第弍拾壱話 a promise to marry
「チエよ、私と永久を生きる覚悟はあるか――?」
寂しそうな顔で那由他は言った。
にこにこ嬉しそうな顔で那由他を見上げていたチエは、少し首を傾げた。
「チエ、私の番として永久の生を生き、私の仔を産み育てる未来を歩む――その覚悟はあるか?」
「永久を生き、那由他様の御子を産む……?」
重ねて問いかけた那由他の言葉に、チエは少し驚いた顔をする。
「もちろん、叶うのでしたら私にとってそれ以上の幸せなどありませんけれど……本当に、それが可能なのですか?」
那由他は、老いも寿命もないモノノケだが、チエは違う。普通に年もとるし、いつかは寿命を迎え、天に召される日が来る。
「可能だ。人や獣の姿をとれるものならば皆、その永すぎる生のうちにただ一度だけ、そのただ一人だけとのみ交わすことを許された契約がある。永久の時を共に過ごし、自らの仔を産んでくれる伴侶を得る、その為の契約が」
那由他の説明を聞きながら、火照りのぼせてくる脳みそに活を入れるため、チエはパンッ、といい音を立てて自分の両手で両頬を思い切り叩いた。
「那由他様……私、ちゃんと起きて目を覚ましてますよね? これ、夢じゃないですよね?」
すでに真っ赤に染まった頬に新たに刻まれた赤い手形はあまり目立たないが、痛みの方はしっかり自己主張してくる。――夢じゃ、ない。
「モノノケは、モノノケ同士で仔は作れない。元々不確かな存在だからな。子孫という確かな存在を残すためには他の確かな存在のあるもの――人や獣に頼らねばならない。だが、人と獣の間に子をもうけることが不可能なのと同じように、そのままでは伴侶にはなり得ない」
那由他は、痛みを堪えでもしているような辛く悲しげな顔でチエの頬を撫でる。
「だから、契約を交わす。……魂の契約と違い、肉体は人間のまま、その“時”だけを止め、モノノケの仔を宿す事を可能にする――そのための契約を。だが、本来あるべき理を曲げたその結果を元に戻すことは不可能となる。歳を取らず……モノノケの仔を宿せるようになった身体はもう、人の子を宿すことが出来なくなる……。たとえ身体が人間のままでも、それはもう人とは言えまい」
那由他は、空を仰いだ。
「不老不死……一体そんなものにどれだけの価値がある? それを望む人間はいつの時代、どんな場所にも存在する。だが……永すぎる生など、いずれは苦痛としか思えなくなる」
同じように空を見上げれば、刻々と暗くなる空に、ぽつぽつと星の灯が瞬き始める。
忙しなく変わり続ける地上と違い、まさに那由他程の時の間ずっと変わることなく存在し続けている儚く淡い光。
「その苦痛の程は、自らの身でもう嫌というほどに味わい尽くし、誰よりも理解しているというのに。そんな生へと招く罪深さも充分に承知の上だというのに」
辛そうな顔のまま、那由他は苦笑を浮かべる。
「それでも……これまでの当たり前が当たり前でなくなってしまった今はもう……これまでは当たり前だったはずの孤独な生に耐えられそうにない――ただそれだけの理由でお前を手放したくないと思う私は……果たして、お前を花嫁にしようと躍起になっている京と一体何が違う?」
その笑みに自嘲を含ませて。
「お前の傍に居る事で感じる居心地の良さを手放したくない。……お前が私に向ける負の感情の一切を感じさせないその笑顔も。お前の甘い血も。何より、その心を。――それを失くしてはもう、私は永き孤独に耐えられない」
空を仰いだまま、一度深々と深呼吸をし、覚悟を決めるように目を閉じた。
「京の件が片付いたら。……チエ、我が伴侶として永久を共に生きる未来の為に……私と新たな契約を結ぶ覚悟ができるか?」
言いながら、那由他は真っ直ぐチエの瞳を見下ろした。
「ずっと望み続けた、私にとって一番の幸せに直結する願いを全て叶えていただけると言うのに……どうして迷う必要があります?」
せっかく、彼からとても嬉しい言葉を貰えたのに、当の彼がこんなにも辛そうな顔をしていては素直に喜べない。
「那由他様が何ものであろうと、人ではない……それだけはもう10年以上前から周知の事実。人の世の道理が通用しない位の事は巫女になりたいと望みを抱いた時から覚悟はとうに決めておりました。その那由他様に想いを告げるというのがどういう事なのかも、もちろん承知の上で、それでも……那由他様のお傍に在りたくて……」
チエは彼の表情の曇りを少しでも取り除きたくて、必死に言葉を連ねた。
「あの京というものが欲しているのは私の血だけ。私の想いなど無視して、傀儡にしてしまおうとしているのでしょう? けれど那由他様はこうして私の身を案じてくださる……。人間同士の結婚とて、例えば愛のない政略結婚に泣く娘だって少なくはないのに。私は大好きな人にそんなにも必要とされて……これ以上の幸せなどございません」
那由他の腕がチエの腰を引き寄せ、きゅっと抱き締められる。チエは身体を彼の胸に預け、そっと抱きしめ返す。
「那由他様、チエは決してあなたの傍を離れたりは致しません。いつでも共に在り、那由他様を孤独になどさせは致しません」
チエは誓いの言葉を彼に捧げる。
頬に触れる手が、チエの顎を少し持ち上げ、彼の顔が間近に迫ってくる。チエはそっと目を閉じた。
あたたかく柔らかい感触が唇に触れる。
一度は乾いた目尻から、また涙がこぼれて。
「――ああ、私も誓おう。これから先ずっと、常に傍らに在ると」
ささやかな口づけの後で、那由他が言った。……少しだけ、曇りが晴れた表情で。
ドーン、と腹に響く重低音が、海辺の方から響き、春の夜空に花が咲く。
毎年、春の祭りの締めに打ち上げられる花火。今年の春祭りもそろそろ終わりを迎える。
チエが那由他の糧であり続ける限り、もうこの先ずっと、春祭りで村長が新たな巫女を選ぶ占を執り行う必要はない。
チエは那由他の最後の巫女。これから先ずっと……永遠に。