ただ貴方に捧ぐ
「世界中の誰よりも、お前を愛している」
頬はほんのり赤くして照れる彼、門倉陸久は、私を優しく抱きしめて、耳元でそう囁いた。
それは、ドラマや恋愛小説の中で聞く、甘く優しい魔法の言葉。彼の温もりにうっとりと目を細めて私は口を開いた。
「――――――」
この世界が私に突きつけたのは、厳しい現実ではなく、不条理な未来だった。
生まれた時から病弱だった私、東雲舞は小さい頃から病院に通っていた。高校生になったその日、体調を悪化させた私に専属のお医者様は言った。
『残念ながら、お嬢様は……もう長くはないでしょう』
顔を曇らせたのは、私ではなく母と父。手術をすれば私の病は治るらしい。けれど、私はそれを望めない。私の家は世間曰くお金持ちだ。それに父はとある大手の社長。手術にはドナーを必要とする。きっと母と父はその権力をつかってドナーを私にわたすだろう。
だからこそ私は手術を選ばない。他にドナーを待つ人を差し置いて、手術を受けるなんて、身勝手な女にはなりたくない。
――――――
ある日、私は知った。
この世界が乙女ゲームだという事を。それを知ったのは、私が陸久を愛して間もない頃だった。彼の優しい瞳を見て、前世の記憶が目覚めた。それがヒロインのカナに見せた顔にそっくりだった。
私の幼馴染みの彼、門倉陸久は攻略キャラである。
反対に、私はヒロインのライバルキャラ。
権力を振りかざし、陸久に関わる全てを奪い、彼を孤立させてきた悪女。
そんな舞は、現在の私と同じで生まれつき体が弱く、とある病気に罹り、いつも病院で籠もっている。病弱な舞は、幼馴染みという関係と権力で陸久を縛っていた。
陸久は、毎日舞に会いに行かなくてはならない。そうしなければ、舞が権力で“誰か”を傷付けるからだ。
ある日陸久は、ヒロインと仲良くなり、病院に来られなくなる。1日でも来なかった彼に怪しい笑みをみせて舞は言う。
「陸久のせいで誰かが傷付けくかも、ね」
その意味深な言葉を聞いた陸久は、ヒロインを遠ざけ、舞の側を離れなくなる。日に日に疲れ果てていく陸久を見たヒロインが、彼を気にかけて、何度も話しかけたり、お弁当を作ったり……そうやって関わっていく内に、ヒロインと陸久は互いに惹かれ合う。
それを知った舞は、権力を手に、陸久とヒロインを離れさせようとする。ヒロインを傷付けられると焦った陸久は、舞に請う。
もう片時も離れないから、と……
「私は大丈夫だから」
ヒロインは陸久の手を握り微笑む。
「誰に何をされようとも、私は陸久君の側にいるから――」
ヒロインの言葉により、陸久は舞を恐れないと誓った。そして怒りで髪が乱れた舞を背にして、舞のいる病室の扉に手をかけた。
「私の時間は残り僅かしかないの――!」
最後にそんな嘘を言って、舞は陸久をとめようとする。そんな舞に目を向けず、陸久はただヒロインの手を改めてしっかり握り締めて……。
「もう手放さないと決めたんだ」
涙を流す舞に、陸久はそう告げて、ヒロインと去って行く。一人残された舞は、暗い病院で陸久のことが純粋に好きだった時を思い出す。
「好きだよ……陸久」
その言葉は、一生陸久に届くことはなかった。
そんな最後を舞は送る。ヒロインを邪魔するライバルキャラ。私はそうなる筈だった。
けれど私と陸久を繋いだのは、幼馴染みという関係でも、権力でもなかった。あの過去の舞がそうだったように、ただ純粋に、互いに惹かれあった“恋人同士”という関係からだった。
でも……だからこそ、陸久には幸せになってほしい。
私は知っている。陸久は私のことを本当は愛していない。ただ権力を持つ私の告白を断れず、嫌々ながらも恋人になってくれたんだ。そして、私が満足するよう愛を囁いてくれた。
そんな優しい陸久だからこそ。もう私に縛られてほしくない。
「手術は受けません。病院にも入院しません。だから最後に、陸久と同じ学校に行かせて下さい」
我が儘なお願いを、母と父は涙を流しながら受け入れてくれた。
季節は冬。教室の扉はひんやりと冷たかった。
残り僅かな余命を、有意義に過ごそう。そう心に決めた。
「本当にそれで良いの? 舞」
「うん、もう良いんだ……」
親友のスズちゃんが、心配そうに眉を顰めた。スズちゃんには本当のことを告げた。優しい彼女は、私の我が儘を手伝ってくれると言ってくれた。
私は恵まれているなぁ。そんな事を考えながら、もういる筈のヒロインを探した。
「いた」
教室の隅っこで、陸久と楽しそうに話している笑顔のヒロインがいた。仲が良い二人に、少し胸が傷む。
まず私がするべきことは……
ヒロインとの接触。その為に、私は帰り際のヒロインを呼びとめた。
さて、もう終わらせようか。この仮初の恋人ごっこを。
―――
夕方の学校。下駄箱を背に、仁王立ちのスズちゃんと取り巻きの女の子達が、ヒロインを睨みつける。
「あんた、気にいらないのよ」
そう言って、ヒロインを蹴るスズちゃん。ヒロインは、音を立てて床に倒れ込む。
「陸久に近づいてさぁ」
「――貴女が、陸久君を傷つけているの?」
スズちゃんの言葉を遮り、ヒロインは私を睨んだ。
「……」
「陸久君は疲れているんだよ!! もう解放してあげて!!」
涙目と上目使いで、ヒロインは叫んだ。
その言葉でやっと確証が持てた。私は陸久を苦しめていた。本当に、私達は恋人でも何でもなかったんだ。
どれだけ苦痛を感じていたのだろう。好きでもない私に好きだと言って……病院についていったり……片時も離れず看病をしたり。
「貴女は……」
ヒロインの頬に、涙が伝う。
「陸久を幸せにできる?」
弱々しい私の言葉を聞いたヒロインは、涙を拭って誇らし気に言った。
「勿論」
――嗚呼、これでもう私は……
その時、どくんと鼓動が早まった気がした。胸が痛み、喉に何かが這い上がってきた。
「舞!!」
「……っ!!」
反射的に口元を手で覆う。震える手から、ぽたり、ぽたり、と零れ落ちたのは、鮮明な赤い色をした血だった。それは、近くにいた白い肌のヒロインの足にも落ちてしまう。
「カナ!!」
ここより遠くで、でもそれなりに近い所から、大好きな声が、私ではない彼女の名前を呼んだ。
いけない。ここにいてはいけない。そう思い、よたよたと頼りない足取りで、声とは真逆の方に足を動かした。
「大丈夫か? カナ」
「う、うん」
廊下の隅から私は見てしまった。陸久がヒロインをお姫様だっこしているところを……
そのヒロインに向けられた目は、何よりも、とても優しい色をしていた。
保健室だろう場所に向かう彼らの背を、私は呆然とただ見つめる。体をスズちゃんが支えてくれるお陰で、倒れずに済んだ私の身は、暫くして病院に預けられることになった。
ベッドに横になり、顔を枕に埋めた。
そういえば、切り出すのは私からの方が、彼にとっても良いかもしれない。ごそごそとベッドの横にかけてあった鞄から、星のストラップのついた携帯を取り出して、陸久宛のメールをうつ。メールには、今日どうしても会いたいとかいて。送信ボタンを押して、ふと白い壁にある飾りの無い無愛想な窓に目をやる。
病室の窓から、冬の冷たい風が入り込んだ。夕焼け色のどこか物寂しい病室に響いたのは、携帯の悲しい歌声。
安定してきた体を無理矢理動かして、メールにかかれていた場所に向かう。そこには、長年愛した誰よりも貴い人が、私を待っていた。仕事で忙しい両親に代わって、私の側にいてくれた優しい陸久。彼は窶れた私を見て、表情を暗くさせた。
「……舞」
「どうしたの? 陸久」
深刻そうな雰囲気に、望んでいた筈なのに怖くなり、冷や汗が病的な白い肌を伝った。
「え?」
陸久が抱きしめていた。誰を? 愛してもいないだろう、この私を。ぎゅっと優しく、でも離さないようにと強く。
「ま、い……好きだ。愛している……愛しているんだ……!!」
「陸久……」
自分の心を確かめているような、陸久の悲痛な声。
泣いている陸久が。私ではなく陸久が、その綺麗な瞳から涙を流して泣いていた。
彼が泣く理由は、生憎私にはわからない。だからどうする事もできずに、ただ抱きしめられいる儘でいいた。どこか切羽詰まったような表情に、慰めの言葉が見つからない私は、彼が過去にそうしたように、手をそっと。
「!!」
陸久の頬にふれた。あの日とは違い、もう彼の頬が赤らめられることはない。
気をつかわせてしまった。また彼を傷つけてしまう。だから……彼が言えないのなら、私がその言葉を言わなくては。
「別れよう、陸久」
「……っ!」
それで、貴方の心が少しでも和らぐのなら……
「どう、して……?」
「だって陸久は、私の事、本当は好きじゃないでしょう?」
「え……」
瞳を大きく開き、彼は驚いていた。
私がくすりと笑うと、陸久は罰が悪そうな顔をした。
「だから最後に……明日の午後一時に、駅前の公園でデートをしよう」
「え?」
「お願い」
「……わかった」
これが最後になるだろう。陸久と最後のデート。
それはどこか、切なくて寂しい。
駅前の公園、約束の時まで後少し。
「あ」
丁度、そこにはヒロインがいた。友達と楽しそうに話している。
そうだ……
「あ、陸久君」
「え、カナ? なんで」
「なんでって、陸久君が待ってるって……」
―――
冬はやっぱり寒い。マフラーでも、この寒さはつらい。
はーと息を吐くと白くなる。
ピリリと携帯がなる。見てみると陸久からだった。
電話やメールがたくさんかかっていた。
メールの一つには、今どこにいる? と。
このまま無視する訳にはいかなく、仕方なく一つ陸久に送る。
『ごめんね。ありがとう』
そのごめんねは、約束のデートに行かなかったことからのものなのか。それとも……
頭が痛い。からだも怠い。
嗚呼、ゲームの中の私も、きっと同じ気持ちでいた。彼女が最後に言った嘘は、嘘じゃなくて本当だったんだ……
重たくなる瞼。そのまま、そっと目を閉じた。
「り、く……」
ほら、そんなところで何をしているんだ? 風をひいてしまう。そう言って、私に手を差し出す彼。
耳に残るのは、やけに大きいサイレンの音だった。
届かないだろうけど最後に。
好きだよ、陸久……