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第拾捌話 eternal a blood donor

 「たぶん……ううん、きっと私にもあるんだ。那由他と同じように……今は忘れている……でも大事な記憶が」

 千恵の願いを聞き、一瞬言葉を失ってしまった那由他が反論の言葉を口にする前に、千恵は続けた。

 「昔から、自分じゃよく分からない感情に振り回される事、結構あったんだけど。ここ最近――ていうか、京や那由他と会った日から、今までになかった程に頻発してて。それにね、ここんとこちょっと眠り込むと、いつも必ず夢を見るの。全部、起きたら内容を忘れちゃってるんだけど、でも――」

 そこで一度言葉を切り、息を継ぐ。

 「思い出せないって、こんなに辛いことなんだね……那由他……」

 そして、ぽつりとこぼすように呟いた。

 「どうして胸が騒ぐのか分からないって……何か、大事なことを夢に見た気がするのに思い出せないって……こんなにも、もどかしいものなんだ……」

 胸の前で握りしめていた拳を解き、その手を地面につけ、うつむく。

 「でも……それが……誰なのかも分からなかった京相手に、嫌な気分になったのは確かだから。きっと、私が失くしてる記憶の中に、どうして京がこうも執拗に私にこだわるのか……その理由の答えもあるんだと思う」

 もう一度そこで息を継ぎ、那由他を見上げる。

 「だから。……私は、今、出来る事をやらないままに何か取り返しのつかない失敗をして後悔するような事だけは、絶対にしないって決めてるから」

 知らないままにしておいてはいけないと、そう思うから。

 「だからね、これは、私の我が儘。お願い、私と血の契約をして」

 改めて、もう一度言う。

 那由他は渋面どころか無表情にそれを聞き、黙り込んだまま――目を、伏せた。

 地につけた手で地面を掻き、奥歯を噛み締める。

 「……どうして京がお前にこだわっているのか。その答えならば、もう分かっている」

 低く、静かに唸りながら那由他は言った。

 「え……?」

 「あれの言う、イヴとは……花嫁のことらしい」

 「は、花嫁って……!」

 「無論、人の世で言う婚姻とは関係ない。我らの種族において花嫁とは、永久の供血者を意味する言葉だ」

 那由他は無表情のまま、淡々と語る。

 「一度に一人だけ。我らには人の肉体の時を止めることができる。……魂の契約とは違う。あれも肉体の時は止まるが、その身体はもう人間のものではなくなるからな。――美味い血は吸えなくなる。だが、花嫁にすれば、身体は完全に人間のまま、その時間のみを止められる」

 「つまり……京が狙っているのは私の血、ってこと?」

 「私は、生贄として捧げられた多くの巫女らの血を吸い存在してきたが……確かにお前の血は上質だ、彼女らと比べても五本の指の内に入るだろう。多少個々の好みはあれど……いやだからこそ、好みに合ったなら……極上の血と言える。そう、永遠に味わっていたいと思うほどに」

 那由他の伏せた瞳が、一瞬僅かに赤みを帯びた気がした。

 「自分好みの血を持った人間を、自らの花嫁にするにはその人間の心臓に直に印を埋める。言霊の契約にしろ血の契約にしろ、魂の契約でも常の契約は両者の合意がなければ成立しないが。こればかりは相手の意思は関係ない。無理やりでも、それをしてしまえば……ただ虚ろな人形にしてしまうことも、不可能ではない」

 ペットボトルのお茶に手を伸ばし、乱暴に一口煽る。勢いよく傾けた容器の口から漏れた分が口の端から顎を伝い、服の胸元を濡らした。

 「血の契約と偽り、心血を啜る代わりにそこへ印を埋めるなど造作もないこと。人を欺き誑かし――化かし、襲う……化け物の常套手段だろう?」

 不意に、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、俯けていた顔をこちらへ向けた。

 瞬時に黒から赤へ染まった瞳。

 地べたに座り込んでいたはずの身体を起こし、目にもとまらぬ速さですぐ傍に迫り、とん、と肩を軽く押して千恵の身体を地面へ押し倒す。

 両の手首を片手で掴んで頭の上で固定し、両足も彼の脚がその動きを封じる。

 ビリっと、彼らしくもなく乱暴に服の胸元を破り、ひんやり冷たい手が肌を直になぞった。

 ぐっと、彼の顔がやけに近づいてきて。

 ――どんなに武術を極めようとも。こうがっちり動きを封じられた後では、女の――人間の力で、男の――それもモノノケの腕力をどうにかすることは難しい。

 その事実を、千恵は思い知らされる。どんなに頑張っても、手も足もビクともしない。

 間近に迫る赤い瞳と、胸に触れるひんやりした感触が、千恵の心臓に拍車をかける。

 「――このまま……」

 那由他の口から少しかすれた声が漏れる。

 「このまま、お前の心臓に牙を立てることも、印を埋めることも、私にとっては造作もない――赤子の手を捻るようなものだ」

 ドクバクと派手に打ち鳴らされる拍動。それを奏でる臓器の真上で、彼の手が止まる。

 そっとそこを押さえられると、その鼓動をよりストレートに感じる。

 (……あれ?)

 肌に触れる、ひんやりした感触。千恵の頭に疑問が浮かぶ。

 「……那由他。今、もしかして血が足りてないんじゃないの?」

 初めて彼の肌に触れたあの時程冷たくはないが、その後血を吸って温もった肌と比べれば明らかに冷たい。

 「どうして……十日は保つって言ってたじゃない。やっぱり昨日の怪我のせい? ちょっと舐めたくらいじゃ足りてなかったんじゃないの?」

 「……違う。今のあの龍神のせいだ。どう名乗ろうと所詮私はモノノケ……聖邪の理からすれば邪に属するものだ。聖の極地のあの神気は私にとって身の内を灼く毒に等しい」

 皮肉な笑みを浮かべた後で、呆れたようにため息をついた。

 「それにしても……この状況でするのが何故自分の身の心配でなく私の事なんだ」

 千恵の胸に置いた手に視線を落とし、じっとそれを見下ろす。

 手に伝わる強く早い鼓動と少し高めの体温。ぐっと、わずかにそこに力を込めると、爪が皮膚に食い込み、血が滲んだ。

 ふわりと甘い香りが那由他の嗅覚を刺激し、欲を誘う。あともう少し力を込めれば指は容易く心の臓に届くだろう。

 このまま肉を裂き、そこへ牙を立てれば――脳裏を過ぎる危うい欲を振り払うように那由他は目を閉じ、首を振る。ごくりと唾を飲みこみ、牙で自分の唇を咬む。

 「……何故、抵抗しない?」

 両手両足を拘束した直後はあったはずの、そこから逃れようと暴れる気配がいつの間にか失せている。

 手首を押さえていた手から力を抜き、拘束を緩めても、足にかけた体重をどかしても、自分に覆いかぶさる格好の那由他の手から逃れようとしない。

 代わりに、胸に当てた手に千恵の手が触れた。那由他の手に、被せるように置かれた手。

 「何で? だってこれ……血の契約は私が望んだ事だよ?」

 温かな手に力がこもる。それに押されるように食い込んだ指が第一関節まで中に埋まる。

 「花嫁にされるのは困るけど。……でも。本当に、那由他はそれを望むの?」

 千恵は寂しそうな笑顔を浮かべた。

 「本当にそれを望んでいるなら……すればいい。京の“花嫁イヴ”になる気はさらさらない……ううん、なりたくないけど。那由他が……私をそうしたいと思うなら、すればいい」

 「――っ、」

 思わず、手に力が入る。ズブリ、と指がさらに深く傷を穿ち、指の先が胸の内で暴れる心をつついた。

 「年を取らなくなったら……この先、きっと誤魔化すの大変だろうなあって思う……けど、人のままでいられるなら、誤魔化しようはある。少なくともあと三十年か四十年か……お母さんたちさえ心配させなければ……」

 寂しげな笑顔を僅かに歪め、その額に汗が浮かんでくる。

 「どうして――」

 低く唸りながら苦しげに那由他は呟く。

 「だって……」

 千恵は悲しそうな笑みを向けた。

 「私は、那由他のことが好きだから――」

 

 


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