第4話 ユリアン、本気出す
ユーリはてろてろっと歩いて進み出ると、屋台のおっちゃんから子供用の弓を受け取った。軽く引っ張ったり、眺めたりしている。
「試し打ちをしても?」
「……一射だけだ」
ユーリが狙った矢はわずかに逸れて、板と板の間をすり抜けていった。
「なるほど」
何か面白いものを見つけたかのように口角がニヤリと上がる。
「全部倒した場合の景品はなんでしたか?」
「鶏一羽だ」
「目隠しで当てるのですから、グレードアップを要求します。豚丸ごと一頭」
「そんな法外な……」
屋台のおっちゃんが言い切るのを待たずにユーリはクルリと後ろを振り返り、群衆に向かって腕を広げた。
「手に入れたあかつきには皆さんにご馳走しますよ」
これには群衆も大喜び。いいぞいいぞーとか、オヤジ漢を見せろー、とか叫んでいる。自分の懐が痛むわけでもないので無責任なものだ。
「ぐっ……」
人々に煽られて、彼は顔を真っ赤にして足を踏み鳴らした。
「いいだろう。だが、子供と違うんだ。もっと先から打って貰おう」
おっちゃんはユーリをグイグイと的から離した。それに従って、周囲の観客も後ろに下がって場所を開ける。
「ここからだ!」
「いいでしょう。矢を用意してください」
随分遠くなってしまったがユーリの余裕は揺るがない。見えているのかいないのか、並んだ板を細目で眺めて、つまらなそうに立っている。
標的の板は一列に五枚が高さを変えて四列。
一射も外さないと言う約束なのだから、二十本の矢が用意された。
俺はおっちゃんに四回分の射的代を手渡す。
誰かがユーリに手ぬぐいを渡し、ユーリはそれを目元に当てて頭の後ろで結んだ。
「本当に見えてないんだろうな」
「マーナガルム神と我が主に誓って」
マーナガルムと言う言葉を聞いて、おっちゃんはチラリと俺の赤毛に目を向けて顔色を変えた。シアーズの制服を着ているので、どうせへっぽこ兵士だと高を括っていたのだろう。
自分が誰と賭けをしているのか初めて気づいて、おっちゃんの顔が見る間に青くなる。
赤き狼の軍勢。
それは父の勇名と相まって、直接戦火を交えた事のないシアーズにも轟きわたっている。
ユーリは五本の矢を指に挟むと、一本だけ弓に番えてゆったりと腕を上げた。
放たれた矢は緩やかに弧を描いた。狙い違わず、一番下段の左側の板がカッコンと倒れる。
観衆がワッと声を上げる間もなく、ユーリは続いて一枚、もう一枚となんなく倒していく。観客たちはワァワァと大喝采だ。
「これじゃ、余興にもなりませんね」
一段目の五枚を全て倒したユーリは、次の五本の矢を手に取りながら、そう言ってのけた。最初とは構えを変える。
何が起こったのか分からなかった。
電光石火。
カカカカカッと矢が板に当たった音が聞こえた。かと思うと、まるで機械仕掛けかのようにパタ、パタ、パタと時間差をつけて板が一枚ずつ後ろに倒れて行く。
俺もおっちゃんも、あんぐりと口を開けてそれを見守るしかなかった。
なんて早打ちだ。
俺には構えるところも見えなかった。
続くもう一段も早打ちで倒されて、おっちゃんはワナワナ震えていた。こうなればもう最後の段を外すところなど想像もできなかったからだ。
だが、さらにユーリは構えを変えた。最後の五本ではなく、矢を二本だけ手に取ると、それを同時に弓に番える。
あほな。二本同時打ちかよ。しかも子供用の小さな弓で。
ろくに狙いもせず放たれた矢が、上段の左から二枚を同時に打ち抜いた。
やばい。この人、怒らせたらいかん人だった。
いつもおちゃらけてるところしか見た事なかったから、なんか四人の中では一番弱そうとか思ってて、ごめん、ユーリ。
目隠しを取った時がなんか怖い。
ユーリが最後の三本を手に取った時、俺は的の異変に気づいた。おっちゃんの陰に隠れるようにして、一人の男が一番右端の板をそーっとずらしていたのだ。
「あ、おい……」
不正を見咎めようとした俺の肩にアレクが手をかけて止める。
「構いませんよ」
まさか。ユーリにあれが見えてるわけないだろ。ユーリは、神と俺に誓ったんだ。絶対に前は見えていない。むしろタオルの下で目だって瞑ってるだろう。
こんなに遠くては板を動かした音も気配も伝わっているわけがない。
数人、板の位置が変わっている事に気づいた人もいたようだが、その大柄な身体に不釣り合いな小さな弓に三本の矢を同時に番えるユーリを見て、誰もが黙り込んでしまっている。
静寂の中、三本の矢が弓から放たれる。
そして二本の板が同時にカッコンと倒れ……三本目はと見ると、おっちゃんの耳の横、数ミリスレスレを掠めてテントの奥へと消えて行った。
「ヒ……ッ!!」
先を潰してあるとは言え、矢音を耳元で聞くはめになったおっちゃんは顔面蒼白。その場でカチカチと奥歯を震わせて固まってしまった。
ユーリはしゅるっとタオルをほどいて、俺に向かって小さく舌を出した。
「あーぁ、外してしまいました」
お前、今の絶対、わざとだろ。
これからはユーリくんを怒らすのは絶対にやめよう。
群衆は大喜び。兄ちゃんすげーなとか、いいもん見して貰ったぜとか、ユーリの肩を叩いて三々五々と散らばっていく。
ユーリは屋台のおっちゃんに詰め寄ると、何やら話をしていた。
「十九連射の場合は何が貰えるんです? 鶏は一射も外さなかった場合でしょ。別にたかろうってわけじゃないんです。正当な景品を渡しなさい」
ユーリは籠に山盛りのお菓子を持って俺の前に戻って来た。手に持った籠を俺へと差し出す。
「一等の景品でなくて申し訳ございませんが、殿下に捧げます」
にこやかに差し出されるそれを俺は仕方なく受け取った。これは嫌がらせなんだろうか?
だってさっき、ユーリはお菓子を食べて微妙な顔をしていた俺を見ていたわけだしな。
「ユーリ、怒ってる?」
「なんにですか?」
籠を抱えて上目使いで見上げる俺に、ユーリはきょとんと首を傾げた。
「人前でこんな事させて」
俺の浮かない顔を見て、ユーリはプッと吹き出した。
「私ごときの腕で殿下の名声が高まるなら、いつでも披露いたしますとも」
周囲の目があるので言葉遣いは丁寧だったが、胸に手を当ててにこやかに公言するその表情に嘘はないようだった。
「でも、途中から本気出してたじゃん」
「あぁ、私が許せなかったのはあの屋台の奴らですよ。殿下の弓の腕前はともかくとして、あんなわざと歪んだ弓を渡して恥をかかせるなんて……あれじゃ、到底当たるわけないです」
その当たるのはずない同じ弓で全的したの、貴方ですけど。
相当苛ついていたのか、ユーリは細い目で再度、屋台の方を睨みつけた。おっちゃんたちはまたもやヒッと悲鳴を上げた。
俺は……途中、腕前はともかくとか酷い事も言われたが……ユーリの言葉に胸を暖かくしていた。
そうだったのか。
どうしてこいつらが俺に忠誠を誓う気になったのか分からないが、あの晩から四人は陰日向となって俺を支えてくれている。
たまにおちゃらけたり、馬鹿にされる事もあるが、それも親愛の情。
俺の事なのに、まるで自分の事のように一緒に喜んだり、怒ったりしてくれる。
こんな奴ら、他にはいないよ。
「ユーリ、今度、僕に弓を教えてね」
「今度は弓の特訓ですね」
特訓とか猛稽古なんて言葉が大好きな体力馬鹿が笑う。
俺たちは顔を見合わせた。ユーリの笑顔を見上げていると、俺も自然に顔がほころんでくる。
お菓子の詰まった籠を頭上に掲げて、俺はクルッと後ろを振り返った。
「おーい、お前らー。今からここにいる奴だけにお菓子を配るぞー。欲しい奴は取りに来ーい!」
俺たちの様子を何事かと遠目で見ていた子供たちが、途端に目を輝かせて俺目掛けて突進して来る。
どこの世界でも、子供は甘いものが大好きと相場が決まっている。
「慌てなくてもお菓子はいっぱいあるから……一人一つだって! あぁ、もう、小さい子を押すなよ!」
子供たちにもみくちゃにされる俺を見て、皆が笑い声を立てる。アレクとユーリが子供の波に埋まってしまった俺から籠を受け取って、配るのを手伝ってくれた。
2/14にハルキタ番外編として、活動報告にバレンタインSSを投稿しております。
女の子が出てこない男くさいチョコ話ですが、もし良ければご覧ください。
SSと言う割にかなり長いですが……。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1457585/blogkey/2242795/




