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第肆拾参話 Ultimate choice

 ――間に合わなかった、その事実に那由他は小さく舌打ちをした。


 那由他が、彼と取り合って揉み合ってるそれが何か、察した千恵がもみ合いに割り込んでくる。

 「師範、ダメです! それを離してください!」

 武道の道場の師範で、こんな場面はむしろお手の物のはずが、やはり少なからぬ動揺があったのだろう。千恵がもみ合いに割り込んだ直後、彼の手から十字架がこぼれ落ちた。

 それを、那由他が素早く遠くへ蹴り飛ばす。

 

 「……師範」

 ひとまず、ホッと息をついた千恵と那由他の視界の端で、彼が取り落とし、那由他が遠ざけたそれを屈んで拾う者が居た。

 彼は、それを夏也に向けかざした。

 「この、バカ息子めが。常々、馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが……まさかここまで馬鹿だったとはな。どうやら私はお前の育て方を誤ったようだ」


 「ふうん、あんたがこいつの父親? 僕としては、彼の馬鹿さ加減はとてもありがたかったんだけどねえ。……でも、そんなもの持ち出してどうするの? 橘夏也には読み解くことすら出来なかった術を、アンタは使えるとでも?」

 「――ええ。その通りですよ。私も、そこに居る父も。……それの兄には今現在指南している最中だったのですがね」

 「何? 親子代々って? 祓魔師の術は血で継がれるものじゃないだろう?」

 「ええ、そうですね。……ですが、修行次第で手に入れられる力ではあるのですよ。――そう、かつて教えてくださった方がいらっしゃいましてね」

 夏也の父が、チラリと一瞬こちらを見やる。

 「かつての過ちを認め、悔い、再びがないように。代々、橘の名を継ぐ者の義務として受け継いできた技です」

 「けど、その術を使えば僕だけじゃなく、この身体ごと封じる事になっちゃうけど。……そこのところ、ちゃんと理解ってる?」

 京は、少し不快そうに眉間にしわを寄せながら言った。

 「ええ、もちろん。かつて我らの先祖がこの術を用いて封じてしまった那由他様の御身を代々管理してきたのもまた、うちですからね」

 だが、夏也の父はそう淡々と返した。

 「今、こうなった以上、夏也に橘の名を名乗る資格はありません。我が家に伝わる伝承を、全て識っていたにもかかわらず、判断を誤ったのですから」


 千恵が、那由他の袖に縋った。

 「那由他……、夏也は――」

 「――京と、魂の契約を交わしたらしい。……今の彼はもう、人間ではない。……モノノケだ」

 「――っ」

 息を飲み、強く那由他の腕に縋る千恵を、那由他は衝動のままに抱き包む。


 「……だが、一つだけ。まだ、彼を人に戻してやれる術がある」

 こんな残酷な選択肢を、彼女に示さなければならない現状の歯がゆさを噛み締めながら、那由他は呻くように呟いた。

 「まだ、モノノケと化して間もない今なら間に合う。橘夏也の身体に宿る京の魂を除き、私の力の全てを注いでやれば、まだ、橘夏也は人間に戻ることが可能だ」


 モノノケとは、不確かなものだが、今ならまだ、橘夏也の肉体が存在している。既にモノノケと化した身体を確かなものへ昇華するには膨大な力を要するが、幸いそれに足るだけの力を、那由他は持っていた。

 

 「でも、力の全てって……。そしたら、那由他は……?」

 千恵の問いに、那由他は無言のまま苦い笑みで答える。

 「っ、そんな……! あっ、でも、血……! 血があれば、力になるでしょう? 私の血を吸えば……」

 「確かに、血を吸えば、力は戻る。――だが、私の存在を保つのに必要なだけの血を、今のお前から奪えば、私はお前を殺してしまう事になる」


 つまり。夏也を救うためには那由他が――消える。那由他の存在を保つには、千恵の命が潰えるほどの量の血が必要で。千恵と那由他が無事でいるためには、夏也を見捨てなければならなくて。夏也を見捨てたくないなら、那由他を犠牲にしなければならなくて……。


 「そんな……、それくらいなら、私……、私は、那由他の巫女なんだから、血なんかいくらだってあげるのに……!」

 思わず叫んだ千恵に、那由他も怒鳴り返す。

 「――っ、できるわけがないだろう、お前を、お前の血を吸い尽くして殺すなど、私にできるはずがないだろう! 数千の時を生きて、ようやく見つけた伴侶を、自らの牙で弑すだと、ふざけるなッ!」

 那由他は、更に強く千恵を抱きしめる。

 「……お前を殺して、またあの孤独な時を永遠に歩むなど、考えたくもない」

 「でもっ、それは私だって! せっかく、やっとまた会えたのに! また……それも今度は永遠にだなんて……そんなの……!」

 


 「――そういう訳ですから。……馬鹿息子の失態の代償をあの方々に払っていただくわけにはいきません。自らの過ちは、自らで贖うのが当たり前なんですから」

 夏也の父が、本気の殺意を息子の姿をした京に向け、十字架を突きつける。


 「――っ、だめ……」

 千恵は、小さく呻いた。


 でも、そうなのだ。残酷な現実は、待ってはくれない。どうしても、その非情な三択のどれかを選ばなければならないのだ。

 夏也か、那由他か、千恵か。

 誰かの犠牲を伴わなければ、この場は収まらないのだ。


 (――本当、に……? 本当に、もう他に方法はないの……!?)


 いや、他にもあるはず。絶対に、他にも方法はあるはずなのだ。千恵は、息の詰まりそうな空気の中、死に物狂いで頭の中を隅から隅までさらう。

 (あ……、そうだ……。それなら……)


 「ねえ、那由他……。今、私がただの人間だから、那由他に必要なだけの血をあげられないんだよね? ……でも、今、私が那由他の花嫁になれば」

 身体の基盤は人間のまま。……けれど、モノノケの仔を宿し、歳をとらなくなった身体は、純粋な人間とも違う。

 ――当たり前の人間より、遥かに頑丈な身体になる。

 「今、ここで契約をすれば――」


 いいことを思いついた、と喜色の笑みを浮かべようとする千恵の頬に、那由他が泣きそうな笑みを浮かべながら触れる。

 「……今、ここで伴侶の契約を結ぶと? ――ああ、そういえばまだ、その方法をお前に教えてはいなかったな」

 那由他は苦笑を浮かべながら、頬に触れていた手を下ろし、その手でそろりと千恵の脚を撫でた。

 「――へ?」

 「……伴侶の契約だ。――つまりはそういう事なんだが。本当に、今ここでするのか?」


 那由他の台詞に、千恵は事情を察した。――ああ、それはチエにはそうおいそれと話せはしなかっただろう。と、どこか他人事のように考え――

 「えええ!?」

 次の瞬間、千恵は自分の顔面に全身の体温が集まったような熱を感じた。

 「――っ、うっ、えっ、と、それ……、は……」


 どうしようもなく、恥ずかしい。絶対に今、顔はゆでダコみたいに真っ赤になっているはず。


 ――でも。

 それを選ばなければ、待っているのはあの三択なのだ。

 究極の、四択。

 千恵は、那由他の腕の中で顔を俯け歯を食いしばり、両手を強く握り締め、瞑目する。

 覚悟を決め、目を開け、顔を上げる。片手をあげ、人差し指を立ててあらぬ方を指し示し、千恵は叫んだ。


 「ちょっと、皆、向こうを向いてて!」 


 千恵の唐突な叫びに、その願いと裏腹に、皆の視線がこちらへ集まる。


 「――あのさあ、君、馬鹿なの?」

 夏也の顔で、京が呆れた表情を浮かべる。

 「君が那由他のものになるのを、どうして僕が黙って見ていると思うわけ?」

 嘲るように言い、京が地面を蹴った。


 「僕は、君をイヴにしたくて動いているんだ。当然、邪魔するに決まってるでしょ!?」

 夏也には、決して不可能なはずの動き。

 あの日、あの倉庫街で見た、那由他と京の争いの記憶のままの動きで、京が迫る。

 那由他は即座に千恵をかばい、応戦する。


 「……まあ、だろうな。私とて、こんな情緒の欠片もない状況で無粋な真似はしたくない。……ならば、皆の記憶ごとお前と心中してやろう」

 那由他は、既に覚悟を決めた、すっきりした表情で京と対峙する。


 「――嫌! 那由他、ダメ……!」


 ああ、どうして、どうして。こんな事のために、チエは命を懸けたんじゃない。

 ただ、那由他と過ごすささやかな幸せを求めただけなのに。


 (――どうして!)


 空が、急に曇りだし、辺りが一気に暗くなる。ゴロゴロと、嫌な音が聞こえる。

 まるで、今の千恵の心の中の状況を描き出すかのように――。


 ポツポツと、雨粒が落ちてくる。

 ついさっきまでは確かに晴れていたはずなのに。雨雲の気配などこれっぽっちもなかったのに。



 ――突如。

 ゴロゴロ、ビシャンと。

 空気をつんざき、鼓膜が破れそうな豪音と共に、教会の庭に、稲妻が突き立った。 

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