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第伍拾弐話 Epilogue

 「主、チエ様ぁ! ……ちょっ、これ、何とかしてくださいよー!」

 きゃっきゃとはしゃぐ幼子を背に乗せた迅が、情けない悲鳴を上げる。ピンと立った耳を、興味津々につんつん引っ張られ、目に涙を浮かべている。

 「こら、空十アキト! 迅をいじめちゃダメでしょ!?」

 母親から叱責を受けた子どもは、すこしぶうたれながらも、素直に迅から降りる。

 ――大陸のものに比べれば、小さなニホンオオカミの九十九神である迅だが、それでも幼子の身長を考えれば、かなりの高さがあるというのに、全く危なげなく、身軽に飛び降り、綺麗に着地を果たした。

 「あ、主……、俺、いじめられてたんすか……?」

 「ふむ。いじめとは、基本的に強者が弱者をいたぶることを言うのだからな。……そうなるのではないのか? ――負けたのだろう? まだ生まれて10年も経たない仔どもに」

 「ええ、ええ。……まだ仔どもだと油断してたのが間違いでしたよ。なんせあのチエ様と主の仔なんすから、ただの仔どもであるはずがないってのに」

 母親に叱られ、一時しゅんとした仔どもは、すぐに抱っこをねだり、千恵の腕に抱かれて再びはしゃぎ出した。

 千恵は仔どもを抱いたまま、暖かな日差しの降り注ぐ木立の中、大きな木の根を腰掛けがわりに座る那由他の隣に腰を下ろした。


 「異界なんて言うから、いったいどんなところなんだろうって、ずっと思ってたけど。……良いところだね。特にここは、まるであの山の中みたい」


 辛い修行を重ね、神を名乗れるようになるまでに50年、さらにその力をきちんと自分で使いこなせるようになるまでさらに10年。

 そして、こうして千恵が異界に居る那由他のもとへ訪れるまでにはさらに10年の月日を要した。

 いくら歳をとらない身体、老いない身体を持ち、永遠の命を持っていようとも、その年月は決して短いものではなかった。


 それだけに、今こうして目に映る景色に感じる感慨深さはひとしおだ。


 「ここらはね、あえてそう整えたんですよ。なんせ、ここいらに居る連中の殆どは、あの山に居た奴らなんですから」

 「ああ、元はもっと殺風景な荒野だったんだが。いずれはお前を迎える場所だというのにこれはないだろうと……」

 「ええ、皆であーだこーだ言い合いながら誂えたんすよ。ほとんど死に体だったような連中まで急に生き生きとしちまって……。連中、ずっとチエ様が来られるの、今か今かと待ち望んでたんですからね。今、あっちで祝いの席を用意してます。なんせ、主の伴侶になった時も、めでたく神となられた時も、御子が生まれた時ですら、あのいけすかねぇ野郎が祝いの席をもうける暇さえ許してくれなかったからな。今日は全部まとめて一気に祝っちまおうってんで、皆張り切ってますよ」

 「だが、まだしばらくかかるのだろう? ……迅。空十を連れて、少し向こうで遊んでこないか?」


 暗に、邪魔者を連れて向こうへいけ、二人きりにしろ、と命じられた迅は、渋い顔になる。

 「……いや、俺が退散するのはいいんすけどね。空十様は……ちと勘弁してもらえませんか? いや、二人きりになりたい気持ちはよーく分かりますよ、分かりますけどね? 何しろ空十様って、千恵様のご子息なわけですからね? 俺の手には余ります!」

 迅はそう言って、空十の子守りをきっぱり断った。

 「チエ様。あっちに、皆で拵えた小屋があります。そこで、主と空十様と三人、準備ができるまで休んでてください。俺はあっちを手伝いに行ってきますから」

 そう言い置き、再度の要請を受ける前にと、迅は急いで皆の集まる方へと駆け出す。


 「ううん、迅ってば、空十を相手にチエの時と同じ負け方をしたの、まだ気にしてるのかしら?」

 千恵はその後ろ姿を見送りながら、小さく呟きながら首を傾げる。

 「……そう言えば。結局あの日は何があったんだ。いくら迅に問いただしても、それだけは決して話そうとしないのだが」

 「あ……、と。えっと、ね」


 千恵はゆっくりとはるか彼方に沈んだ記憶をゆっくり掘り起こしながら、その時の思い出をぽつぽつ那由他に話して聞かせた。



 那由他に、印を貰った日。

 とんでもない粗相をしでかし、巫女をやめろと言われることを覚悟していたのに。叱られるどころか、印をいただいた。

 嬉しくて嬉しくて、チエは足取りも軽く、どんどん山奥へと分け行っていった。

 この山には山菜や木の実が豊富にあり、いったいどれとどれを採ってどんな料理にしようか、わくわくしながら思案を重ね、歩いていたチエの前に、それはのそりと藪の中から姿を現した。

 大きな、狼。さすがに、狼を見て猪を前にした時のような感想は思い浮かばない。何の武器も持たない丸腰である事を思い出したチエは、咄嗟に武器になりそうな棒切れでも落ちてはいないかと素早く辺りを見回した。

 だが、狼はチエを襲おうとするような素振りは見せず、のんびりとした足取りで山の斜面を下りながら、こちらをじっと観察するような目つきで見下ろす。

 「……主の、印の気配がする。お前、新しい巫女か?」

 そして、あろうことか獣の口で人の言葉を喋った。

 「ああ、心配するな。主の印を持っている以上、俺はお前を襲って食ったりはしねえよ。けど、お前、こんな山奥まで分け入って、何をしてるんだ? 主の許可を得ない限り、山を降りることはかなわねえぜ。必ず途中で迷ってぐるぐる同じところを歩き続けるハメになる。迷子になる前にとっととお家に帰る方が利口だぜ?」

 狼のその、忠告めいたセリフに、チエはムッとして言い返す。

 「失礼な! 私は那由他様の巫女、自ら望んだお役目を途中で放り出すなんてありえません! 私はただ、那由他様に召し上がっていただく食事の材料を探していただけです!」

 強気に反論を返してきたチエに、狼は少しだけ驚いたように目を瞬かせた。

 「ふうん? 今回はまた随分毛色の変わった娘が巫女になったもんだな。これまで幾人もの娘が巫女としてやってきたが、こんな山奥まで足を踏み入れた勇者はあんたが初めてだ。だが、この先は人間の小娘が歩くには向かねえぞ。適当にそこらの木の実でも拾って、お家に帰んな」

 狼は、それまでとは少し声の調子を変えながら、諭すように言った。

 「那由他様にお召し上がりいただくお食事に、適当だなどと、ありえません。これでも、兄について身体は鍛えております。小娘扱いしないでください」

 だが、チエはムッとして言い返す。

 「やあ、俺にはどう見ても小娘にしか見えねえけど。そもそも、人間が身体を鍛えたってたかが知れてるだろ。ましてや女子どもじゃなあ。悪いことは言わねえから、さっさと小屋へ帰れ。迷ったんなら送ってってやるからよ。つか、主の食事って。主にとって血以外の食事は間に合わせでしかねえんだから、適当にしたって気にやしねえと思うんだがなあ」

 「……重ね重ね失礼な。たとえ那由他様がどう思われていようと、巫女としてのお役目に手抜きなど、私が自分を許せません。いいから、そこを退いてください。私の事は放っておいて」

 チエは、強引に狼の巨体の脇をすり抜けようとした。

 「いやいやいやいや、だから、さ。巫女の役目なんて、主に血を捧げる以外にねえだろ? 主の食事の支度なんか気にする巫女なんぞ聞いたこともねえぞ? この先へ入って怪我でもしたらどうするんだ」

 狼はそれを、身体を使って遮る。

 「それも含めて、那由他様のお世話をするのが、私の、巫女のお役目です。……それを邪魔するというなら、この場で決着をつけましょうか」

 「は、決着って何を……」

 「あなた、人の言葉を喋ってるところをみると、普通の獣じゃなさそうですけど。見かけは狼ですし。……狼なら、自分より強いものには従わなきゃならないはずですね?」

 「いや、まあ、そりゃあ確かに俺は狼の九十九神だけどよ……。おい、お前、何棒切れなんか拾って……構え、て……。って、おい!?」


 ブン、と唸りをあげて頭上を掠めたそれを、狼は咄嗟に首を竦めて避けた。

 「おい、小娘、お前正気か? 俺が狼の化け物だって知りながら殴りかかってくるって……、おわっ!?」

 頭の上を右から左へ掠めていった節くれだった枝木が、今度は足元を狙って左から迫ってくるのを跳んで避ける。

 「……間に合せの武器しかないのが少々心許ないですが。那由他様の今夜のお食事のためです」

 チエは改めて間に合せの木刀を構えて立つ。

 「おいおい、いくらなんでもそんな切れっ端で、俺に勝とうなんざ百年は早いぜ。しかも人間の小娘にゃ無理だ」

 「やってみなければ分かりません。――行きます」


 チエは、ほとんど道とも呼べない獣道の、足場の良くない地面を力強く蹴り飛ばし、勢いよく棒切れを振りかぶった。

 もちろん、狼も黙って打たれてくれはしない。

 人間のそれよりはるかにしなやかで頑強な筋肉で覆われた大きな身体を敏捷に動かし、チエの攻撃をあしらう。

 だが、チエは諦めない。ジリジリ後退していく狼相手に、間合いを詰めつつ棒切れを振り回す。


 もちろん、獣、それもモノノケの狼を相手にこんな単純な攻撃が通用するなどとは、チエとてはなから思っていはいない。

 ジリジリと間合いと距離を調整し……


 チエは、跳んだ。

 たくさんの木々が生い茂る、その中の丈夫そうな枝木を一本選び、手を伸ばす。

 そのまま逆上がりの要領でくるりと枝木の上へと降り立つと、しなる枝木の勢いそのままに、狼の背を目掛けて飛び降りる。

 「えやぁぁぁ」

 大きく振りかぶった棒切れが、狼の脳天を直撃した。

 高さを利用し、威力を増した攻撃に、狼はたまらず悲鳴を上げた。


 「……と、まあ。そういう訳で」

 チエの話を聞きつつ那由他は顔を引きつらせた。

 

 普段の迅であれば、その程度の不意打ちくらい、簡単にかわせたはずだ。

 ――おそらく、相当に動揺していたのに違いあるまい。

 

 完全に己の油断が招いた失態。……成程、確かにそれは言いたくないだろう。沽券に関わる。


 「私自身、あの当時は本当に、日々お前に驚かされてばかりだったからな。私ばかり驚かされて、お前は何を見ても聞いてもちっとも動じやしない。それに関しては少しばかり悔しくすら思った事もあったくらいだ」 

 「……そうでもないよ。そりゃあ、確かに那由他の正体だのなんだのに関してはそうだけど。でも、好きって気持ち、那由他に知られたらいけないって、あの頃はそう思い込んでいたから。何かの拍子に、溢れそうな気持ちがうっかりこぼれちゃいそうで。結構しょっちゅう動揺してたんだよ? それこそ、巫女になって初めての夜、那由他の布団に潜り込もうとした時とか。……あの時はさ、咄嗟に人恋しくて、とか言い訳したの覚えてるけど。……本当は――」

 那由他と、――ようやく再び会えた土地神様の傍に居たかっただけ。


 「だから。……今、こうして居られること。すごく嬉しい」

 「それはこちらのセリフだ。――数千年の時を経て、ようやく見つけた伴侶なのだからな」

 「……うん。正直、契約を結んだ後の方が色々大変だったけど。でも、これからはいつでも好きな時にいくらでも行き来できるから。……やっと、本当の意味で約束を果たせる」


 ――それは、永久の約束。魂を懸けて誓った大事な誓約。永遠の、愛の誓い。約定を果たすため、命を懸けて廻した運命の歯車が今、時を越えて噛み合い、また新たな物語が紡ぎださていく。


 「那由他の名にかけて、改めて誓おう。――千恵、お前との永遠を」

 


 神として。異界の扉の番人として。2人は新たな物語を紡ぎ上げていく。終わらない、永久の物語を――。


 

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