第陸話 school day
「……ちょっと待て」
那由他に手を引かれ、来た時の半分以下の時間で学校の裏門まで戻って来た千恵は、来た時と同じように門を越えようと、門に手を伸ばし足を掛けようとした所で、微妙に引きつった顔をした彼に止められた。
「千恵。……お前、何をしている?」
「うん? そりゃ、もちろん門を越えようとしてるに決まってるじゃない。ここを越えなきゃ中に入れないし」
昔は夏也や悠兄たちとあちこちでわんぱくをしてはしょっちゅう親に叱られていた千恵にとって、この程度の門を越えるなど朝飯前。
だから、当たり前の様にそう答えると、
「その格好で、か? ……千恵……取りあえず、まずはそこから降りろ」
那由他は引きつり具合の増した顔で千恵の身体を門から引き剥がし、
「千恵、お前はもう少し年頃の娘としての自覚を持て……」
説教染みた台詞を呟きながら、そのまま千恵の身体を抱えてその場で軽く跳躍し、ぽーん、と人間離れした跳躍力で軽々と門を飛び越えて見せた。
「さて、……千恵。この学舎の長はどこに居る?」
「長……って、校長? 校長室……ううん、この時間だと職員室で朝の職員会議中かも」
「職員……そうか成る程、関係者が一堂に会しているとは――手間が省けて良いな」
「手間……、ね。……まあいいや。じゃあ、職員室に案内するから……そろそろ降ろしてくれない?」
「ああ……」
「さて、と。表に回ると色々面倒そうだよね。取りあえずそこから入って……」
千恵が指さした場所を見た那由他は一瞬押し黙った後で、再び顔を引きつらせた。
「……千恵、お前の言う“そこ”とやらは……まさか、とは……思うが……あの窓の事ではあるまいな?」
「うん? そうだよ」
「……、私の見間違いでないなら……その窓……厠に見えるのだが? ……しかも配色からして男用なのではないか?」
「うん、この校舎って殆ど特別教室とクラブ棟でさ、滅多に人が来ないの。だから不良連中のたまり場になっててね、ここでよく煙草とか吸ってたりするワケ。だからこの窓も……あ、やっぱり。カギ開けっ放しになってる事がよくあるんだ。大丈夫だって、こんな朝早くから登校してくるマジメな不良なんてそうそういないから」
胸程の高さにある窓に飛びつき、這い上がろうとする千恵を見て、
「そういう問題じゃないだろう!? ……って、おい、こら待てって」
慌てて止めようと手を伸ばすが、間に合わず。千恵は慣れた様子で身軽くヒョイっと窓の向こうへ飛び降りた。
「大丈夫、思った通り誰もいないよ」
「年頃の娘……以前に女としての自覚をもう少し持て……」
ため息をつきながら、那由他は呆れたように呟き、渋々といった様子で千恵に続く。
人気のない廊下。隣の校舎への渡り廊下の先に職員用の玄関と事務室とがあり、
「今の時期のこの時間帯、用務員さんは表の門で落ち葉掃きしてる事が多いから……うん、いない。で、そこの階段を一階上がればもう職員室なんだけど――」
ここまでは誰とも会わずに来れたが、さすがに上階からは人の声がする。
職員会議中は生徒は職員室に入れなくなる。日直が日誌を取りに来たりするので、この時間はいつも混み合っているのだ。
「まあ、もうすぐ予鈴が鳴るはずだから。そしたら皆、HRが始まる前にって一気にいなくなるはずだから、もうちょっとここで待って――」
「お前は、行かなくて良いのか?」
今日は遅刻決定かなぁ、と思った所へ那由他が言った。
「ここまで来れば、後は私一人でもどうにかできるだろう。お前は先に行っていろ」
「……いいの? 別に一回や二回の遅刻くらい構わないよ。別に皆勤賞狙ってる訳でもないし」
HRには間に合わないかもしれないが、一時間目の授業には充分間に合う時間だ。
「いや、京の出方を窺う意味でもその方が都合が良い。“印”があるから問題は無いはずだが、もし何かあれば迷わず私の名を呼べ。いつでも駆けつけ、お前を護ろう」
そっと、頭に手が添えられる。大きくて、少し骨っぽい男の人の手。
相手はモノノケ様とはいえ、未だかつて異性からこんな扱いを受けた覚えのない千恵の心臓を揺るがすには充分過ぎる行為。
「あ……ありがとう」
またしても騒ぎだした心臓の鼓動をさとられたくなくて。
「じゃ、じゃあ先に行ってるね」
階段を駆け上がる。
一回りして一つ階を上がって職員室の前を通り過ぎ、もう一回りして三階へ上がれば一年生の教室が並ぶ廊下に出る。
HRが始まる前の廊下はまだ賑やかで、その喧騒の中にそっと紛れる様に自分のクラスへ向かう。
一年二組のプレートが掛った扉をカラリと開けるとほぼ同時に、予鈴が鳴った。
「あれ、千恵。今来たのか?」
真っ先に声をかけてきたのは夏也だ。
「どこ行ってたんだよ? 今日、随分早く家出ただろ? 駐輪場に自転車はあるのに、下駄箱に靴は無いし教室にカバンもないし……」
怪訝な顔で問われ、千恵は心の内で舌打ちする。
「野暮だねぇ、君。朝早く、人目を忍んで……って、そんなの大体相場は決まってるだろ、ねぇ?」
更に横から口を挟んできた輩に千恵はもう一度舌打ちした。
「……何だ、君、愛羽さんのカレシじゃなかったんだ?」
「違う違う、夏也は千恵のお隣さん兼幼馴染みの腐れ縁――今のところは、ね。……でもホント今日はどしたの?」
その隣で、大好きなバンドのヴォーカルに目をキラキラ輝かせているのは風花だ。
「ん……ちょっと、野暮用でね」
「んん、何? なーんか怪しいなぁ。千恵が目を逸らすって事は、なーんかしら隠してる時だもんね?」
……夏也も手ごわいが、同性の幼馴染みはもっと厄介だ。
タイミング良く鳴った本鈴に感謝しながらも、ドクンと心臓が期待に跳ねる。
「むぅ〜、後できーっちりお話聞かせて貰いますからね!」
悔しそうに風花は席へ戻り、夏也も不満顔を隠す事なく渋々離れていく。
「……京」
人の席に陣取ったまま動かない、一番厄介な敵を見下ろす。
「そこ、退いてくれない? 座れないんだけど」
「――野暮用って、何? 朝っぱらからこそこそと……どこへ行っていた?」
顔だけニコニコ微笑んだまま、低い声で脅す様に京は尋ねた。その仄暗い瞳に心を逆撫でされ、ぞわりと全身に鳥肌が立つ。
「さあ。あなたに答えてあげる義理なんかないけど。……すぐに分かると思うよ」
千恵は、ちらりと扉の方へ視線を向けて言った。
「ふうん、今日は倒れたりはしないんだね?」
「――あなたがどうしてそうも私にこだわってるのか知らないけど。私はあなたとは関わりたくないの。だから……放っておいてくれない?」
「それは無理な相談だ。君は僕の大事なイヴなんだからね」
「……イヴ? それ、初めて会った時も言ってたけど、一体何の事?」
「知りたい?」
京が不敵な笑みを浮かべた時、千恵の耳に待ちわびていた音が届いた。
カラリ、と。耳慣れた扉が開く音と共に担任が入って来る。
そして。
瞬間、女子の一部が浮足立つ。が、男子の大半は迷惑そうに呻いた。
さすがに2日続けて、しかも同じクラスに転校生という異例の状況にクラスはざわめいた。
担任も、今にも首を傾げたそうな顔をしながら、それでも昨日と同じくカツカツと黒板に白チョークで大きく彼の名を書き出した。
――若宮那由他
「転校生の若宮君だ」
そしてやはり短い担任の紹介の最中、ガタっと音を立てて京が席から立ち上がった。
「――那由他っ」
さすがに人目がこれだけある中で暴れるつもりはないのか、低く唸る様にその名を憎々しげに呟き、睨みつける。
「こら百世。本鈴はもうとっくに鳴ったぞ。早く自分の席に戻りなさい」
「はーい、すみませーん」
担任に注意され、瞬時に外面を取り繕った京は、ギリッと千恵にもはっきり聞き取れる程に歯ぎしりしながらようやく千恵の席から離れる。
「……大人しく、眠ったままでいれば良かったものを。くたばり損ないめ」
人間の聴覚では到底知覚不可能なその声を、那由他は拾い、そして警告を返す。
「我が名は那由他。この地の主として幾多の年月を重ねしもの。若きものよ、那由他の命である。千恵は私の大事な契約者。かの者に危害を加える事は私が許さぬ」
「……契約……者、だと……!?」
その言葉に、京は目を見開き――そして心の中で呪いの言葉を吐いた。
「ふざけるな……っ、あれは僕のイヴ。この世に生じて百年、ようやく見つけた僕好みの娘……その最優良血を……あの時、お前に邪魔されたせいで更にもう百年待つハメになったんだ。だが、今度こそは……見ていろ、必ず僕のものにしてみせる」
……仄暗い笑いを、にこやかな仮面の下に隠して、京は自分の席に着いた。
「え、若宮君って、千恵のイトコなの?」
チャイムが鳴り、担任が教室を出て言った途端、人だかりのできた千恵の隣席の前で風花が嬉々とした声を出した。
「は……、いと……こ? ちょっと待て。俺はこんな奴知らねぇぞ。つーか、見た覚えすらないぞ?」
千恵の机の前で呆けた声を上げるのは夏也だ。
「山に棲んでいたのでな。この街に来るのも随分久方ぶりだから、千恵に案内やら何やらの世話を頼んでいたのだ」
「じゃあ、千恵の言ってた野暮用ってそういう事だったんだ?」
「え……と、まあ……」
千恵は曖昧に頷く。……だって、そんな事は今初めて知ったんだから。
「ああ。今朝は千恵のおかげで色々助かった。これからも、しばらくは何かと千恵を頼る機会は多くなるだろうが……」
ちらりとこちらに目を向けた那由他の視線を遮る様に、クラスメートの女子たちが机と机の間に割り込み、
「愛羽さんばっかじゃなくて、私たちにも頼っていいんだよ?」
「そうそう、ねぇ、良かったらメアド交換しない?」
「今日の放課後、ヒマならこの辺り案内するし!」
「えー、その前に学校内の案内のが先じゃない? 昼休みとかどう、一緒に?」
きゃいきゃい騒ぐ。
それまで、少し面倒くさそうな顔をしながらも、会話の中心で律義に答えを返していた那由他が静かに席を立ち、女子の群れから頭一つ半ほど飛び出た顔をこちらへ向け、真顔のまま至って平然とのたまった。
「すまないが、私は千恵と共に居ると決めているのだ。――そう、約束したからな」
その言葉に一瞬、ドキッとするも……瞬間、那由他の周りに集った女子たちの幾多の冷たい視線が痛い程突き刺さり、千恵は心の中で悲鳴を上げて青ざめた。
(け、京も怖いけど……この子たちも怖い……)
「ま、待て……お……お前……共に居る約束、って……まさか……ホントにそういう事じゃないよな?」
那由他と千恵とを見比べつつ、夏也が声を引きつらせた。
「きゃー、ちょっと千恵っ! 今日の昼休み、きっちりじっくりばぁ〜っちりお話聞かせて貰いますからね!」
風花が興奮気味に抱きついてきた所で、一限開始のチャイムが鳴る。
不満げな声と共に、人垣が崩れてざわめきが少し静まる。
「ん、そういえば昼休みって……ねえ、ちょっと」
「……どうした?」
「あのさ、お昼……なんだけど、“ご飯”って……どうするの?」
千恵は小声で尋ねた。
「やっぱり……三食三度、血がご飯とか……」
「そうだ、と言ったらお前はどうするつもりなんだ。全く……そんな訳ないだろう。術や損傷などで何か熱源を一度に大量に失う様な事でもない限り、十日に一度の補給で充分事足りる。そんなにしょっちゅう血を吸われていたら、お前は三日と保たずに死ぬぞ?」
那由他は苦く笑いながら答えた。
「心配せずとも、普段は人と同じ食事で空腹は満たせる。……ただ、人の食事を欠かしても死ぬ事はないが、血の糧を欠かせば私は動けなくなる」
……こういう答えを返す時、彼は毎回こんな顔をする。
「ふうん、そうなんだ? でも……今日はお弁当もお金も持ってるはずないよね? じゃあ今日は購買に行こう、奢るからさ。……でも、あれ? 待って、」
朝にも思った、もう一つの疑問。
「……今日、学校終わった後は……どうするの?」
もう、社もなくただ祠があるだけの山の上の廃神社。
「どこか、他に行く所が――」
問いを遮る様に扉が開き、日直が起立の号令をかけた。
答えを聞く前に途切れた会話の続きを、那由他はもう一度苦い笑をこちらへ向けて返した。
彼が名乗った名字――若宮は、あの神社の名前であり、そしてこの街の名前でもある。
いや、本当は逆なのだろう。遥か昔からこの土地に棲まい、この土地を見守り続けた主の名が彼の住居であった社の名となり、やがては土地の名となった。
だが社は既に廃れ、街も――千恵の幼かった頃の記憶と比べてさえ、街の様子は随分変わったと思うのだから、彼の目にはもう全く違う街に見えるのかもしれない。
……彼の答えなど、聞かずとも簡単に察せられる。
――だったら。千恵は、もう一つの大きな決断を下した。
『……家に、来ない?』
教科書を見せるフリをして、ページの端にそう書きなぐる。
『――“イトコ”なんだから、一緒に住んでもおかしくないでしょ?』
千恵が意地悪く笑ってみせるのを、那由他は信じられないと驚いた顔で目を丸くした後で、渋い顔をしながらペンを走らせた。
『お前、自分が何を言っているか理解っているのか?』
『大丈夫、お父さんは単身赴任中だし、お母さんもほとんど戻って来ないし。たまに夏也が押しかけてくる以外は私しか家に居ないから。ちょうど部屋も空いてるし』
それを見た那由他は疲れた様に机に突っ伏した。
「お前、やっぱり理解ってないだろう……」
頭を抱えて那由他が呟く。
「私は人ではなくモノノケだが、……それでも“雄”だ。分かっているのか……?」
「そりゃあ、まあ。どう見ても女の子には見えないし」
「……そうか」
千恵の答えに那由他は短くそう返しただけで盛大にため息をついてそのまま押し黙り、それきり授業終了のチャイムが鳴るまでうんともすんとも言わずに机に伏したまま動かなくなってしまった。
「……?」
千恵は首を傾げたが、ジロリと先生に睨まれたのに気付いて、忙しく教科書の問題を解き始めた。
授業が終わり、先生が教室を出ていくと、待ってましたとばかりに再び那由他の周りに人垣ができる、その僅かな間に那由他はのそりと起き上がり、千恵の耳元でポツリと呟いた。
「一応念の為に忠告しておこう。……モノノケとて人の姿をとれば、子作りはできる。今後の為にも……良く覚えておけ」
「……え?」
しかし、聞き返す前に那由他の姿は黒山の人だかりの中に埋もれてしまう。
代わりに、群れの中の一人にジロリと睨まれた。
もう、同じクラスになって半年経つけれど、滅多な事では話したりなどする事のない、いつもキラキラと派手なグループのリーダー格の子。確か名前は……
思いだす前に、ケータイが鳴った。見ると、メールが一通届いている。
Time 11/2 9:56
From お父さん
Sub 誕生日おめでとう
▼遅くなったが、16歳おめでとう。お母さんも、ひとまず元気にしている。
年末にはなるべく帰るつもりでいるから……
さっと、文面の最初だけ流し読み、最後まで読まず途中でクリアボタンを押して待ち受け画面に戻す。
「お父さんてば、娘の誕生日を間違えないでよね……」
パクンと携帯を折りたたみ、カバンに戻す。
人だかりの向こうで、京が恨めしげにこちらを眺めている。
弱みを見せたくなくて、落ち込む気持ちを振り払い、一つ大きく息を吐いた。
そうして、またチャイムが鳴り、二限が始まる。三限、四限……。時計の針が10時、11時、12時と進み、教会の鐘が鳴り、それからしばらくして四限終了のチャイムが鳴る。
「じゃーん、これが今日の戦利品!」
「そうか。……一応聞くが、千恵、お前今度は一体何をする気だ……!?」
「決まってる、上に登るんだ」
夏也というらしい千恵の幼馴染みの少年は、呆れる那由他の隣で平然とそうのたまった。
「そうそう、この上が穴場なんだよー」
風花という名のやはり千恵の幼馴染みだという少女もその光景を当たり前のように眺めながら言う。
あれよあれよという間に千恵は屋上へと出る扉のそのさらに上、給水塔がある屋根の上に登るためのハシゴに手を掛けたかと思えば、慣れた調子でするすると登っていく。
「教室じゃあ女子どもがうるせぇし、……ただ屋上ってだけでも昼メシスポットとしちゃメジャー過ぎてやっぱり女子に囲まれるだろ、……さっきみたいにお前がさ。」
最後の一言に少々の敵意を含ませ、夏也は言った。
購買という名の戦場から意気揚々とパンやおにぎりで一杯のビニール袋を引っ提げ戻って来た千恵を、那由他ともどもほぼ強制的と言うべき強引さでここまで引っ張って来たのは主に風花であったが、不機嫌そうな顔をしながらも、他の友人の誘いを断ってまでついて来た夏也は先程からどうも刺々しい態度ばかり向けてくる。
「こーら、夏也! 自分がモテないからってひがまなーい!」
千恵に続いてやはり慣れた様子で上へ登った風花が、悪戯っぽくこちらを見下ろす。
「誰がいつ、ひがんだ!? つーか、モテねーとか決めつけんな!」
そして、夏也が続き。
「若宮君も登っておいでよー。気持ちいーよー」
那由他は仕方なくハシゴに手を伸ばした。
朝方こそ冷えたが、今日は天気も良く、陽の当たる屋上は爽やかな風が通り、街全体を見下ろせる絶好のスポット。
ここから見ると、かつて禁域とされた山はぽつんと時代から取り残され、肩身も狭そうにこじんまりとして見える。村も、随分と様変わりしたものだと思う。正直、あの山と向こうに見える海とが無ければ、同じ場所とは到底思えない。
「うーん、京クンも誘ったんだけど。断られちゃったんだよねぇ」
「……この面食い女め」
「私も……あの人は、やめておいた方がいいと思うな」
ビニール袋の中身を那由他の前に並べながら、千恵は苦笑を返した。
「え? でも千恵、転校してくる前から京クンと知り合いだったんじゃないの?」
「夏也に連れて行かれたライブハウスでちょっと声掛けられただけだよ」
「……あの時か。クソッ、そんな事ならチケットなんか風花にでも高く売り付けときゃよかったぜ」
「馬鹿だよねぇ、夏也も」
風花がクスクス笑う。
「でも、ホントに千恵の家に住むの? 若宮君」
「千恵は、そのつもりらしいが」
「そっかぁ、……千恵にはその方が良いかもしれないね。ま、夏也にとっちゃ大ピンチだろうけど、半分以上自業自得だからねぇ。千恵の事を思えば絶対その方が良いと思う。……思うでしょ、夏也?」
物凄く不機嫌そうな顔をしていた夏也だったが、風花に迫られて渋々、
「……まだ、一年ちょいしか経ってねえんだもんな。俺だってまだ変な感じがする。ああクソ、お前が野郎でさえなきゃ、もろ手を挙げて大歓迎してたとこなんだけどな!」
とぼやきながらも、一先ずの肯定を返した後で、ボソッと低く呟いた。
「おいコラ、テメー。一つ屋根の下に2人っきりだからってヘンなマネすんじゃねーぞ?」
「……元よりそんなつもりはないが。しかしそれより前に千恵の方にもう少し自覚を持たせるべきなのではないか?」
さすがにそろそろ夏也が微妙に非好意的である理由を察し始めていた那由他はため息を吐きつつそう返した。
だが、それに対して風花は
「あははー、それは否定しないけど。でも大丈夫だよぉ、千恵だもん」
と笑って流し、
「……まあ……そうだな。千恵だしな」
夏也ですら少し遠い目をした。
「すぐに分かるよ。……多分、2、3日中には嫌でも分かるはずだぜ」
――そう、2、3日どころかその僅か数時間後に、那由他は知る事になる。