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お刺身アンモナイト

作者: 日暮栄光

ショートショート作家の田丸雅智さんと俳人の堀本祐樹さんのトークライブから発想を得た作品となります。

 なんでこんなことになってしまったのだろう……。

 むかし図書館にあった図鑑や絵本で見たことがある太古の生物たち。今まさに僕の前を悠々と泳いでいくものが、そうなのだ。

 フタバスズキリュウ、小学校の遠足で化石を見に行ったことがある。かっけえって当時は騒いだものだけれど、今、実際に目にするととにかく怖い。なんだっていうんだ。歯が異様に尖っていて、あんなもので嚙まれでもしたら――想像だってしたくない。ほんとうになんでこんなことになってしまったのか。それはまだ数時間前の出来事だ。


「買い物にいってきて」

 冬、もう三月だってのに異様に寒い日がつづき、今日に至っては雨まで降っている。炬燵に肩まで浸かって蝸牛みたいに顔だけだしていると母にそう頼まれた。

「嫌だよ、寒いし」

 当然僕ははじめ面倒くさいので断ったのだが、どうやら昨日母が勝手に部屋を掃除したらしく、母は片手に僕の秘蔵書を掲げていた。僕は仕方なく顔を縦に振った。

「で、なにを買ってくればいいの」

「お刺身よ」

 なるほど、こんなに寒い日なのに刺身なのか。僕は魚が好きだけれど、寒い日はあたたかいものが食べたい。そんな想いは母には届かない。なぜなら母は料理が面倒くさいときにお刺身、と言いだすからだ。

「で、なんの刺身を買ってくればいいの」

 僕が言うと母は一枚の紙を取り出して僕に渡した。

「これを見せればわかるから」

 メモがあるなら話は早い。僕は面倒くさいことは早く済ませてしまう性質なのでさっそく傘を持って家を出た。


「これはうちにはないなあ」

 魚屋のおじさんにいつものようにメモを渡すとそう言われた。うちにはないけど、隣にはたぶんあるぞ。魚屋のおじさんはそう言って隣の建物を指さした。

 骨董品、指さした先の看板に書かれていたのは刺身とは程遠い単語。いったいこれはどういうことなんだ。

 僕は訳が分からなくなり引き返そうかと思うと、おじさんが、

「お母さんも初めは間違ってうちにきてたよ」

 なにがおかしいのか笑ってそんなことを呟いた。

 僕は仕方がないのでおじさんが指さした骨董品の看板をかけたお店の暖簾をくぐった。入った瞬間にツンと鼻にくる古臭い香り。最近改装工事の終わった最寄り駅の駅ビルと真逆の匂いだ。

 そんなことを考えた。そして、僕は古臭いこの骨董品の匂いがなんだか懐かしい、そう思った。初めてのはずなのに。

「いらっしゃい」

 どこからともなく声がして僕は腰をぬかした。

「ど、どうも」

 店の中に飾られていた化石や絵画や本などの骨董品の中に人がいた。背の小さいおじいさんで、まるでおじいさんが人形の骨董品かのように見えたのだ。

「なにかお探しで」

「あのこれを」

 僕は淡々と話すおじいさんにズボンのポケットからメモを反射的に渡した。

「すこしお待ちを」

おじいさんはそれだけ言うと店の奥に消えていった。どこか放心状態の僕は、それを黙って見送った。


 それから五分くらい待っただろうか、紺色の風呂敷に包まれた何かを持ってきたおじいさんに母から渡された代金を渡し、店を出た。

意味がわからない。そんな言葉が頭をどうしようもなく過ぎるが、昼過ぎから降り出した冬の雨は次第に強さを増している。僕は急いで家路に着いた。

 家に帰って驚いた。夕食がもうすでに用意されていたのだ。あったかいチゲ鍋だった。

「今日は刺身じゃなかったの?」

 当然僕はそう尋ねたのだが返事はこうだ。

「こんな寒い日に刺身な訳がないじゃない」

 美味しいチゲ鍋を食べ、お風呂が沸いてるから早くはいっちゃいなと言う母に促され、脱衣所に向かった。なにがなにやらわからなかったが、雨に濡れて寒いしとにかくお使いは済ませたのだからもうどうでもいいや、そう思って脱衣所で服を脱ぎ、洗い場で身体を洗って湯に浸かった。

 なんであの時気づかなかったのだろう。

 ふう、と一息ついて肩まで湯に浸かり、浴槽からあぶれたお湯が溢れ出す。夢見心地で鼻歌まで歌って、ふと、水面を見つめた。

見たことがないものが浮かんでいる。それも至る所に。

 なにか鋭利なもので切断されたようなそれらはぶよぶよと、次第にその身を白く変色させ踊り出した。

 僕は怖くなって風呂からあがろう、浴槽に手をかけたのだ。

 けれど駄目だった。

 僕はずるずると浴槽の底へ引きづりこまれ、そしてついに。

「こぽん」

 気の抜けた音を立て頭まで湯に沈んでしまった。

その後はご覧のとおり、僕は今泳いでいる。そう、あの骨董品屋のアンモナイトのお刺身と。何千万年前のどこかの海で。


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