第肆拾弐話 confession
玄関を開けた千恵は、そこに立っていたのがあまりに意外な人物だったことに驚き、目を見張った。
「……おじさん?」
夏也の父で、この街の警察の刑事部長様である彼が、玄関先で深々と頭を下げた。
「え……、ちょっ、何してるんですか!?」
本来、学校にいなければいけない時分に自宅に居ることを咎められるならともかく、突然そんな風にされる心当たりのない千恵は戸惑いの声を上げた。
「実は、先程父から連絡を受けまして。――夏也が、ある場所の鍵を無断で持ちだしたと」
「師範が……? あ! でも、夏也の行く先に心当たりがあるんですね? 今日、夏也ってば学校に来てなくて……!」
もしかして、風花同様京の手に堕ちているのではないかと心配していたのだが……
「良かった、なら……」
ほっと胸に手を当てた千恵に対し、しかし夏也の父は首を横に振った。
「夏也の行く先には確かに心当たりがあります。ほぼ確実に、あの場所に居るでしょう。あの、鐘の音が響く教会に」
「え……?」
「夏也が持ち出した鍵というのが、我が血筋に代々伝わる、災いの祓魔師の遺品の類を押し込めた隠し部屋を開くためのものなんです」
――災いの、祓魔師。かつて、那由他の守護を失い、力を求めたモノノケたちが、糧を求めて街へ大挙した。
那由他から預かった力と、あの日から集め続けた新たな力とで、災いはチエがなんとか収めはしたが……犠牲は、決して少なくはなかった。
あの日、自らの行いを正しいと信じ那由他を封じた祓魔師は、村の者からひどく恨まれるようになり、“災いの祓魔師”と蔑まれた、の、だが。
あれからもう、百年近くの時が経っている。そんな、怪談じみた事件の話など、もはやとうに忘れ去られたと、そう思っていたのに。
「何故、そんな話をおじさんが知って……。え、代々伝わる鍵……? それが、あの人の遺品を収めた部屋の鍵……?」
「――千恵様。……かつて、この地を守護してくださっていた土地神様に捧げられた、最後の巫女姫様。我らは、あの祓魔師の血を受け継ぐ子孫なのです」
夏也の父の告白に息を呑む千恵の後ろで、隠れていた迅がのそりと顔を出した。
「ふうん。アンタがあのいけ好かねぇ野郎の子孫、ねえ。んで、あのガキがアイツの残した遺品を押し込んだ部屋の鍵を持って消えたってことはつまり、主を祓う術の類を求めての事なんだよなあ?」
グルグルと、牙を剥いて唸る。
――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……
未だに鳴り続ける鐘の音。
ついさっき別れたばかりの那由他は、まさにそこへ向かったはずで。夏也も、その場にいるはずで。
「――表に、車を止めてあります。父が、既に向かっているはずですが……」
「チエ様は、俺が運ぶ。……俺たちモノノケは、人間を信用しない。――祓い屋ならなおさらだ。特に俺はこのとおり、元は獣の九十九神だ。人間を信用するとどれだけ痛い目にあうか、身をもって知っている。俺たちが、唯一信用し、力を預けてもいいと思える人間はチエ様だけだ。主のためにも、チエ様の御身は俺が守る」
「……信用頂けないのは承知の上ですが、しかし今は街がざわついています。……見れば彼女の状態も芳しくない様子。今、僅かでも力を使うのは控えるべきではありませんか?」
千恵は、真っ白になりそうな頭を必死に引きとどめ、そっと迅の頭に手を置いた。
「……迅、大丈夫だよ。この人は、私のお隣さんで、小っちゃい頃からずっとお世話になってきた人だから。だから、今は送ってもらおう」
嫌な予感が湧き上がってくる恐怖を、迅を抱きしめることでなんとか抑えながら、千恵はパトカーに乗り込んだ。
サイレンが唸りをあげ、赤信号をも無視して目的地へとひた走る。
(夏也……)
額を、地面にこすりつける勢いで土下座をした老人から聞かされた事実に、那由他は目を見張った。
「お前が、……橘夏也が、あの祓魔師の子孫――!?」
「……だけでは、ございませぬ。チエ様を、貴方様のみもとへ送り出した時分には、既に分家の分家として、村の治安を請け負うお役目を代々頂いておりましたが、遡れば代々巫女を選定する任を負った村長の血をも受け継ぐ身にございます」
橘柑吉。夏也の祖父である彼は顔を伏せたまま、那由他に告白する。
「世間ではすっかり忘れ去られた事実も、我が家では代々語り継がれ、あなた様のことも、あの日の事も、それによって引き起こされた災いの数々も、全て存じ上げております。……もちろん、そこの我が不肖の孫も」
「……では、先日道場を訪れた際に、お前は私の正体に気づいていた、と?」
「――恐れながら。愛羽の家との付き合いは長く、あの子にいとこなど居ないことは存じておりましたから。……もしや、と、夏也に詳しく事情を尋ねまして、確信いたしました」
「しかし、その孫を見捨てろ、とはどういう事だ?」
「我らは、災いの祓魔師の子孫。――あの日の過ちを、二度と繰り返さぬよう、我らは代々その話を語り継いで参りましたのに。まさか、自ら再び過ちを犯し、那由他様にご迷惑をおかけするなど……。決して、あってはならない事。この度の失態は、私の監督不行届によるもの。ですから、構いません。どうか、あれのことは構わず、お見捨てください」
「――だが。それを、千恵は決して望むまい」
那由他は目を伏せ、暗い笑みを浮かべた。
「友を、――大事なものを簡単に切り捨ててしまえるような、彼女がそんな娘であったなら、私も、他のモノノケたちも彼女に惹かれなどしなかっただろう」
両手の拳を固く握り締める。
「顔を、上げろ。……あの日のことで、私はあの祓魔師を特に恨んだことはない。あれは、それが仕事だったのだから。融通のきかない男ではあったがな、……諸悪の根源は、他に居る」
那由他は、夏也の顔をした京を睨みつけた。
「お喋りは、済んだの? お涙頂戴ってな話、僕は好きじゃないんだけど。それにしても、そこまで因縁の血だったとはねえ、――面白い」
京は、自分の――夏也の手のひらを興味深げに眺めながら笑った。
「この身体で、お前の力を喰らってやったら……最高に面白い事になるじゃないか?」
「……そんな事には、決してさせませぬ!」
地面に伏していた老人が、不意に立ち上がり、懐から何かを取り出し、掲げた。
那由他は、それに見覚えがあった。
銀の、十字。あの日、那由他を封じた力を召喚するのに使われたそれ――。
「おい、やめろ!」
那由他が慌てて老人からそれを奪い取ろうとする。その後ろから、今一番聞きたくなかった声が割り込んだ。
「師範、ダメです! やめてください!」