満月の夜に1
一月の間を細工の町で過ごすことになったルシオ達は、のんびりと日々を過ごしていた。
まれに町を出て周囲を探索したり、ルシオが採ってきた薬草を、フィアが図鑑をたよりに分けていたり、イオがフィオに料理を習ったり、昼夜とわず現れる強盗をルシオが叩き出したりと、充実した日々を過ごしていた。
その日、日当たりの良い窓際のクッションで丸くなった龍王が、くわぁとあくびをしていた。
外はぽかぽかとした陽気に包まれている。
部屋の片付けもひと段落して、ぼんやりと外を見ているイオにも龍王のあくびがうつって、ふわぁと大きく口を開けていた。
「イオ。今のはいけません。あなたは女の子なのです。あくびが出るのは仕方ありませんが、こう……口元を隠すようにしてください」
「は、はい。申し訳ありません、フィア様」
注意するフィアも眠たそうに目を擦っている。
これが、ルシオの留守を預かる三人の日常だった。
○ ○ ○
まどろむ三人とは違い、ルシオは元気一杯に森の中を飛び回っていた。
町から歩いて二日の場所に、"精霊の祠"と呼ばれる場所がある。その話を聞いた彼が、喜びいさんで飛び出していった結果だった。
木々をくぐり、倒木をまたいで巨石を飛び越える。
縦横無尽に進むように見えるルシオの周囲を、小さな光が飛び回っていた。
『ジンノーさま、はりきってマスねー』
「うむ。もしかしたら精霊に会えるかもしれないからな。楽しみだ」
ルシオの前を飛ぶ光──森に住んでいる妖精もつられたように笑顔を浮かべる。
『ジンノーさまがたのしそうで、あたしもチョーたのしいです。セイレーのみんながいるといいデスね』
「そろそろ満月だ。精霊達も出てきているはずだからな。さて──どうだろうか」
トントンと進む先を、そびえ立つ崖に阻まれる。
通常はこの崖を迂回して、なだらかになった所を通るのだ。そのように道もできている。
だが、ルシオは目の前の崖を進んでいった。どん、と平らな石を踏み込んで、飛び上がる。飛び上がった先の枝をつかみ、体を持ち上げると、高く伸びた先にある少しの突起に足をひっかける。ひっかけた石に体重をかけ、バネのように体を飛ばした。
再び枝をとり、しっかりした突起を探し当てる。
人ではあり得ないような技を使って、あっという間にルシオは崖を上りきっていた。
『こっち、こっちですよー。ジンノーさま、こっちー』
妖精がルシオの周囲を飛び回って、森の奥へと誘う。
ひらひらと妖精が誘う先からは、微かな水音が聞こえてくる。小さく、しかしはっきりと空気を震わせる振動を感じて、ルシオは妖精を呼び止めた。
「なんだか、すごい音がしているんだが? 精霊の祠ではないのか?」
『セイレーのほこらですよ。ニンゲンはそうよんでマス』
「ん? 人間が呼んでいる? なあ、君はそこで精霊を見たことは……」
『ありませーん』
きゃらきゃらと精霊が笑う。そうか、と残念そうにルシオは呟いた。だが、と気をとり直す。
「ではこの先には何が……」
『キレーなモノです。キラキラのキレーなモノです』
はやくはやく、と妖精のせかす声につられるように、ルシオは進んでいく。
その先にあったものは、ごう音を響かせて"空"に落ちて行く滝だった。
ドドドと低い音をたてて水が空へと消えて行く。空気を含んで真っ白に見える水は、まるで空に登る龍のようにまっすぐに空へとのびていた。そこからこぼれる水飛沫は、光を反射させ虹を作りながら消えてゆく。
「なるほど。これは、確かに精霊の──」
逆さまに弧を描く虹を見ながら、ルシオが呟いた。
滝につながる川の近くには、人工の祠が作られている。花や果物を捧げた後が残っており、誰かが時々訪れているのだと知れた。
「精霊の祠。思っていたのとは違ったが、間違いはなかったな」
『ジンノーさま、ゴキゲン? ゴキゲン?』
「ああ、ありがとう」
ルシオが手を伸ばすと、妖精はその指に両腕を絡め、指先に軽く口付けを落とした。
『かんしゃカンゲキあめアラレ~』
妖精はくるくると空中を大回転すると、ぱっと姿を消した。後にはルシオ一人が残される。
体に響く深い水音。空に散って輝く飛沫と、青空にくっきりと描き出される七色の虹。
一重、二重と重なる虹は、ルシオには真円に見える。その円の中心に、この世ならぬ光を放っている"道"があることもしっかり見えていた。
「不思議の世界へ続く道は一方通行だと言うな。
行きはヨイヨイ帰りはコワイ。はたして、たどり着く先は天国か地獄か──」
かさり、とルシオの近くの繁みが音を立てる。ルシオはそれに気がついて、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「……たどり着く先、ヨイヨイの世界。それは、すごく大きな巨人に貪りつくされる恐怖の世界だという。
その世界の通貨である黄金の豆、村人のニケが偶然手に入れた豆を庭に植えると、一晩で蔓が伸びてゆく。その蔓を登った先にあるヨイヨイの世界。そこは、いろいろ光り輝く夢のような世界だった。
豆の蔓を登りきり、ヨイヨイの世界に立ったニケは、目の前に一つの箱がおかれていることに気がついた。その箱には真っ赤な血でこう書かれている。──ワタシヲタベテ」
『それで、それで?』
いつのまにか、数人の妖精達がルシオの前で空中正座を披露していた。話を聞くときはこの格好、と妖精達の文化なのだ。
「ニケが好奇心に勝てずその箱を開くと、中には……なんと……恐ろしいことに……ばらばらになった人の死骸が、みっちりとつまっていた」
『みっちり!』
「開けたとたんに箱から溢れる血と肉片。ニケの体は恐怖に硬直し、手に持っていた黄金のカギを落としてしまう。血に塗れて真っ赤になったカギ。しかし、それは家から持ち出してはならない秘密のカギだった。あわてて服でカギを拭くが、こびりついた血の色はとれない!」
ぶるぶると話を聞く妖精達が震えている。隣の子と手を組んで、身を寄せあっている妖精すらいた。
「だが、絶望に身を震わせるニケの前に、一人の精霊が現れた。
『私は秘密のカギの精霊。どんな願いでも一つだけ聞いてあげましょう』──と」
『キャー。セイレーさんカッコイイ!』
『おいしいとことってくー』
『ひゅーひゅー』
一気に元気になった妖精相手に、ルシオは続けた。
「そこで、ニケは叫んだ。『このカギを元通りにしてくれ』と。精霊は慈悲深く微笑んで──消えた。最後に、『確かに願いは聞きました』と残して」
『え。セイレーさん、すごくない……』
『どうしてオネガイをかなえてあげないの?』
「うむ。この話の精霊は、願いを"聞く"と言った。叶えるとは言っていない。
これは、一見もっともそうな相手に持ちかけられた話でも、気を付けなくてはならないという教訓だ」
ルシオの締めに、妖精達は考えこんだ。
そういえば、と一人が言う。
『このあいだ、オテツダイしてあげたのに、ミルクをもらえなかった』
『あたしはハチミツ! やくそくしたのに、もらえなかった!』
『いままではオテツダイしたらミルクくれてたのに、サイキンくれなくなっちゃった。って、みんなイッテル』
『ワルイコー』
『ジンノーさま。なんとかしてほしいです』
『はなしはキイタ、はダメなのです。ダメダメです』
ぷりぷりと怒った顔の妖精に飛び回られて、ルシオは困ったと頭をかいた。
「そうだな……」
「あ、あのッ!」
困った顔のルシオの前に、繁みから少女が転がるように飛び出してきた。そのまま、ルシオの前にひざまづく。
「あの、あなたは、妖精達とお話ができるのですか? できるのですね。スゴイ──その、あたしを弟子にしてください!」
「は?」
ルシオが目を見開いた。
目の前の少女の形をしたもの。ルシオには、上半身が少女で下半身が蛇に見える──彼女は妖精族の一種のはずだった。
「君は人蛇族だろう、妖精のはずだが?」
「え? いえ、あたしは人ですけど? 確かに妖精達とは時々お話ができますけど、いつもじゃないし……」
しょぼん、と少女が肩を落とす。
下半身をおおう青銀の鱗と同じ色の髪が、小さな背中に波打っている。さきほどまで繁みの中に隠れていたのに、その髪はどこも乱れていなかった。
『ジンノーさま、このこはトリカエッコです』
『このこはジョーオーさまのコです。しょうらいリッパなジョーオーさまになるために、ヒトのなかでオベンキョーなのです』
『ヒトにはシッポ、みえなくしてます』
「あたしの名前……うれしい、妖精達はあたしの名前を知ってくれてるんですね。あたしはリカ。細工師の町の追放者、リカと言います」
うるうるとした目で見つめられ、ルシオはそっと視線を外したのだった。
リカ=ト"リカ"エッコ