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第参拾壱話 Raven's

 将を射るならまずは馬から、というのは謀略戦術の基本である。いかに周りを上手く動かし、相手を追い詰めていくか……。

 風花にしろ、夏也にしろ、先日の少女たちのようにそう簡単には引っかかってはくれないようだ。

 夏也など、ただの単純馬鹿にしか見えないのに。

 (まあいいさ。とりあえず、種は撒いた。……まあ、芽吹くまでにはまだかかりそうだけど)

 不安の種と、それを根付かせる土壌は用意したし、肥料も存分に撒いてきた。

 所詮、彼も人間だ。そう遠くない未来、いずれは心の折れる時がくる。その時こそ、彼女をこの手に収めて勝利のワインを存分に楽しむ時だ。

 (――その為にも。せっかく芽吹いたものを枯らしてしまわないよう、こまめな水やりは怠らないようにしないとね……)

 

 「ねえ、本当にいいの?」

 「ああ、もちろん。……って言っても、気のきかない野郎ばっかだから、うっかり君に失礼なこと言って怒らせてしまわないか内心ヒヤヒヤしてる真っ最中なんだけど」

 少しくぐもった低い爆音が轟く、二人並んで歩けないほど狭く薄暗い通路を先に立って案内しながら、京は肩をすくめてみせた。

 「あはっ、大丈夫だよ。しつれー千万なセリフは、夏也で慣れてるから。何より今、レイブンズの楽屋に入れて貰えるって聞いて機嫌も気分も最高だから、滅多なことじゃ腹なんか立たないって」

 楽屋といっても、そこは町の小さなライヴハウス。殆ど物置小屋同然の狭い部屋に、申し訳程度の内装が施されただけの粗末なものだが、風花の目当ては部屋でも、既に部屋にいるはずのメンバーたちでもなく、目の前の彼だ。

 ライヴ前の、貴重な一時。ステージ衣装で着飾った彼を間近に見ながら彼と会話を交わす。何とも甘美で贅沢な時間ではないか。

 実際、今彼はもうステージ衣装に着替えている。だが、通路には暖房が効いておらず寒いため、分厚いジャンパーを上に羽織っているのだ。

 何しろ、レイブンズの衣装は露出の率が高い。特にヴォーカルを務める京はそれがより顕著なのである。

 無駄なぜい肉のない、しかしガリガリで骨ばかりのモヤシみたいなのでもない、美しく引き締まった筋肉の流れはまるでヨーロッパの美術彫刻のようで……。

 「さあ、どうぞ。ようこそ、我がレイブンズの楽屋へ」

 京が、執事よろしく丁寧に頭を下げながら、扉を開けてくれる。

 「うふ、お邪魔しまーす」

 中には既に、他のメンバーが全員揃っていた。

 ドラムの駿しゅん、ベースのりょう、ギターのそう、キーボードのれい。そしてヴォーカルの京。

 「おー、女の子だ!」

 ギターの弦の調整をしていた蒼が顔を上げ、タオル地のヘアバンドで後ろへ流した髪を手で梳きながら声を上げた。

 「ふぅん、京の彼女?」

 棒付きキャンディを咥えたままスコア譜を眺めていた玲があまり興味なさそうな様子で訪ねた。

 「うっは、てことは現役女子高生か! おおー、これが現役女子校生!」

 逆にうるさいくらいに興奮した声を上げたのは駿だった。

 「うるさいよ、オッサン。つーかあんただって、ほんの2、3年前までは高校生だったんだから、毎日見てたんじゃないの、現役女子校生を」

 それをベースの涼が冷たくあしらった。

 「へん、俺は男子校出身だぜ。周りはムサイ野郎どもばっか、生の現役女子校生なんて高嶺の花だったんだ!」

 「そうそう。それでも電車かバス通いならまだ行き帰りに他校の女の子見かけるくらいはできるんだけど、コイツの家ってのがガッコーから歩いて5分って、ある意味最高の、ある意味悲しい立地にあってさ」

 蒼が苦笑しながら駿の言葉を補足する。

 「学校は当然野郎だらけ、通学時の楽しみもナシ、しかも放課後は家がクラスメートや部活仲間のたまり場になる。ああ悲しいかな、朝から晩まで野郎まみれの毎日! ……泣けるだろ?」

 「成程、その結果がこの暑苦しいばかりのオッサン化現象、って訳ですか?  確かに泣けますね、別の意味で」

 だが、それをも冷たく切って捨てる涼に、玲が苦笑を浮かべた。

 「こらこら、涼。お客さんの前だよ? その位にしておきなさい。駿も。若いお嬢さんを前に興奮したくなる気持ちは分からなくもないですが、あんまり過ぎると引かれてしまいますよ? 何より彼女は京の彼女さんなんですから、あんまりがっつくと京に噛み付かれちゃいますよ?」

 にこにこと、邪気のない笑みを浮かべながら穏やかにメンバーを諭す。

 「――っ!」

 ……なのに、どうしてだろう。一瞬、暖房が効いているはずの楽屋の気温が一気に氷点下まで下がったような気がした。同時にメンバーの表情が強張り、青ざめる。

 京は肩をすくめながら上着を脱ぐ。

 「まあ、そうだね。あんまり彼女に失礼な事を言うようなら何かお仕置きを考えなくっちゃね」

 かちっとしたつくりの白いズボンに、同じデザインの上着が一枚。上着、というより襟と前開きのボタンのついたシャツという方が正しそうなそれは、当然のようにボタンは全開。首筋から鎖骨、胸板から鍛えられた腹筋まで惜しげもなく晒されている。まだ若い肌は引き締まり、ムダ毛の類も見当たらない。

 袖なしのシャツからのぞく肩から肘までの二の腕のラインも綺麗に引き締まり、肘から手首までも太すぎず、細すぎず、絶妙なラインを描いている。

 手首を飾るシルバーの細いリングが幾重にも重なったブレスや、まるで首輪のようなデザインの黒いチョーカー、胸元に下がるシルバーのプレートをトップに飾ったペンダントも、全てが“それ”の引き立て役に収まっている。

 「でも、今の会話を聞く限りは駿の残念な過去が晒されて、駿が恥をかいただけのような気がするんだけど?」

 京は手近なパイプ椅子に腰を下ろし、隣の椅子を仕草で風花に勧めながら、雑談に加わる。

 進められるまま風花が京の隣に座ると、京は足を組み、片腕を風花の椅子の背もたれに乗せ、寛ぐ体勢をとった。

 殆ど半裸と言ってもいいような彼の体から伸びた腕が、すぐ後ろにある。最早ダダ漏れ状態の彼の色気に当てられて、うっかり鼻血など吹かないよう風花は気を引き締めなければならなかった。

 「それに、駿。レイブンズを作ったのはあんたじゃないか。僕が入る前からそこそこ人気のあるバンドだったんだ、今ほどではないにしろ、ステージに立てばそれなりに女の子のファンもいたんじゃないの?」

 そう、このレイブンズを作ったのは駿。当初の初期メンバーは駿と蒼と涼の三人で、当時はギターの蒼がヴォーカルも兼任していた。

 駿と蒼は同じ高校の同級生、蒼と涼は同じ中学の同窓生という縁で組まれたバンドに、駿が大学で知り合った玲を誘った。

 ――そして。

 「ああ、人気はあったよ。……主に野郎どもの支持がな」

 蒼が、どよんと沈んだ空気をまといながら、ふっと遠い目をしながらあらぬ方を見やった。

 「音楽には定評があったからな。俺らのサウンドは野郎どもからは絶大な支持を集めてた。……けどな、俺らがステージに立つたび上がる野太い野郎どもの歓声に怯んで、女の子はほっとんど寄ってこなかったんだよ」

 「……まあ、そうですね。自分たちの音楽を認めてもらえるのは喜ばしいことなんですが……正直あれはどうかと、僕でも思いましたからね……」

 と、涼が初めて駿と蒼の意見に同調した。

 「ですからあなたをスカウトしたんですよ、京。その現状を少しでも改善するために、ね」

 玲がにこやかに言った。

 「正直、それが本当に正解だったのかどうかは今でも悩むところだがな」

 少々恨みがましい目で京を睨みながら駿が言った。


 京がレイブンズに加わったのは2年ほど前のこと。

 くじで客の中から選ばれた一人が飛び入りでステージに立ち、レイブンズと一曲共演する、というライヴハウスのイベントで、選ばれたのがまさに京だったのだ。


 「……圧巻、でしたね。それまでの野太い歓声が、一気に黄色い声に圧倒され掻き消えてしまったんですから」

 「しかも、素人のはずが、蒼より歌は上手いし」

 「見目もいいから、俺ら、あの時はマジこいつに喰われちまってたしな」

 「けどさー、やっぱり女の子の歓声浴びるのって、すっげー気分良くってさあ」


 そういう訳で、京にスカウトの話がもちかけられた、という事らしい。


 「実際、京が入ってからはものすごい勢いで女性ファンが増えたんだけどさ」

 「……けど、結局女の子のお目当ては大半が京なんだよね」

 「ステージ上はともかく、裏の事情は結局あんまり変わってないっていうか?」

 「というか、アンチも増えたよね。主に女性人気に嫉妬するモテない男性諸君らあたりに」


 どうやらメンバーの胸中はなかなかに複雑であるらしい。

 実際、『京の彼女』であり、しかも身近に彼らの言う“アンチ”が居る風花は苦笑を浮かべるしかない。

 「――そういえば今日は彼も来てるの? 彼のお兄さんのバンドも今日は出演するはずだよね?」

 京も風花同様“彼”の顔をつい思い浮かべてしまったらしく、苦笑を浮かべながら尋ねる。

 「うーん、どうだろ。あいつ、今日は話しかけづらい雰囲気撒き散らしてたから、聞いてないんだよ。……まあ、原因は今朝のアレだろうけど」

 風花は今朝の“アレ”を思い出して嬉しそうに笑う。

 「うん。夏也には悪いけど、応援するなら断然若宮くんだよね。……本当に、あんな風に笑う千恵は久しぶりに見たもの。というか、男の子に頭撫でられて喜ぶ千恵なんて、正直私でも初めて見たんだもん。あれはもう、夏也に勝ち目はないだろうし」

 今朝、彼と仲良さそうに手を繋いで登校してきた千恵を見たときには本当に驚いた。

 「若宮くんも、千恵のこと凄く大事にしてるの、傍から見てても良く分かるの。彼ならきっと、千恵を幸せにしてくれる。……夏也はダメ。どんなにけしかけてみても、色々アドバイスしてあげても、阿呆な事しかしないんだもの。もう自業自得の域でしょ」

 「……まあ、見るからに落ち込んでたよね、彼。だとしたら、今日は来てないかもしれないね。――でも、こないだからちょっと気になってたんだけど。柊木さんって、彼女のこといつも気にかけてるよね? 幼馴染みの親友、ってのは知ってるけど、それ以上にさ」

 京は、組んでいた足を解き、風花の椅子に伸ばしていた手を膝の上で組んで上体を傾け、隣の風花の顔を下から覗き込むように見上げ、尋ねた。

 そう、まるで“おねだり”でもするような――。そんな彼の下から目線の破壊力は、凄まじい。

 「うぇっ?? あ、あ……、その……ね?」

 頭が真っ白になりそうなのを必死にこらえて、言葉を紡ぐ。

 「……ごめん、何か言いづらいことだったかな?」

 風花は首を左右に降った。

 「ううん、京には知ってもらいたい。……でも、ごめん、今ここではちょっと、障りが――」

 声を上ずらせながらも、何とか言葉を押し出す。


 「なあ、『千恵』ってもしかして橘道場の愛羽千恵か? あの男泣かせて有名な?」

 駿が複雑そうな顔で尋ねた。

 「ああ、このは彼女の幼馴染みで、高校でも同じクラスなんだ」

 「何、男泣かせって。モテるくせに並み居る告白者を次から次へ振りまくってるとかそういう?」

 「そうじゃねえよ、俺が昔からあそこの道場で柔道習ってるのは知ってるだろ? 彼女、あそこの常連なんだけどさ、俺、彼女に一度も勝てたことがないんだよ。俺だけじゃねえ、他の野郎どもも、柔道だけじゃねえ、他の格闘技でも並み居る強豪をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……。女に負けてプライドを傷つけられた男はもう泣くしかねえっていう……」 

 「ああ、知ってる。あの娘、よく駅前とかで大立ち回りしてるよな。確かついこないだもひったくりをとっ捕まえてた」

 「――あれ、でも愛羽って確か……あれは2年ほど前でしたかねえ、新聞に載ってませんでした? 確か……何かの事件の関係者だって」

 

 「……何者かに誘拐されて、殺されたんです。千恵の、弟が」

 風花は、グッと何かをこらえるように手を握り締め、俯きながら言った。

 「――犯人は、まだ捕まってません。手がかりも、殆どなくて。千恵のお父さんは単身赴任中だし、お母さんも息子さんを亡くしたショックで家に帰って来なくて。ずっとずっと一人で自分を責めて……。でも、それだったら私にだって責任があるのに!」

 叫ぶような風花の声に、メンバーがシンと静まり返る。

 「あの日……、私が千恵を引き止めさえしなければ……きっとあんな事にはならなかったのに……」

 泣き出す寸前のように声を詰まらせた風花の頭を、京がポンポンと軽く叩き、肩をすくめる。

 「ごめん。……無神経な事言って。ライヴ終わったら、お茶しに行こう。もちろん、お詫びも兼ねて僕が奢るよ。そこで、ゆっくり話を聞かせてくれる?」

 風花が、無言で頷く。

 「とりあえず、客席まで送るよ。――彼女が少し落ち着くまで僕もそっちに居る。時間までにはもどるから。……いいよね?」

 メンバーは、さすがに少し決まり悪そうに頷く。

 「……行こう」

 京は再びジャンパーを上に着込み、廊下へ出た。

 「ごめん、取り乱しちゃって」

 廊下を歩きながら風花が謝る。

 「いや、いいよ。悪かったのはこっちだし。……ごめん」

 「ううん、京のせいでもないし。気にしてないよ。……ちょっとね、まだあの件では私も色々心の整理がついてなくて。つい、感情的になりがちなんだ、あの話題になると……」

 「うん。……僕でよければ話を聞かせて欲しい。――話すことで、楽になることもあるかも知れないし。本当は今すぐにでも、って言ってあげたいんだけど、ごめんね、ライヴをすっぽかす訳にはいかないんだ」

 風花は慌てて首を振る。

 「いいよいいよ、当然だよ、私だってライヴを楽しみにしてる一人だもん。京のステージ見ればテンションも上がるし、大丈夫、心配しないで」

 「ふふ、それは光栄だな。なら、今日のアンコール曲は君のリクエストに応えよう。――何がいい?」

 「えっ、いいの? ……そうだなあ、じゃあ――ブラッディ・ローズが聴きたい!」

 「了解。後でメンバーにも話を通しておくよ」

 京が裏と表を仕切る扉を開けると、それまでくぐもって聞こえていた爆音が一気にクリアになり、音量も跳ね上がる。

 「おや、ちょうど君の幼馴染みがご執心の彼女の出番みたいだね?」

 言われてステージを見上げると、確かにそこに立って歌っているのは“香奈”だった。

 先日のハロウィンパーティーと違って、通常営業の今日は全部で4組のバンドが出演することになってる。

 一つはもちろん、レイブンズ。もう一つは悠のバンド。そしてこの香奈のバンドと、あともう一つ。

 香奈のバンドは本日2組目。次が悠たちの出番、そしてレイブンズは本日のトリを任されている。

 彼女たちのバンドは既に最後の一曲を歌っている最中であるらしい。

 悠たちがステージに上がれば、レイブンズも楽屋から移動して、裏で待機しなければならない。

 「京、私はもう大丈夫だから。また、後で迎えに来て」

 それを知っている風花は彼に言った。

 「分かった。ステージ、思いっきり楽しんでよね」

 京は綺麗な顔に優しい微笑みを浮かべ、風花の肩を叩いた。ひらひらと手を振り、今出てきた扉から来た道を戻っていく。

 ――あれから未だに、『ドッキリ』の看板は現れないままだ。

 (……本当の本当に、京が私の彼氏なんだ)

 心が高揚感でいっぱいになる。

 「千恵が、若宮くんと幸せになってくれたら……私も、京と……」

 幸せになりたい、と思う。


 あの日の事を思い返しながら、風花は思う。


 「もう、あの日の後悔で自分を責め続けるのも疲れちゃった……。もう、いいよね?」

 もう、幸せになっても……いいよね?


 風花は、きゅっと手を握り、目を閉じた。

 

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