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第肆拾陸話 The last choice

 一度。二度。――三度。

 教会の庭に、続けざまに落ちた雷。雨はどんどん激しさを増し、その場に居るものの身体を濡らしていく。


 昼間とはいえ、この季節に雨に濡れるのはかなり寒い。しかも、先程から空を覆う雲は厚く、太陽の恵みのあらかたを遮り、あたりはまるで一気に時計の針が夕方にまで早回りしたかのようだ。

 千恵は、寒さに体が震えるのを必死にこらえる。――この震えが、本当にただ寒さのためなのか、身の内にくすぶるやりきれない悔しさからくるものなのか、自分でももう分からなくなっていた。


 頭が、痺れる。無情な現実に。それを打破する力を欲し、それを持たない自分の無力に打ちひしがれ。

 

 ああ、大事なものは自分で守る。そう言ったのは自分なのに。今、自分は何も守れていないではないか。

 「……那由他。お願い、私の血を飲んで。那由他は、今もこんなにも必要とされてるんだよ。ねえ、那由他。私、約束するから。必ずまた、戻ってくる。絶対に生まれ変わって、また那由他の隣に戻ってくる。だから……、お願い、私の血を飲んで。みんなを止めて……」

 千恵は、冷たいばかりの那由他の身体に縋る。

 「馬鹿なことを言うな、千恵。お前が居なくなったらお前の母親はどうする。お前が言ったんだぞ、母を悲しませるようなことはできない、と」

 「だけど、このままじゃ……!」


 早く。――早く、もう一つ、何か画期的な選択肢を見つけ出さなければ。

 

 (――そのためなら、何を投げ打ったって、惜しくはないのに!)

 千恵は、心の中で叫ぶ。


 「――ふむ。その心に相違はないか?」


 その叫びに、応える声が、厚い黒雲に覆われた空から降り注いだ。――聞き覚えのある声だ。千恵はハッと空を見上げた。

 千恵だけでない。

 那由他も、この場に集ったモノノケたちも。橘家の男たちも。――地面に横たわったまま今だ意識の戻らない夏也を除く、その場にいる全員、その姿に視線が集まる。


 青みがかった緑色の鱗が光の加減でキラキラ金色に輝き、背のたてがみの燃えるような赤い金色の毛が、美しく翻る。

 背には巨大な鳥の翼が生え、長い胴体には二本の手と二本の足とが生え、その右手には不思議な色をした美しい玉を握られている。

 口元から伸びる二本の長いひげが吹き荒れる風などものともせず優雅にたなびき、頭に生える鹿のような形状の角も、美しい木材を丁寧に研磨したような――どこをとっても美しく、神々しい。降るような威圧感と、それに相応しい威厳に満ちた姿。


 轟々と荒れる空に姿を現したのは――とぐろを巻く巨大な龍。


 「――応竜様……」


 その姿を見上げる千恵の後ろで、那由他が小さく呻いた。千恵は慌てて彼を振り返る。

 ……あの時。ほぼ万全に近い状態だった時でさえ、かの神を前にした那由他はその神気にあてられひどく消耗した様子をみせていたのに。

 すでに弱りきった状態の今は――。

 「那由他……!」

 彼の体が、崩れる。

 「駄目……!」

 那由他の半身を、千恵はかき抱く。――そうして、彼の存在をつなぎ止めようと無駄な足掻きをするように。


 「そなた。――先程の言葉。それが真実であるのならば。相応の代償を支払う覚悟があるのならば。――お前たちに、もう一つ、選択肢を与えてやろう」


 万全の状態の那由他でさえ激しい消耗を余儀なくされた凄絶な神気に、モノノケたちはたまらずその場に伏せ、今にも爆発しそうだった殺気が鎮まる。

 師範も、夏也の父も、ただ呆然とその姿を見上げるばかりで、言葉もない。


 だが千恵は、かの龍神をまっすぐ見上げて言った。

 「――はい。その選択肢というのが、那由他を――それに、ここに集う那由他を慕う者たちと、私の大事なひとたちを救えるものであるならば。……私に、惜しいものなどありません」


 「……相も変わらず、肝の据わった娘ごよ。ただのモノノケのために命をかけ、奇跡を喚んだそなたの心意気、気に入った。――慈悲をくれてやろう」


 宙空でとぐろを巻いたまま、龍神は牙を見せ微笑をみせる。


 「じつはつい先ごろ、さるお方から、あるお役目を務める者の選定を任されての。御主ら2人、その任に就く覚悟があるならば。千恵、お前の願いを聞き届け、叶えてくれよう」

 ――まごうことなき神である、この龍神に“仕事を任せる”。それは、つまりかの神よりさらに格の高い神、ということだろか。だが……

 「お役目……。それは、私に務まるものなのでしょうか」

 千恵は尋ねる。――那由他はともかく、今の千恵はただの人間だ。多少特殊な力を得ているとはいえ、……たとえ那由他と契約を交わしたとしても、素地はそう大して変わらない。

 

 「おお、務まるとも。正直、お主ら以外に適任が思いつかん。――だが、今のままではお主らをその任に就けることはかなわぬ」

 


 「お主らに任せたい任はの、――異界の扉の、番人じゃ」

 「番人……? 異界の扉……の?」

 初めて聞く言葉に、千恵は慎重にそれを噛み砕き、頭に刻む。 

 「その任を受けるのならば。お前たちは神格を得、神籍に名を刻まれる事になろう」

 千恵は、目を見開き息を飲んだ。――那由他はともかく。

 「……私が、神に? ……つまり、人間では、なくなると?」

 今の千恵は、ただの人間だ。

 ……確かに、元は人間でも、今は神として祀られている人物は居る。例えば菅原道真は有名どころであるが、……彼らは、既にこの世を去った者たちだ。

 「それはもしや、今居るこの世界に、居られなくなるということなのでしょうか」 

 「……いや。少なくとも千恵、お前にはこの世にとどまってもらわねばならん。お前に任せたいのは、扉のこちら側の番人なのだからな。そして那由他、お前には扉のあちら側の番人をしてもらわねばならんのだよ」

 「扉の……あちら側と、こちら側……? あの、そもそも異界の扉というのは……」

 「文字通り、ここと異界をつなぐ扉じゃ。この世界にはの、お前たちが今居る世界以外にも世界は存在する。分かりやすく言ってしまえば、天界や魔界といった世界が、な。それらの世界を隔て、つなぐ扉じゃ」


 隔て、つなぐ扉の、あちらとこちらで番人をする。――つまり。


 「那由他と、会えなくなる……?」

 「――永久に、とは言わんよ。だが、神となり得た力を真実自らのものとして使いこなせるようになるまでは……、そうだの、年に数回、決まった日にのみの逢瀬となろうな」


 ……せっかく、再会を果たしたばかりだというのに。常に傍にいられたのは結局ほんの数日の事で。――それだけで、もうまた彼と離れなければならないなんて。千恵は悔しさに唇を噛み締める。

 それでも。――永久の離別に比べれば。彼をこの世から失わせてしまうよりは、余程も良い。

 那由他も。夏也も。失わずに済むのだから。


 千恵は、今、腕の中にある那由他の存在を噛み締めながら、心を引き裂かれる痛みを抑え、その決断を口にする。


 「私、そのお役目をお引き受け致します」


 龍神は、千恵の答えに楽しそうに目を細めた。

 「――ほう、よう言った。だが、そちらはどうだ、那由他?」

 「……思う通りに生き、自らが望む未来へ進めと、そう言ったのは私。その言に偽りはない。――千恵が、それを真に望むならば……、私に否やはない」

 身体はもう限界のはずが、それでも那由他ははっきりとそう、龍神の問いに答えを返した。


 「そうか。……ならばお主たちの望み、叶えてしんぜよう」

 


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