1話 南アルプスの天然水のペットボトルの形、格好良くない?
「じゃあ、僕は南アルプスの天然水を一つ、お願いします」
「かしこまりました。それでは少々お待ちください」
人差し指を立て、注文。店員は注文をまとめると、一礼して去っていった。
「もう少し高いものを頼んでもらわないと、私の立場がないのだけれど」
クロは渋い顔をしてお手拭きを広げた。
あの後、ヤンキーたちを教会の外に放り捨ててから、クロは利一を連れて最寄りの居酒屋に来た。どうやらクロと店主が顔見知りのようで、あっさりと個室へ通された。
で、「お詫びとお礼にごちそうするわ。好きなもの頼んで」と言われたので先の通り好きなものを頼んだら、文句を言われた。
「しょうがないなぁ……」
メニュー表をぺらぺらめくって探す。いろいろ美味しそうではあるが、あまりお腹が空いていないし、そもそもこんな夜中に何か食べようという気にはならない。
何を食べるか探すフリをしながらメニュー表をめくっていると、
「とりあえず注文は済ませたから、先に本題に入りましょう」
クロが姿勢を正して切り出してきた。
「本題?」
何の話だろうか、と首をひねると、クロは一呼吸置いて言った。
「私が、吸血鬼だという話よ」
「ああ。そう。君が吸血鬼だって話ね。大変だね」
「もしかして信じてない?」
「だって急に言われても」
「無理やり納得していただくために人間を超えた身体能力を見せたつもりだったんだけれど……」
拍子抜けした、という風に脱力するクロ。
利一はそんな彼女の様子に「ん~~~」と軽く苦笑。
「でも、なんであんなに強いのに最初襲われてたの?」
「それが、ね。わざわざ助けに入ってきてくれたあなたには大変非常に申し訳ない話なのだけれど……わざと襲われていたのよ。ホントは三秒もあれば彼らの息の根を止めることくらい造作もなかったのだけれど、諸事情により圧倒するわけにはいかなくて」
「しょじじょー?」
「ええ。もろもろの理由があるのよ」
言ったところで、注文の品が届いた。南アルプスの天然水のほかに、から揚げ、刺身、チャーハンなど、つまみというより食事に近いものがテーブルに並ぶ。
手を合わせ、丁寧にお辞儀をしてから食べ始めるクロ。その仕草が居酒屋にふさわしいものではないという事くらいは、初めて来た利一にも分かった。
「で、そのもろもろの理由って何?」
「ええとですね。話せば長いのだけれど」
言って、いー、と口を開けて歯を見せてきた。
見て、と彼女の目が言うので、顔を近づけてみる。ふむ。
「虫歯があるね?」
「ないわよ! 吸血鬼は虫歯しないの!」
「え、何その便利な身体。うらやましい」
実際、白磁を思わせるほどに真っ白ピカピカだった。
「良いことばかりじゃないわ。それより、犬歯を見て」
「犬歯?」
言われて見てみる。ふむ。
「だいぶ虫歯が進行してるねぇ」
「しつこいわよ! 虫歯云々は置いておくとして、私の犬歯、人間のソレと変わらないでしょう」
「うん、まぁ」
「吸血鬼の身体的な特徴は二つあって、一つに牙の存在があるのよ」
なるほど。納得する。
「でも、私には牙がないの」
「なんで?」
「私が知りたいわよ。それはともかく、牙はなくとも私は吸血鬼だから、吸血衝動はあるのよ。実家にいたころは病院の輸血パックを仕入れていたので大丈夫だったのだけれど、安曇野市には医療施設がなくて、血を手に入れるアテがなかったのよ」
「たしかに安曇野市は山とワサビしかないド田舎で男の価値がケンカの強さと比例する原住民たちの住処だけど、それでも病院くらいはあるわ」
まぁ、どちらにせよツテがなければ手に入らない代物だろうから、そういう意味では病院の有無は問題ではないのだろう。
「そこで私に、神のひらめきが舞い降りたのよ。虫を主食とする、この野蛮な地に住まう人たちならば、殴り倒して血をいただいても合法なのではないか、と」
「悪魔のささやきの間違いじゃないかな。それで、三秒で倒せるならどうして倒さなかったの?」
「こう、圧倒的な力の差を見せつけてしまうと、誰も挑んでこなくなってしまいそうじゃない? そうなると血の供給源が絶たれてしまうから、できる限り『良い勝負をできるムカつく奴』感を出して、そこそこ頻繁にケンカを売られるようにしたいのよ」
なんだか面倒くさそうだ。これだけヤンキーであふれかえっている安曇野市ならば、クロが圧倒的な強さを誇示したところで、何十人何百人のヤンキーたちで囲んで挑んできそうな気もするが。まぁ、それも面倒くさいのだろう。
「それと、虫けらのように弱い彼らが勝てる可能性があると思い上がり挑んでくる戦いを軽くいなすのが楽しいので」
「おい」
平然と言って、何事もなかったかのようにお行儀よく食事するクロ。所作や外見はいかにも良家のお嬢様という感じだし、口調も丁寧でどこか気品を感じさせるのだが、いかんせんしゃべる内容がアレすぎる。
このクロという少女のことが、結局よくわからない。
南アルプスの天然水をこくりと飲む。冷たいのど越しを味わい、そこでふと気づいた。
「あれ、それじゃあ、ひょっとして最初僕が割って入ったときって、襲われてたんじゃなくて」
「ケンカを売られていたのよ」
えぇ……。さすがにそれはわからなかった。まぁ状況を理解する前に勝手に襲われていると判断したのが原因なのだが、それにしてもこんな異国少女然とした美少女がナンパではなくケンカを売られているとは、普通は思わないだろう。
「ていうか、ヤンキーのこと瞬殺できるなら、僕が殴り倒される前になんとかしてほしかったなぁ……」
「まさかヤンキーのケンカに割り込んできた人が、こんなに弱いとは思わないでしょう」
ぐぅの音も出ない。
完全論破され沈黙していると、ぼそりとクロが付け足した。
「ま、それだけが理由ではないのだけれど」
「え?」
「いいえ。なんでもないわ。とにかく、そういう経緯で私はこの安曇野市でヤンキーとして夜な夜なケンカに明け暮れているのよ」
「ヤンキーとしてケンカしているっていうより、ヤンキーに襲われて反撃してるって感じだと思うんだけど」
目の前でお上品に刺身を食べるクロは、どこからどう見ても良いとこのお嬢様っぽい銀髪少女だ。ヤンキー要素のヤの字も見当たらない。
「それで、なんで僕にその話をしたの?」
「私を助けようとしてくださったあなたへの、せめてもの誠意です」
まっすぐに利一を見つめ、言った。
結局助けれてないしそもそも助ける必要なかったじゃん、と思ったが、彼女の真摯な表情に、言葉を喉に詰まらせた。
数秒間、お互い口を開かず見つめあう。
やがて、クロがふっと利一から視線を外して、言った。
「というのは建前として」
「え」
「私は、あなたの血がほしいのです」
少しだけ頬を赤らめて切り出した。
「とりあえず、嫌だけど」
よくわからなかったけれど、とりあえず拒否することにした。
「そこをなんとか!」
「だって、ヤンキーたち倒してヤンキーたちの血をもらってるんでしょ? じゃあいいじゃんそれで。ついでに安曇野市のヤンキー全員ボコして平和な街にしてよ」
そうなれば少しは住みやすい街になるというものだ。あとは一軒くらい24時間営業の店ができてくれれば。
「ふむぅ。それじゃあこうしましょう」
腕を組み、考える仕草をしていたクロが、人差し指を立てた。
「一人倒すごとに一回血をください」
「全員倒す前に僕が失血死するわ」
「もちろん一気にとは言わないわ。うっかりケガをしてしまったときなど、あなたの都合の良いときにいただければ十分。どうかしら」
「うっかりケンカに巻き込まれて、うっかり守られ損ねられて、うっかりケガをさせられたりしない?」
「ぎくっ」
クロが固まった。空気も固まった。
「……じゃ、そういうことで」
ごちそう様、と立ち上がろうとしたところで、
「ま、待って! 大丈夫! あなたのことはきちんと守るわ! 遊児家の名に懸けて!」
利一の腕をつかんで、必死に引き留めてきた。
その真剣な声と目には驚いたが、
「遊児家って?」
知らない家の名前に懸けられても、困る。
いいとこのお嬢様っぽくはあるから、もしかするとどこかの名家さんなのかもしれないが。
利一の言葉に、クロは声も出ないといった様子でただただ目を丸くする。
その、力の抜けた手を振りほどいて、利一は今度こそ立ち上がった。
「まぁ、なんにしても、ごめんね。君がどれだけ僕を一生懸命守ってくれても、ヤンキーたちを片っ端から倒していってくれても、君に血を飲ませてあげるわけにはいかないんだ」
水、ごちそう様。言って、クロに背を向けた。






