(笑)人形。
今まで通り過ぎる度に気になってはいたが無視を極め込んでいた。
薄暗い廊下で老朽化も甚だしく、それでも使えるからと置いていた箪笥のガラス越し。
絶対に目を合わせてなるものか。
まだ日も明るい昼間であってもそれはあまりにも不気味である。
母や姪っ子などが時たま丁寧に手入れをしているらしいが、よくもまあ平然としていられるものだ。
今にも動き出しそうな人形が笑みを溢しているのである。
形相はといえば鬼気迫るぐらいで、その瞳孔は爛々と輝かせていたのだ。
ただし、感じたままの表現なので、決して恐れるに足らず。
好んでホラー映画を観ていた私ですらたじろぐのは致し方ない事なのだろう。
数シリーズにわたり放映された、人形が主役のホラー作品などは娯楽の域に留まっていたが、これが現実だという事が非常に怨めしい。
そして……
よもや私に順番が回ってしまうとは……。
祖父の代から受け継がれてきた人形は他と比較にならないほど貴重なものらしく、一日たりとも手入れを欠かしてはならないらしかった。
日中でも厄介な代物だったから、寧ろ皆が寝静まった深夜に作業に徹しても良かったのではないかとは思う。
どのみち呪われるのであれば、いっそのこと開き直った方がマシだろう。
今は出払った家族に唾を吐きつつも、私は役目を果たすべく薄い硝子戸を開き、錯覚だと思うのだが妙に生暖かい感触を覚えてしまう。
たかが人形であろうに、なんともふくよかで。
特に掌にチクチクと刺さる髪質には、今も尚、延び続けているような瑞々しい憂いがあった。
櫛を片手に、双眸を閉じたままで雰囲気だけで髪を研ぐ。
夥しいまでの湿り気は多分、自分の汗が尋常ではなかったのだと、そう言い聞かせるしかない。
時僅かにして、まるで永遠に続く悪夢のよう。
それでもなんとか事を成し遂げた私は一切目を閉じたまま人形を仕舞うに至る。
「……ふぅ……」
思わず漏れた溜め息が廊下に響き渡り、何も見なかった、何も無かったのだとその場を後にしようとする。
台所は冷蔵庫で心待ちにしている冷えきったビールを手にしようとしたその時……。
「……うふふ……もっと優しく研いでよ……」
気のせいならば良い。
でも、耳障りな笑い声がいつまで経っても消えやしない。
後ろを振り向いてなるものか。
確かに感じる気配と、何かを引き摺る音が周囲に死を撒き散らかしていたのだ。
ふと足元に柔らかな感触。
それは赤子よりもか細く拙い掌だった。
何故真っ赤に染まっていたのかは考えたくもない。
既にこと切れた家族の首を大量に抱えた人形の雄叫びが我が家だけではなく、私の心の隅々に至るまで埋め尽くさんと鳴り響く。
「ねぇ……。 仲良くしてよ……?」
突如、全身の毛穴という毛穴から汗を滲ませベッドから飛び起きる。
果たして。
悪夢とはこれほどまでに酷いモノであったのだろうか。
惰眠を貪っていた昼間は13時の針が重なる頃合い。
渇いた喉を潤すべく傍らに置いていたペットボトルを手にして喉に流し込んだ。
……歪な感触。
もし、私が猫であったならば、毛玉を吐くような。
気付けば口許には大量の髪の毛があり、握り締めていたのは例の人形だった。
嬉しそうに……
それはとても狂喜に充ちていた。
「ねぇ……笑ってよ……」
人形って。
リアルを追究すればするほど恐く感じます。
くれぐれも真剣に読まないように!
(^_^;)