもりだったんだけど、俺の軍と言う話を聞いて四人の顔が一斉に引き締まったように感じた。
俺が成人する頃には、こいつらは二十代半ばから後半。軍を任せるのはあり得ない話じゃない。
未来が急に現実味を帯びてきて、俺たちの前に広がった。
俺たちはまだまだ、なんにだってなれる。
可能性を自分から捨てる事なんてない。
「そう言えば、ユーリもお兄さんが騎士団にいるんだよね? 何人兄弟なの?」
なんの気なしに聞いたつもりだったのに、なぜかユーリは言い淀んだ。
「……騎士団には俺以外に二人です」
妙に歯切れが悪い。騎士団には、とか変な言い方だな。
「じゃあ、アレクのとこと同じく三人兄弟?」
アレクの家は男兄弟は三人だが、他にお姉さんもいたはずだ。アレクとルッツは男女あわせて正真正銘の末っ子だ。だから二人とも、どこかのんきだ。
「いや、弟も一人います」
「じゃあ、四人かー。兄弟多いと楽しそうだよね」
俺にはアルトゥールと言う兄がいるが、ほとんど一人っ子みたいに育ったからな。こうしてお兄ちゃんズに囲まれてワイワイやってる今が一番楽しい。
ユーリはまだモゴモゴと何か言っている。
「えっと……俺は六番目です。男兄弟は七人です」
「ろっ、六男!!」
びっくりしすぎて俺は大声を上げてしまった。他の奴らは正確な数まで知っていたか不明だが、漠然とユーリの家庭環境は把握してたみたいでそこまで驚いていない。
てゆうかユーリ、まだ何か隠してそうな言い方したな。
「男兄弟は?」
「あと、姉が二人います」
「きゅ、九人かぁ~……ちなみにお母さんは?」
「貧乏騎士なのに何人も娶れないですよ。一人ですよ」
ユーリのお母さんすっげーな。日本でもテレビで大家族○男○女とかやってたけど、それに匹敵するくらいじゃないだろうか。
セインのとこのザイデル家と、アレクのバロッズ家は、ウチの父と同じく奥さんが二人いたはずだ。
「兄弟が多いって、いい事ばかりでもないですよ」
ユーリはつまらなそうに腰に手を当てて、地面の小石を軽く蹴った。
「俺んとこはホントに貧乏でしてね。俺と弟なんて放っとかれたから、いつでも腹を空かせてまして。それで自分で食いもん調達してたら、いつの間にか弓も上手くなってたってわけなんです」
城の若い兵士も真っ青なエピソードだな。そうか。ユーリは子供の頃から弓を片手に山を歩き回ってたのか。
それで目もいいし、地形把握とかも上手いんだな。
「そんなわけで野鳥はもう食い飽きてんですよ。それは皆で食べて下さい」
「せっかくユーリが獲ったのにー?」
「だからー、それはあんたが勝手にやらせたんでしょって!」
和気藹々と言い合いしている二人は放っといて、俺は名案を思いついて顔を輝かせた。
そうだ。ユーリくんが大好きなお肉を腹一杯、食べさせてあげよう。
ここは俺が前世で一番好きだったアレを作るしかないな!
後でマルコに手伝って貰って……とか考えていると、セインがふと動きを止めて真顔で森の方を窺っているのに気づいた。
セインって勘が鋭いから、こういう顔をする時って不安しかない。
そそっと横に近寄る。
「なにかあったの?」
「いえ……視線を感じたように思ったのですが。気のせいかも知れません」
セインは俺の方を向く頃には表情を緩めて、にこっと優しい微笑みを見せてくれた。俺も曖昧な笑みを返す。
こないだから別人みたいに俺を甘やかしてくるから、ちょっと怖いんだよなー。って言うのは内緒だ。
「ワルターが盗賊団が出るって言ってたし、警戒しといた方がいいかもね?」
「承知しております」
セインは表情を引き締めて頷いた。これで朝食が終わる頃までには分隊長以下、他の騎士たちにも情報が共有されるだろう。
平時でも油断のないマーナガルムの騎士たちに護衛されているのだ。
俺はちっとも心配なんてしていなかった。
「それじゃ、もうそろそろお腹も減ったし戻ろっか」
今日も料理番のマルコが美味しい朝ご飯を用意してくれているはずだ。
屋敷の大きさに比べてウチはさほど人数が多いと言うわけではないが、騎士団の奴らは全員、あほみたいな量を食べる。下働きの人もいるとは言え、マルコは毎朝晩、大変そうだ。
特にこの世界の人たちは朝と晩の二食しか食べないので、朝食の量が半端ない。今頃、調理場は戦場だろう。
「あ、アレクはそれ、マルコのとこに持ってってね」
「えっ、俺がっすか」
「だってアレクが獲ってきたんじゃーん」
俺たちは弓と矢を片づけると、鳥を両手に持ったまま釈然としない様子で立ち尽くしているアレクを放って屋敷に戻った。




