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LN東條戦記第1部「不戦宰相」  作者: 異不丸
第2章 臣民われら皆共に
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予備役大将

昭和16年10月19日日曜日、午前9時、世田谷区用賀、東條自邸。


東條が玄関で待っていると、車が着き松井が降りた。

「お久し振りです、松井閣下」

「東條か、だいぶ経つの」

予備役陸軍大将の松井石根は、明治11年生まれで東條より6年上、63歳になる。

「お元気そうでなによりです。今日は、わざわざご足労をいただきまして恐縮です」

「なんの。あちこち廻って講演をやっている。帝都など遠出のうちに入らんよ」

松井は席に着くと、お茶が出る前に言った。

「電報は見た。新聞も見ている。外相が重光さんなら、本気だな?」

「はい。ここに国策再検討の要目案があります。ご覧ください」

渡された要目案を見て、松井はうーんと唸った。

「本気はわかった。乗ってやってもいい。つまり、行って講演して来いと?」

「はっ。ちょっと遠いですが」

「かまわんよ。陸軍最速の新鋭機でも飛ばしてくれ。ただし」

「ただし?」

「重光さんが来る前に言っておく。第10軍は要らん」

「承知しました。第10軍は無用です」

松井は大真面目で頷く。


松井が大将で予備役に入ったのは、6年前の昭和10年であった。

それが昭和12年に第2次上海事変で召集され、上海派遣軍司令官として2個師団を率いて出陣した。松井自身は、5個師団は必要と具申していた。だが、2ヵ月後の3個師団1個旅団の増援は第10軍となって、松井の指揮下に入らなかった。松井はその後、中支那方面軍司令官となり第10軍も指揮下に入れるのだが、第10軍司令官はこれを厭い、南京攻略戦を独断開始してしまう。その後、松井は病を得て予備役に戻っていた。

その当時、東條は関東軍参謀長で満州にいた。このあたりの経緯は、師団長や軍司令官、参謀本部の部長、課長が入り乱れて錯綜・混乱している。

東條は、松井が言わんとすることが理解できた。


松井と東條がお茶を啜っていると、表で赤松の申告する声がした。続けて、引き摺る様な音とコツコツと叩く音がして、重光外相が入ってきた。片手にはステッキを持っている。赤松が後に備えている。

「やあ、これは松井閣下」

「重光さん、随分になりますな」


今回の東條内閣で外務大臣となった重光葵は、9年前の昭和7年、第一次上海事変の後始末の最中、上海でテロに巻き込まれて右足を失った。今、背広を来た重光のズボンの中の右足は義足である。重さは10kgもあるという。このテロは朝鮮人の尹奉吉によるものだった。弁当箱型爆弾が投げつけられた時、天長節の国歌斉唱中だから逃げなかったのだと聞いて、松井は一目置いている。


三人は挨拶を交わすと本題に入った。東條がズバリ、真情を言う。

「日米妥結で非戦せよとの命ですので、支那撤兵と三国同盟離脱は必定です」

重光は、東條の本心は推察できていたものの、やはり驚愕は禁じえず、うーっと唸る。

一方、松井は感心はしたが、頷くだけだ。この時局で大命を拝するには、それくらいの度量がなくては困る。


「無論、帝国の政務手続き上、連絡会議に諮ります。が、今日ご参集願ったのは、その撤兵の大儀名目のためです」

「東條、いや総理。撤兵と言うが、どの程度の撤兵だ。まさか全面撤退、全員か?」

「いまさらですが、わたしは防共のためには駐兵が必要と思っております。しかし、米国はそれすらも認めんでしょう。どうです重光さん」

「松岡さんや豊田さんの下で行われた日米交渉の資料は、目を通しました。が、それよりも、先般、英国からの帰途に在米国大使館に寄りました。野村大使、若杉公使、書記官にも話は聞きました。それで、今の真情を言います」

東條と松井は、身を乗り出す。

「とことんです。米国は、帝国の特殊権益はおろか、東亜という地域にも格別に留意しません。なぜ帝国の軍兵が駐留しているか、理解しようともせんでしょう」

重光の話は終わっていないのだが、松井と東條の顔は赤くなる。

「要するに、原則論です。撤兵と言った以上は、一人も残せません、ゼロです」

東條はしばらく呆気にとられていたが、思いなおすと言った。

「後はどうなっても?」

「それが、英米流の原則論です。彼らは兎に角、オーロアナッシングです」

実は、原則論というよりは論争術であり、交渉術なのだが、それを言ってもややこしくなるだけだと重光は省いた。


「よろしい。御諚を拝しています。陸軍はまとめます、問題はありません」

「条件闘争はしますよ、総理。ただ、例外がないから原則論なのです」

「「・・・」」

「支那全面撤兵の大義名分ですが、陸軍をまとめるためには、なにが必要ですか?」

「帝国陸軍が蒋介石軍に勝ったという、評判です」

「それが最低限だ。なんらかの形で帝国の勝利は必須だ。でないと収拾がつかん」

「明日、米国大使と英国大使と、別個に会談します」

「しかし、近衛公以来、重慶とは公的に会えません」

「重慶からはわしが引き出す、勝利かどうかは断言できないがな」

「「お願いします、閣下」」

「第2次上海事変勃発時の帝国の正義は不動です。それは、英米も認めます」

「南京陥落以降を納得させて、国際的な評判を取らんと」

「納得は不要です。多少の強引さはあってよい」

「ほう」

「そういうものですか」

「陸軍、いや帝国が入用なのは、重慶が負けたという国際的評価だけ」

「まさか賠償金を取るつもりはない」

「賠償金や領土の割譲は、対外関係をますます悪化させるだけと思う」

「はい。であれば、やり方はあります。国内はどうします?」

「報道部を使う。それと、星野書記官長と相談して議会も工作する」

「ひょっとして、中野さんを国務大臣にされたのはこのためですか?」

「ま、そうだ」


三人の話は続く。



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