第伍拾壱話 As a result of future when I picked it
ほどなく、社の縁側に色とりどりの料理が並んだ。
「へえ、結構やるじゃない、夏也。ちゃんと美味しそうに見える」
「あのなあ、風花。一応これでもプロなんだぞ、俺」
感心する風花のセリフに突っ込みながら、夏也はもうひとつの包みを開けた。
「これ。うちの店で一番いい酒持ってきたんだ。乾杯しようぜ。……っと、千恵、飲めるのか?」
今日は、千恵の26回目の誕生日。法律上は問題のない歳だが。
千恵の身体は、あの日以来、歳をとることをやめた。
今でもあの時と同じ、高校生の時と全く変わらない姿でいる。
「大丈夫。見た目は変わらないけど、……普通の人間とも、違うから」
「……そっか。じゃあ4人分でいいな」
夏也はグラスになみなみと酒を注いでいく。
「それじゃ。――千恵の誕生日と、10年ぶりの再会を祝って……乾杯!」
キン、とグラスどうしがぶつかる音が、よく晴れた空の下で響く。
「ふむ、確かに旨い酒だな」
一口、口をつけた那由他が感心した声を上げた。
「当然だ。いつも店で出す酒と、まるまる一桁値段が違うんだぜ?」
「それはそれは。ご馳走様です、夏也様。料理の味も悪くないし……。驚きだよね、まさかあの夏也が料理人て……」
風花が複雑な顔で笑う。
「私はしがないOL続けて早4年……。特に面白い事があるわけでもなし。代わり映えのしない毎日がただ過ぎていくだけ。うーん、私も何か新しいこと始めようかなあ」
「へえ、例えば?」
千恵の問いに、風花は渋い顔になる。
「例えば……? うーん、うーん……。って、それが分かってればもうとっくに始めてるんだって。それが思いつかないから、こうして今も毎日だらだら過ごしちゃってるわけでね」
そんな風花に、千恵はひとつの提案を投げかけた。
「ねえ、風花。Spica、ってブランド、知ってる?」
「もちろん! あれでしょ、ジャンヌダルクってデザイナーが手掛けてる洋服ブランド!」
「うん。その、デザイナーさんに会う機会があって、頼まれたことがあって。……助手役を誰か推薦してくれないかって」
「助手? ジャンヌダルクの? え、だって滅多に表に出てこない人なんだよ? 会ったの、その人と? ていうか話したの? フランス人なんでしょ、その人。話せたの?」
「うん。……あのね、これ、オフレコでお願いしたいんだけど。ジャンヌ・ダルクさんてね、ある意味、私と同じなんだよ」
「え?」
「あの人、元は普通に……ううん、普通って言うと少し違うけど。でも、人間だったの、最初は。でも、今は私と同じ。少し、普通の人間とは違うの。……聞いたことはあるでしょう? あの、イギリスとフランスとの戦争で活躍した『ジャンヌ・ダルク』って」
聞いた途端、風花がむせた。
「え、えええええ? あ、あの? あの有名なジャンヌダルクが、Spicaのデザイナーのジャンヌダルクと同一人物!? そ、そんな超大物の助手がなんで私!?」
「あの人、こっちの世界だけじゃなくてね、向こうの世界でも同じ名前のお店をいくつも持ってるの。そのお店の数が、最近すごく増えて、一人で手が回りきらなくなりそうだから、あっちとこっちでそれぞれ助手を雇いたんだって。でも、あっちの世界の助手なら人手に事欠かないんだけど、彼女の事情が事情だから、こっちの助手はかなり人を選んじゃうんだよね。……だから、私と那由他の一件でこういう話に少し慣れてる風花なら、と思って」
「……やる」
風花が小さく呟いた。
「一流ブランドのデザイナーの助手! 超やりがいありそうじゃない! あ、でもどうすればいい? 当たり前に履歴書送ればいい、ってなわけないよね?」
「ああ、うん。来月、また会う約束をしてるから、その時同席してくれれば……」
「オーケー、来月ね。来月……、会えるんだ。うわぁ、今からドキドキしてきた!」
「あん時は……、その、……悪かった」
はしゃぐ風花と千恵の後ろで、夏也がぼそっと決まり悪そうに、那由他に呟いた。
「……まだ、一度も謝ってなかったから。一応、な」
グイっと酒を飲み干し、ごまかす夏也に、那由他は苦笑を返した。
「まあ、そうだな。これまで10年など、あってないような時間だったのに。……この10年はひどく長く感じた。だが、まだ当分はこのまま、次に会うのは10年後、その次はそのまた10年後……。一応新婚のはずなのだが。……この酒はありがたく頂いているが、さすがにこれ一本でチャラにされるのは割に合わん。橘夏也。この先、10年ごとに酒を貢げ。それで勘弁してやろう」
那由他は、わざとらしく意地の悪い笑みを向けてみせる。
夏也は顔をしかめながらも、頷いた。
「……まあ、いいさ。今のままいけば、10年後はもっといい酒が入れられる。その10年後は、さらにもっと。……そのうち、『若宮神社御用達』って看板を掲げてやる」
「そうか。……まあ、せいぜい途中で店を潰さぬよう精進することだな」
「お前に言われなくてもそうするさ」
空になったグラスに、酒を注ぎ足しながら、夏也は肩をすくめた。
「――飲むか?」
「ああ、貰おう」
短く言葉を交わし、2人だけでグラスを合わせた。
「……俺、最近よく夢を見るんだ。いつも、同じ夢。――話には聞いていても、実際には知らないはずの場面を」
ポツリと夏也が呟いた。
「でも、そうだよな。時期と、……因果を考えればありえない話じゃない」
那由他は眉をひそめる。
「……何の話だ?」
夏也が苦く笑う。
「お前をさ、封じたときの記憶。そんな馬鹿をしでかした結果の尻拭いを、チエにさせたあの時の気持ち……。俺は……あの祓魔師は、あの時からチエに惚れてたんだ。……でも、その時から叶わぬ恋ってやつだったんだよな。ホント、今も昔も、俺は馬鹿な事ばっかしでかして……。生まれ変わっても、馬鹿って治んねんだな」
那由他が、その意味を悟り、息を飲んだ。
「お前が、あの祓魔師の生まれ変わり、だと?」
「なんじゃねえの? 確証はないけどさ。……でも、奴の血縁、ってだけなら悠だって、親父や祖父さんだってそうだけど、そんな夢を見たなんて話は聞かねえし。……ってことは、さ。千恵も、記憶が戻る前は前世の記憶を夢で見てたって言ってたし、……って事なんだろうなあ、と」
だから、と、夏也は苦笑を深めた。
「俺、お前に2重に謝んなきゃなんねんだよな。2度も馬鹿やってごめんなさい、って。ご先祖様の件に関しちゃ、まだ複雑だけど」
「……そうか」
「俺、千恵の幼馴染みだからさ。千恵の好物はそれこそ知り尽くしてるから。……千恵の好きなもんばっか、これでもかってくらい詰め込んできたんだけど」
酒を、一口煽り、夏也はそっぽを向いたまま言った。
「俺、お前の好物なんか何一つ知らないからな。……次は、お前の好物も入れてきてやる。……何がいい」
那由他はその問いに目を見開いた。ついでぷっと小さく吹き出し、苦笑を浮かべた。
「……そうだな。和風の煮物がいい。季節の食材を使った煮物だな」
「よし。煮物だな。分かった。これから10年かけて究極の煮物を仕上げてやろう。お前に参ったと言わせるくらいのやつをな」
「ほう、それはそれは。楽しみに待つとしよう」
那由他が笑う。
皿の上の料理はいつしか綺麗になくなり、酒の瓶もとうとう空になった。
そろそろ日の短くなった秋の空、太陽はすでに大分傾き、西日が目に痛くなってきている。
「じゃあ、私たち、そろそろ行くね。千恵、来月はよろしく!」
「……ああ。――見てろよ、10年後までには雑誌に鉄人て書かせてやる」
賑やかな友人たちは、そう言って山を降りていった。
すると、人気のない山の上はとたんに静けさが戻ってくる。
世話係となった師範が、日に数回声をかけてくる以外は、一日、ひたすら厳しい修行に明け暮れる毎日で、こんなふうに丸一日ゆっくり過ごしたのは……いったいいつ以来だっただろうか。
酒に酔い、火照った体で、那由他に寄り添う。
本当に、この10年は長かった。年に数回、扉越しに姿も見えない声だけの彼と数時間、言葉を交わすだけの日々。
辛い修行の日々と、彼に会えない辛さで何度も泣きたくなった。
今ある、この温もりを少しでも感じたくて、千恵は那由他に寄り添った。
「千恵、……血を吸ってもいいか?」
那由他が耳元で囁いた。
「うん……? いいけど。あれ、そういえば……この10年、那由他、血はどうしてたの? 確か10日毎に血を飲まないといけなかったはずなのに」
「うむ。……血液パックとやらを支給されて。……それを飲めと。確かに糧としては事足りるのだが……、どうにも、味がな。とにかく酷いんだ」
余程不味いものなのか、那由他が顔をしかめた。
「それは……。那由他も修行、大変なんでしょう? それなのに……、それじゃあ大変だよね。私は、師範やおじさんがいろいろ気遣って差し入れしてくれたりするから、まだ平気だけど。……風花たちは変わらないって言ってたけど、正直この10年ですごいやつれた気がするんだよね。その割に、変なところに変に筋肉がついていそうな……」
千恵が、二の腕やら脇腹やらさすりながら渋い顔をする。
「……まあ、それに関しては私も同感だが。少なくとも私の目に映るお前は、変わりないように見える。私が伴侶にと望んだ、お前のままだ」
那由他が柔らかな笑みを向ける。千恵も、つられて緩んだ頬を赤く染める。
「そ、そう? ……ま、まあ、せっかく久々なんだし、ね。遠慮なくどうぞ、……次はまた、10年後になっちゃうんだし」
千恵は襟元を緩めてはだけ、首筋を那由他の前に晒した。
程なく、晒した肌に那由他の牙が穿たれた。
久々に味わう心地よい酔いに身を任せ、至福に微睡む。
あの、地獄もかくやという辛い修行にひたすら耐えているのも、全てはこのひと時のためなのだから。
ほんの一時許された贅沢を、心ゆくまで味わい尽くす。
――渇いた身体に、千恵の暖かな血がすみずみまで行き渡る。久々に味わう甘やかな血を、那由他は夢中で貪る。
那由他と契約を交わした今、千恵にかつてあった人としての限界はもうない。
お互い、心ゆくまで味わい尽くせる。
今ある現在は、千恵がいなければ決して歩むことのなかった未来だ。
神になるための修行とやらは那由他をしても正直かなり厳しいものだが、それでも、代わりに手に入れられたものを思えば、何ということもない。
ただ一つ、彼女とまた10年も離れていなければならないのだけは、どうにも辛いのだが……。
「千恵……」
「ん、もう、いいの?」
「――いや。……部屋へ行こう。まだ時間はある。新婚なのに、あれから10年もお預けを食らわされたんだ。……鐘が鳴るまで、たっぷり味わってやる」
――そして。50年後。
百年以上かかるだろうと言われながら、異例の速さで神籍に名を連ねた那由他と千恵は、周囲を驚愕させたが、本人たちはそんな事はどこ吹く風、とばかりにそれまでの時を取り戻すかのようにあちらとこちらを互いに行き来しながら勤めに励み、早々に仔までもうけた。
おかげで、というべきなのか、若宮神社は恋愛成就のご利益があると一躍有名になった。
雑誌やTVで幾度も取り上げられ、参拝客があとを絶たない人気スポットになり、その神社の御用達となった麓のレストランとともに大繁盛したのは……、また、別のお話で。