紅の薔薇3
『ジンノーさま、ジンノーさま』
『そのコがいうウサギって、このクニのよんだいケンシのヒトリですの』
ルシオが妖精の輪の横を選んだのは、もちろん理由がある。妖精の輪の周囲には多くの妖精達が集まり、歌い踊っているのだ。
そこにルシオや取り替えっ子が現れれば、こちらに興味ももつだろうと期待してのことだ。
妖精達は総じて好奇心が強く、面白い話に敏感だ。
有名人らしいターラのことも、もしかしたら知っているのではないかと思って、それで選んだ場所だった。
そして、ルシオの目論見通り、妖精達はターラを知っていた。その師匠のことまでも。
すりすりと、ルシオの近くに集まってきた妖精達を見て、リカが歓喜の声をあげる。
「いや~~。お師匠、羨ましいです! あたしも、あたしのところにも、お願いします! さあ、さあ、さあ」
「な、なんだ。いったいどうしたのだ?」
「リカは病気なのです。お気になさいませんよう」
「虫さん、いっぱい」
ルシオによってきた妖精は、その才のない者にはただの羽虫に見える。
虫を見て喜んでいるように見えるリカから、フィアとターラは視線をはずした。イオはなぜか喜んで、妖精──羽虫を捕まえよう手を伸ばしていた。
そのイオの手を押さえて、ルシオがイオを叱りつける。
「一寸の虫にも五分の魂という。彼らも生きているんだから、勝手な都合で殺してはいけない。
特に今回は、俺達が相手の領域に入り込んでいるのだから、礼儀はつくすべきだぞ」
「う?」
「意味もなく捕まえてはいけない、ということですよ。さあ、ご主人様の言うことを聞いて、これは我慢しましょう」
「はい、です」
ルシオとフィアにたしなめられて、イオが手を下ろす。手持ちぶさたに、握ったり開いたりを繰り返した後、イオは飲み物を持って口を付けた。
「いやぁん。妖精さんがいっぱいです! 嬉しい」
「そ……そうか。良かったな」
「持って来たミルクでもあげたらどうだ。小さな器にいれて……」
「さすがお師匠。その案いただきます!」
喜びの声をあげながらミルクに手をのばすリカに、ターラは引いていた。
小さな玩具のような入れ物に、リカが丁寧にミルクを注いでゆく。「なんでそんな物を持っているんだ」というターラの疑問は黙殺された。
「さあ! みんなどうぞー」
リカの言葉に妖精達がミルクに群がる。
たくさんの羽虫に集られているようにしか見えないリカの様子に、ターラは顔をしかめた。
「ひどい光景だ……」
「人はそれぞれにふさわしい光景を見る。おまえが見ているモノと、ターラに見えているモノは違う。自身の見るモノ、聞こえるモノだけが正しいなど、まさか思わんだろう?」
リカに集う妖精の中から一人、豪華な蝶の羽を持った妖精がルシオの肩にとまる。ターラには珍しい蝶にみえる彼女は、この一帯の妖精をまとめる女王種だった。
『人の君にはご機嫌麗しゅう。人蛇種の子を保護していただき、感謝の念にたえません』
「これはこれは、初めまして。美しい方」
『龍王の若君にも、初めてお会いいたします』
『初めまして。この地の方々は、皆さん元気そうですね。良いことです』
『皆々様のご慈悲あってのことと、感謝しております』
ルシオと女王、ルシオの服から顔を覗かせた龍王の会話は、ターラには聞こえない。ただルシオの一言だけが、彼女に聞こえる言葉の全てだった。
それでも、ルシオが"蝶"と何らかの意思を交わしていることを察し、ターラは口を閉じる。野性動物──昆虫がそれに含まれるとは知らなかったが──と意思を交わすのは、動物使いの専売特許なのだ。
『さて──人の君にお願い申し上げます。件の人蛇種の幼体ですが、なぜか脱皮が不十分なのでございます。本来ならば、外見が戻ると共に、妖精の本能が戻るはずなのですが……脱皮に失敗するなど、このような例は聞いたことがございません』
『フム──言われてみれば、外見と内面がチグハグですね。本来、脱皮というのは本能的にできるものなのですが』
『あわせて、幼体の幼く、育った世界の狭いこと……これでは、次代の卵を人に預けた意味がないと、人蛇の女王は嘆いております』
「ああ……」
リカは細工師の町で育った後、森へ逃げたのだった。彼女にとっての人の世界は、細工師の町と、そこを訪れる旅人達だけだった。
なるほど、これを"人の世界"と呼べるかというと、否であろう。
『つきましては、人の君の旅に、幼体を共としてお連れいただけないでしょうか。
我等、妖精の性は承知しております。おそらく、いらぬご迷惑をおかけすることになろうと、推測いたします。それを承知で、その上でお願いいたします』
「そうだな……」
妖精の性、というのは好奇心のことだ。妖精は好奇心の塊──好奇心が形を持ったものが妖精とすら言われる。しかも、自分の感情に正直に動く。
嫌なことは嫌といい、表面を繕うこともできないのだ。
好奇心を満たすために嘘をつき、ばれて叱られても何の後悔もなければ改心もない。
「もし、俺が"否"と言えば……」
『幼体は……幼体のままでは人蛇の群れに帰ることもできません。人の中で生きるしかないのです。せめて……幼体が脱皮し、成体になれれば……』
『人の群れの中では妖精は生きられないでしょうね。末の──』
「わかりました。時の来るまでは、美しい方の願いのままに」
『ありがとうございます』
深く礼を言って、女王が飛び立つ。それにあわせて、リカのもとに集まっていた妖精達も羽を振るわせた。
「ああっ……」
リカが残念そうな声を上げるのが聞こえた。
『皆様の道行きが、幸多くありますように。さあ、行きますよ』
『ジンノーさま、バイバイ』
『さようなら』
「ああ、またな」
「ようやく終わったか。で、何だったんだ?」
「ん。ああ──ちょっと、あいさつを受けた」
「は。あいさつ? ……昆虫が、か……」
良くわからん、とターラが言う。
彼女が言う"昆虫"が、ターラと"俊兎"の噂話をしていったとは、まさか考えていないだろう。
妖精曰く、ターラは俊兎に破門されたのだと。
ターラには才能があった。それこそ、一流と呼んで良い才能だ。腕の振り方、重心の動かし方、その全てを数日で身につけていったのだ。
まだ幼い少女の才能をのばすとともに、俊兎は恐怖した。
ターラが、遠からず己を越えて行くという恐怖だ。
同時に、嫉妬と恨みの感情もあった。
なぜ──なぜ俊兎が老いた今になって、ターラが現れたのか。せめて、せめて俊兎が若い頃であれば、よい好敵手にもなれたはずなのに、と──
言っても仕方がない、とそう分かっていても俊兎には我慢ならなかったのだ。
その感情は指導の端々に現れていた。その結果として、兄弟弟子といさかいをおこしてしまったターラを破門。同じ町で門徒を構えていた"破壊"のもとにターラを移籍させたのだと。
それでも、ターラは俊兎を師匠と仰いでいるという。自分を追い出したはずなのに、それでも俊兎を慕っている。
迷惑なことだ、とルシオは呟いた。