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第拾肆話 kinds of contract

 ふつふつと音を立てて電気ポットから勢い良く蒸気が吹き上がる。

 茶葉を入れた急須に熱湯を注ぎ、とぽとぽと大きなマグカップへ交互に淹れる。

 夕食の片付けも済み、静まり返った食卓に那由他と二人、向かい合わせに座りながら熱い緑茶を一口啜り。

 テレビのスイッチは切られたまま。

 他に誰もいないダイニングキッチンに響くのは、壁にかかった時計の秒針の音と、こうしてお茶を啜る音、カップをテーブルに置いたときのコトリとたつ小さな音、それに互いの息遣いの位のものだ。

 二つのカップが空になるまでの間、その静けさは続いた。

 それは決して居心地の悪いものではなかったが、飲み物が空になってしまえば流石に少し手持ち無沙汰な感が否めなくなる。

 千恵はもう一度、急須にお湯を注ぎ、マグカップに少し色の薄くなったお茶を注ぎ、また一口、それを啜る。

 ――と。那由他の隣の席の空気が一瞬揺らいだかと思えば不意にバサリと翼をたたむ音がして。

 「那由他様、千恵様。……少し、お時間よろしいでしょうか?」

 「……? ああ、構わないが……何だ?」

 「実は……今朝、お伝えしそびれたことが一つ、ございまして」

 天羽は、今朝と同じように那由他の隣の席に現れ、恭しく頭を下げると、妙に重々しく告げた。

 「――那由他様の失われた記憶を戻す、もう一つの方法について」

 「それは……迅が持つはずだという勾玉無しにかなう方法、という事か?」

 「はい。今すぐにでも、全ての記憶と全てのお力を完全に取り戻せるはずにございます」

 しかし、それを聞いた那由他は僅かながらに眉をひそめた。

 「……天羽よ。なぜ、それを今朝言わなかった? 必要条件が揃わず、迅の行方も知れぬ今、勾玉を使っての方法がかなわぬことは当然分かっていたはずだ。なのに何故、まず先にそれを言わなかった?」

 「千恵様と血の契約、もしくは魂の契約を結ぶ事。……それが、その方法ゆえ」

 「血の契約に……魂の契約……?」

 「千恵様、我らモノノケと結ぶ契約には三つの段階があるのでございます。一つは、言霊の契約。今、千恵様が那由他様と結んでおられる契約がそれです」

 「……ああ。そして私はそれ以上の契約を千恵にも、他の誰にも望むつもりはない」

 一瞬、黙り込んで難しい顔で考え込む素振りを見せたが、しかし、那由他はきっぱりと断言した。

 「迅を、待つ」

 「ねえ、那由他。血の契約って、何? ちゃんと説明して。それをすれば、記憶がもどるんでしょう?」

 その目をじっと見つめ、重ねて問うと、那由他は渋い顔をするも、

「だとしても、だ。私は千恵、お前にそれを望むつもりはないんだ」

もう一度、強く言い切った。

 「どうして?」

 それに対して千恵が食い下がると、那由他の渋面が濃くなった。

 「お前は、知らなくていい……いや、知らないほうがいい。千恵、お前もつい先頃見たばかりだろう、モノノケと安易な契約を結んだ“結果”を」

 窓の外、小さく鐘の音が聞こえてきた。

 ――もう、12時。

 「私は……私もモノノケだからな」

 茶を啜り、この話はもう終わりだと言わんばかりの空気を漂わせる。

 明日は土曜日で学校は休み――とはいえ、そろそろ寝支度をするべき時刻ではある。 

 「……ねえ、那由他。明日、ちょっと行きたい所があるんだけど、付き合ってくれない?」

 「……? ああ、それは構わないが」



 そして翌日。千恵に連れて行かれたそこは、無機質な銀色の扉が並ぶ、ロッカールームの様な場所だった。

 ――「遺体安置室」。扉のプレートにはそう書かれている。

 縦に3つ、横に6つ並ぶ扉の中のひとつが開けられ、引き出し式に寝台が出てくる。

 その台に横たえられているのは、まだ幼い少年――あの仏壇に置かれた写真と同じ顔をした子供の、遺体……。

 「本当はね、こんな風に一般の――遺族なんかが簡単に入れさせてもらえる場所じゃないんだけど……そこは、コネの賜物ってヤツ?」

 引き出しにはそれぞれ厳重に施錠がされてあり、その鍵を開け遺体を引き出したのは――この若宮警察署の刑事部長様だ。

 「すみません、我が儘言って。でも、そろそろちゃんと向き合わないといけない時期なんだって思うから。認めて、納得しないと……前に、進めない気がして」

 夏也の父でもある彼は、遺体を前に手を合わせた後で、気遣わしげな視線を千恵へと向けた。

 「いや、……あの件は未だに有益な情報も無く捜査は行き詰まったままだ。柚鷹や梨花りかさんのやり切れない気持ちも分かる。今の私にしてやれるのは、この程度だが……」

 ちらりと、那由他の方へと視線を向け、

 「――君が、若宮那由他君、か。先日は夜勤で挨拶をし損ねたね。君の事は聞いているよ、息子はもちろん妻や父、……それに駅前交番の呑んだくれからも、ね」

少し疲れた様子で言った。

 そういえば、彼からほんの僅か……人の嗅覚ではまず知覚不能だろうし、那由他の嗅覚をもってしても言われなければ気付けなかったかもしれない程に僅かながら、酒精の匂いがする。

 「あ……、おじさん、もしかして――」

 酒の匂いはともかく、千恵も彼の口調から察したらしい。

 「……もう、二度とあの界隈には近寄りませんよ」

 一つ、大きくため息をついてから、

「では。私は少し外しますから。帰るときには、一声かけてください」

彼は部屋に千恵と那由他を残し、静かに出て行った。

 庫内から流れてくる冷気に冷やされた空気が白く煙る中に横たえられた少年の、顔形こそ、あの写真と同じである……が、白く凍ったその表情は、あの満面の笑みを浮かべ、はつらつとしていた少年とは似ても似つかない。

 「一昨年の、今頃……だったかな。小学生だった秋刀が、学校から帰る途中で、行方不明になったの。途中までは、通学路を友達と一緒に帰って来て……その後――友だちと別れて一人になった後で……」 

 冷たいばかりの頬に触れ、千恵は痛みをこらえるように目を伏せる。

 「……まだ、犯人は捕まってない。だから、何があったのか、本当のところは分からない」

 ちらりと、千恵は時計に目をやった。――12時。教会の鐘が鳴る。千恵はその音にびくりと体を強ばらせた。

 「サブちゃんやお母さん、私はもちろん夏也や風花たちにも頼んで探してもらって……。秋刀を最初に見つけたのは、私だったの。秋刀が行方不明になった次の日の昼……そう、ちょうど今みたいにあの教会の鐘が鳴ってて」

 千恵は、鐘の音がする方の壁を振り返る。

 「あの時の、あの港……那由他と最初に会ったあの場所で……。あの時はまだ、辛うじて息はあったんだ。……でも」

 一つ、大きく息を吸って、吐いて。千恵は言葉を継いだ。

 「脳に、損傷があるって……運ばれた先の病院で言われて……。そんなね、怪我とかはなかったのに……極度の貧血状態ですって……それで、脳に行くはずの血も足りなくて、脳の機能を維持するのに必要な酸素やら栄養やらも足らなくて……って」

 もう一度、大きく吸って、吐いて。そろそろとこちらへ向き直る。

 「この街の病院じゃあどうにもならなくて。お父さんが赴任中だった街にあった大病院に紹介状書いてもらって、去年の梅雨頃までずっと入院してたの。……でも、その間もずっと意識を失ったまま……一度も目を覚まさないまま秋刀は――」

 そこまで一息に喋り、息を詰まらせた。

 「あの日――秋刀が行方不明になった日は……あの頃は私もまだ中学生で、学校が早く終わる日だったから、例の道場で、始めたばかりの剣のお稽古を見てあげる約束をしてたの。もしもあの日、私がもっと早く帰ってれば……秋刀が一人になる前に、一緒に帰ってあげられてたら……こんなことにはならなかったかも、しれなくて……」

 堪えきれなかった涙の雫が一滴、寝台を濡らした。

 「もっと、早く見つけてあげられてたら……見つけた時にすぐ、異変に気づいてあげられてたら……って、あの日を後悔し始めたらキリがなくなる。あの時ああしてたら、こうしてたら……。そんな後悔は他にも沢山あるよ。でも、あの日の後悔は……もう二度と取り戻せないものだから……」

 ごしごしと、乱暴に目元を袖で拭い、千恵は鼻を鳴らした。

 「こんな辛い気持ち、もう二度と味わいたくなんかない。だからね、私はあれから一つ決めてることがあるの。今、出来る事をやらないままに何か取り返しのつかない失敗をして後悔するような事だけは、絶対にしないって」

 弟の前髪を丁寧に梳いて整え、千恵は静かに遺体を庫内へ戻す。

 「それと、もう一つ。前にも言ったけど。あれからずっと気落ちしっぱなしのお母さんをこれ以上悲しませるようなことはしないって、決めてるの」

 千恵は那由他を見上げ、真っ直ぐその瞳を捉えて言った。

 「だから、安易な気持ちで言ってるんじゃない。那由他、教えて。血の契約って、魂の契約って、何?」

 

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