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第弐拾漆話 It was lost

 ――何かが、違う。

 まだ一年は経っていないが、それでも半年以上ほぼ毎日のように通っている道のりである。

 それでなくとも、生まれてから16年、過ごしてきた町だ。

 その16年の間にも、昔からあった建物が壊され、新しい建物が建ったり、駐車所になったりといった変化はあったけれど、基本的には見慣れた風景のはず。

 だが、違和感がある。


 学校へ向かう道すがら、彼の隣を歩きながら、千恵は珍しいものを見るように辺りを見回した。

 “あの日”――。村の春祭りで、那由他の巫女に選ばれ、山へ入る前まで、当たり前に過ごしてきた町並みを思わせるような風景は、ひと欠片も残ってはいない。

 大姉さまが奉公に上がった大店も、時代の波に呑まれてとうに無くなり、小姉さまが奉公に上がっていた港の小さな宿屋は、今や立派な老舗旅館となっている。

 何より。

 (……本当に、居なくなってる)

 那由他の巫女として、彼に“印”を貰うまでは、チエも知らなかった。

 しかし、那由他が封印されてしまい、泣く泣く降りた町で見た、人ならざるものたちの姿――那由他の巫女であったチエに彼らはみな一様に敬意を抱き、那由他を救う決意をして町を去る際には揃って見送りに来てくれた、その彼らの姿がさっぱり見当たらないのだ。


 『私が封じられ、加護を受けられなくなったものたちの大半は力を失くし、滅びの道を歩んだようだ』

 そう言った、那由他の寂しげな表情を思い出し、千恵は思わず顔を伏せ、唇を噛んだ。

 

 那由他自身を封印から救い出すことは出来た、けれど。

 千恵は思い出す。

 初めて、地霊の主として――土地神としての“お役目”を果たす彼の姿を拝んだ日のことを。

 柔らかな月の光を浴び、そうして立つ那由他の姿はとても綺麗で。

 そしてあの時の彼は確かに、この地の土地神であり、あの山に棲まう全てのものらの主として立っていた。

 しかし――。


 『今の私には、地霊の主の名も土地神の名も相応しくない。ただ、生き血を糧に存在しているだけのモノノケだ』

 

 土地神としての、地霊の主としての那由他を救うには、遅すぎたのだろうか。


 ――時代が、違う。

 最早この街に、五年に一度“巫女”を捧げ続けてきた因習の記憶など残ってはいない。

 チエが、彼の最後の巫女として、那由他の糧であり続ける事を承諾したとき。頭に思い描いていたのは、それまでの日々と同じように、山を駆け、鹿や猪を追い回し、その日の成果で那由他に食事を提供し、その他諸々身の回りのお世話をしつつあの小屋での毎日を過ごしていく――そんな未来図であった。

 だが。

 (……少なくとも、山で鹿狩りだの猪狩りだのってのは無理よね)

 改めて思い出すと、頭を抱えたくなる。

 今の自分だって、大の男を投げ飛ばすなど、普通の可愛らしい女の子とはかけ離れている自覚はある。

 (でも……、さすがに山で猪と出くわして、いの一番に“美味しそう”って。何を考えてたのかしら、あの頃の私……)

 確かに、兄たちについてさんざんやんちゃの限りを尽くしたが……。

 それは、悠兄や夏也にくっついて、千恵もさんざんやんちゃはしたけれど、あの頃と今ではやんちゃの規模と質が違いすぎた。


 学校の校舎の向こうに見える、かつての禁域の山――。

 あれだって、昔はあの山ひとつではなく、隣の隣り、そのもっと奥の方まで木々が茂り、その全てが彼の領域だったのに。

 

 あの山一つ残るだけで、周りの山々の木々は皆伐採され、今や所狭しと住宅が立ち並んでいる。

 最早、あの山で、あの山の恵みだけを頼りに暮らすことは不可能だろう。


 彼の隣に居られることは、今も変わらず嬉しいけれど……。

 千恵はふと隣を歩く那由他を見上げた。

 「――どうした?」

 あの幼い日、初めて出会った時とも、彼の巫女として再び出会えたあの時とも変わらない、綺麗な黒い瞳。

 かつて、常に畏怖をもって見上げていたその瞳。

 

 ……そう、かつて、だ。今だって、もちろん尊敬はしている。


 ――だけど。


 「うん。皆……、本当に居なくなっちゃったんだな……って」

 彼にとって根幹に関わる大事なものを失わせてしまったようで、たまらなく切ない思いに駆られる。

 

 那由他に対し、こうしてタメ口をきくなど、チエにとっては決してありえない行為であっただろう。

 チエにとって、那由他は――例え彼自身が何と言おうと――確かに敬うべき“神様”であったのだから。


 けれど、千恵にとっての那由他は、呆れるほど律儀で誠実なモノノケ様で……。

 尊敬はするけれど、一方で対等に向き合い、共に在りたいと願う相手だ。


 ――違う、のだ。

 時代だけではない。自分が、那由他に向ける思いが、今と昔で、違う。


 「やっぱり……寂しいね」

 あの頃、山で親しくしていたのは迅ばかりではない。

 「ないのかな……、もう一度、みんなを呼び戻す方法――」

 あの日、京とあの祓魔師によって奪われたものの大きさを、改めて思い知らされる。

 千恵は、縋るように那由他の手を取り、握り締めた。


 那由他は苦笑を浮かべ、そっと千恵の頭を撫でた。

 「まあ……毎日実に賑やかだったからな、あの頃は。――だが、お前にとってはともかく、やつらは本来、人間にとっては好ましからざる存在だ。私が地霊の主として抑えていたからこそ町は平穏無事であったが、そうでなくば、京より先に誰かしらが祓い屋を雇って山へ差し向けていただろう」

 そもそも、と那由他は続ける。

 「あの時代ですら、少しずつ我らモノノケは数を減らしていた。ここら一帯は、私の守護があったればこそ、あれだけの数のモノノケが存在していたんだ」

 その守護が絶えた以上、こうなることはある意味必然――時代の流れ、というやつなのだろう、と。


 「……それとも、お前は土地神の――地霊の主としての名を失くした私になど興味はないか?」

 寂しげな苦笑を浮かべる那由他に、千恵は慌てて首を振った。

 「そんなことはない、“私”が好きなのは、今の那由他だもん」

 そう、心の奥底に流れる感情の正体を知る前に自分で確認した気持ちは、今の那由他に対して抱いた気持ちだ。

 「……だけど、やっぱり寂しいとは思うよ。土地神や地霊の主じゃなくなっても、私にとって那由他は那由他。それは変わらないけど。昔の記憶を思い出した今だから分かる……。那由他にとって、土地神や地霊の主であることは、もう那由他の一部……例え名を失くしたとしても、那由他はこの町の土地神も地霊の主もやめられないよ。――少なくとも、迅や天羽すらも居なくなっちゃわない限りは、ね」

 それに……。

 「もう一度、見てみたい。昔の記憶の中でじゃなく、この私の目でもう一度……あの時の――土地神として、地霊の主としての勤めを果たしている時の、堂々とした那由他の姿を」

 

 彼の手から失われてしまったものを、再び取り戻せるのなら。

 (私、何だってするのに……)


 「――ならば、やってみるか?」

 「え?」

 「次の満月の晩。証分けの儀式をもう一度やってみるか?」


 那由他が言った。

 「無論、大多数のものらは既に消滅してしまっているだろうが、例えば先頃の天羽のように辛うじて存在を保つものが残っていないとも限らない。――証分けの儀式で、もう一度私の加護を与え、庇護下に置けば、いくらか復活するものが居るかもしれない」

 「……かもしれない?」

 「正直なところ、可能性はかなり低いだろうがな」

 それでも、と、那由他は言った。

 「千恵、お前が望むなら。一度、試してみるか?」


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