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第拾漆話 resolution

 「――結婚しよう」

 夜景の美しい海沿いの公園で、差し出した小箱を開ける。中には小さなダイヤの嵌った対の指輪が――。

 「でも……あなたのお義父さまが……」

 「……これ。明日の明朝に出る定期便のチケットなんだ。――このまま、僕と一緒に逃げよう。どこか遠くの土地で、二人だけで結婚式を挙げよう」

 

 ――ぐしゅっと、隣で鼻をすする音がした。見れば彼女の瞳が潤んでいる。

 京は、何も言わずにそっとポケットティッシュを差出してやる。

 (……くだらないな)

 内心、冷ややかな視線を彼女とスクリーンとに向けながら、表面には優しく甘い表情を取り繕う。

 今年の夏、昨今にしてはまあそこそこ流行ったドラマ――金持ちのお坊ちゃんと、一般庶民の少女の恋物語……ありがちなストーリー展開だが、坊ちゃん役の若手俳優の人気に後押しされる形で映画化までされる事になったらしい。

 そしてこの彼女もまた、スクリーンの中で彼女の指に指輪をはめている彼に夢中になっている一人らしいが、京にとってはそんなのはどうでもいい事だ。

 つまらないラブストーリーが観たくてチケットを用意したわけじゃないのだから。

 映画館の暗闇で、京は彼女にさとられないよう小さくため息をついた。

 先日の少女らと似たようなタイプだと思っていたのに、なかなかどうして隙がない。 

 京の隣で楽しそうに笑ってはいるが、ムードたっぷりの闇の中で、彼女の髪や肩に触れようとしても、さりげなくかわされる。

 彼女の中ではきちんと線引きがされていて、まだその一線を越えさせてはくれないらしい。

 (厄介だ――が、まあまだ昨日の今日だしな)

 どうやら、中長期戦になりそうだが、それならそれでもいい。

 彼女は、重要な情報源にもなりうる。手駒に堕とすのは、必要な情報を得た後でも遅くはない。

 京はポップコーンを一つ摘み、口へ放り込んだ。甘ったるいキャラメル味のそれをかみしめ、激しく口づけあうスクリーンの中の二人に目を向ける。

 (――くだらない)

 あのまま、“彼女”の唇に牙を立て、その血を啜れたなら……。

 脳裏に、欲望がちらつく。ゴクリと、喉が鳴る。京はコーラの入った紙コップを手に取り、ストローのついたプラスチックの蓋を取って直接口をつけ、ガブガブそれを飲み干し、渇きをごまかす。

 (……いいさ。腹が減れば減るほど、その後の食事は旨くなる)

 じっくり時間をかけ、堕としたイヴの血――その心血は、きっと極上の味がするに違いない。

 一度、手に入れてしまえば後は永遠に自分のものになるのだから。

 映画に見入るフリをしながら、京は新たな戦略展開を頭の中で試行錯誤しつつ練り上げていく。

 京は、暗闇の中でニヤリと笑う。こういう作業は、案外嫌いじゃない。

 (さて、この後はどう攻めようか――?)



 ジロリと質量さえ伴っていそうな鋭い眼差しで貫かれながら、那由他はそろそろと龍神の姿を仰いだ。

 「娘……、愛……?」

 途方もない神気が、ちりちりと力を削ぎ落としていく。あれこそ、まごうことなき本物の神たる存在だ。

 元は確かに同郷だが、あいにくと那由他はこちらの神との親交などあるはずもなく、顔を合わせるのも初めてだ。

 何故か訳知り顔で非難されたが、その内容にも残念ながら心当たりはない――少なくとも、現時点では。

 「何だ? 娘だけでなくお前も記憶を失くしているのか? それでも尚、共に連れ立っておると……?」

 龍神は驚いて目を見張ったあとで、面白そうに二人を見下ろし、楽しそうに笑い始めた。

 「ほほう、これは面白い。成程、お前たち二人の絆とやらはどうやら本物のようだな。実に興味深い」

 ニイッっと笑みを深めると、ワニのような口の中に並ぶ鋭い歯牙があらわになる。

 「そろそろじれったい様子を眺めているのも飽いたしの。ここは一つ、助言を授けてやろう。――娘。お前の中の魂の奥底に封じ込められた記憶が紐解かれれば、このものの記憶もたちどころに戻るだろう。――覚悟を、決めよ」

 言い置いて龍はとぐろを解き、厚い黒雲を突き破り、天へと消える。

 姿が黒雲の中へ完全に隠れた途端、あれだけ暗かった空から黒雲が吹き払われ、元の青空が戻り、暴れていた風も静かなそよ風へと変わる。

 那由他は、大きく息を吐き出しながらへたりとその場に尻をつき、いつの間にかかいていた脂汗を拭った。

 そして、振り返る。

 千恵は地面にぺたりと座り込んでいた。自分の胸に手を置いたまま俯き、拳を握り締める。

 「記憶……覚悟……」

 やっぱり。那由他だけでない。自分も、何か大事なことを忘れている。

 忘れていても尚、残像のように残る記憶が、ずっと不思議に思い続けた心の奥の感情の正体――。

 それを解く鍵は――。

 とくん、と一拍、千恵の心臓が跳ねた。

 「――大丈夫だったか? 人の心身であの重圧を受け止めるのは大変だっただろう?」

 自分のほうがよほど疲れた顔をしながら、彼は千恵を気遣い声をかけた。

 千恵は首を左右に振った。

 「ううん、……私、たぶん――初めてじゃ、ないと思うの……あの龍の神様……前にも……。よく、というか殆ど……ううん全然って言ってもいいくらいまともに覚えてないけど」

 ギュッと、握った拳をさらに強く握り締める。

 「――ねえ、那由他。……お願いがあるの」

 必要なのはただ、それだけ。

 「那由他……お願い。私と――」

 ただ、その覚悟を決めればいいだけ。

 難しいことじゃない――きっと。千恵の心次第で、それは易くも難関にもなりうること。

 「私と、血の契約……して」

 

 

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