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9話 えっちすけっちわんたんめん

 朝。

 相変わらず布団の中で添い寝する木子をひっぺ返して、眠い目をこすりながら洗面所兼脱衣所の扉を開けた。

「え」

 クロがパンツを脱ごうとしていた。

 そのあまりにお約束なシチュエーションは、某進研ゼミの漫画なら「これToLOVEるでやったやつだ!」と叫ぶところだが、今の利一にはそんなことを叫ぶ余裕などない。完全に覚めてしまった目はクロの裸体から離れず、「え、あ、その、」とコミュ障オタクのような声を出すので精一杯だった。

 なにしろ、クロの瑞々しい肢体は、神々しいまでの美しさを放っているのだ

 腰まで届く銀色の髪。

 文字通り日の光など一度も浴びた事がないのだろう、白い肌。

 小柄で華奢ながら、要所要所発育の良い、絶妙にアンバランスな身体。

 神に愛されたとしか思えない、芸術的な造形。それが、利一の目の前にさらされているのだ。

 まともな声など出ようはずもない。

 一方、クロの方は、徐々に状況を理解するにつれ白い頬が赤く染まり、やがて

「きゃああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 特大の悲鳴となって、利一を脱衣所の外へ追いやった。

 スパァン! と物凄い勢いで閉まる扉の前で、利一は未だドギマギと高鳴る胸を押さえつけた。


 木子以外の誰かがいる生活というのはなかなか慣れない。ましてや生活時間帯が全く違うとなれば、なおさらだ。

 吸血鬼の生活時間帯は、極めて簡略的に言うと、人間と真逆であるらしい。つまり、日の出ている時間に寝て、日の沈んでいる間に活動をする。

 そのため、基本的に利一と木子が起きて学校に出かける頃に、クロは寝る。

 今脱衣所でバッティングしてしまったのも、寝る前にお風呂に入ろうという至極当然の行動による悲劇だったのだ。


 と、

「にーさん!! 早く木子の身体を見て視力の回復を!!!」

 どたどたどた! と階段を駆け下りる音とともに、木子が登場した。パジャマを脱ぎながら。

 布団の中にいたはずなのになぜ状況をすべて理解しているのかとツッコもうと思ったら、スパァンッと脱衣所の扉が開いた。

「私の身体は汚物か!」

「そうです! そんな汚物を見てはにーさんの視力が失われてしまうのです! だから木子で視力を取り戻すのです!」

「失礼さがノンストップ高ね! あなたのお子様ボディよりは幾分マシよ!」

「何を言うのですか! 下品に育っただけのルンバさんより木子の方が美しくバランスのとれた身体です! ね、にーさん」

「ルンバって言うな! それに貧相にバランスが取れていても意味がないわよ! ね、利一」

 ずい、と利一へすごんでくる二人。

 たぶんどう答えても面倒なことになるし、なにより目のやり場に困る。

 というわけで、

「いーから! もう二人でお風呂入って!」

 脱衣所に押しやってピシャンと扉を閉めた。

 ぎゃーぎゃー言い争う声に背を向け、利一は朝食を作るべくキッチンへ向かった。



 全く、もう少し仲良くできないものなのか。利一は朝から頭が痛くなる思いだった。

 カーテンを閉め切ったキッチンでみそ汁を作りながら、思い返す。

 クロが三戸家に来てから、三日が経つ。その間、あの二人の間で争いが絶えることはなかった。

 クロの居住空間、食卓の席選び、味付けの好み、テレビのチャンネル選択権など、ありとあらゆることについて言い争った。そのたびにお互い利一に味方になるよう求めてくるので、利一としては我関せずのスタンスをとることもできず、毎度二人をなだめるのに苦慮した。

 また口論が肉弾戦に発展することも少なくないため、三戸家の一部はすでにボロボロになっている。

 まぁ、もともと利一も木子も好き放題散らかしては床に染みを作り壁に穴をあけてきたので、今更といえば今更なのだが。

 もっといえば、そういった面倒ごとを差し引いても、夜の間、クロがずっと利一たちを警護してくれているという安心感は大きかった。

 木子は未だクロを信用していないのか、自室にいくつもトラップを仕掛け、自身もフル装備で寝ているそうだが。利一の部屋にもトラップを仕掛けようとしていたが、利一自身が引っ掛かっては仕方ないので丁重にお断りした。

 未だ風呂場から聞こえる喧噪にため息をついて、利一はみそ汁の味見をした。

「ん、もう少し味噌入れるか」

 食事要員が一人増えたおかげで、今までのレシピ通りに作ると量が少なかったり、味が薄かったり、うまくいかないことが多い。味噌はどこだったかなぁとごそごそ漁る。

「ああ、あった。相変わらず綺麗に整頓されてるなぁ」

 調味料や調理器具がきれいに整理された戸棚を眺めて、思わずつぶやいた。

 どうもクロはかなりの綺麗好きで潔癖症らしい。ゆえに、クロがこの家に住み始めて一番最初に始めたのは、大掃除だった。

 散らかっていたゴミたちはほぼ捨てられ、漫画の類はすべて整理整頓され、生活に必要なものはすべて定位置に置かれるようになった。

 利一と木子が長年かけて作り上げたゴミ屋敷が、なんということでしょう、巧の手によって、このわずか三日間で急速にまともな一般家庭へと変貌を遂げつつあった。

 その手際には、木子ですら、「むぅ。こうまできちんと整理整頓をされては、イチャモンのつけようがないですね。仕方ないです。お邪魔虫からルンバへと昇進させてあげるです」と唸るしかなかった。

 もっとも、クロは『ルンバさん』と呼称されるのを嫌がっているので、結果的に新たな火種が生まれただけなのだが。

 ともあれ、クロがやってきたことによって、この家もずいぶんと賑やかになった。

 木子としては利一を独り占めできなくて不満なのだろうが、利一としては木子が他者との距離感を掴む良い機会だろうと思っている。

 まぁ、うまくいく気はあまりしないが、なるようにしかならないことを考えても仕方ない。

 味噌とごはんのにおいを嗅ぎながら、利一は魚の焼け具合を確かめた。



 お風呂場の中は、先までの喧騒が嘘のように沈黙が落ちていた。

 クロが長い銀髪をわしゃわしゃと洗い、その姿を木子が湯船に浸かってじぃっと見つめる。

 木子は、はぁ、と一つため息をついた。

 先ほどは『汚物』だとか『下品に育っただけ』だとか言ったが、現実の彼女は全くそんな次元にはない。

 どこの国に生まれたらそんなに鮮やかな銀髪になるのか。

 どうやったらそれほどまで白くきめ細かい肌を維持できるのか。

 身体自体は小さくほっそりとしているくせに、なぜそれほどまで要所要所発育が良いのか。

 湯船に沈む自分の貧相な身体を見下ろして、もう一つため息をついた。

 利一は最愛の兄だが、同時に男だ。

 当然性欲はあるし、グラマラスな女性に惹かれるに決まっている。

 であれば、クロのような美人でスタイル抜群の女性に、自分のようなちんちくりんが勝てる道理がない。

 湯船に口まで沈め、ぶくぶくと恨めし気に息を吐く。

「ねえ、木子ちゃん」

 木子のとげとげしい視線に気づいてか、身体を洗い始めたクロが振りむいて問いかけてきた。

「どうして木子ちゃんは、そんなにお兄ちゃんに執着するの?」

「ふん。泥棒猫に話すことなどないのです」

 ぷい、とそっぽを向く。木子ちゃん、などと馴れ馴れしく呼んでくることすら気にくわない。

「泥棒猫って……私と利一はそういう関係ではないわよ。ただ私が巻き込んで、お人よしの利一がそれを許してくれているだけ」

 クロは困ったように笑んで言う。それから、視線をそらし、独り言を呟くように続けた。

「木子ちゃん。もう少し、お兄ちゃんを信じてあげても良いんじゃないかな? あんなにあなたを大切にしているお兄ちゃんだもの。きっと、何があっても、まずあなたを選ぶわ」

「そんなこと、ないです」

 木子は、自分の身体に視線を落として、言った。

「兄妹ですから。血が、繋がってしまっていますから。だから、木子が選ばれることはないです」

 黒髪に、手に足に、この身体中に、彼と同じDNAが流れている。それは木子にとって至上の喜びであると同時に、何よりも悲しい事実であった。

 努力ではどうやっても越えられない、壁だった。

 そんな木子の呟きに、クロは目を丸くして、少し明るい声で言った。

「あら。あなた、案外ネガティブなのね」

「だったらなんですか。見下すんですか」

 ぶっきらぼうにふてくされる木子に、クロは、苦笑いを向ける。

「ううん。安心したわ。あなた、少し怖かったの。でも、分かってよかったわ。私と同じだ、て」

 それはどういう。

 木子の問いは、シャワーの音にかき消された。

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