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第参拾話 Temptation of the vampire

 「まじかよ……、血を吸うモノノケ? ――つまり吸血鬼ってことか? おいおい、漫画や小説の話じゃないんだぞ?」

 予鈴のチャイムが高らかに鳴り響く中、夏也は屋上の特等席に横たわり、空を見上げた。

 「若宮が……百世も人間じゃない? しかも若宮の奴が裏山の廃神社で祀られてた土地神? ……信じられるか、クソッ!」

 横たわったまま悪態をついて舌打ちをし、コンクリの床を素手で殴りつける。

 

 「ああ、やっぱり? ……これだから低脳な猿を真面目に相手にするのは嫌なんだ。まあ、その分掌の上で転がすのは楽だから、嫌いではないけど」

 すぐ下の、本来の屋上スペースから声がした。

 「……百世、お前授業は?」

 「やだなあ、思いっきりサボる気満々の君に言われたくないね」

 夏也は横たえていた体を起こし、その場にあぐらをかいて座り直して京を見下ろした。

 「ふん、じゃあ言い方を変えてやる。――何をしに来た? 単に授業をサボりたくて来たわけじゃないんだろう?」

 「へえ、さすがにその程度は分かるんだ?」

 明らかに馬鹿にした京のセリフに、夏也は顔を引きつらせた。

 「ほんの数分前の事だぞ、お前らが訳の分からない事をさんざんほざきやがったのは。ただでさえ、今朝は千恵のことでむしゃくしゃしてたんだ。少し一人で頭を冷やそうとした、そんなところへのこのこ来れば、そりゃあ俺に何か用があると思うだろ」

 「まあ、そうだね。確かに僕は君に用事があってここへ来た」

 京は、一歩、二歩と優雅にこちらへ向かって歩を進める。三歩、四歩。あと少しでここへ登るためのはしごに手が届くだろう。


 「君に、一つ提案があるんだ」

 しかし京は、はしごに手を伸ばすことなく、一度、少し強く床を蹴りつけ、跳んだ。――軽い、跳躍。本当にささやかな、その場でただ小さく飛び跳ねただけ。

 少なくとも、夏也の目にはそう見えた。

 「ねえ、橘夏也。……僕と、契約を交わさない?」

 だが、次の瞬間、すぐ耳元でそのセリフは囁かれた。

 軽い跳躍。ただ一度のそれで、京は自らの身長を遥かに越す高さと、その縁から少なくなくあったはずの距離を詰め、京は夏也の背後を取ったのだ。

 ――それは、明らかに人間業ではなかった。

 夏也は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。

 「いやぁ、お手本みたいな良い反応してくれて嬉しいよ。これで少なくとも、僕が人間じゃないって事は分かってくれたよね? ――じゃあ、次は……」

 京は、男にしてはやけに華奢な指で、夏也の首筋をなぞりながら爪を立て、皮膚を裂く。

 小さく開いた切り傷から血が滴り落ちるのを、舌で舐めとる。

 が、直後、彼は顔をしかめた。

 「うげ、不味っ。男の血なんて元から美味いもんじゃないけど、これはまた格別の不味さだ……」

 ペッぺと舐めた血を吐き出しながら悪態をつく。

 「全く、いったい何をどうしたらこんなにも破壊的な味になるんだ? ――長距離航路の筋肉達磨の船員達の方がまだマシな味の血をしていたぞ? ……あれも脂ぎって酷い味だったが、これは出来が悪いなんてもんじゃない、これはもう葡萄の実と間違って葡萄の蔓や葉を熟成させたんじゃないかってレベルの味だ」

 勝手に舐めたくせに、散々な酷評を述べる京に夏也はこめかみを引きつらせた。

 「まあ、いいさ。別に君の血が目的って訳じゃないんだし、ね」

 京の言葉に、那由他のセリフが夏也の脳裏で響く。

 

 『今も尚、千恵の血を求め欲している』

 

 「――目的は、千恵か?」

 「おや。さっきから随分と察しがいいね。そう、その通り。彼女が持つ血は、君のクソ不味い血とは対極にある、超極上の最高級ヴィンテージワインに勝るとも劣らない絶品なんだよ。僕は、それが欲しくてね、今から百年前、前世の彼女を那由他から奪おうとしたんだけど、失敗しちゃってね。それからずっと、彼女が現世に転生してくるのを今か今かと百年待ち続けたんだよ。僕は、今度こそ奴から彼女を奪いたい。それには那由他が邪魔なんだ。――君だって、そうだろ? ぽっと出の奴に、彼女を奪われたくはないだろう?」

 京が、耳元で甘く囁く。

 本来なら、野郎なんかに耳元で囁かれたって、暑苦しいか、気持ち悪いとしか思わないだろう。

 なのに、彼の声に反応するように背筋がゾクゾクして、肌には鳥肌が立つ。

 「僕は君に、那由他を退ける力を与えることができる。その力で君は彼女を取り戻すといい。……僕が欲しいのは彼女の血だ。それ以外に興味はないし、彼女から血を貰うときだけ貸してもらえれば、他は君の好きなようにするといい。――僕は、人の精神を操る術も持っている。望むなら、彼女の心を君の物にしてやろう」

 甘く、甘く。京は毒を含んだ言の葉を、夏也の耳に吹き込んでいく。

 「本当は、もう気づいているんだろう? 当たり前の方法で、彼女が君に振り向くことはない。……前世で彼女は、死にかけの那由他を救うための代償として、その命を差し出した。この世に再び転生して後、彼女がひたすら待ち続けていたのは、奴の復活だ。――そしてあの日、皮肉にもハロウィンの、彼女の誕生日だったあの日、それは成し遂げられた」

 甘い誘惑の言葉と、夏也の弱みを突く刺を含んだ言葉を、交互に織り交ぜて紡ぐ、毒。

 「しかも、ついこの間まではまるっと忘れていたはずの過去の記憶も無事取り戻したようだ。……今朝のアレは、つまりそういう事。命を懸けてでも救いたいと願った男と再会した彼女が、単なる幼馴染みでしかない君に、振り向いてくれるとは到底思えないんだよねえ、僕には」

 聞くまいと思いながらも、毒は夏也の意思に反し、ゆっくりと脳内を侵食していく。

 「何より、那由他だ。あいつは、命懸けで自分を救った彼女に心底惚れ抜いてる。それはさっきの一件でお前にも良く分かっただろう? なあ、橘夏也。おまえは奴が彼女に何をしようとしてるのか分かるか? ――まあ、知るわけないだろうから教えてやろう」

 京はクスクスと嘲笑混じりの嫌な笑い方をしながら、いかにも親切そうな声音で囁く。


 「あいつはね、自分でも言っていた通り、気の遠くなるほどの大昔からこの地に存在していた化け物だ。この土地の人間はね、奴に喰らわれることを恐れて、奴に生贄を捧げ渡した。奴を土地神に祀り上げ、巫女という名の生贄を捧げて願ったんだ。5年に一度、村の若い娘を糧として捧げる代わり、村へは降りてきてくれるな、と」

 巫女、という単語をことさら強調しながら、京が言う。

 「彼女はね、そうして奴にその血を奴の糧として捧げさせるための生け贄として差し出された、最後の一人だったんだよ」

 巫女は、生け贄。夏也の耳の奥にやけに重たく響き、頭にこびりついて離れない。

 「代々、幾人もの巫女が奴に捧げられたが、奴は彼女をことのほかお気に召したらしい。奴は、彼女を自らの伴侶にと望んだ」

 「そ、そういえばさっき確かにそんな風な事を言ってたけど、でもそれがなんだっていうんだ?」

 それは勿論気に食わないし、面白くもないけれど、世間一般から見たなら、結婚を前提にしたお付き合いというやつで、むしろ褒められるべきだろう。

 夏也の心の中の良心がそう囁く、が。

 「僕らモノノケには、老いによる死がない。病なんてのもないからね、よっぽど手酷い手傷を受けて弱らない限りは死なない。つまり、どういうことか分かる? 僕はこう見えて、この世に存在するようになって既に数百年は経ってる。奴は、那由他はもっと、それこそ数千年単位の時を存在してきている」

 那由他は、ひたすらに“永久に”と繰り返し続けた。

 「……そう。百年にも満たない僅かな時しか生きられない人間など、そのままではあっという間に死んでしまう。ペットとして飼うならいいけど、伴侶には到底なり得ない。――そのままでは、ね」

 「そのまま、では……?」

 夏也は、乾いてヒリついた喉から声を搾り出す。

 「永久の時を共にし、自らの仔を産ませるための伴侶を迎えるために。……奴は彼女の肉体の時を止め、化け物の仔を孕める身体にしてしまうつもりなんだよ」

 京がにやりと笑いながら言った。

 「ねえ、歳もとらない、化け物の仔を宿す女を、君は人間だと思えるかい?」

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