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16話 ひっさつ!!!!!!!!!!!

 二十一時五十分。

 地図の指定した場所、県の森公園。

 木子を後ろに引き連れて敷地内に入った利一は、すぐに夜の姿を見つけられた。

 街灯の下、不敵に笑んでこちらを見ている。

「クロ! 無事か!」

 夜の足に踏まれ転がるクロを見つけ、思わず駆け寄ろうとした。

 が、

「来ないで!」

 悲鳴のような叫び声が利一の足を止めた。

 クロは四肢を拘束されているようで、首だけこちらへ向けて、利一を拒絶した。

「来ないで。逃げて。早く」

 くい、と顎で、帰るよう示す。

 それから首をひねり、

「ほら、夜。利一と木子ちゃんは、ちゃんと来たわ。だから、この二人は見逃してあげて」

 必死の形相で夜を見上げ、懇願する。

 きっと、今この時間に至るまでに、二人の間で様々なやり取りがあったのだろう。クロの顔は恐怖に怯え、それでも夜を咎めるように強い目でにらみつけていた。

 だが、夜は冷たく見下ろすのみで、何も言おうとしない。

「クロ。何言ってるんだよ。何のために来たと思ってるんだよ」

 利一は、悲しみと、怒りと、自分の中に渦巻く感情のままに言った。

「いいから。逃げて。私は大丈夫だから」

「助けに、来たんだよ。クロ」

「あなたたちでは、絶対に敵わない」

「クロ、」

「どんなに策を弄そうと、知恵を振り絞ろうと、身体の限界を超えて頑張ろうと。人間は吸血鬼には勝てないのよ」

 クロは利一の言葉を遮り、まくしたてた。

「だから、逃げなさい」

 鬼気迫る表情で。

「私のことは忘れて、日常に戻りなさい」

 真に迫った声で。

「私は、大丈夫だから」

 優しい、言葉で。


 ――それが、利一の、限界だった。


「ついて! 良い嘘と! 悪い嘘がある!!」

 クロが息をのんだが、もはや利一にはそれさえ聞こえない。

「大丈夫じゃ! ねーだろ!!!」

 ただ利一は、怒りか、悲しみか、一瞬で沸騰させられた感情のままに、叫んだ。

「勝てる! 助ける! 日常には、クロも連れて帰る! だから、黙って、助けられてろ!!!」

 クロは目を丸くし、呆然と利一を見つめる。

 その言葉が信じられないというように。

 その表情が、また、利一の逆鱗に触れた。

 が、

「ルンバさん」

 利一を制すように、木子が冷たい声で続けた。

「ただでさえお邪魔虫でお荷物で木子とにーさんの仲を裂こうとするアバズレビッチのくせに、それだけでは飽き足らずこちらの戦意を削ごうだなんて、もしかして敵方に付いたのですか?」

 木子は冷ややかに、しかし明らかに怒りを込めて言った。

「ち、ちがっ」

「なら黙っていてください。このまま騒ぐようでしたらルンバからお邪魔虫に降格しますよ。お邪魔虫さん」

 ぐっと、クロが黙り込んだ。

 そんな彼女を、木子は愉快そうに鼻で笑った。

「今の木子のセリフに対するツッコミは、終わるまで待ってあげるです」

 言って、銃を構えた。

 そこに至って、初めて夜が口を開いた。

「ふぅむ。お別れの挨拶は終わったかな?」

「今のが別れの挨拶に聞こえたなら耳鼻科を紹介してあげるです」

 軽口を返す木子の声は、わずかに震えている。

 一方、銃を向けられた夜は悠然と立っているだけで、全く構えるそぶりもない。

 その、あまりに自然な姿に、木子の手がわずかに震えだす。

 利一は、じっと夜をにらみながら、木子の振るえる手を握った。

「松坂、夜。……あなたの目的は、一体、なんなんだ。あなたの標的は、クロなのか、木子なのか、僕なのか。殺したいのか。吸血注入したいのか。苦しめたいのか」

 その問いは、時間稼ぎのつもりだった。

「全部」

 たった。たったの一言。

 それだけで、かあっと、全身が熱くなった。

「…………それで。それが、何故あなたはできるんだ!」

 嫌悪感と、怒りと、絶望と、様々な感情が混ざって、言葉がおかしくなる。

「あなたの話は、クロと、クロのお父さんから聞いた。あなたは、昔は、衝動に相当苦しんでいたそうじゃないか。クロにだけは、その衝動を隠そうと一生懸命だったそうじゃなにか。なのに、何故、こうして平然とクロを傷つけられるんだ!」

「なら、俺に、一生苦しめと言うのか?」

 クロを踏みつける夜の声の温度が、ふっと下がった。

 そこにこもる感情が怒りであることは、一瞬で分かった。

「そうじゃない。そうじゃないけど。どうして、なんで、あなたは。人を傷つけて、悪いことをして、そんなに平然としていれるんだ。僕には、それが理解できない」

「ならば、落ち込んだら良いのか。悔いて、自己嫌悪して、衝動を飼いならす努力をしたら、オマエは俺を認めるのか?」

 ぐっとクロを踏む足に力を籠める。

 クロの口から「ごっ」と鈍い声が漏れ出た。

「違うだろう。ごまかすなよ。オマエは気に入らないだけだ。悪者の俺が」

 クロの心臓に穴でも開けるのでは、というほどの力で踏み抜く。

 何も言えないでいる利一に、夜は勢いのままにまくしたてた。

「だが、それなら俺だって言わせてもらおう。俺が悪者なのは、俺が悪いのか? 俺のせいなのか?」

 役者のように両手を広げたりなどしない。ただ突っ立って、クロをぐりぐりと踏みつけて、淡々としゃべり続けた。

「俺は、悪者になんてなりたくなかった。できるなら、オマエや、クロや、ご主人や、その他大勢みたいな、一般的な、善人に生まれたかったさ。だが、そうじゃなかった。俺は、悪者として生まれてきた。善人になろうと、必死に努力を重ねた。悪事を悪事を夢想するたびに四肢を焦がし、身動きの取れない状況に追い込んだ。悪事を働くたびに太陽へ向けて全身で懺悔した。だが、無理だった。五年かけても十年かけても、死ぬほどの苦しみを幾度身体に植え付けても、善人にはなれなかった。これは、俺の努力不足なのか? 俺は、罰せられなければならないのか? 俺が悪者として悪事を働いているのは事実だが、俺が悪者として悪事を働いている事に関して、俺は何も悪くないんだぞ。不可抗力なんだ。人間が空を飛べないように、吸血鬼が青空を仰げないように、俺は善人になれなかった。悪者として生まれ、悪者として育った。悪者として生きるしか、道がなかった。もはや俺が悪者から脱却する唯一の道は、死だ。死しか残っていない。では、俺は死ぬべきなのか? 俺は悪くないのに? 俺が悪者だから? こんな理不尽な話があるか。俺は悪くない。たまたま、運悪く、そういう性質を持ってしまっただけだ。偶然、善人として生きる才能を持ち合わせていなかっただけだ。不運なことに、悪者として生きる才能だけを持って生まれてきてしまっただけだ。生まれつきの悪者は、死ななければならないのか? オマエたちが、幸せに生きるために? 悪者には、幸せに生きる権利がないのか? たまたま悪者に生まれてしまった人間は、たまたま善人に生まれてこれた人間のために自分の幸せを手放さなければならないのか? 俺とオマエ、何が違う。俺とクロでどうして差をつける。俺とご主人の間には何が隔たっている。同じだ。俺たちはみんな、同じく、運悪くこの世に生を受け、運悪く死を恐れる本能を持ち、故に生きることを強いられている。何も違うことはないだろう。ならば、俺に我慢する義務などない。オマエたちが自分の幸せのために俺の幸せを潰すというならば、俺は俺の幸せのためにオマエたちの幸せを潰す。その権利はあるはずだ。だから、俺は、オマエたちを苦しめ、吸血注入し、殺す。それが俺の幸せだからだ。オマエたちも幸せになりたいならば、俺の幸せを妨害するがいい。その権利は、オマエたちにある。もちろん、俺は俺の幸せのために全力で抵抗するが、オマエたちが権利を行使する事自体は正しい。幸せをつかみたいなら、最後は暴力に訴えろ。この世で最も価値のある力は暴力だ。権力も財力もペンも、すべて暴力の前に屈する。どれだけの力を持っていようと、生き物は痛みの前には無力であり、死の先には何もない。だから俺は暴力を磨いた。俺の幸せを守るために。俺の幸せを妨害したければ、好きにしろ。俺は暴力で応戦する」

 長い、独白。

 言いたいことは全て言ったとばかりに、夜が初めて戦闘態勢を構えた。

 一方、利一は、夜のその言葉の塊をすべて聞き、理解し、結果。心の中に迷いが生じてしまった。


 被害者。


 クロは以前、夜をそう表現した。きっと、仮性吸血鬼となってしまったことは、間違いなく彼の価値観に大きく影響を与えた事だろう。

 ならば、その誰とも知れない吸血鬼が悪いのではないか。

 もっとさかのぼるなら、そもそも彼の本質を育てた両親が悪いのではないか。

 一つ疑念が浮かぶと、連鎖的にあらゆる事が疑問に思えてくる。

 思考の迷宮に迷い込んだ利一は、構えることもできず、ただひたすらに目をぐるぐるとさせた。

 と、

「にーさん!」

 木子の鋭い声が、利一の脳に刺さった。

 ハッとして、視界がクリアになる。

「にーさん。救う相手を、救いたい人を、間違えないでください」

 夜の足元に転がされるクロの姿が目に映った。

 木子の声に。クロの姿に。

 利一は、答えを見つけた。

 一つ、深呼吸。

 まっすぐに、夜を見つめて、宣言した。

「松坂夜。あなたには同情する。でも、木子やクロを傷つけようとする限り、僕はあなたを絶対に許さない」

 チェーンソーを取り出す。

 ギュィィイイイイン!! という轟音を響かせて空間を切り裂く。

 ニヤリと、夜が笑みを深くした。

「行くぞ!」

 チェーンソーを頭上に掲げ、地面を蹴った。

 夜も反撃の体制を整え、地面を蹴る。

 二人の距離が近づき、ぶつかる。

 その間際。

 ビッカアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 木子の放った閃光弾が、あたり一面を陽光のごとく照らした。

「ぐっがあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 夜の叫び声とクロの絶叫が重なった。


 計画通り。

 利一は唾を飲み込んだ。

 だがこの決定的な隙は、おそらく何秒と保たない。

 大丈夫。準備はできている。

 先の、夜との七分間にわたる問答。うち、決心に三分かけ、勇気を奮い立たせるのに、四分かけた。

 大丈夫。大丈夫。利一は心の中で言い聞かせる。

 大丈夫。死ぬわけじゃない。

 物凄く怖いけれど。

 きっと、死ぬほど痛いけれど。

 でも、これがきっと、最善手!


 利一はチェーンソーを右手に掲げ、


 左腕を水平に伸ばし、


 左腕に向けて、


 全力で振り下ろした。


「ぐ、ぐぐがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 激痛。などという言葉では温い。死を覚悟する痛みに、意識が途切れかける。

「にーさん!!?? なにしてるんですか!!!」

 木子の叫び声で、ブラックアウトしかけた視界がかろうじて色を取り戻す。

 左腕が、焼けるように熱い。脂汗が湯水のごとくあふれ、傷口が空気とこすれるたびに意識が飛びそうになる。

 が、気絶しているヒマなどない。

 荒い呼吸を整える余裕もなく、地面に落ちた左腕を探す。


 事前に木子に話していた予定では、チェーンソーで夜の足を刈り取り、機動力を奪えている間にクロの拘束を解き、クロにとどめを刺してもらう、という方針だった。

 それは、木子に閃光弾を投げさせるための、嘘だった。


 駆け寄ってくる木子を無視して、利一は左腕を探す。

 汗と涙で視界がにじむ。が、なんとか見つけた。

 チェーンソーを投げ捨て、地面に転がる左腕を手に取った。そして、

「クロ!! 口開けろ!!!!」

 先の閃光によって全身を真っ赤に腫らし、もだえ苦しむクロの口へ、ねじ込んだ。

 がうっ、とクロは苦し気にくぐもる声を上げた。

 その、次の瞬間。

 クロは憤怒の形相で跳び上がった。

 メキメキメキッ!

 ブチッ!!!

 四肢の拘束を力づくでほどき、利一の腕を右手に持ち変え、

「利一のバカ!!!!!!」

 開口一番、怒鳴った。

 勢いのまま、いまだ悶絶する夜へ突進。

「くっクソッ!!」

 夜も、真っ赤に腫れあがった腕で、クロへカウンターを入れようとした。

 が、

「がふっっっっ!!!!!!!!!」

 数ミリ、届かない。

 クロの拳が夜の心臓を、殴りつけた。

 どすっ、と、夜が白目をむいて倒れた。


 決着。

 大の字に横たわる夜の姿に、利一は、ほっと息をついた。

 生き延びた。

 クロには全身大火傷させてしまったし、木子を騙してしまったし、自分は左腕をぶった切ってしまったが。

 なんとか、生き延びることができた。

 今はそれだけで、満足だった。

 利一は未だに激しく痛む左腕をかばうようにしながら、クロの下へ歩み寄った。

 ところが、

「え、あれ、え……」

 夜の前で立ち尽くすクロの顔には、ほっとした様子も、喜ぶ感じもない。

 ただ、自分の拳を見つめ、戸惑っていた。

「え、なんで。なんでよ。どうして」

「な、なにが?」

 振り向いたクロは、今にも泣きだしそうな顔で、悲鳴のように叫んだ。

「胸に! 何も、入っていなかったのよ!!」


 死にたくない吸血鬼は、大体みんな胸部に鉄板とか防御するものを潜ませている。


 クロは過去に、そう言った。

 だからこそ、クロは夜の胸を殴ったのだろう。

 殺したく、なかったから。

 クロは夜の前に膝をつき、肩をつかんだ。

「夜! あなた、なぜ……、どうして! どうしてよ!!」

 涙をぼろぼろとこぼしながら叫び、夜の身体をゆすった。

 何度も、何度も、ゆすった。彼の名を呼んだ。

 しかし、夜の目が開くことは、なかった。

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