民俗学者
昭和16年10月21日火曜日夕方 東京府三田渋沢邸
宮元常次は、北陸にいたところを電報で呼び出された。
宮元を呼んだのは渋沢敬三。明治の偉人であり、日本資本主義の父と称される『渋沢栄一』の孫である。子爵で第一銀行副頭取の渋沢敬三は、また日本民俗学の大パトロンでもあり、アチックミューゼアムや民族学博物館を私設している。宮元にとっては師であり、またスポンサーでもあった。渋沢先生の呼び出しとあれば、何をおいても駆けつけなくてはならない。だいたい、宮元はアチックミューゼアムに所属しているのだ。
東京駅に着いた宮元は、まっすぐに三田の渋沢邸に向かった。玄関に現れた渋沢は、「宮元さん、もうすぐお客さんが来る」と告げると、風呂に入るように命じ、女中に羽織を用意させた。要領を得ないまま、宮元は風呂を借りる。
案内されて座敷に入ると、お客さんがいた。
宮元が驚いたことに、客は軍服を着た二人。将軍と憲兵であった。
「こちらは陸軍省兵務局長の田中少将閣下、そして東京憲兵隊の太田中尉どのだ」
お茶を飲んでいた将軍が振り向いた。
「宮元先生、今回はお世話になります」そういって笑顔を作った。
「今回お願いする調査は軍機です」
「先生には、陸軍省嘱託になってもらいます。身分は判任官です」
中尉が、封筒から用箋をだした。『任判任官…』とある。別に任命書もある。宮元は驚いた。判任官といえば、軍曹である。単に政府の雇人ではない、正規の官吏であって、警察で言えば警部・警部補だ。宮元は師範学校を出たから、短期現役に行き5ヶ月の入営で陸軍伍長になった。もう10年になるから、妥当と言えなくもない。
さらに、別に分厚い封筒がある。「当座の調査費用です。のちほど明細を出してもらいますので、なるべく領収書をもらっておいてください。あ、五百円あります。不足であれば言ってください」
田中少将が笑顔のまま引き継いだ。
「調査というのは、この二人の、親子です、出自と係累など周辺情報をお得意のフィールドワークで調べてまとめてほしい。あ、二人の許諾は得ています。むしろこの二人が依頼人なのです。この二人自体が軍機です」
「東京で集めた資料と二人の口述筆記が、ここに入っています。鞄ごとお持ちください」
「明日、午前一〇時に東京憲兵隊司令部に小官を尋ねてください。大手町一丁目、東京駅のそばです。そこで佐世保までの切符をお渡しします」
「よし、終わった」そう言って、田中少将が正坐を崩した。
それを見て、「では、壮行会に入りましょう」と渋沢が手を打った。
まもなく、女中がビールと酒肴の盆を運んでくる。女中たちは、コップと皿を手早く広げると、ビールを注ぎはじめた。
宮元は、訳が分からぬままにコップを持ち、ビールを受ける。
渋沢が嬉しそうにコップを持ち上げる。
「それでは、宮元先生の任務成功とみなさんのご健康に」
「「「かんぱーい」」」
田中と太田が上機嫌で帰ったあと、渋沢と宮元は書斎に移った。
「渋沢先生、どういうことでしょう」
「私にもわからん。が、悪い話ではなさそうだ」
「そうでしょうか?」
「聞くところによると、田中少将は東條総理にごく近いそうだ」
「はあ」
「陸軍省か政府の上の方の指示なのだろう」
「ですから」
「いや、いつも言っておるが、主役でなくていいのだよ。脇役で」
「はい」
「真相はともかく、陸軍省がスポンサーについた。表には出ないという」
「はあ」
「宮元さんは思う存分フィールドワークに専念し給え。探索もやりながら、ね」
どういうわけか、渋沢は宮元のことを『さん』づけで呼ぶ。
「なるほど。変える必要はありませんね」
「もちろんだよ。変える必要はさらさらない」
「わかりました」
「うん」
「それから、同行者のことですが」
「それだね。すじのいい人だといいのだが」
「はい」
「福岡といえば玄洋社だね」
「祖父の栄一も参加した国士舘設立には玄洋社の頭山さんがいた。彼の下には松山茂夫さんがいた」
「そういうことですか」
「探索は九州から始めるのだろう。ならばいいんじゃないかな」
同行者として、松山龍夫、陸軍少尉、福岡中学校卒業とあった。




