プロローグ
冷たい雨が打ちつけてくる。
薄暗い森の中。
背中の傷はもう痛みを感じない。
ただ雨と入り混じってドクドクと流れ続ける血が、洒落にならない量の赤い水たまりを地面に作っていた。
手足はとっくに重く、立ち上がる事ができない。視界もぼんやり霞んでいる。
いよいよやばいのかなと思った。
やばい?
もしかして俺、死ぬのか?
こんなところで?
こんな年齢で二度目の人生も終わるのか?
嫌だ、そんなの!
焦って身体を動かそうとするが、できたのは指で地面をかきむしるだけ。
「カフ……ッ」
急に動こうとしたせいで背中から更に血が溢れた。
飲みたくもない自分の血の味のする泥水が喉に入ってむせる。
「いやだっ、嫌だよぉ……!」
一度、死を意識すれば、あとはもうみっともなく泣き喚くしかなかった。
「父様っ、母様! ローズ! セイン……ッ!」
呼んでも誰も来ないのは分かっていた。
死んでしまったら、あの人たちにはもう二度と会えない。
それが悲しくて悲しくて。
「かぁっ……さま……」
溢れ出る涙にも気づかず、俺はもがき続けた。
その耳にふと、ヒタヒタと押し寄せる何かが聞こえたのは直感だったのだと思う。
ほとんど音もなく地面を踏みしめる複数の何か。
フシューッと獣の吐息が木立から響く。
な、なんだ?
俺はビクリと動きを止め、視線を恐る恐るそちらへと向けた。
ぼやけた視界の中、確かにそこに何かいる。
そう思わせる一対の金の瞳が煌めいて。
俺が手負いで逃げられないと分かっているからか、木立の中から優雅とも思える動きでノッソリと巨体が姿を現す。
それは、こんな曇天にも見事な銀の毛を光らせる巨大な狼だった。
ヒタヒタと太い足を動かし、巨体が近づいて来る。
琥珀色の瞳が、まっすぐに俺を映す。
あぁ、綺麗だと思った。
こんな、いつ死ぬとも知れない傷を負って。
人のいない森の中で。
俺は魅入られたように迫り来る狼を見つめた。
耳元にフガフガと獣臭い熱い吐息がかかる。
捲れ上がった上唇から鋭い犬歯が覗く。
そして。
これ以上、痛くなきゃいいな。
そう考えたのを最後に俺は意識を手放した。