満月の夜に3
連れて帰ったリカを放っておくわけにもいかず、ルシオは宿に追加で部屋をとり、そこにリカを置くことにした。
万が一を考えるならば、"リカ"という名前も変えた方が良いのだろうが、そこは本人に拒否されてしまったのだ。
「なんとも残念なことに、精霊達には会えませんでした」
リカが部屋に移動し、イオとフィアも寝室に入った後。兄弟の話し合いが行われていた。
『おや、そうですか。目的が達せずに残念でしたね。
しかし、こちらに精霊達は出てきています。末のもこちらに居ればよかったのに。あの者達も、末のと会えるのを楽しみにしていましたよ』
「そうですか。会えなくて残念」
『そのわりには落ち込んだ風体ではありませんね。──末の、そこには何があったのですか』
酒杯に頭を突っ込んで、それこそ浴びるように酒を飲みながら龍王が言う。
少なくなった酒をつぎたしながら、ルシオは「ええ、興味深いものが」と龍王の興味をあおった。
これこれ、こんなものが──とルシオが説明するのを、龍王は機嫌良く尻尾を振りながら聞いている。
『異界への扉は数多くあります。しかし、このような人里近くに存在するのは珍しいこと。この地の人々はよっぽど上手に立ち回ったのでしょう』
「禊場としても充分作用しているようでしたよ。一月で妖精族の"擬態"を、ほとんど祓ってしまったようだから」
『そのようですね……』
町で生活していたころのリカと、今のリカではあまりにも姿が違いすぎていた。
それを"森の生活で苦労したから"、ですませてしまっていたリカは大物なのか、馬鹿者だったのか。
『人蛇種は子供を取り替えたあと、ちゃんと育てると聞いています。旅に連れて行くなら、本物の"リカ"に会うかもしれませんね』
「それはそれで面倒そうな……」
『会う会わない。連れて行く連れて行かない──ええ、末のの好きな道を選びなさい。
私としては、あの子供といい、細工師の娘といい、お前が正しい道を選ぶことを、心から喜んでおりますよ』
「イオの道はまだ途中ですが」
『末のが示せるのは"可能性"。
ええ、ええ。大いに結構です。押し付けないこともまた、正しい道なのですから』
うっとりと目を細めて笑う龍王に、ルシオも機嫌の良い笑みを浮かべた。
窓辺による二人の頭上から、まばゆいほどの月光が射し込んでくる。龍王が口をつけている酒に、丸くふくれた月が写りこんで揺れていた。
夜空に君臨する月の姿は満ち満ちて、ほとんど真円だった。
『月の力が満ちていますね。あと数日で満月ですか』
「ええ。月の導きの大祭。紡がれる運命の糸の鮮やかなる糸巻き──麗しき月影への献上品が、例の展覧会の優秀作品なのだとか」
『おや、それは……』
「別に良いんですけどね、受け取ってもらっても」
室内に射し込んでくる光に、キラリと雲母のような煌めきが混ざる。柔らかく、美しく。静かなその光から、鈴の音を転がすような声が響いた。
──ダメよ。あれはお前が手ずから作ったものではないでしょう?
──月の大姫様はおまちかねよ
──大姫様を泣かせたら許さないわよ
──お前が大姫様にふさわしいと思うものを、差し上げなさい
キラキラと音すら輝いて見えそうな澄んだ声は、ルシオと龍王の側で少しの間揺れて──不意に吹かれた風に散らされたように消えていった。
今の声こそが、精霊の声だった。実体をもたない彼らが、空気を震わせて届けた声。
「と、なると。リカから細工の道具は一式をもらえたのは幸いだったかな」
『月の方に変なものを渡さないように、気を付けてくださいね』
「わかっています」
明日は部屋にこもりますね、とルシオは煌々と輝く月を見上げて言った。