3話 今朝起きたらベランダの積雪に足跡みたいなナニカがついてて怖かった
夜。
「にーさん。一緒にお風呂に入りましょう。裸の付き合いというやつです」
「年頃の女の子なんだから。もう少し恥じらいを持ちなさい」
お風呂セットを抱えて袖を引っ張ってくる木子。利一はテレビの前から動かない。別に好きなテレビ番組がやっているわけでもないのだが、ぼーっとするにはテレビがちょうど良い。
「え~、小学生のころは一緒に入ってくれていたのに。にーさんつれないのです」
ぶーぶー文句を言いながら、結局あきらめて一人で入ってくる。まぁ、それが良い。
さて。木子が風呂に入っている間に宿題でも写すか。そう思ってドリルを取り出した。
「ん?」
なんか、視線を感じた。え、何これ怖い。お風呂場からはシャワーと木子の鼻歌が聞こえるし、木子ではない。え、じゃあなにこの視線。まさかホラー的な何か……?
と思ってきょろきょろ見回していると、
「えあぁぁああえええ!?!?」
窓の外、ベランダに、人影を見つけた。
驚きと恐怖に、思わず叫んでしまった。
「どうしたのですかにーさん!!!」
瞬間、ドタドタと階段をのぼるけたたましい音が響いたと思うと、全裸の木子が扉をあけ放って現れた。全身から水滴を滴らせて。
「え、あ……。い、いや、なんでもない。ちょっと、大きな虫が目の前を飛んで、びっくりしただけ」
説明して、改めて窓の方へ目を向けると、そこには何もいなかった。ほっと胸をなでおろす。
「そうですか。ではにーさん。また現れないとも限らないですし、一緒にお風呂に行くです」
「不意打ちに驚いただけだから大丈夫だよ」
「じゃあ木子の身体が冷えてしまったのでにーさんの人肌で温めてください」
「湯船に温めてもらいなさい」
木子の背中を押して風呂場へ押し込み、利一は濡れる廊下をそのままに、足早に元の部屋へ戻る。
「……やっぱり、君か」
窓をガラガラと開ける。ベランダに立っていたのは、案の定、遊児クロだった。
「ごきげんよう」
丁寧なあいさつとは裏腹に、勝手に部屋の中へ入ってくる。
「共に正義を執行しに行きましょう?」
「とりあえずさ、僕の家に来るのやめて。ふほーしんにゅーだし、それ以上に木子に見つかるとヤバいから」
「ここ?」
「妹。たぶん、今こうして僕と君が話しているところを見つかったら、木子、隣の部屋から『木子特製殺戮七つ兵器』を持ってくるからね。チェーンソー程度なら普通に扱うし、いくら君でも危ないと思うよ」
脅しでもなんでもない。冗談のような本当の話だ。
木子は中学生にして、天才的な武器開発をする科学少女だ。とても世間一般には公表できないような武器ばかり作っているから知名度は全くないが、たまに怪しい大人がやってきて大金を落としてゆくので、その筋ではかなり評価されているらしい。どの筋なのかは怖くて訊けないが。
「ずいぶん過激な方なのね。未知の武器を使ってくる相手とは、あまりお手合わせしたくはないわ」
「分かったら早く帰って」
ベランダへ押し返そうとするが、どこからそんな力が出てくるのか。銅像でも押しているかのような手ごたえのなさだ。
「あなたも一緒に行きましょう。共に、ヤンキーたちを倒して回るのよ」
「一人でやって」
「嫌よ。あなたに来ていただかないと、私がヤンキーを倒したことが証明できないじゃない。それでは、どうせあなたはごねて血を分け与えてくれないでしょう」
「知り合って二日目なのに失礼だな君は。そもそも分け与える気がないんだよ」
「ひどい! 弄んだのね!」
「しーっ!!」
あまり大きな声に狼狽する。木子にバレるパターンが一番マズい。冷静さを失った木子ならば、この家を破壊しつくしてでもクロを殺そうとするだろう。木子が殺人犯になるのも、家が消滅するのも絶対に避けたい。
と、
「にーさん、また悪い虫が現れたのですか?」
木子が、ぺたぺたと階段を上る音を携えて大きな声で尋ねてきた。先ほどのようなドタドタという足取りではないが、いずれにせよ一刻の猶予もない。
何とかしてクロを部屋から追い出し隠し通さねば。
「な、なんでもない!」
答えて、クロを無理やりベランダに追いやる。
「と、とにかく帰って!」
「ええ~、でもまだ約束取り付けられてないし~」
この期に及んでゴネる。彼女も木子に見つかるのは望ましくない展開のはずだが、それを押して弱みに付け込んでくる。
「わかった! わかった今夜行く! だからとりあえず帰って!」
「やったわ。それじゃあ、教会で待ってるわ。午前1時すぎても来なかったらまた来るわね。では、ごきげんよう」
優雅に一礼して、ジャンプ。隣家の屋根に飛び移っていった気がしたが、気のせいだと思うことにした。
「にーさん。何かあったのですか?」
シャツとパンツのみというラフな格好の木子が、バスタオルを首にかけて現れた。
ギリギリセーフ。今更のようにどっと冷や汗が出た。
「いや、なんでもないよ。なんでもない。それより、相変わらずお風呂速いね。もっとゆっくり浸からなくて大丈夫?」
「大丈夫なのです。それより、……この部屋、何かにおうです」
「におう?」
「はい。にーさん以外のにおいがします。誰か来たんですか?」
ぐっ。鋭い。
「べ、別に誰も来てないよ。ていうか誰か来てたら普通にチャイムで気づくでしょ」
「まぁそうなのですが……いやしかし、やはり、にーさんのにおいに濁りが交混ざっています」
「え、僕そんなに臭う?」
一応きちんと毎日風呂に入っているのだが。
不審そうにきょろきょろと見回す木子。一応クロのいた痕跡は残っていないと思うのだが、何かが落ちていないとも限らない。
「こ、木子! それより、早く髪乾かさなきゃ、痛むよ。せっかく綺麗な髪してるんだから」
ドライヤーを手に、クロの意識をそらすべく言う。
「……そうですね。それじゃあお願いするです」
木子はやや釈然としない顔をしながらも、ソファに身を預けた。