11話 ゆーじけ①
数日後。
利一たちは『特急しなの』というクソみたいな電車の終電に揺られ、グロッキーになりながら名古屋までたどり着くと、そのままクロの実家である愛知県長久手町へ向かった。
「でっっっっっっっかーーーーーーーーーーー!!!」
やってきて早々、利一は思わず叫んでしまった。
もんのすごく大きなお屋敷だった。もはやお屋敷というより城だった。いやさすがにそれは言い過ぎだが、そう言いたくなるくらいに、大きく、風流ないでたちだった。これが一軒家だというのは、さすがに信じがたい。仲居さんとかメイドとか執事とか働いてそう。いやメイドや執事が働くには和風すぎる。
「深夜だから! 周囲は普通の人間たちが住んでるんだから静かにして!」
「ご、ごめん」
クロにたしなめられて、利一は小さくなる。
「それにしても、でっかすぎない? 家中に電気ついてなかったらどこまでがこの家なのかわかんなかったよ」
「これだけ大きければどれだけ散らかしても掃除しなくてよさそうですね」
「木子ちゃんは家の広さに関係なく掃除しないでしょう」
冷静にツッコミを入れて、クロは表情を引き締めた。
りーんごーん。
チャイムを鳴らすと、十数秒で登場した。
「おかえりなさい。クロ」
「お母さま。ただいま帰りました」
着物姿で現れた母は、穏やかな表情の中に嬉しさを隠しきれていない様子だ。クロも硬い表情をほころばせた。
「あら、そちらの方が、三戸利一さんと三戸木子さんね?」
クロと二、三言交わしたあたりで、利一たちの方へ顔を向けてきた。
利一はやや緊張しながらも丁寧に頭を下げる。
「あ、はい。どうも。こんばんは。本日はお日柄もよく」
木子も利一の後ろに身体半分隠れながら、ぺこりとお辞儀をする。
「あらあら。そうね。今日はよく晴れていて、月が綺麗ね」
「今のは愛の告白ですか?」
「うふふ。ごめんなさいね。私には旦那がいるのよ」
ほがらかに笑いながら流された。
ガスッと右からクロ、左から木子に脇腹を殴られた。
「恥ずかしいこと言わないでよ!」
「や、そういうフリかなって思って」
「そんなわけないじゃない! もういいから黙ってて!」
「でも、クロのお母さんでしょ? それなら今後のためにも第一印象こだわった方が良くない?」
「こ、今後のためってどういう意味よ!」
「そうですにーさん! にーさんには木子がいるのです!」
ひそひそ声で言い合う三人を微笑まし気に見つめる母。
「ささ、利一さんに木子さん、クロも。いつまでもここにいては冷えてしまいますから、お座敷へ。お父さんは少し出かけているけれど、もう間もなく帰ってくると思うわ」
三人に背を向け、歩き出した。
「あ、はい」
「…………はい」
利一とクロは短く返事、木子は小さくうなずいて、母の後ろに付いて歩き出した。
お父さん、という単語が出た瞬間の、クロの表情。
利一は頭をガリガリと掻きながら、クロの横を歩いた。
真ん中にこたつの設置された、畳の部屋に通された。
お座敷、という大仰な呼称を使うものだから、どんな部屋に通されるか警戒していたのだが、少し広いことを除くと極めて庶民的な部屋で、少し拍子抜けした。
「どうぞ。利一さん、木子さん。緑茶でよかったかしら?」
「ありがとうございます」
「…………どうも」
木子は利一と同じ辺に入り、隠れるようにくっつく。
「木子、大丈夫? 体調悪い?」
「……木子は、こう見えて人見知りなのです」
今更ながら、初めて知る事実だった。
改めて考えてみると、確かに今まで木子とともに第三者に会った事などほとんどない。そもそも利一も木子もインドア派で基本家の中ですべてを済ませてきたことも大きいだろう。
クロ相手には最初からズカズカ行っていた気がするが、おそらくあの時は怒りやら嫉妬やら様々な感情が人見知りを超えたのだろう。
意外だったな、と木子を見やりながら、差し出された熱い緑茶に口をつけた。
なんだか、利一の知っている緑茶とは少し違う気がした。基本的には緑茶なのだが、何かが違うような気がする。いわゆる吸血鬼流の緑茶なのだろうか。正直、あまり好みではなかった。
湯飲みを置いて、母親を観察してみる。
ふぅむ。長い黒髪を後ろで一つに結った、綺麗な人だ。そして、恐ろしく若い。年齢は聞いていないが、一児の母とはとても思えない。これで銀髪だったらクロの姉妹と言われても納得してしまいそうだ。
と。
「利一。あまり他人の母親をじろじろ見ないでくれる?」
隣の辺に座るクロが、咎めるように耳打ちしてきた。
「それともなに? もしかして、本気でお母様に惚れたの? そういえばあなた熟女好きだったものね」
「勝手に僕の性癖を捻じ曲げないで! ちゃんと幼い方が好きだよ!」
「…………………………へぇ」
「え、どうしたの? こたつから出たら寒いよ? クロ、鳥肌立ってるよ?」
「ううん、大丈夫よ。心配しないで。これはそういう鳥肌ではないの。だからこっちに来ないで。半径三メートル以内に近づいてこないで」
「???」
手のひらをこちらに向けて制止するクロに対し困っていると、
「うふふ」
母が楽し気に笑った。
「あなたたち、本当に仲が良いのね」
「まぁ、はい。お世話になってます」
「それで、今日は結婚の報告に来たということで良いのかしら?」
「え、――」
その脈絡のない単語に戸惑いの声を上げかけたところで、
ぞわっっっ。
利一は、全身の毛が逆立ったのを感じた。
ライオンを前にしたウサギの感情を。蜘蛛の巣にかかった蝶の感覚を。蟻地獄に堕ちる蟻の絶望を。理解した。
母親の方から、来た。
あらゆる者を屈服させる、目には見えない圧倒的な力が。
夜が、利一に向けていたソレと同じ、絶対的な意志の力が。
殺意、が。
「い、いえいえいえいえいえいえ、ととととんでもない! 結婚だなんて! まだ早すぎます! 三年後にお願いします!」
慌てて否定しようと思ったら、最後に思ってもみない言葉が出てきた。何故出てきた。
オワタ。お母様の手によって命が屠られる事が決定。脳内で辞世の句を詠む。
と、顔を真っ赤にしたクロと木子が光より速く詰め寄ってきた。
「ななななんでよ! 結婚なんてしないわよ!」
「そうです! にーさんは何を考えているんですか! よりにもよってルンバさんを選ぶとは! せめて木子が納得できる人を選んでください!」
「木子ちゃんが納得できる人なんて世界中どこを探したっていないでしょう!」
「それなら仕方ないですね! 寂しい独り身のにーさんのために木子が一緒にいてあげるしかないですね!」
「仕方ないのは木子ちゃんの人間性よ!」
「ルンバさんに人間性を問われたくないです!」
二人は利一を差し置いて、ぎゃーぎゃーと言い争う。場所が変わっても本人たちが変わらなければ、やることは同じになるようだ。
「あの、盛り上がってるとこ悪いんだけど、さっきのは何かの間違いというか、別に全然全くこれっぽっちも思ってもみなかったことをなぜか口走っちゃっただけだから、クロも木子も心配しなくて良いよ」
「そこまで絶望的に否定されると、拒否していたはずなのにへこむわね」
「ざまあです! ざまあなのです!」
「ムカツク! 物凄くムカツクから結婚しましょう利一!」
「クロはそれで良いの!?」
「良くないわね! ごめんなさい!」
勢いのままクロはぐいっと緑茶を飲み干した。
まだかなり熱かったみたいで、ぐっとこらえている。目尻には涙を浮かべている。
「ぶはっ。はぁ、はぁ。熱かった……」
「クロ、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう。……でも元はと言えば、利一のせいなんだからね」
ハンカチを差し出すと、クロは小さくふくれながら受け取った。
「あらあら」
母は彼らの様子を微笑ましそうに眺めながら、新たな緑茶を注いだ。
利一は、そんな母を眺めながら、考えた。
この人のことが分からない。
正確には、先ほどの母の「結婚の報告に来たということで良いのかしら?」という言葉の真意がわからなくなった。
話の流れと字面だけ追うと、その言葉はただの冗談のように思える。
しかし、そのとき、母の方から感じた殺気。それは、紛れもなく本物だった。クロの殺気も、夜の殺意も間近で感じてきたからこそ、この感覚には自信がある。
だから、てっきり、「お前には娘はやらん」という意思表示なのだろうと思った。
直後、何故か求婚の言葉を口走ってしまったときは「あ、死んだ」と一周回って冷静になったくらいだった。
ところがだ。
その後の木子を交えた三人での爆弾投下祭りの間、殺気はなりを潜め、母はずっとにこにことしていた。
……これは、逆、なのだろうか。つまり、「娘とただの友達とはどういうことか。結婚しろ」ということなのだろうか。
常識的に考えて、そんなことはありえない。
しかし、彼女らは吸血鬼だ。
ごく一般的な人間の常識をあてはめられるような相手ではない。
となると、結果的に求婚の言葉を口にしたことが味方したのだろうか。
わからない。情報が足りなさすぎる。
と、緑茶を口に含みながら考えていると。
「クロ」
低い声が、響いた。
瞬間。
気温が、数度下がった気がした。
緩かったクロの表情が固まる。瞬時に正座に座り直し、背筋をしゃんと伸ばした。
しかし、正した姿勢とは裏腹に、こわばった顔はうつむき、決して前を見ようとしない。
クロのこの反応で、わかった。声の主を。
父、だろう。
声の方へ顔を向けた。
四十歳くらいだろうか。強面の男が部屋のふすまを開けて、立っていた。
「父上。……、ただいま、帰りました」
クロはゆっくりと、丁寧に、頭を下げた。
はたから見てもわかるほどに目が泳いでいて、顔もお世辞にも血色が良いとは言えない。
そもそも、チラリとも父へ目をやれていない。
「……ああ」
一方の父は、低い声で、短く答えた。
ヤクザの頭領みたいな顔と、表情だ。クロがおびえるのも無理ない。
厳粛な空気がクロと父との間に落ちる。
どうしよう。この空気。明らかな異物である利一は、一刻も早くこの空間から逃げ出したかった。とても気まずい。
とりあえず、緑茶に手を付けてごまかす。困ったときにとりあえずお茶を飲むのは、たぶん人類共通の処世術だろう。
ふすまを閉めた父がクロの前であぐらをかき、口を開いた。
「クロ」
「はい。父上」
静かな問いかけに、クロは緊張した面持ちで、うつむいたまま答える。
「そっちに行ってから、どうだ。楽しく、やっているのか」
「ええ。友人にも恵まれ、楽しい毎日を過ごしております」
想定していた質問だ。クロは考えていた通りに話した。
「友人、というのは、そこの二人か」
「はい」
「三戸、利一といいます。クロさんとは仲良くさせていただいてます」
「……三戸、木子です」
これも予定通り。利一は緊張しながらも、できる限り好印象を引き出せるよう丁寧に挨拶する。木子も、先までのクロとの言い争いが嘘だったかのように大人しく自己紹介した。
「ふむ。うちの娘が世話になっているようだな」
「いえ。そんな……」
こういう場合の正しい返し方がよくわからない。言葉に詰まる。
一方の父は、利一に対し特別何かしらの答えを期待していたわけではないようだ。視線を再びクロに戻すと、質問を重ねた。
「普段。食事は、どうしてる」
「はい。近所の、深夜に営業をしている定食屋が栄養バランスの良い――」
それから父はいくつか質問を重ね、クロは準備してきた答えを面接のように返し続けた。
「そうか。……ふむ。ところで、血は、どうしている」
少し、声の色が変わった。気がした。
利一は、直感的に思った。たぶん、これが父にとっての本題なのだろう。
「……その。えっと、」
そしてこれは、想定していた中で、最後までうまい答えを思いつかなかった質問だ。
言いにくそうに、言葉を選びながら、うつむいたまま話し始める。
「……。……他人から暴行を受けそうになった際に、正当防衛の範囲内で反撃をし、その際の出血を拝借しております」
途切れ途切れに、準備してきた中での最善手を返した。
すると、
「ふっ。ふ、ふふふ」
「……………………」
母が、吹き出しながらも上品に笑った。
一方、父は、何も言わない。ただ、黙りこくっている。
利一は、思わず目を見開いた。
何も言わない父の表情を、見たのだ。見てしまったのだ。
それは、今日一番の衝撃だった。
しかめっ面で、強面のままだが。母の笑い声に隠れて、かすかに、笑んでいるではないか。




