空に舞う
春、暖かくなる季節。だったが、今日は寒の戻りだった。
早朝、埃の如く、稀に一粒、二粒、雪が舞う。
風に流れてくる白い粒。
アスファルトの上には疎らに黒い染みがある。
南西に青空に伸びる七色の梯子。振り返ると北西にも新緑の山を背景に同様の物が見える。
西の空には山の向こうに灰色の雲が広がっていた。
◇
下校時。雨が降っていた。
交差点にて信号待ちをしていた時。
背後から突風が走り、傘を攫って横断歩道へと一歩踏み込む。
飛沫を飛ばして自動車が迫る。表情が固まる。
辺りにクラクションが響き渡る。早鐘を打つ心臓。
慌てて戻る。
通り過ぎる車。音が低くなり、振り向かずとも判る。
水溜りに出来た大きな波が足元にバシャリと掛かる。
手元の傘が骨が折れて、裏返っている。
一度閉じて開き直す。もう雨に全身が晒されているが、傘を差し直す。
まだしばしびしょ濡れのまま、信号待ちを続けるのだった。
◆
下校時、昼前から降り続く雨にうんざりしながらも帰路に就く。
人影のない踏切。友人から借りた折り畳みの傘を手に電車が通り過ぎるのを待ちながら佇む。
そこへ突風が後ろから煽り、傘だけでなく上体も舞うほどの強さだった。
遮断機は腰よりも高く、越えることはなさそうであったが、上体ごと押し下げ、体のかなりの部分が線路へと侵入していた。
そのとき、カーブの先から待っていた電車が現れる。
カーブで速度が落ちていても充分な速さを誇っていた。
それは真正面でなくとも頭部を含めて接触すれば、人体なんて簡単に弾け飛ぶ。
電車の運転手は赤い傘に気を取られて人身事故と気付かずに通り過ぎる。
飛ばされた体は路面に横たわり、倒れている。
その頭部は真っ赤に染まり、どこに失くしたのか虚ろな眼窩を晒していた。
人通りも少なく、暗く、雨という天候も合わさり発見には時間を要した。
◇
翌日。友人が亡くなったと報せが入る。胸が締め付けられる。
突風に煽られて、線路に侵入してしまったらしいと教師が伝えて踏切では少し間を開けるように注意が促された。
高校になってからの友人。中学では学区が違うため、家にも行ったことはなかった。
貸した傘は折り畳むのが苦労するがその分大きく、足元が濡れにくい。
友人は背が低く、大きな傘だとより風に煽られやすかったのかも知れない。
顔から水位が下がるように血の気が引いていくのが分かった。
頭が痛く、吐き気がする。
そして意識が遠退いた。
いろいろあり、家に着くと横になった。
夢を見た。
屋上?
学校の屋上らしき所で友人がいた。
何か会話をした。
ずっと友達だよね、そう訊かれた気がした。
ずっと一緒、と答えたと思う。
嬉しそうに頷いていた印象だけが起きた寝ぼけ頭には残っていた。
朝になると庭にまだ早いのになぜか赤い蕾が一つあるのを見つけた。
親の育てている薔薇だが、こっそり頂いて行こう。
友人は赤い花が好きだった。
緑に映えるというようなことを聞いた気がする。
咲かせたら喜ぶかな。
放課後。屋上に来ていた。夢で見た場所だからだろう。
山に掛かる夕日を眺めると柵の向こうに赤い傘を差す友人が佇んでいた。
顔が見えないのに友人と断定したのはその傘だ。貸した傘だ。
白昼夢。そんな単語が浮かんでくる。
幽霊だとしても、じっとはしていられなかった。
柵を乗り越え、友人に近寄った。
そして息を飲みつつ、一つ深呼吸をして声を掛けてみる。
ゆっくりと振り返る。やはり友人だった。
こんなところでどうしたのだろう。
その時。
またしても突風が吹く。
咄嗟に左手で柵を掴み、右手を伸ばす。
煽られた友人の手首を掴む。
……ありがとう、返すね……
何を、と友人を見れば夕日の中微笑んでいた。
そして日が陰る。
雲に隠れて影が差す。
友人の姿が血に染まり、虚ろな眼窩を晒す。
思わず手を引くが手首を掴まれて離れない。
いつか周りの景色は山の影で低い建物は夕闇の海に沈み、高いものは未だ残る夕日で朱に染まっている。
闇の海に映る友人の姿は奈落の底にいる亡者であると言わんばかりの姿形。
そこでふと気づく。
なぜこんなに傾いでいる。
振り返ろうとすると、なかなか後ろを見ることが出来ない。
スローモーションのようにゆっくりと振り返る。
柵を掴んだはずの左手を見る。
そこには真っ赤な傘が握られていた。
友人に貸した傘だ。
……花の蕾、ありがと……
友人の声が低く響く。
薔薇の事だよね、と友人を振り返る。
……立派に咲かせるね、命の花……
……――……――……
ある学校の航空写真が拡散した。
その駐車場には花が咲いてるという。
噂では命の花とも乙女の花とも言われていた。
それはしばらくすると情報の海に埋没して消えていった。