歯車にならないように 3話
「なんだい、こんな時間に」
「酒、売ってくれ。何でも良い。全部くれ」
「なにを、言って」
正太郎は、ドックタグを出して、ついでに銃口も突き付けて詰め寄る
「わかった、わかった。でも、いまから運ぶんは馬車も」
「それはいい、さっさと代金を引き落とせ!」
「酒屋の店主は、なんとか代金を引き落としたが、店主そのとてつもない金額に気が付くのは寝て起きてからだ」
その日、酒屋から酒がなくなった。
「どうだ!?間に合ったっか?」
間に合ってなかった。
酒がない、食い物がないとクレームの嵐だ。
「ガブリエル、ネフィー、酒だ!」
瞬間に樽が割れた。
しかし、一滴も零れず、配膳されていく。
「姉さん、助けて。調理場!テラフニエル、バルキアケル、俺と一緒に皿洗い。母さんは、客をあしらっといて」
日が昇り、小鳥が鳴き始めたころ。
「お、終わった」
客は、満足して全員が帰って行った。
調理場も食堂も、天使たちがピカピカに磨き上げている。今夜からも営業ができる。
だが、無理だろう。
親子は、目の下に隈を作って遠くを見つめている。
カウンターに山と積まれた金貨や銀貨。
クレジットでの精算が追い付かないと言うや否や、客は貨幣に支払いを切り替えた。
高い酒も交じってたので、言った幾らあるのか数えるのも面倒くさい。
正太郎は、店に閉店の看板を掛けて部屋で寝ることにした。
太陽が中天に差し掛かるころ、ノロノロと正太郎達が起きて来た。
「おはようございます?」
客引きをしていた少女が、正太郎達に挨拶をしてくれた。
「昨夜は、お疲れ様だったな」
「いえ、あんなにお客さんが来るなんて初めてで嬉しかったです。お父さんは、今、買出しに行ってます」
「そうか、何か食べる物はあるか?なければ、外で食べて来るけど」
「簡単なもので良ければ、私が作りますよ?」
「疲れてるから、胃に優しいものがいいな。姉さんは食べ過ぎだし」
「なら、お粥でも作りますね。あ、それに昨夜はお客さんにまで手伝わせてしまってすいませんでした」
少女は、深く丁寧にお辞儀した。
「申し遅れました、私、コリーって言います。父はドランって言います」
コトコトと鍋が良い音を立てて、優しい香りを放ち始めた。
全員が、優しいお粥に舌鼓を打っているとドランが荷物を抱えて帰ってきた。
「昨日は、世話になった。ありがとう」
ドランも深く丁寧に頭を下げた。
ドランは、ドンと重そうな大きな袋をテーブルを置いた。
「昨日の売り上げだ。クレジットの分も換金してきた」
「売り上げ全部は、多すぎる。宿泊料と飯代は引いてくれ、酒代と手間賃は貰うけどな。ってわざわざ貨幣に変えてきたのか?面倒だからクレジットで頼む」
「風情があって良いかと思ったのだが。ダメだったか」
「それより、俺たちは傭兵だから店の手伝いは、もうしないぞ?さっさと誰か雇うなりしないとパンクするぞ?昨夜の余波でまた客来るぞ?」
「そ、そうだな。しかし・・・」
「何か問題でもあるのか?」
「ここは、基地だ。宿屋があるのは基地間の中継地点だからだ」
「ああ、そういう事ね。普通に人手が居ないのか。兵士か傭兵の戦闘員が大半で、非戦闘員でまともな奴は他で働いているか」
ドランが無言で頷いた。
「マスターとコリーでこの店を回すのは、無理だろう。昨夜程の騒ぎには成らないだろうけど人手が必要だな、奥さんは?」
ドランは、苦い顔をして黙ってしまったのでコリーが答えた。
「母は、ララクと言うんですが、ずっと病気でお医者様に診せることも出来ず、今ではベッドから起き上がることも・・・」
「そうか、辛い話をさせて悪かったな」
「いいえ、おかげさまで母をお医者様に診せることができると思います」
「そっか。コリー、お母さんの所に案内してくれ」
「え?」
コリーもドランもびっくりしている。
「悪いようにはしないし、お節介のついでだよ」
「分かりました、お父さんも良いよね?」
ドランは、何も言わなかった。
「こちらです」
コリーに案内されて、居住スペースへ正太郎は足を踏み入れる。
多少、埃っぽいが整理整頓されている。
寝室に入ると、やせ細った女性がベッドに横たわっている。
「お母さん、お客様を連れて来たよ。昨日、色々手伝ってくれたの」
「こんな姿で申し訳ありません。昨日は随分賑やかだったものね。ここからでも聞こえてたわ」
「お客さんが沢山来てくれてね、お父さんの料理を美味しい美味しいって言ってくれたんだよ」
「そう、それは良かった。やっと認めてもらえたのね、コリー、お父さんの言う事を良く聞いて良い子にしているのよ」
その言葉は、もはや死期を悟った人間の言葉だった。
「奥さん、初めまして。正太郎と言います、現状を鑑みるに人手が足りなくなると想定されます。なので、奥さんにも働いて貰います」
「正太郎さん、私はもう」
「それは、後で聞きます。テラフニエル」
「御身のお傍に」
「天使様?」
コリーが目を見開いている。
今のテラフニエルは、本来の姿をしており、地面から少し浮いている。
「解析を」
「はい、悪性新生物が内臓及びリンパ節の複数個所に発症。治療行為が行われなかったため、組織の大半が壊死しています。一週間も持てば良い方でしょう」
コリーは、目に涙をいっぱいに溜めているが、必死に泣くのを我慢しているようだった。
「奥さん、コリー、これから見る事、聞く事、全てを秘密に出来る?」
コリーは、何を言われているか良く分からなかったが、何か凄く大切な事という事は理解できたのか、しっかりと頷いた。
ララクは、もはや頷く力も残っていないようだが、覚悟を決めた目を正太郎に向けた。
正太郎が、テラフニエルに視線を送ると頷きが返ってくる。
「それでは、始めます。悪性新生物と壊死した組織を除去すると並行して細胞を再生させます。再発を予防するために遺伝子にも手を加えます」
端から見ると、テラフニエルが手を伸ばし、そこから溢れた光がララクへ注いでいるように見える。
数十分後、テラフニエルは終わりました。と言って、姿を消した。
「奥さん、どうですか?」
ララクは、ゆっくりと体を起こした。
体を起こしたララクにコリーが抱き着いて、大泣きし始めた。
コリーの泣き声を聞いて、ドランが慌てて入ってきた。
ドランは、胸中では、ついに来たかと覚悟したいたつもりだった。
部屋の中では、寝たきりだった妻が体を起こしコリーを撫でている。
青白かった顔も赤みが差し、やせ細っていた体も元気だった頃のようだ。
ドランは、奇跡でも見ているのかと目を擦ろうとして、自分が泣いていることに初めて気が付いた。
正太郎が部屋から出ていくと、親子三人で抱き合った。
食堂に戻ると明菜達が心配そうに目を向けてきたが正太郎が笑うと、ほっとした空気に満たされた。