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第弍拾話 turn a key

 「新たな契約を結ぼう」

 待ち望んだ彼の答えを聞き、千恵は頷いた。

 「私の力と引き換えに、お前の心血を差し出せ」

 那由他の要求を了承するため、もう一度千恵が頷こうとした時。

 遠くで犬の遠吠えが聞こえた。

 「え?」

 山の麓にあるのは学校だ。その周りにあるのは駅前に比べ閑散とした商店街で、犬を飼うような住宅などなかったはずだし、お散歩コースにもあまり向かない。

 だいたい、最近は室内飼いが定着し、緊急車両のサイレン音につられて吠える犬、なんてのも最近はあまり聞かなくなった。

 なのに。アオーン、と、また――今度はもっと近くで聞こえ、那由他が顔を上げた。

 落ち葉を踏み荒らす音が、すごい速さで近づいてくる。

 がさっと、頭の上のほうですぐそこの低木の枝葉が激しく揺すられ、同時に大きな影が千恵と那由他の上を跳び越えて行った。

 スタッと身軽に着地したそれは振り返り、

「主っ、チエ様、お約束通りお持ちしましたよ! ……って、アレ。……もしかして俺ってば、いい雰囲気のとこ邪魔しちまった感じ……だったりします?」

得意そうに胸を張ったが、その場の状況に気づくと途端に尾を丸めて股に挟み、及び腰に尻を落とし、半分お座りしたような中途半端な格好でそろそろと後ずさるそれは――

「おお……かみ?」

 まさか。絶滅したと言われて久しいそれが……人の言葉を喋っている?

 「――迅」

 那由他が聞き覚えのある名で、そのやけに大きな狼を呼んだ。

 「はいっ、お楽しみ中のところをお邪魔しまして申し訳ないです、反省してます」

 狼は慌てて、今では昔懐かしグッズに分類されるようになった首振り赤ベコ人形よろしく、ぺこぺこ頭を下げる。

 「大丈夫です、今すぐ消えます。これだけ受け取ってもらえたら即刻消えさせてもらいますんで!」

 首から下げたそれがよく見えるように下げていた頭を上げ、胸をそらせる。

 「チエ様から、お預かりしてましたものです」

 那由他の手にある二つと同じ色、同じサイズの勾玉。

 「チエ……とは……それが、お前に鍵を預けた最後の巫女とやらの名か?」

 「やだなぁ、主ってば。いや、お邪魔したのは謝りますけど、だからって妙な冗談でからかわないでくださいよ。それとも何ですか、たった百年ばかり寝てた間にけたんですか? チエ様の前でチエ様の名を俺に尋ねるなんて」

 「いや、この彼女の名も確かに千恵だが、お前が言うチエという名の女は私が封じられる以前……百年近く前の人間なのだろう?」

 百年。大方の人間は寿命が尽き天へ還り、仮にまだ生きていたとしても、相当に老いているはず。

 「ええ、チエ様は主が封じられた後、主を封印から開放するための術を得る代償に命を差し出し、その魂は輪廻の輪へ組み込まれた。……主、もしかして分かって彼女と居たんじゃなかったんですか?」

 「――お前の言いようは気に食わんが、あながち間違いではないのでな。封印の影響なのか、一部、記憶がない。……天羽に聞いた。お前の持つ最後の鍵が揃えば錠が開くと。それを、どう使えば良い?」

 「……え」

 迅が、言葉に詰まった。

 「あー、うー、えーと、その……天羽のやつと一緒に聞いちゃいたんですがね……話がややこしすぎて俺には……ちょっと」

 首に勾玉を下げたまま、迅は再びそろそろ後退を始めた。

 「待て。お前が知らなくとも天羽なら知っておるのだろう? ならば……共に愛羽家に参れ。色々積もる話もあろう?」

 「え、那由他――契約は?」

 「記憶を戻すもう一つの方法の条件は揃った。“記憶を戻すため”の契約はもう、必要なかろう。――だが」

 上着の袖を破り、それを止血のための包帯替わりに巻きつける。

 「記憶が戻ったなら――もう、迷うまい。必要ならばもう、躊躇ためらいはしない」

 千恵の上に覆い被せていた身体をどけ、袖のない上着で自分の裂いてしまった服の下の肌を覆い、そっとその体を抱き上げる。

 「――迅」

 名を呼ぶと、渋々彼は背を向けた。那由他は千恵の体を抱えたまま、その背に跨る。狼の巨体は、二人分の体重を乗せても崩れることなく立ち、悠々と一歩を踏み出す。

 「落ちないでくださいよ」

 言うが早いか、力いっぱい地面を蹴りつけた。

 とん、と軽く蹴っただけのようにしか思えなかったのに、その一跳びで周囲の木々より高く、宙へに舞い上がる。

 ひょいっ、ひょいっと空気以外何もないはずの空を蹴り、駆けるそのスピードは目下の通りを走る車より速い。

 高いところで強い向かい風を浴び、体が寒さに震える。

 しかし、高校から自宅まで、自転車を飛ばして十分弱の距離をそれだけの速度で、それも直線距離で走れば、ほんの数分で到着した。

 一階の屋根に着地した迅の背から降りた那由他は二階の窓を開け、その窓枠を跨いで室内に入る。

 それに続けて部屋へ入ろうとした迅を制するように、中から鋭い声が飛んできた。

 「こら、迅……その薄汚れた足で我が家に踏み込むな。庭の水場で足を洗って来い」

 天羽の声だ。

 「……那由他様」

 迅に向けた冷めた声音を改め、那由他の前にかしこまった天羽は腕の中の千恵をの様子を窺う。

 「――那由他様……千恵様と血の契約をお交わしになられたのですか? ――記憶は……」

 「その、つもりだったんだがな。いざ、というその時に迅が現れた。だが迅は鍵の使い方をよく分かっておらぬようでな、それをお前に尋ねようと、一先ず戻ったのだが……それを聞く前に、天羽、千恵の寝床の支度を手伝ってくれるか?」

 「かしこまりました」

 天羽は烏の足で部屋の引き戸の方へと那由他の前を歩き出す。天羽が扉の前まで来ると、扉はひとりでにスライドし、開いた。歩を緩めることなく廊下を横断し、今度は千恵の部屋の扉の前へ立つと、ドアノブが勝手に動いて扉が開く。

 千恵がいつも使っているベッドの前に立ち、翼でそれを指し示しながら、

「こちらが千恵様の寝床にございます。まずはこちらへ」

千恵の身体をそこへ降ろすよう進言する。

 「ああ。それと……」

 「はい、お着替えはこちらの箪笥たんすに一揃え入ってございますが……見たところゆったりした部屋着のようなものの方が良さそうでございますね。申し訳ございませんが那由他様、上から四つ目の引き出しに入っております服を出して差し上げていただけますか?」

 「上から四つ目……これか、この服でいいのか?」

 トレーナーと、同じ生地で仕立てられたズボンを取り出し、天羽に確認する。

 天羽は頷き、千恵を振り返る。

 「……千恵様……お一人でお着替えは……」

 「さすがにそれは辛いだろう。天羽、済まないがしばらく出ていてくれるか?」

 「えっ、だ、大丈夫、それくらいできるから! 那由他も一緒に出てて……っ、たっ、」

 慌てて上半身だけ起こそうとするも、胸に穿たれた決して浅くない傷の痛みを無視するのは流石に無理というもの。

 うっすら目尻に涙を溜めつつ悲鳴を殺した呻きを漏らす羽目になる。

 「ほらみろ、いいから寝てろ」

 「ああそれと、天羽。救急箱の類はどこにある? 千恵の事だ、手当道具一式くらいは常備してあるのだろう?」

 「はい、それでしたら先ほどの箪笥の隣の――ああはい、それです、そのクローゼット式箪笥の下の引き出しにございます」

 「ああ、あった。これか」

 「では、迅が部屋へ踏み込むことのないよう、廊下で見張りを兼ね、お待ちしておりますので、済みましたらお呼びください」

 天羽は丁寧に頭を下げて部屋を出て行く。

 パタン、と扉が締まる音が静かな部屋にやけに響いて。

 那由他は救急箱を開け、中から消毒液や包帯を取り出し、ベッドの脇に立った。

 「えっと……あの、那由他?」

 さっきは、契約のためだと思って耐えていたけど。

 実年齢はともかく、見た目は夏也よりかは若干大人に見えるくらいの男の前で肌を晒す羞恥心くらい千恵だって持ち合わせている。

 ――だけど。

 (ああ、……ずるいよ、那由他――。そんな顔してたら……)

 傷の痛みに耐えている千恵より余程辛そうな顔をする那由他を前にろくな抵抗もできなくなる。

 那由他は随分と手馴れた様子で傷の手当を済ませ、手際も要領も良くさっさと千恵の着替えの介助も終わらせる。

 「何、何でこんな慣れた風なの? プロの介護士か看護師みたい……」

 いざ終わってみれば下手に羞恥を感じる暇もなく済んでしまい、拍子抜けした気分になる。

 「さあ、おそらく失くしている記憶に関係しているのだろう。何故かは分からないが……身体が覚えていたようだ。天羽、済んだから入って来てくれ。それで、例の件だが……」

 「はい、鍵の使い方でございましたね。鍵さえ揃えば難しいことはございません。全ての鍵を千恵様がお飲みになり、その後で那由他様が千恵様の血をお飲みになれば良いのです」

 「飲む……? これを……?」

 那由他が懐にしまったそれを取り出し、手のひら乗せるのを見ながら千恵は呟いた。

 「お水など、お持ちしましょうか?」

 確かにそんなに大きなものではないから、いきなり直接飲み込むのは難しくても、錠剤やカプセル剤を飲む要領で流し込めば何とかなるだろう。

 「大丈夫か? もう少し傷が癒えるまで待ったほうが良いのではないか?」

 那由他は心配そうに言ったが、千恵は首を左右に振った。

 「そうか。ああ、天羽、いい。私が持ってこよう」

 パタン、と再び扉が締まる音が静かな部屋に響いて、今度は天羽とふたりきりになる。

 「……傷、痛みますか?」

 無意識に傷のある場所に手を当てていた千恵を見上げ、天羽が尋ねる。

 「いえ、痛まぬ怪我など御座いませんでしょうが……」

 言葉の途中でドアが開いた。

 まあ、そうだろう。台所で水を汲んでくるのにそう時間などかかるまい。

 三つの勾玉と、水の入った愛用のマグカップを差し出され、千恵がベッドの上でもう一度身を起こそうとすると、那由他はそれらを一度ナイトテーブルに置いて千恵に手を貸した。

 テーブルの上のマグカップを手に取り、まず一口、口に含んで口内を湿らせ、飲み込み、喉も潤す。

 次に勾玉を三ついっぺんにザラっと口へ放り込み、水と一緒に一気に飲み込む。

 すぐに溶け出す小さな錠剤とは違う、大きく硬く冷たい塊がその存在を主張しながら食道を降りていくその感触が消えるまでしばらくかかり、千恵はマグカップの水を何度も口に含んでは飲み込んだ。

 ようやく落ち着いて息がつけた頃にはマグカップはすっかり空になっていた。

 「――那由他様」

 「ああ。千恵……いいか?」

 千恵は頷く。

 「身体を起こしているのは辛いだろう、まず横になれ」

 那由他に手伝われ、愛用の枕に頭を埋める。

 寛ぐためのゆったり造られた部屋着のトレーナーのそこはあえて寛げなくとも既に外気に晒されている。

 那由他の唇がそこに触れ、間髪入れずに牙が埋め込まれる。

 ついさっき直前で逃した波が、再びやってくる。


 「那由他様……」

 頭の隅で、知らない――けれど良く知った声が響く。

 「チエよ、私と永久とわを生きる覚悟はあるか――?」

 ああ、これは那由他の声だ。間違いない。

 でも……永久を生きる覚悟って……?

 パチッ、パチッ、とコマ送りでスライド写真を見せられているように、頭の中で覚えのない記憶がはじける。

 

 (これが……私が忘れていた記憶?)


 至福に浮かされ酔わされながら、かすかに残る思考で思う。


 (私……、私、は……)


 眠りに落ちていくように、瞬く記憶の中へ意識が沈んでいく。

 (――なゆ、た……さま……)

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