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第弍拾肆話 exorcist

 那由他は、地面に膝をついた。

 「……金の髪に蒼い瞳に白い肌。お前はこの土地の者ではないな。一体この山に――この私に、何用あって来た?」

 土地勘のない者が迷い込んだのだろうと……そう思って声をかけたら、懐から取り出した短剣ダガーでいきなり切りつけられた。

 不意を突かれ、皮一枚避け損ねた傷から流れる血が、着物を濡らす。

 「私は神に仕え、神に背く魔を狩る者」

 本当ならすぐにでも消えてなくなる程度の小さな傷からの出血が、いつまでたっても止まらない。

 刃先が、やけに白く鈍く輝くあれは……おそらく鉄ではなく銀。しかも柄の根元には装飾のように異国の見慣れぬ文字が彫り込まれている。

 その文字自体はは読めずとも、その意味は那由他の目にも明白だった。――あれは術式だ。

 「……なるほど、祓い屋か。――だがこの山に棲まうものらは人に害など為さぬ。ただ静かに暮らしているだけの場所へ土足で踏み入り、それらをしいして回るのがお前の用事だと言うならば、私はこの山を守護し、統べるものとして捨て置くわけにはいかぬ。――早々に、立ち去るがいい」

 少しずつ、だが時間を追うごとに確実に血と共に失われていく熱。なるべく早く止血を施し、新たに熱を補充する必要があった。

 那由他は立ち上がり、威嚇するように睨む。

 近頃やってくるようになった、この目の前の男と似たような風貌を持つ異国人らは、皆、この国の人間より背も高く、体格も良い。

 同じ立ち位置では、どうしても相手を見上げる格好になる。

 「害を為さぬ、だと? 神をかたり、罪なき村の娘らを喰いものにし続けた悪魔がよく言ったものだ」

 当然、逆にこちらを見下ろす格好で、その男は冷たく笑う。

 「今も一人罪なき少女が山の魔物たちの餌食として囚われの身になっている、それを救ってやってはくれぬかと頼られた。元より私は魔を狩るのが仕事だ、魔を統べ人を喰らう凶悪な魔物の駆除の依頼を、どうして断れようか」

 男は、胸元にさげた十字架を掲げた。

 那由他は片まゆを上げ、怪訝な目でそれを見上げる。仕草の意図が掴めなかったのだ。

 何かの神具であるらしいが、それ自体には何の脅威も感じられない。

 例えば霊刀の様な独特の存在感があるわけでもなく、神鏡の様に那由他の力を弾くわけでもなく、神璽しんじの勾玉の様な聖なる力を感じるわけでもない、ただの装飾品。

 だが、男は掲げた十字架に祈るように、聖句を唱え始めた。

 那由他はそれを訝しく思いながら聞く。異国語で語られる言葉の意味も分からないが、行為の意味も分からない。

 神呪の類かと一瞬身構えたが、それを唱える声音にはなんの霊力もこめられてはおらず、なんの効果も無い。

 ――男が那由他を揶揄して言ったセリフの方が余程も堪えた。

 自ら神と名乗ったこともなければ、生贄を要求したためしもないが、差し出されるままに巫女の血を糧とし続けたのは事実。

 契約こそ交わしていないが、受け取ったものがある以上は返さねばと、山のモノノケが村に害を為さぬよう制してきたつもりだったが。

 因習に倣い、唯々諾々と当たり前に巫女を差し出し続けた村人らの中、那由他を弑してチエを救い出すよう依頼した人物――彼女の家族だろうか。それとも彼女を想う他の誰かか。

 迅は――ああ言っていたが。やはりチエは、村へ戻ることを望まれている。その方がきっと幸せなのだ。

 (――それなら……)

 一瞬、そんな想いが那由他の脳裏をよぎった。

 (ならば、今ここで消えるのも、悪くはない……か)

 チエのいない永遠の時。それをこれまでと同じように過ごすなど、最早不可能だと那由他は自覚していた。

 だが、那由他はその考えを振り払うように頭を振った。

 那由他の守護があるからこそ、山のモノノケたちはここへ留まり、人里へ降りることをしないのだ。

 その守護が絶えれば、どうなるか――。

 間違いなく、モノノケらは新たな糧を求めて麓の村へ大挙するだろう。

 それでは、チエは――。

 一瞬、目の前が暗くなった。

 少しずつ、少しずつ、那由他の着物の湿りは確実に広がっている。

 (まずい、とにかく今はこれをどうにかしてしまわなければ)

 那由他は、男の記憶を奪おうと術を発動させる。

 「時の流れを歩んだ道程――その導を我が前に示し、差し出せ」

 静かに命じる那由他の声に応じるように、男の足元に魔法陣が展開され――同時に、男が掲げた十字架が淡く青白い燐光を帯びた。

 「!?」

 パシン、と弾けた音が静かな山の中に鋭く響き渡り、展開されていた魔方陣が破壊された。

 衝撃波のような強い閃光が瞬時に波紋を描くように広がり、魔法陣の円を越え、那由他の体をはじき飛ばした。

 全身を静電気が駆け抜けたようなビリっと痺れるような痛みが走る。

 地面に転げながらも即座に受身を取って起き上がり、その正体を知る。

 なんの変哲もない、ただの飾りと思っていた十字架に、奇妙な文様が浮かび上がってた。

 「それは――“印”」

 それを見て、那由他は先ほどの男が唱えた文言の意味を悟った。

 「召喚の呪文……。人外モノノケを狩るのに人外せいれいの力を用いるか。なるほど、毒を以て毒を制すとはよく言ったものだ」

 那由他は苦く笑う。

 モノノケと精霊。そう区別するのは人間だけだ。――確かに精霊と呼ばれるものはより自然に寄り添い、世の理に触れてはそれを操る能力に長け、高位のものになれば実際に神格を得るものも在るが、基本的にはモノノケと同じもの。那由他と同様、生粋の神とは別物の存在だ。

 しかし、男が持つその印はかなり高位の炎に属する精霊のものであるらしい。

 (――まずいな)

 力の源である血を、肉体ごと灰にしてしまう火による攻撃をまともに受けてしまえば、場合によっては本当に焼き消されてしまう可能性が多分にある。

 「お前たち卑しき魔物の力と天から遣わされし尊き天使様方のお力を同等に語るな」

 那由他の言葉は、男の矜持を必要以上に刺激するものであったらしい。

 男は再び異国語を呟き、術を放った。

 勿論、二度も同じ手を喰らうほど那由他も間抜けではない。木の枝から木の枝へと身軽に飛び移り、男の背後をとる。

 独特の法衣に身を包む男の身体のうち、一番狙いやすく加減のしやすい首の急所を狙い、素早く手刀を繰り出す。

 ――だが、魔物相手の狩りを生業と言った男は、それより早く懐から取り出した小瓶の中身を那由他にぶちまけた。

 びしゃっとひっかけられたのは――

 (……何だ、――水? !、熱っ、)

 塩を溶かした水だ。

 塩には、魔を退ける力がある。

 ――とはいえ本来はそう強い効果のあるものではない。

 事実、普段は普通に料理に混ぜ食してもなんら害にもならないし、むしろ塩なしでは他の生物同様困ったことになる。

 正確に言えば、塩はモノノケの力を吸ってしまうのだ。食し、取り込んでしまう分には問題はないのだが、外皮に被ってしまうと、塩を振った食材から余計な水分が抜けていくように、力も一緒に奪われてしまうから、低位のものは嫌って避けて通る。

 が、それで奪われる力など、普通は微々たるもの。力の弱いものならともかく、高位の力あるモノノケには大した効果などない。

 しかし、傷口に直接塩をかけたりなどすれば話は別だ。

 怯んだ隙に、男は三度呪文を唱え、炎蛇を召喚しけしかけた。

 咄嗟に屈んでそれを避けた那由他に短剣と同じ素材で造られた投擲とうてき用の小刀が迫る。

 片足で地面を蹴り、転げて避け、二投目、三投目と連続で飛来する飛び道具を身体を落ち葉のくずまみれにさせながら避け続ける。

 那由他の身体から落ちた血で、地面を埋める落ち葉が赤く染まる。

 四投目、五投目。

 男との間合いが開いた分、投擲の間隔が僅かに開く。

 「我が山の地を統べる龍精よ、我が血を糧に具現せよ」

 那由他の体が描いた血の筋がゴゴゴと低く唸りながらボコボコと周囲の土ごと盛り上がる。さながら、血の道筋どおりに土竜もぐらが地中を移動しているかのように。

 盛り上がった地面の尾が、跳ねる。那由他が転げた頭の部分が首をもたげ、ボロボロと土塊を落としながら細長いその身を起こす。

 土の体を持つそれは、血で赤く濡れた背の模様がたてがみのようで。――まさに、土の龍だ。

 襲い来る炎蛇に怯むことなく龍は真っ向から突っ込んでいく。

 土でできた身体は炎に焼かれる事で水分が飛び、より硬度を増す。

 ぐるりと長い体でとぐろを巻き、男の体を締め上げる。

 もう一度記憶を奪う術を展開させようと那由他は立ち上がり――何か、嫌な胸騒ぎを覚えた。

 ――呼ばれた。

 切羽詰った様子で那由他に助けを求めるチエの声が、耳ではなく心に直接、預けた印を介して伝わる。

 目の前の男と、背後とを見比べて。

 那由他は舌打ちした。

 (――この、気配は)

 無いはずの心臓を締め付けられた気がして。

 「まさか……」

 覚えのある、気配だった。目の前の男の事ばかりに夢中になって、気付くのが遅れた。

 ――まさか、まだ生きているなどとは微塵も思っていなかったから。

 しかも嫌に時機が良すぎる。

 祓い屋の相手に気を取られている隙に――その手法は……前にも。

 「――お前に魔物退治を依頼した……そいつは何者だ」

 那由他は、自分の血を無理矢理男の口に含ませ、男の記憶を漁る。

 『――ああ、神父様。貴方は祓魔師エクソシストとしても優秀な方だと聞き及んでおります。……どうか、私にそのお力を貸してはいただけませんか』

 息も絶えだえな弱々しい声音で縋る、白い――少年とも青年とも言えそうな年頃の……まだ記憶に新しいが二度と見たくなかった男の姿が見える。

 ――グワァン、ゴゥン、グワァン、ゴォゥン……

 彼の声に重なって聞こえるのは――最近村に新しく建った、高い鐘楼を持つ異国の聖堂の鐘の音だ。

 『あの、裏の山を……貴方はご存知ですか? ――神の教えを慎ましく守り暮らしていた私の故郷ではありえないほどの沢山の魔物が潜む山の事を』

 彼は地べたにへたりこみ、神父の袖に縋る。

 『そしてその魔物たちを統べ、生贄の少女を喰らう魔物の頭の存在を――』

 心底恐ろしいと言わんばかりに身を震わせ、指の爪で床を掻いた。

 『偶然、山へ迷い込んでしまった私に、少女は言いました。……助けて欲しいと。しかし私に魔物を退治る力などございません。私は山の魔物たちに脅かされて逃げ帰ってしまった臆病者。――神に懺悔せねばなりませんが……今は、それよりも。神父様、彼女を』

 肩を震わせ、涙を必死に堪える様はあまりに真に迫っていた。

 神父は彼の言葉に静かに頷き。

 『ええ。懺悔は戻り次第伺いましょう。――ここは寒い。奥の休憩室に暖炉があります。しばしそこで休んでおいでなさい』

 彼を安心させるように柔和なほほ笑みを浮かべた。

 『ああ、神父様。ありがとうございます』

 ホッとしたように顔を上げた男。――間違いない。ケイだ。  

 そうと確信を得た瞬間、那由他は男を振り捨てあらん限りの力で山を駆けた。

 目の前に、あの時の光景が蘇る。

 チエに触れるケイの手と、嫌がるチエと。

 目も眩みそうな怒りに血が沸き、未だ塞がらない傷から溢れる血の勢いが増す。――比喩ではなく、本気で目が眩む。

 (だが――今度こそ。今度は間違いなく息の根を止めてやる)


 ――しかし、チエのもとへ駆けつけた時にはもう、目当ての男の姿はなかった。

 チエは彼女らしくもなく震えて地面に座り込んだまま両手で自らの肩を強く抱きしめ、声もなく泣きじゃくっていた。

 「……チエ」

 声をかけると、びくりと明らかに背中が震えた。

 「な、なゆ……那由他、さま……」

 そろそろとこちらを振り返った彼女の目は、涙で赤く充血し、目蓋が腫れていた。きつく噛みすぎた唇からは血が滲んでいる。

 だが、明らかに傷ついた様子にも関わらず、那由他の姿を目にした途端ハッとした様子でこちらを見上げた。

 「那由他様……その、お怪我は――!」

 慌てて立ち上がり、血に染まった着衣の上から傷を探っていたチエの目がひそめられた。

 「傷――どうして、血が……」

 この程度の傷など普通はすぐに塞がり、消えてなくなる。そのくらいはチエももう当たり前に知っていることだったから。

 「……銀でできた刃物で付けられた傷だからだ。銀は治癒力を著しく低下させてしまう」

 つい、疲れたため息をついてしまった那由他の頬に、チエの手が触れた。

 「――村にできた教会にやって来た神父は、祓い屋を兼ねていたらしい。……済まない。この間私があれをうっかり狩り損ねたばかりにお前を危ない目に合わせてしまった。お前に、怪我はないか? ――それに、あいつは……」

 那由他が何気なく訪ねた言葉を聞いたチエは反射的に着ている着物の合せの胸元を慌てて隠すようにかき抱いた――が、緩んでいた右襟がするりと肩を滑り落ち、彼女の意図に反して那由他の目に素肌がさらされた。

 ――首筋から鎖骨、胸元までの肌に、転々と咲く蔓薔薇つるばらのような赤い花……。

 先日那由他が刻んだたったひとつだけの印をあざ笑うように刻まれた口づけの跡。

 その印に視線を釘付けにされ、目を見開き固まりながらもその瞳には明らかな怒気が閃く。

 チエは固く目をつぶり、身体を震わせる。

 「も、申し訳……ありません……。わ、私は那由他様の巫女なのに……こんな……」

 跡を必死に手で隠そうとしながら、必死に謝罪の言葉を並べる。

 だが、那由他の心を占める欲はもう収まりがつかなかった。

 跡を隠すチエの手を除け、目障りな印に吸い付き、新たな印を刻んでいく。

 ――これは自分のものだと、印の上に牙を立てる。

 こんなものは、ただの独占欲だ。『罪なき少女を喰いものに』神父の台詞が耳に木霊する。

 まさに。今の状況がそれだ。チエに罪などないことくらい勿論分かっているし、チエに対して怒りの感情を向けようとは思わないし思えない。だが、嫉妬の感情は醜く彼女を貪りたがり、自分のものだと主張したがる。

 いっそ嫌がって抵抗でもしてくれればもしかして楽になれるかもしれない。

 でも……やっぱりチエは大人しく那由他の牙を受け入れ、那由他の求めに応じて血を差し出し、恐れるどころか安心した顔で那由他に寄り添う。

 (――どうして)

 もう、何度思ったかしれない疑問が浮かぶ。

 (どうして私を恐れない。こんな風に血を貪られながら、どうしてそれをこんなに当たり前に受け入れられる――?)

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