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第弍拾参話 advise

 那由他は冷たく言い放つと同時に力の塊を無造作に投げつけた。

 凄まじい熱量を孕んだそれは、小屋の壁を瞬時に消失させ、裏手の木々をなぎ倒しながら空の彼方へ消えていく。

 後には、風穴の空いた壁面と、焦げた床板だけが残され。

 ――それで決着はついたものと安堵した那由他の身体をチエがきゅっと強く抱きしめ返す。

 肌に感じる彼女の体は、らしくなく小刻みに震えていた。

 まだ余熱の残る衝動と、強い嫉妬心に溢れた心から漏れ出す欲のまま強く胸の内に抱き寄せた彼女の体を抱きくるんで、その首筋の肌へ唇を寄せ、牙を立てることなく肌へ強く吸い付くように口づけを落とした。

 ケイによって乱された着物の合せから覗く胸元が視界に入り込むたび、心に溢れる感情が波立ち、ざわつく。

 だが、逆に頭の方は一気に冷めた。

 (――分かってはいたが。やはり私も所詮はあれと同じか)

 このまま、自分だけのものにしてしまいたいという欲に流されるままでいれば、きっとケイがしようとしていたのと大差ない行為を彼女に働いてしまう。……彼女を村へ帰すことなく――場合によっては人としての生すら奪ってまで縛り付けたい。

 そんな思いを理性は否定するが、欲に忠実なモノノケの本能は……間違いなくそれを是としている。

 ――モノノケ同士で仔は作れないくせに、なぜだか雌雄の別はある。実に厄介なことに、那由他は雄。モノノケとしての本能に加え、雄としての本能も、無責任に欲を煽る。

 くしゃん、と腕の中でチエがくしゃみをした。

 小刻みだった震えが、歯の音が合わないくらいまで酷くなっている。

 そういえば、小屋の壁に風穴を開けてしまったのだった。真冬の山の上で夜風にさらされればそれは寒かろう。

 くしゃん、くしゅん、とくしゃみを連発し、鼻をすする。

 迅の毛皮で包めば暖かくなるのでは、と考えて、はたと思い出す。

 「そうだ、迅は……」

 彼とてモノノケだ。あの程度の怪我で命の危機に陥るはずもないが、足を折られたと言っていた。

 ……まあそれも2、3日もあれば治ってしまうだろうが、さすがに自力で動けない彼を放置はできない。

 かなり出血もしていたようだから、体力の保持回復のための食事の世話くらいはしてやるべきだろう。

 やるべき仕事を頭に浮かべ、もたげる想いを隅へ追いやる。

 「ああ、主。やっと俺のこと思い出してくれたんすね」

 小屋の外へ出ると、先ほどと同じ体勢のまま、迅は昼間と同じ半眼の顔を那由他に向けた。

 腰にはチエの腕が巻き付いたままだ。那由他の背に縋ったまま後をついてくるチエと那由他とを見比べて、迅は深くため息をついた。

 「正直、朝まで放置も覚悟の上だったのに。……さすが主、まさに鉄壁の理性っすね。偉い坊さんだって主にゃ敵いませんよ、きっと」

 不満げな声で皮肉を投げた。

 「雄に生まれついたからには、強い雌と契って仔を成し優秀な子孫を増やしたいと思うのが当然。欲しいなら欲しいと言えばいいじゃないですか。全く、見ててイライラするんですよ、ホント、女々しいったら」

 ぶつぶつと愚痴を呟きながら、ぷいっとそっぽを向く。

 「――俺は、嫌ですよ」

 迅は、それまで愚痴こぼしていたのと声の調子を変えて言った。

 「俺は、嫌です。チエ様と鹿や猪を追って山を駆ける毎日を手放して、また引きこもりの巫女を遠巻きに眺めるばかりの毎日に戻るなんて絶対に嫌です。山の連中だって、ものを考えられる頭を持った奴は皆そう思ってます」

 その迅のセリフに同意するように、風がうなり、山がざわめいた。

 くしゅん、と風に当てられたチエがまたくしゃみをした。

 「……主、とりあえずチエ様を寝かせて差し上げたらどうです?」

 「ああ、そうしたいところだが……少々小屋の風通しを良くし過ぎてしまってな。お前の毛皮を借りたいのだが」

 迅が盛大にため息をついた。心なしか山までしおれたような……。

 「主、知ってます? 冷えた身体を温めるには人肌が一番なんだそうですよ? ――主が添い寝してやればいいじゃないですか」

 うんうんと頷く気配が四方から感じられる。

 「できるかッ」

 「……してたじゃないですか。チエ様が山へ来たばかりの時分にはそれこそ毎日のように」

 「あ、あれはチエがまだ子どもで……人恋しいと言うから……」

 「今もまだ、チエ様は子どもでしょう? ――少なくとも麓の村じゃ、チエ様くらいの娘はまだ大人とは言わないじゃないですか」

 「――だが」

 しどろもどろになりながら那由他が言うのを聞き、迅は牙を見せて唸った。

 「ああ、そうでしたね。主がチエ様と同じ布団で寝たのはあの日が最後だった。……チエ様が『大人』になられた、その日が」

 もちろん、それと本人から告げられたわけではないが。――モノノケはそれを本能的に見抜く。

 添い寝が添い寝で済まなくなる可能性が生まれたその日から、互いの布団を手を伸ばしても届かないくらい離して眠るようになった。

 そうなった理由も告げられずに戸惑いながらも落ち込むチエと、、生産性の欠片もない痩せ我慢に走る主とを見続けてきた迅は吠えた。

 「主、いい加減男らしく腹をくくったらどうです?」

 「――っ、」

 言葉に詰まった那由他の背にすがるチエの腕が緩み、同時に背にかかる重みが増した。ふっと足から力が抜け、そのまま倒れ込もうとするチエの身体を那由他が慌てて支えてやる。――身体が、異常に熱い。夢と現を行き来しながら微睡む意識。

 とにかく、暖かくして寝かせてやらねば。あと他に、何をすれば良い?

 病などとは無縁の那由他ではまともな看病など思いつかない。

 「……こんな事で、どうしてチエを支えられる?」

 きっと、モノノケの那由他では分からない事は他にも沢山あるはずだ。

 彼女の将来の幸せを約束出来ないくせに、犠牲と苦痛のみを押し付けるなど……無責任としか言いようがない。

 村に帰れば、まともな人間の男と結婚し、普通に幸せに暮らせる未来が用意されているというのに、だ。

 「本当に、そう思っているんですか? 村へ帰って他の男の子どもを産むことが、チエ様の幸せだと?」

 「当たり前だ。昔むかし、あるところに……で始まる話の中に、妖に魅入られ無理やり嫁入りさせられて泣く女の話がどれだけある? 狐に蛇……相手は色々だが、女が泣いて嫌がるくだりはどれも大差なかろう?」

 「そりゃそうでしょう、気に食わない雄を相手に怒って嫌がるのは何も人間だけじゃない、雄と雌とで子をつくる生き物だったらどんな種族だってそうですよ。勿論、人間同士だって。当然でしょう? 強い雄と、弱っちい雄の子ども。生き残る可能性の高い、強い子どもを産みたいと思うのは、生物として当たり前の本能でしょう?」

 ――迅は、今でこそ九十九神というモノノケだが、元はごく普通の狼として生まれ育ち、野生を生きてきた。

 「主の言う昔話はどれもこれも女の意志も顧みず無理矢理求婚する話ばかりじゃないですか。そりゃ嫌がって当然でしょう。――でも、チエ様が主を相手に嫌がる素振りをしたことが一度でもありましたか? ……誰と居るのが幸せなのか、決めるのは主じゃない。――チエ様自身だ」

 迅に言われてふと脳裏に蘇ったのは、ケイに対し明らかな嫌悪を示したチエと、その直後当たり前のように自分に縋ってきたチエ。

 ケイに向けていたそれを、チエが那由他に向けたことは無い。幾度となく血を吸っても、明らかに人でないモノノケの姿を見せても、だ。

 だから、余計に思ってしまうのだ。もしも……もしもその行為を働いても、チエなら今と同じように当たり前の笑顔を向けてくれるのではないか、と。

 でも、一方で恐れてもいた。その行為を働いた挙句、チエが自分に嫌悪の目を向けるその瞬間を。

 他の巫女が相手であればまだ耐えられても、チエからそんな感情を向けられるなど、耐えられない。

 「どんだけ甲斐性なしなんですか。どうして胸張って言えないんですか、『俺が幸せにしてやる』くらいの自信持ちましょうよ、仮にも誰よりも永い時を存在し続けたこの山の主なんだから」

 「……言えるわけ、ないだろう。永い時を存在し続ける辛さも、人ではないと忌避する視線を浴び続ける痛みも、身をもって知る私が、どうして彼女の幸せを約束できる?」

 「言ったはずですよ。彼女の幸せを決めるのは俺でも主でもない。チエ様自身だと」

 迅は、折られて動かない四肢を踏ん張り、身を起こし、那由他をまっすぐ見上げた。

 「チエ様が村へ帰れば、また新たな巫女が選ばれやって来る。5年後、10年後にも、これまでと同じように。山に入れるのは当代の巫女のみだから、チエ様とは二度と会えなくなる。――人の一生は短い。その時になって後悔しても……もう遅いんですよ」

 迅らしくもなく、重々しく警告する。

 「一度、きちんとチエ様のご意見を聞いてみるべきだと俺は思いますよ。でなけりゃ、一生の後悔を背負うことになる。主も、チエ様も」

 

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