13話 ゆーじけ③
夜七時。
「おはよう。利一、木子ちゃん」
トイレから出たところで、クロと鉢合わせた。
今朝、利一と木子にはクロの隣の空き部屋があてがわれた。種族が違うとはいえ、年頃の男女だ。同じ部屋にするわけにはいかないという、母以外全員一致の意見で決定された。
「ああ、クロ。おはもーにん」
「……はようです」
挨拶を返すと、クロはふわぁとあくびをした。
「クロ。眠そうだね」
「あまり眠れなかったのよ」
まぁ、それはそうだろう。昨日、緊張の父との対面を果たしたのだ。今日もそれが続くと思えば、気が気ではないはずだ。
クロは座敷のふすまを開ける直前、すぅ、と大きく息を吸って、背筋を伸ばす。頬を両手でぐりぐりして、
「よしっ」
小さく言って、ふすまを開けた。
「おはようございます。父上。お母さま」
すでにこたつに入って夜七時のニュースを見ていた二人へ、クロは正座をして丁寧にお辞儀する。
ただ突っ立っているだけというのも気まずいから、利一と木子もクロに倣って丁寧に挨拶した。
「おはようございます」
「……ございます」
「お早う」
「あらあら。おはよう、三人とも。それじゃあ、みんな揃ったことだし、ごはん持ってくるわね」
「手伝います」
「わ、私もっ」
腰を上げた利一に引っ付くように、慌てて立ち上がるクロと木子。
三人でとことこと台所までついていき、食器を配膳する。
ごはんとみそ汁と焼き魚(ただし種類不明)という、こたつの上で食べるには最善の朝食(時刻的には晩飯)だった。納豆はなかった。
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「おそまつさま。後片付けはお母さんやっておくから、あなたたちはくつろいでいて」
母はキビキビと食器をお盆に乗せると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
手持無沙汰となった利一は、なんとなしにテレビを眺めながら呟いた。
「それにしても変な感じだなぁ。暗くなってから起きるなんて」
「あー。まあ、そうね。吸血鬼にとっては普通よ」
利一の目から見ても、クロが極力父を意識しないようつとめていることがハッキリと分かった。今の会話も、普段のクロならば冗談の一つでも飛ばすところだが、心ここにあらずといった様子だ。
やっぱり深刻だなぁ。と、そんなことを思っていると、
「う。と、といれ」
ぎゅるぎゅる。
やはり、吸血鬼の食べ物は利一のお腹には合わなかったらしい。突如として、激しい便意にみまわれた。
クロは、そんな利一に心細そうな目を向けた。
「え、ま、また? さっき行ったじゃない」
「うん、そうなんだけど。こう……今度は、少し大物というか。さっきのがたんぽぽを摘んでいたとしたら、今度はヒマワリというか……」
できる限りオブラートに包んで表現する。
「うう~~~……じゃ、じゃあ、私もついていくわ。連れションっていうやつね!」
「いや、だからションじゃないんだって。大丈夫だよ。すぐ帰ってくる」
「う、うぅ……」
反論の余地がない。クロは不安そうに助けを求める目を利一に向け続ける。
そんな目を向けられるとつい折れてしまいそうになるが、その先に明るい未来はない。折れるわけにはいかない。
クロの制止を振り切って、おなかを押さえながらトイレへ向かった。
仕方ない。クロは、木子に助けを求める目を向ける。
が、
「木、木子も、おといれ、です……」
既に顔が青いし、変な汗が出ている。
「ええ! お、お願い、一人にしないで!」
「そう言われても、漏らすわけにはいかないのです……どくのです……」
なんとか制止しようとするも、事実漏らされてはたまらない。
結局、木子は股間を押さえながら、利一を追って部屋を出ていってしまった。
ピシャン、という音で、クロは、父と二人きりとなった。
空気が重い。
「三戸、利一。な」
それが独り言なのか、クロに対する呼びかけなのか。判断が付かず、クロは沈黙する。
この空気に、空間に、押しつぶされそうだ。
「クロ。お前は、あの二人のことをどう思っている」
「……はい。…………良き、友人だと思っています」
畳をじっと見つめて、数度の逡巡の末に、絞り出すように答える。
父は「そうか」とうなずくと、声をいっとう低くして続けた。
「彼らとは、縁を切れ」
は?
クロの第一声は、それだった。
その、とても上品とは言えない言葉を口にしたことにすら気づかず、ただただ呆然とする。
頭を垂れたまま、父の言葉を頭の中で幾度も反芻する。
縁を切れ。縁を切れ。縁を切れ。えんをきれ。えんをきれ。えんを――……
「………………。………………………………関わってはいけない、理由を。教えて、いただけますか?」
クロは心底怯えながら、しかし勇気を振り絞り、全身全霊をもって尋ねた。
「理由? 奴らは、お前の友人にふさわしくない、と言っているのだ。お前は遊児家の一族なんだ。付き合う人間はもっと考えろ」
だが、父は、そんなクロの中にうごめく思いを、切って落とす。
クロは、力いっぱい握った拳を、それでも足りないとぶるぶる震わせた。奥歯を噛みしめ、奥から漏れそうになる声を全力で押し込めた。
「……………………彼らの、どこが、ふさわしくないのでしょうか」
代わりに、静かに、灼熱の怒りを込めて問うた。
隠しきれない感情のあらわになった声。
しかし父は呆れたようにため息をついた。
「言葉遣いもなっていないし、他人の家での礼儀もなっていない。昨日も木子とかいう奴はろくに話さない愛想のなさだったし、利一という奴は最初だけきちんと自己紹介していたが、その後はろくに話せていなかっただろう。どうせ大方、私対策にいくつかセリフを考えてきたのだが、想定外の私の言葉に対応できなくなったのだろう。書斎で改めて話してみて、そのことがよくわかった」
いいか? と、父はしかめっ面で、人差し指を立てた。
「その上、彼らには、身分がない。教養がない。社会性がない。顔がよくない。そもそも種族が良くない。品がない。資産がない。勤勉でもなければ優れた才能を磨いているというわけでもない。家柄もいたって平凡」
指を一本ずつ立てて挙げてゆく。
「昨日、少し話をしただけで彼らのことは大体理解した。つまり、その程度で知れてしまうほどに底の浅い人間たちだったということだ」
ひらひらと手を振って、呆れたように言う。
「逆に聞くが、彼らのどこがお前にふさわしいというのだ」
嘲笑交じりに尋ね返した。
それが、限界点だった。
「ふざっけんなああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
クロが、ブチ切れた。
感情のままにこたつを殴り壊すと、刹那の後には父親の胸倉をつかみ上げ、感情のままに怒鳴る。
「あなたが!! 利一の!! 木子ちゃんの!! 何を知ってるというの!!!」
先までの、ビクビクとおびえて、顔すら見れなかったクロの姿はもはやどこにもない。
ただただ、怒りのままににらみつける。
目を見開く父。
クロは叫ぶ。
「利一はね! 私のせいで死にかけても、真っ先に私のケガを心配するような、超超超超超超超超超お人よしなのよ!!」
クロの脳裏に、この一週間の出来事がまるで走馬燈のように流れる。
見ず知らずの自分を助けるために間に入ってきた利一。
クロがピンチのフリをしていただけと知って胸をなでおろす利一。
夜に殺されかけている中「逃げろ」と言った利一。
そのすべてに、何故か、涙があふれてくる。
「木子ちゃんもね! 口は悪いし私の事嫌ってるし利一以外はすべて等しくゴミみたいなぶっ壊れた価値観をしているけれど! 表に出さないだけで、とても、優しいのよ!!」
本人は否定していたが、クロの舌に合うよう、毎日少しずつ味付けを変えてくれた。
毎朝、警備に疲れた体を横たえると、布団のそばに甘いお菓子が置かれていた。
様々な悪口を言われてきたが、クロの吸血鬼としての欠陥だけは一度として突かれたことがなかった。
走馬燈のように、利一と木子の優しさが脳裏を駆け巡る。
あるいは、これらは本当に走馬燈なのかもしれない。
きっと、間違いなく、父の逆鱗に触れている。
怖い。
でも、いい!
「私のせいで危うく命を落としかけたっていうのに!! 夜に、狙われるハメになったっていうのに!!」
ここで死んだってかまわない!
「あの二人は! 私のケガを心配し、私を労ってくれるのよ!!!」
ただ、二人を悪く言ったことを、訂正させてやる!!
「あの二人は!!! 馬鹿が百万個あっても足りないくらい、超鬼馬鹿いい人たちなのよ!!!!!!!」
何があっても忘れないように!
鼓膜が破けても脳に届くように!
心の底から、絶叫した。
すべてを吐き出して、少しだけ冷静になって、気づいた。
父が、目頭に涙をたたえながら、微笑んでいた。
「うん。……うん。そうか。そうか……。クロは、本当に、優しい子に育ったなぁ……」
なんだ。なんだ。涙ぐみながら、嬉しそうに呟いている。
こんな父の姿を見たのは初めてだ。
というか、
「え、え……え、?」
どうして嬉しそうなのか。
そのあまりに予想外な反応に、クロの怒りが行き場を失い、霧散した。
ええと、先まで父が利一をバカにしていて、自分はそんな父にブチギレてて……。
混乱する脳でなんとか流れを思い出す。
「えっと、……父上?」
「クロ。お前は、本当に友人に恵まれたんだな……。利一君。木子ちゃん。ありがとう。本当に、ありがとう……」
「えっ……?」
わけがわからない。脳がショートしかける。
ピシャンッ。
ふすまが開いた。
「「ドッキリ大成功~!」」
利一と木子がプラカードを掲げて元気に乱入してきた。
クロは呆然と、利一と木子とプラカードと父を眺める。
利一と木子と父はクロの前に並んで立つと、揃って頭を下げた。
「すまなかったな。クロ。今まで、辛い思いをさせてしまって。そして、今こうして騙していたことも」
「ドッキリ仕掛けてごめんなさい」
「ごめんなさいでした」
開いた口をふさぐ余裕もなく、三つの頭を見る。
頭を下げる父親は、すでに、ヤクザのような風格も、クロが怯えた雰囲気もない。
自身の不器用さ故に傷つけてしまったこと、辛い思いをさせてしまったことを悔い、詫びる、一人の父親の姿があるだけだった。
頭を下げる三人を前に、クロは、拳を握り締めた。
それは、先にも増して、怒りに震えていた。
殴られる。利一は直感的に理解した。それは、仕方ない。初めから覚悟していたことだ。目的がどうあれ、クロを騙し、辛い思いをさせたのは事実だ。
せめて全治三か月くらいで済みますように。誰へともなく祈り、目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばる。
しかし、予想していた打撃は来ない。怪訝に思い、目を開ける。
クロは、確かに拳を震わせている。
しかしその表情は、今にも泣きだしそうな、あまりにも弱々しいものだった。
クロは、絞り出すように言った。
「………………ついて、良い嘘と、悪い嘘があるわ」
利一は言葉を失った。
クロは、涙交じりに利一をにらみつける。
殴ってくれればわかりやすかったのに。
利一はばつが悪くなって、視線をクロから外した。
「分かってる。悪かったよ。でも、今回は良い嘘だったでしょ? こうしてお父さんと――」
「悪い嘘に決まってるじゃない!!!」
利一の言葉を遮って、怒鳴る。
わかってない、わかってない、と、涙をこぼす。
「わたし……ほんとうに、悲しかったんだから……」
本物の涙を流して、訴える。
悲しかったと。悔しかったと。辛かったと。
まっすぐに、利一を、木子をにらみつけて、怒りをぶつける。
利一は、ようやく自分が思い違いをしていたことに気づいた。
彼女は、騙されていたことに怒っているのではない。利一が、不当に悪く言われることを許容したことに、怒っているのだ。
「……ん。ごめん。クロ」
利一は、それが申し訳なくて、でも少し嬉しくて。
「ありがとう」
笑って、言った。
「ぶへばッ!」
やっぱり殴られた。




