白の巫女3
「はぁ?」
「それは何の冗談でございましょう」
"巫女"用に準備された部屋の中で、フィアとリカが驚きの声をあげた。
これからこの神殿の目玉になるであろう巫女の部屋は、突貫工事で作られたとは思えないほどに綺麗にまとめられていた。
壁紙は柔らかなクリーム色で、設置されている木製の棚は丁寧に磨きあげられて艶がでていた。
ソファにはたっぷりの綿が詰め込まれ、しっかりと体重を受け止めてくれている。
フィアとリカが隣に座り、それに向かい合うようにターラと神官が腰をおろしていた。少し離れたところにはイオが心配そうに四人の様子を伺っている。
「冗談でこんなことは言わん。どうもお前は自分の力がわかっていないようだ。嘆かわしい。
いいか、フィアとイオは今日からこの神殿に仕えるんだ。あんな男は捨ておけ」
「あなたに、私の行動を決める権利があると思っているのですか。勘違いも甚だしい」
「勘違いしているのはフィアの方だ」
ターラと神官はあくまでも真顔で、フィアを説得にかかる。
「フィアの才能は万人に使われるべきだ。あんなうだつも上がらないような動物使い──三流の男と一緒にいても良いことはあるまい。
それよりも、多くの忌み子を救うことこそ、フィアに与えられた宿命だろう」
「その通りです。どうぞ多くの者を、神の掌からこぼれた者達をお救いくださいませ」
「救いがたい愚か者ですね。ターラさんはともかく、神官殿がその有り様でどうします。
ターラさんは、ほんの一ヶ月の契約を結んだ護衛にすぎません。ただの部外者なのです。赤の他人に何を言われようと、勘違い甚だしい愚か者が口を挟むな、としか言いようがありません。
むろん、このようなうつけ者に同調する神官も同じです。もしも私に神の力が使えるならば、己の意にそわないあなた方を忌み子に堕としてしまうところですよ」
ぐいぐいと行くなぁと、勢いで押すフィアを見てリカは思った。いつもは「ご主人様の言うとおり」というフィアだが、しっかりと自分の意見を持っているようにリカには感じられた。
「付き合いの長さは関係ない!」
だが、ターラは力強くフィアの言葉を否定した。
「あの動物使いには、お前の価値が分かっていないのだ。そんな男にフィアを任せては置けない。
その髪が証拠だ。そんな風に色が変わってしまうほど、あの男にひどい目に会わされていたんだろう。可哀想に」
ターラが示したフィアの髪の色──真っ白な髪に混ざっている金色のことだった。まるで精製された黄金のような色が、かすかにフィアの髪の根元を彩っていた。
良く見ないと気がつかないほどの色を、それも根元だけのその色を、ターラは指摘してきたのだ。
「あ、ホントだ」
「あなたは勘違いなさっています」
「いえ、子供への虐待はどのような理由があっても許されません。このことは、動物使い殿に正式に抗議をします」
「そうだ。あの男はお前に相応しくない」
「では──」
たっぷりと余裕を持たせた台詞の中で、フィアはイオを手まねいた。合図に従ってイオがフィアの横に立つと、その痩せた体をフィアは指差した。
「では、イオへの虐待も許されざる行い、で良いのですね」
「は、え、まさか。今はともかく、その子は忌み子だったではありませんか。忌み子は人ではありません」
「そうだ。忌み子と人を一緒に考えるなんて、どうかしている」
「あ、の。フィアさま……」
「いいえ。私の境遇を責めるならば同じなのです。なぜなら、ほんの半年前まで、私も忌み子だったのですから」
「は?」
話を聞いている四人──ターラと神官、イオとリカ──の表情が変わった。
「一年前、私はご主人様に命を救われました。イオと同じように持ち主に死ぬ手前まで酷使されたうえでの叩き売りでした。今の髪の色はその名残なのです。忌み子であった私を、ご主人様はここまで健康にしてくださったのです。
今の私が巫女であるのも、ご主人様のご慈悲があってのこと。ならば、私はご主人様にお仕えして生きて行きたいのです」
「だが、今のお前は忌み子ではない。ならば忌み子であった頃のことなど、忘れても良いではないか」
「人は強い感情を忘れることのない生き物です。暴力への恐怖と、死への絶望。救われたいという祈りと、この方ならという希望と救いへの感謝。
私を忌み子から人にと救い上げてくださったご恩を、私は決して忘れません」
「い、イオもです。イオも、わすれません」
じっとターラを睨み付けて、フィアは言う。その横ではイオが熱心に頷いてフィアを見ていた。
「ならばこそ、その救いを他者にももたらしていただくわけには参りませんでしょうか」
フィアが救われた希望を知るというならば、と神官は言う。
「ご存知のように、忌み子は、そうと知られた瞬間から"人"ではなくなります。そして……かわいそうに、どんな理不尽な扱いをされても耐えなくてはなりません。それが不憫なのです。
我々、"青の神官"はできる限りの忌み子を救いたいと、そう考えているのです」
「そうだ。お前が救われたというのなら、他の子を救ってやるべきだろう。今この時も、苦しんでいる忌み子達はたくさんいるんだぞ」
「ターラさんは沈黙を。
神官殿、私も忌み子を救いたくない──という訳ではありません。忌み子に興味がなかったならば、イオだってこの場にはいません。ええ、出来る限りのお手伝いはいたします。
ですが、どうか私にあなた方を恨ませないでください。私とご主人様を無理矢理に引き離すなど……それも、どこの誰とも知れぬ小娘の言葉に踊らされて、など」
「こ、小娘だと……どこのだれともしれぬ、だと」
フィアの言葉に、ターラの体が怒りに震える。ターラは二つ名がつくほどの一流の剣士であり、その矜持が傷つけられたのだ。その美しい顔を真っ赤に染めて、ターラは立ち上がった。
大きく机が揺れ、茶器が擦れ会う音が響く。
「わ、私は紅の薔薇だ。五百年に一人と言われた天才だ。それを、そんな」
「でも、本当かどうかなんてわかんないジャン。あたしも最初はホンモノの紅の薔薇だと思ったよ。でも、フィアと走って負けたんでしょ? だったら、本当に戦闘職なのか信じられないよねぇ」
「今はそれは本題ではありません。私がここに永住することはないと、それだけご了承ください」
「わかりました。今一時でもお救いいただけるならば、この地の忌み子達にとってどれほどの幸いでしょうか」
ふかぶかと神官が頭を下げるがターラはそれも気に入らないようで、フィアとリカを睨みつけた。
「どうしてお前は私の好意が理解できないのだ。あんな動物使いになぜそこまで……主が主なら、従者も従者か」
「ターラ。あなたと話すことはありません。口を閉じるか、出て行きなさい」
「わ、私に指図するなッ」
ターラは身をひるがえした。出て行け、とフィアが示した扉を開け、足早に部屋から出て行ってしまった──そのことに、フィアは溜息を重ねる。
「彼女が一流の剣士だとは信じられません」
ターラはフィア達の護衛としてここにいるのだ。ならば、ターラは出て行くことを選んではいけなかった。それなのに、彼女は出て行ってしまったのだ。仕事よりも自身の感情を選んでしまった。
「巫女様。この町の忌み子について説明いたします──」
「はい、お願いします」
いなくなったターラの事を頭から追い出して、フィアは神官の言葉に耳を傾けた。
○ ○ ○
「ご主人様……」
「ん? 説明は終わったのか? 神官とのやり取りで問題でもあったか?」
「その……ご主人様の方はいかがでしたか。イオの身元はどうなったのでしょうか」
随分と沈んだ顔のフィアに声をかけられて、ルシオは書類から顔を上げた。
ルシオが読んでいたのは、ちょうどイオに関する書類だった。忌み子がギフトを得ることは稀とはいえ先例があり、その時にどのように忌み子の身分を固めたかの手順が乗っている。
忌み子は間違いなく"奴隷"身分であるため、そこからの解放にはどうしても手間がかかってしまう。
「イオの方は問題ないな。まあ、この町の子で、この町で買ったというのが大きい。忌み子であったという確実な証言があるからな。まあ、神殿の方で書類をそろえてくれるらしいから、それに署名するくらいが俺の仕事か」
とはいえ、どんな無茶な内容が書かれているかもわからないため、しっかりじっくり内容確認をすることにはなるだろう。
だが、今はフィアの顔色の方が気になった。
「どうしてそんなに落ち込んでいるんだ? 何か言われたか?」
「いえ……分かってはいたのですが、この町の忌み子達の扱いのひどさに……昔を思い出してしまいました。一年前のあの日……ご主人様が買って下さらなければ、私もまだ忌み子だったのだろうと」
「あーそうだな。生きていなかったかもな」
ちゃかすようなルシオの言葉は正しかった。痩せてがりがりの少女──恐怖にふるえる目は何も見えてはいなかった。現実ではない彼方に心を飛ばしてしまった忌み子の少女、それがフィアだった。
フィアはルシオに買われてからの半年間を、夢の中で生きていたのだった。
「ご主人様、お聞かせ下さい。私はご主人様にお仕えしたいと願っております。けれど、同時に忌み子達を救いたいとも思ってしまいました。
命を救われるほどの大恩をいただいておきながら、ご主人様と──なんの縁もない忌み子達を秤にかけてしまいました。
どうしてなのでしょうか。忌み子達を救いたいと思う気持ちはどうしたら良いのでしょうか」
「ん──」
ルシオはフィアの不安そうな顔を見て「成長したようだな」と呟いた。
今までのルシオの言う事をうのみにし、ただ肯定して付き従うだけだった彼女が、自分の意思を見せ始めたのだ。
他者の言葉に盲目的にした場う場合、不安になることはない。思考を停止させ、「はい」と言っていれば良いのだから。
だから、今フィアが不安そうな顔をしているのは──それも自分達以外の者のことを思ってだ──かなりの成長といえた。
そこでルシオはフィアを試してみることにした。わざと声を低くして凄身をもたせて言う。
「もし、俺が忌み子を救うな、と言ったら。フィアはどうする?」
「え? いえ、ご主人様は決して、そんなことはおっしゃらないと……」
「フィア──
忌み子を救うな、見捨てろ」
まるで雷に打たれたようにフィアは動きを止め、目を丸くしてルシオの顔を見た。
震える青い目がルシオの目を見つめ返す。ルシオの表情をとらえようと揺れる瞳は何の感情も捉えることはできず、目の奥から溢れてきた涙で覆われてゆく。健康な桃色の唇は軽く開かれ、言葉をのせようとして──嗚咽をこらえるように強く引き結ばれた。
「ご、ご主人、様は……そんなこと、そんなことを……忌み子を見捨てろなんて、おっしゃいません」
「ああ、言わない」
「──は?」
とうとう零れ落ちた涙をそのままに、フィアは疑問の声を上げた。どういうことだ、と丸い目が疑問を浮かべている。ついでに涙も引っ込んだようだ。
相対するルシオは声の調子も常に戻し、けろりとした姿を見せていた。
「これでわかっただろう。フィアが忌み子をどう思っているか。俺は否定はしないぞ。フィアの人生だからな、フィアの望むようにすればいいんだ」
「……ご主人様のいじわる!」