第弐拾玖話 declaration of war
ガコン、と音を立ててボールをゴールへ叩き込む。
(これでも、中学三年間はバスケ部だったんだ。……あー、くそっ、何で女子は外でマラソンなんだ!)
派手にダンクを決めながら、内心悪態をつく。
(せっかく俺の勇姿を千恵に見せてやれる貴重な機会だってのに)
バスケットボールのゴールネットからゆっくりボールが落ちてくるのを途中で受け止め、まるで奪うように手にしたボールを相手チームのメンバーへ乱暴に投げ渡した。
攻撃的に放たれたそのボールを、“彼”の前にいた相手チームのメンバーが思わず避け、代わりに夏也のチームメイトである“彼”がそれを易々と受け止めてみせた。
ーーが、この“チームメイト”、驚くことにバスケットボールのルールを一切知らないらしい。
中学の体育で基礎くらい教わったはずだろうに……。
“彼”はそれをどうすべきなのだろうかと首をかしげたそうにしながら手の中のボールを見下ろした。
「ああもう、それはお前にやったボールじゃねえ、相手のボールだ。加藤に回せ!」
“彼”の前で咄嗟にボールを避けてしまった相手チームのメンバーの一人が申し訳なさそうに“彼”からボールを受け取る。
「ああ、悪い。どうもボールに殺気がこもってた気がして……つい、な。全く、橘のやつ、何を朝からカリカリしてるんだ?」
怪訝そうなクラスメイトに“彼”は肩をすくめてみせた。
「……まあ、な。心当たりは無くもないが」
「そうだろうね。どう考えても彼の不機嫌の理由は君たちだろう?」
“彼”の背後から、もう一人のチームメイトがにやにやといやらしい笑みを浮かべながら言った。
「まさか、朝っぱらから手なんかつないで登校してくるなんてね?」
京は、相手チームのメンバーに向けてスローインされたボールを容易く奪い取り、そのボールを思い切り那由他に向けて放った。
「うへっ!」
その剛速球の軌道上にいた別のチームメイトが慌てて避ける。
「君たち、“いとこ同士”なんじゃなかったの?」
「まあ、な。先週まではな」
パスというよりまるでドッジボールの攻撃球のようなそれを、那由他は難なく受け取る。
「――だが」
それを、センターラインのはるか後ろから、ゴールへとボールを放った。
「悪いな、千恵はもう私のものだ。京、お前はもちろん、他の誰にも渡すつもりはない」
「はあ!? おいお前、何言って……っていうか、何やってるんだ! そんなとこからシュート打って入るわけが……」
京から殺人ボールを受け取るだけ受け取ってその場から動こうとしなかった那由他にボールをパスさせるつもりでいい位置につこうと駆けていた夏也が叫ぶ。
が、大きく頭の上を放物線を描いて飛んだボールは、リングにかすりもせず、ストレートにスパッと綺麗にゴールネットを上から下へと見事に通過していった。
「……入れやがった」
夏也が悔しさを隠そうともせず低く唸った。
「おい、お前。……ついこないだの晩だったよなあ、千恵と“そういう関係”になるつもりはないとか何とかぬかしてたの」
再び、相手チームのスローインでゲームが再開する。
「ああ、確かに言ったな。……だが」
相手チームのプレイヤーが、味方のプレイヤーにパスを送る、その軌道のすぐ近くにいた那由他が、ボールを奪う。
そのまま、見よう見まねでボールをつき、ドリブルしながらゴールを目指す。
「あの時と、少々事情が変わったんだ。――何よりこれは千恵が望んだことだ」
初心者だとは思えないほど、綺麗なフォームで見事なドリブルをしてみせる那由他だが、さすがに三連続で敵チームへの得点を譲るわけには行かないと、相手チームのディフェンスが立ちふさがる。
「――っ! おい、ボールよこせ!」
夏也が那由他の後ろで叫ぶ。
那由他は即座に応じて彼へボールを投げ渡した。
――が。
夏也へボールが渡る前に、その軌道上に割って入った人物がいた。
「って、おい百世! お前何やってんだよ!?」
叫ぶ夏也をまるっと無視して、京はそのままドリブルしながらゴールへ速攻をかける。
「あんたのどんな事情がどう変わったかなんて知らない、僕には知ったこっちゃない。彼女は、僕のものだよ、今度こそ……、ね」
京は相手チームの必死のディフェンスをものともせず、涼しい顔であっさりとランニングシュートを決めてみせた。
「お……、お前らなぁ、チームプレイって言葉、知ってるか? つーか、何さっきから勝手なこと言ってくれちゃってんの、お前ら」
「うん? 何のことかな?」
落ちてきたボールを拾い、相手チームに投げ渡しながら、京がわざとらしすぎる満面の笑みで夏也を振り返り、尋ねる。
「若宮といい、百世といい、二人とも千恵と会ってからまだ一週間だろ? それがいつの間にそういう話になってたわけ?」
再度のスローイン。相手チームがドリブルとパスを繋いで攻め上がってくるのに従い、ボールを追って走る。
「やだなぁ、橘クン。恋に時間なんか関係ないって言うだろ? それとも何、まさか先に彼女を好きになったのは俺だ、なんて言い出さないよね、そんな小学生か下手をすれば幼稚園児並みの台詞……」
「うぐっ、――だ、誰もそうは言ってねえだろ。そうじゃなくてだな、」
京の手痛い切り返しに、夏也は自分の体育館履きにつまづきながらも反論を試みる。
「あ、それとも。……まさか高校生に男女交際なんぞまだ早い、とか何とかほざく頭の錆びついた頑固ジジイみたいな事考えてるのかな、万年幼馴染みクンは」
が、それは更に手痛い攻撃となって返ってきた。
「ぐはっ、言うなっ! 万年幼馴染みって言うな! だいたいあいつが鈍いんだ、もう何年も必死にアピールしてるのに、ちっとも気づきやしねぇ!」
夏也が、ボールを持った相手プレイヤーの放ったシュートを、いらだち混じりにまるでバレーボールのアタックよろしく撃ち落とした。
勢いよく弾んだ球が、味方プレイヤーの顔のすぐ横すれすれを掠める。
「ひえっ」
「へえ? でもそれ、単に君がアピールの仕方を間違ってるだけなんじゃないの?」
思わず立ち竦む哀れな被害者の後ろで、京が高くバウンドしたボールを、軽々ジャンプして奪い取り、自らの手に収めた。
「柊木さんに聞いたよ? こないだのハロウィンパーティー、香奈が目当てで来たんだろう? 僕、彼女と割と仲良いんだけど……どう? 良ければ紹介してあげるよ。まあ、その代わり彼女は僕が貰うけど」
京は、ごく自然でなめらかな動作でトン、と身軽に着地しながら、同時にドリブルを始め、走り出す。
「はあ? ふざけるな。そりゃ香奈ちゃんは好きだけど、それとこれとは別だ! 俺が好きなのは千恵だ、香奈ちゃんに恋愛感情はねえ!」
夏也は、チームメイトであるはずの京からボールを奪い取ろうと追いすがる。
「ふうん? でも、その肝心の彼女はそうは思ってないようだったけど?」
「ぐっ。……ふん、だからどうした。物心ついてからこっち、あいつのことを一番近くで見てきたのは間違いなく俺なんだ。あいつのことを一番知ってるのだって……。だから、いつかは必ず振り向かせる。……ただ、今は秋刀のことも解決してねえ状態でそんなんで浮かれるのはどうかと思うから、あえて引いてるだけだ」
夏也はさかんにボールを奪おうと攻めるが、京は涼しい顔で難なくそれらを全て躱して受け流す。
「そう? でも、僕には相当浮かれて見えたけどね、今朝の様子を見るに」
「――京、貴様がそれを言うか? まあ、千恵へのアピール方法を間違っている件に関しては私も同意見だがな。……不本意ではあるが。彼女は聡い、――決して鈍くはないぞ」
那由他が、京の隣――夏也とは反対側のポジションにぴたりと張り付く。
「弟のことならば、千恵はすでにもうきちんと受け止め、前に進もうとしている。多くの後悔を抱えていることは確かだが、だからといってただ過去に囚われているだけでは意味がない事を、それを未来に活かし、生きていかねばならないことを、千恵は良く分かっている。――彼女がそういう人間であったからこそ、私は今こうしてここに居る……それを思い知ったからな。私は、彼女が望む未来を全力で守り、叶える」
那由他は、ボールを奪おうと躍起になっている夏也を尻目に、あっさり京からボールを奪取し、自らの手に収めた。
「そして千恵は、私と共に在る未来を願い、その覚悟をもってそれを望んだ。――ならば、私はそれを全力で守り、叶える。千恵は、――千恵と共に在る未来は私のもの、決して、ほかの誰にも渡しはしない」
「なるほどね、思い出したのか。……それが変わった“事情”てやつ? でも、それが何?」
京は奪われたボールを取り返そうと即座に手を伸ばす。
「この百年、世界は目まぐるしい変化を遂げた。これまでの時の流れとは比べ物にならない速度でだ。分かってる? もう、昔みたいにお山の大将を気取ってのんきに生きられる時代じゃない。もはや、あんたにかつての力はない。だが、僕はこの世界に上手く対応していく術を既に得ている。ずっと寝こけていた化石野郎に負ける気はしないね。たとえ“格”は劣っていても時代が僕の味方だ、今度こそ必ずあんたから彼女を奪ってみせる」
とても初心者とは思えないレベルの那由他のドリブルだが、やはり一日の長は京にあるようで、床へついて再び手に戻ってくるまでの僅かな間に鮮やかにボールを取り戻した。京は即座に那由他から遠い方の手にボールを持ち替え、ドリブルを開始――もう一方の腕で那由他をガードしながら走る。
「貴様の謀略を巡らす才能は認めるが、こちらとて過去のあやまちを繰り返すつもりはない。貴様が謀略を巡らす前に、今度こそ確実にその息の根を止めてやろう」
那由他は、走る速度を上げ、京の前に立って彼の進路を塞ぎ、彼の手からボールを弾いた。
跳ねたボールを追い、手を伸ばす。
「……それは、どうだろう? ――もう、遅い。既に手遅れじゃないかな?」
だが、京はにやりと笑い、それを阻んだ。
「ねえ、彼女がこの世に転生を果たして既に何年経ってると思う? そりゃあ見つけ出すのは苦労したけどさ、だからってそう何年もムダに費やすほど、僕が間抜けだと思ってる?」
「……テメエら、何の話ししてやがる? 千恵の話? さっきから聞いてりゃ訳の分かんない話ばっかしやがって」
こぼれた球を、漁夫の利で手に入れた夏也が噛み付いた。
「ああ、彼女を手に入れるための罠は大方張り終えてる。残すは最後の仕上げだけだよって話さ」
一転、ボールを持つ夏也を京と那由他が挟んで追う。
「……罠、だと? ――随分物騒なこと言うじゃねえか」
「そうだねえ、僕は彼女を手に入れるためなら何だってするよ。なにせもう待ちくたびれたんだ、百年もお預けを喰らってたんでね」
じっと機会をうかがう那由他に対し、京はボールを奪おうと執拗に攻めてくる。
「百年? ――だから、何の話だ。てめえ、俺らと同い年だろうが。それとも何か、実は人外級の童顔で、実年齢はギネス級の爺だとでも抜かすつもりか?」
京は、夏也のセリフを聞いてプッと吹き出した。
「あはは、面白いことを言うねえ、君。……僕は少なくとも爺じゃないよ、あっちはともかく、ね」
「ふん、私とて老人呼ばわりされるのは心外だな。確かに少々長生きが過ぎた感があるのは否めないが、我らに老いはない。たとえ名を奪われようと、私はこれから先の那由他の時に於いてこの地の土地神であり、地霊の主として在り続ける。――永久に、千恵とともに、な」
「……おい、お前ら。それはどういう冗談だ? エイプリルフールはまだ半年近く先だ、いい加減、訳の分かんねえ話で誤魔化すな。……若宮、お前、本当に千恵のいとこなのか? 百世も。……本当にあの日のライヴが初対面だったのか?」
夏也は、二人を抜こうと巧みなボールさばきをみせるが、それが功を奏する事はなく、依然ぴったりとマークされたまま。
「……ふむ。他の者らはともかくそなたを相手に偽るべきではないかもしれないな」
那由他は、生真面目に一人頷いた。
「そう? こんな毒にも薬にもならないような奴相手に話してみたって、損も得もなさそうなのに……クソ真面目だよねえ。お前だって僕と同じ血を糧に存在する化け物なんだ、本当は彼女の血を啜りたくてたまらないくせに、モノノケの本性を誤魔化して綺麗事で取り繕って……僕には理解不能だね。ホント、癇に障る」
京のセリフに、夏也の足が止まる。――かろうじて、ドリブルだけは続けていたが……
「確かに彼女の血は稀に見る希少なものだが、あいにくと私が本当に魅力的だと思っているのは彼女の魂、糧として喰らうのではなく永久の伴侶にと望んだ相手だ。確かなものを求め続けるのが性である我らモノノケにとって、それは何より優先される欲情だ。まだ年若いお前には分からないだろうがな、――永久の孤独の恐怖を知る、歳を重ねしものであるなら、誰しもが頷くだろう。それがどれほど希少で、得難い奇跡の存在であるか」
那由他のセリフに、夏也はドリブルのリズムを乱し、ボールを取り落とした。
「――は? お前らが……なんだって?」
それを、那由他が拾い、ゴールに向けて放った。
「私の名は、那由他。かねてより若宮と呼ばれて、土地の者に畏れられ、祀られ続けてこの地の土地神を務めてきた、地霊の主であり、生き血を糧に存在するモノノケ。そして千恵は、かつて私に捧げられた巫女の生まれ変わり。――彼女は、私が永久の伴侶と誓いを捧げた唯一の女性。そしてそこなものは、かつて彼女を私から奪うべく画策し、結果彼女を死に至らしめるきっかけを作った我が同族である。……そして今も尚、千恵の血を求め欲している」
ゴールを見もせず放られたボールは、にもかかわらずバックボードにもリングにも触れることなく真っ直ぐスパッと一直線にネットを潜り、落ちる。
――ちょうどそこで、試合終了のホイッスルが鳴らされた。授業終了のチャイムが、それに重なる。
「京、貴様に千恵は渡さぬ。――そして、橘夏也。悪いがお前にも千恵は譲れない。彼女は、私のものだ。――そう、永久に、な」