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第拾伍話 a sweet trap

 休日は、いつも9時過ぎまで寝ているのが当たり前――そんな彼女が、今日は張り切って6時に起きて朝シャンから洋服選び、髪のセットに化粧と、身支度にたっぷり4時間をかけ、完成させた最高のファッション・スタイル。

 パンツスタイルに七分袖のシャツにジャケットでスタイリッシュに決め、大ぶりの首飾りで胸元を飾り、軽くウェーブをかけた髪の毛先をくるくると遊ばせて。足元は、今年になって初めて履くブーツで決めた。

 ケータイで、何度も時間を確認しつつ、ナビに従い街を歩く。

 遅刻なんて以ての外だけど、だからってあんまり早く行きすぎて店の前に突っ立ったまま待ちぼうけ、なんてのもカッコ悪い。

 (こういうのは、五分前くらいに着くのがセオリーなんだよね)

 ナビの指示に従い、横断歩道の前で歩行者用信号が青になるのを待つ。

 少し右斜め上を見ると、ウェブサイトで確認したのと同じ店名のロゴが掲げられた看板が見える。目的地は、もうすぐそこだ。

 風花はナビを終了し、もう一度時間を確認してからケータイをカバンにしまう。

 (んー、11時23分、か。まあまあってトコ……かな?)

 車道の信号が黄色に変わり、そして赤になる。ここは片側2車線、全部で4車線ある大通りで、信号の下部にある右折用信号が点灯する。

 もう一度、黄から赤へ変わり、ようやく歩行者用信号が青になる。

 待ちわびた人々が一斉に車道へと溢れていく中で人ごみを縫うようにして横断歩道を渡る最中、風花は向こうの歩道を今まさに店の前へ歩いていく目立つ白い人影を見つけた。

 「京!」

 風花は大きく手を振り、彼に駆け寄った。

 「やあ柊木さん、おはよう」

 振り返り、相変わらず思わず痺れてしまいそうな笑顔を振り撒きながら彼は足を止めた。

 「今来たとこ……だよね。良かった、危うく初デートの待ち合わせで女の子待たせるところだった」

 制服でも、ステージ衣装でもない完全な私服姿を見るのはこれが初めてだ。

 白いズボン、白いシャツ、白い上着。

 ステージに立つ時、彼はいつも赤や黒、白い色の服を好んで着ているが、昼日中にこれだけ真っ白い格好に身を包んでいると、やはり目を惹かれる。

 特に彼の場合、肌も白く、髪や瞳の色も白銀色だから、本当に全身白い。

 元々破格に見目の良い彼が、そんな格好で極上の笑みを浮かべているのだ。

 通り過ぎる女性――いや男性すらも皆一様に彼を振り返っては魂を抜かれたような表情を浮かべて行く。

 ちなみに、その笑顔をモロに向けられた風花はといえば、つい開けたまま閉じるのを忘れた口からうっかり魂を飛ばしそうになっていた。

 「昨日の今日でいきなり誘ったのに、来てくれて嬉しいよ。ありがとう。さあ、外は寒いし、中に入ろう」

 さりげなく風花の手を取り、ドアベルの音を響かせながら店のドアを開けた京は、

「すみません、11時半に予約していた百世なんですけど」

と、応対に出てきた店員に告げる。

 「あ、はい! お待ちしておりました。ただいまご案内いたします」

 爽やかなお兄さん、といった風の男性店員は、店内奥の窓際四人がけのソファー席を指し、

 「お席はこちらでよろしかったでしょうか?」

 京は、ちらりと窓の外――空を気にする。

 「はい。……すいません、ブラインドをもう少し下げて貰えませんか?」

 席はちょうど日が直に射し込み、日溜まりが出来ていた。ちょっと見ただけでは暖かそうだが、実際に当たると陽射しが少し痛いくらいに暑い。

 「かしこまりました。では、こちらメニューになります。」

 言いながら頭を下げ、店員がテーブルから離れる。カウンターの奥から金属製の細い棒を持ち出し、ブラインドの下に下がる小さな取っ手にそれを引っ掛け引っ張る。

 するするとブラインドが落ち、直射日光が遮られると暑さも和らいだ。

 店員はもう一度奥へ引っ込み、今度はプレートに水の入ったコップを乗せてやって来た。

 「こちら、お冷とおしぼりでございます」

 薄いビニールの袋に入れられたタオル地のおしぼりと、レモンの浮かんだ水とを置き、

「では、ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

再びカウンターへと戻っていく。

 テーブルの上、メニューをこちらに向けて広げてくれながら、京も向こう側から美味しそうな料理の写真の並ぶ冊子に目を落とす。

 「定番なら、ボロネーゼ、アラビアータ、ペペロンチーノと……カルボナーラ?」

 「京は、何が好きなの?」

 「僕は……トマトソース系のが好きかな。柊さんは?」

 「うーん、割と何でも好きなんだよね。パスタ自体、好物だから。あ、でも唐辛子のきついのはちょっと苦手かも」

 「柊木さん、辛いのダメな人?」

 「うーん、辛いの全般ダメって訳じゃないんだ。お刺身には普通にワサビ使うし、おでんにはカラシつけるし、生姜なんかも別に平気なんだけど。唐辛子系の辛さが苦手なんだよね。程よくピリ辛程度で済めばいいんだけど、キムチとか、“本場韓国製”とか書いてあるとつい躊躇しちゃう」

 「これからの時期って、どこの店も辛いメニュー置きたがるよね。それこそ唐辛子たっぷり系の真っ赤なの」

 クスリと、わざとらしく意地の悪い笑みを浮かべて見せながら、メニューの上の方、お勧めメニューとくくられた枠内に大きく載った写真を指さした。

 「ハバネロアラビアータ?」

 まさに真っ赤なソースが絡むパスタに、これでもかと唐辛子を刻んだらしいものが入っている。

 「……うわ、見てるだけで口の中が辛くなってきそう」

 「ははっ、だね。僕はこっちの秋茄子のトマトクリームにしようかな」

 「ああ、今の時期のナスって美味しいもんね」

 相槌を打ちながら、風花はメニューに載る写真を真剣に見下ろす。

 (トマトソースとかミートソースとかだとうっかりソースで口周り汚しちゃったりしたら格好つかないよね……。貝ついたまんまのボンゴレとか、綺麗に食べれる自信ないし。やっぱりここは無難に……)

 「じゃあ私はキノコと鮭のクリームソースにする」

 「デザートとか、どうする? ここ、スイーツも評判らしいから」

 開いたメニューを折りたたみ、背表紙部分を表に向けると、確かに見るからに美味しそうなケーキやらパフェやらの写真が並んでいる。

 「うーん、どうしよう……。千恵ならきっと迷わずこの大きなイチゴのパフェを頼むんだろうけど……」

 「僕、これ気になってるんだ、このデザートピザってやつ。ピザの上にアイスが乗ってるってどうなんだろうね?」

 写真では大きさが今ひとつ分かりづらいが、ピザ生地の上にアイスとバナナ、生クリームが乗っていて、上からナッツとチョコレートソースがかかっている。

 「一人で食べるには多分多過ぎる気がするんだよね。良ければ一緒に食べない?」

 テーブルに肘をつき、頬杖をついた京が上目遣いにこちらを見上げてにこっと笑う。

 背丈は、風花と比べれば頭半分くらい高いが、同い年の男の子達に比べるとやや低め。顔も童顔気味でかっこいい、より可愛いという方が正しい。

 ――まあ、この年頃の男子が女の子から可愛いと褒められても嬉しくはないだろうから言わないが、その破壊力ははかり知れない。

 果たして、この笑顔を前にNOを突きつけられる女の子など存在するのだろうか?

 風花はといえば……もちろん、一も二もなく即座にこくこくと無言のまま何度も頷いた。

 「ん。じゃあ決まり。――すいません、」

 カウンターの前に立つ店員に京が声をかける。

 「きのこと鮭のクリームソーススパゲッティと秋茄子のトマトクリームスパゲッティ、食後にこのデザートピザのチョコバナナピザを」

 「――お飲み物は?」

 店員の問いに、風花はデザート欄の下に書かれた文字の一覧に目を滑らせる。

 ありきたりなソフトドリンクの記載はなく、コーヒーと、よく分からない名前の飲み物が並ぶ。

 「紅茶でいい?」

 京に尋ねられ、風花は頷くが、見る限り「紅茶」とか「アイスティー」等の文字はメニュー表には見当たらない。

 「じゃあ、食後にアッサムティーをホットで」

オーダーを済ませ、メニューを店員に返す。

 「アッサムティー……」

 店員が去っていく背を見送りながら風花が小さく呟く。

 「あれ、もしかしてアッサムは苦手だった?」

 「え、ううん。えっと……アッサムティーって?」

 「うん? 紅茶の名前……正確に言えば茶葉の名前だけど……」

 言いながら、風花がよく分かっていないのを察したらしい。

 「紅茶ってさ、一口に言うけど実は世の中には色んな種類の葉っぱがあってね。リーフが違うと、味も香りも全然ちがうんだよ」

 と、説明を始めた。

 「アールグレイとか、セイロンとか、ダージリンとか、聞いたことない? 全部、紅茶の葉っぱの名前なんだ」

 「へえ、京ってそういうの詳しいんだね」

 風花が感心して言う。

 「――そうだね。人間が作り出した飲み物の中ではワインの次に魅惑的な飲み物だと、僕は思ってるよ。ワインと違って淹れ方一つで変幻自在ってのが紅茶の面白さだよね」

 「へえ、ってか……その言い方だとなんかワイン飲み慣れてますーって聞こえるよ?」

 京は、人差し指を立てて唇に当て、ニヤリと笑った。

 「うん、飲み慣れてるからね」

 「わぁ、不良だ……。って、私もお酒を飲んだことの一度や二度はあるけどさ、ワインて……スーパーで売ってるような安いやつでも結構するよね?」

 「まあね。でも僕は酒が呑みたくてワインを嗜んでるわけじゃないから」

 「え、じゃあどうして――」

 「秘密。今はまだ言えないな」

 水の入ったコップに口をつけ、喉を潤しながら京は意味深に笑う。

 「ああ、それより。ご飯食べた後だけどさ、……柊木さん、こういうの観る?」

 上着のポケットを探り、丁寧に二つ折りにされた紙を出し、テーブルの上に置いた。

 「映画のチケット? あ、これ今話題のドラマを映画化したやつだよね。わー、これ観に行きたいって思ってたんだ」

 「なら、この後行こうよ。1時半開演で、開場はその10分前だから……時間的にはちょうどいいと思うんだ」

 店員が、注文した料理を運んできたのに気づき、京は再びチケットをポケットへ入れ、反対側のポケットからケータイを取り出す。

 テーブルに置かれた料理の写メを取り、手早く打ち込んだメールに添付して送信する。

 「あ、もしかしてブログの更新?」

 「そう。ああ、見てくれてるんだ?」

 「ふふ、もう常連だよー。ライブハウスの方もね。ハロウィンパーティーも楽しみにしてたんだけど……、夏也に花持たせてあげようと思って行かなかったのに。あのカイショーなしの朴念仁てば見事に大コケしてくれちゃって」

 「ああ、橘君の方は愛羽さんに気があるんだね」

 「そう。もうずいぶん前から、ね。でもあいつ馬鹿だから」

 風花は頭痛をこらえるようにこめかみに手を当てる。

 「いっつも的外れなことばっかりやって。千恵は全く気づいてないし、当然その気もまるでないし」

 小さくため息をつく。

 「夏也の方はもう、どうでもいいんだけどね。……でも、千恵の辛そうな顔はもう、見たくないの」

 くるくると、スパゲッティーをフォークに巻き取りながら目を伏せる。

 「あの日……私が――してなかったら、もしかして……」

 ごくごく小さく呟いて、風花はふるふると首を左右に振り、気を取り直して目の前の京に視線を戻す。

 京は綺麗に巻いたスパゲッティを口へ運ぶ。例えば夏也のような粗野さは微塵も感じられない、綺麗な所作だ。

 うっかり気を抜いたら、彼に見とれたまま自分の分を食べ進めることすら忘れてしまいそう。

 「……食べる?」

 それを分かっているのかいないのか、京は可愛く微笑み、半月切りのナスを刺したフォークを差し出してきた。

 (えっ、ええっ! そ、それっ、か……間接キスっ!?)

 さすがに軽く混乱をきたす心の中で叫ぶ。

 だが。「はい、あーん」とニコニコしながら言われては、逆らえない。

 ドキドキしながらナスを頬張り、味も良く分からないままに噛みしめ、飲み込んだ。

 京はといえばそれをにやにや笑って見ている。

 「美味しい?」

 ……分かってる。絶対分かってやってる。風花は確信した。

 「……ずるいー!」

 京はクスクスと肩を震わせて笑う。

 「ごめん、つい楽しくて。お詫びにここは僕がおごるから」

 まだ小刻みに震える肩を竦めてみせ、片目を閉じる。わざとらしい仕草だが、京がやるとそれがまた妙に様になるのだ。

 ……悔しいけど。

 「しょーがないなぁ」

 という気にさせられてしまう。

  昨日、突然屋上に呼び出されて「付き合って欲しい」と言われた時には何の冗談かと思ったし、今でも正直、そのうちそこら辺からドッキリの看板が現れたりするんじゃないかとドキドキしている。

 あの京とこうしてご飯を食べて映画に行けるなんて。京が……彼氏、だなんて。

 幸せ過ぎて心が、痛い。

 (今頃……千恵と若宮くんは……何、してるのかな……)

 ふと、ブラインド越しに窓の向こうの景色に目をやる。小さく、小さく。遠くから、教会の鐘の音が聞こえた気が、した。

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