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第拾壱話 precious person

 そうして、昨日と同じく京を警戒しつつも、当たり前の日常が過ぎていく……と、思っていたのだが――。

 「まさか……今時、こんな場所で吊し上げ? そんな一昔前のマンガみたいな事、本気でやってるの、コレ? で、ご用件は?」

 ついつい半眼になりながら、千恵はいかにもな場所――学校の校舎裏の中庭で、自分の周りを取り囲む女子の集団を眺め回した。

 そう、昨日と同じく那由他や風花とお昼を食べようと教室を出ようとしたところで、同じクラスの女子に呼び止められた。

 昨日、那由他を囲んでいた女子の中、きつい眼差しでこちらを睨んで来た――そう、思い出した……確か名前は音矢夕子おとやゆうこ

 どうやら、彼女がこの集団の頭目らしい。

 彼女に声を掛けられた時点で、そのツンケンした態度にあまり良い予感はしていなかったとはいえ。

 ――まあ、用件に関してはなんとなく察している。おそらく大方……

「ねえあんたさぁ、若宮君のコト、どう思ってるワケ?」

あまりに予想通りの問いに、千恵はため息をついた。

 (……ああ、やっぱりか)

 「イトコって聞いたけど……まさかホントに一緒に暮らしてるワケ?」

 「確かに那由他はイトコで、今一緒に住んでるけど。それがどうかした?」

 イトコ、というのは大ウソだが。――真実を告げたところで彼女たちは信じまい。

 「ホントにそれだけ? 単なるイトコってだけにしてはちょっと親密過ぎる気がするんだけど」

 千恵は先頭切って詰め寄って来る彼女を負けじと睨み返しながら言った。

 「彼の事をどう思ってるか……だっけ?」

 千恵は当たり前に言い放つ。

 「那由他は、私にとって大事な人だよ」

 「なっ、だ、大事な人って! ま、まさかあんた、若宮君と付き合ってるの?」

夕子がカッなってと叫ぶと、後ろの集団からも、

「えー、全然似合ってなーい」

だの、

「昨日も駅前で暴れたって噂になってたんだよ。もう、女じゃないよね?」

「若宮君、この子に脅されて付き合わされてるんじゃない?」

「えー、若宮君かわいそー」

だのとブーブー罵る声が次々に上がる。

 「あんた、若宮君には似合わないって自分で分かんないの? さっさと別れなさいよ!」

 それを総括するように、彼女は千恵に突きつけた。後ろからは尚も「別れろ」コールが続いている。

 「……私、那由他とそういう関係だなんて一言も言ってないんだけど」

 千恵は一段低い声で言いながら腰に当て、

「私と彼はそういう関係じゃないし、人の恋路に口出しする趣味もないけど。でも、あんた達に彼を好きだなんて言って欲しくない」

周囲を睥睨する。

 「なっ……、何であんたにそんな事言われなくちゃならないのよ!」

 「それはこっちのセリフ。もし仮に私と彼が付き合ってたとしても、ううん、そうなら尚更、何であんた達に別れろなんて言われなきゃならないのよ、それもこんな形で」

 集団を、真っ向から睨み返し。

「ねえ、大事な人って言われて即イコール恋人だとしか思えないの、あんた達って? 親とかきょうだいとか……家族は? 友だちは? あんた達にとって大事なのは彼氏だけとか言う? 他は大事じゃないワケ?」

 問いを突き返した。

 だが、その問いに応える声は意外な場所から上がった。

 「――全くもってその通りだな」

 女子の集団の背後から声がした。彼女たちは慌てて振り返る。

 「え……あっ、わ、若宮君……」

 「恋人、というのはつまり将来は夫……すなわち家族になるやもしれん相手の事だろう? 友や家族を大事にできない者が、果たして本当に恋人を大事にできるのか……。はなはだ疑問に思えるのだが」

 那由他は、肩をすくめて見せた。

 「え、那由他? 何でこんな所に……?」

 「お前の友人に、えらい剣幕で助けに行って来いと詰め寄られた。だが見たところ、お前一人で充分対処可能のように見受けられたしな。むしろ私が割って入った方がかえって厄介な事態になりそうな気もしたから、少々見物していたのだが――」

 言いながら、那由他はあさっての方を睨みつけた。

 「うーん、全く期待ハズレだったねー」

 その視線の先――ストン、と2階の窓から身軽に飛び降りたのは。

 「京……」

 「嫉妬に狂った醜い女共に囲まれて滅茶苦茶にされて、『きゃー那由他様ー!』とかってそいつに縋りつくトコとか見たかったのに」

 クスッ、と嫌な笑いを浮かべた京。

 「その芯の強いとこ、変わってないね。……面白くないなぁ」

 パチンと指を鳴らして。

 「正気のまんまの彼女たちじゃ、君の相手には役不足だね?」

 京は可愛く首を傾げて見せた。

 「……こうすれば見られるかな、僕の期待する光景が」

 千恵は京を警戒しつつも、その言動の意図が掴めず訝しげに彼を睨んだが、その隣で那由他が激昂し、叫んだ。

 「――貴様!!」

 京はその様をさも愉快そうに眺める。

 「フフッ、さあどうする?」

 おかしそうに笑いながら、那由他に問う。

 「馬鹿な生き物だよな、人間なんてさ。ちょっと甘く言い寄れば簡単に堕ちてくれる。一時の享楽と引き換えに、彼女たちは僕に心を差し出した」

 ゆらりと、集団が動いた。

 「まあ当然分かってると思うけど、一応念押し。僕が彼女たちと交わしたのは単なる言霊の契約。彼女たち、生物学的にはまだ人間のままだけど……」

 ヒュっ、と耳元で空を切る音がして。

 千恵は反射的に避け――直後、トスっと背後で軽い音がして。

 背後の木に、カッターナイフが突き刺さった。

 「ちょっ……、何っ、刃物って……冗談じゃ済まな……っ、て!」

 やけに素早く後ろに回り込んだ一人が、拾った枝切れを千恵の頭目掛けて降り下ろそうとしたのを転げて逃れる。

 ぼきっと、狙いを外して地面に当たった衝撃で折れた枝切れが飛んでくるのを更に跳んで避け、落ちたそれを拾ってクルリと後ろへ向き直り、振り下ろされるもう一本の木切れを受け止める。

 ――庭木のか細い枝木に、女の細腕とはいえ、こんなものに目一杯の力を込めて頭をぶん殴られれば軽傷では済まないだろう。

 がっちり正面で受け止めたのを跳ね返して立ち上がり、ブン、と木切れを振り回して牽制し、間合いを確保する。

 頭で考える余裕などない。それら全てを脊髄反射でこなした千恵は、いつの間にか自分一人だけ校舎の中で、窓から顔を出してひらひら手を振って笑っている彼を睨みつけた。

 千恵の視線に気づいた彼は満足げに微笑み。

 「君の持つその“印”。それがある限り、僕自身は君に手を出せないけどね……こうしてお願いすれば、君を痛めつけるなんて朝飯前……おっと、この時間じゃ昼飯前だったね?」

 そうおどけてみせた。

 ヒュっと小石が頬を掠め、ピッと一筋頬に傷が走り、ジワリと血が滲む。

 それを皮切りに、ヒュンヒュンと幾つも石つぶてが宙を舞い、千恵は慌てて手近な木を盾にする。

 「ほーら那由他様、大事な大事な契約者様が傷めつけられてますよ? さーあ、どうしますー? ねえ、これでもアンタは彼女たちを救う? お優しい土地神様?」

 那由他は憤怒の形相で京を睨みつけるも、そこから動こうとしない。

 千恵がいて、女子の集団があって、那由他がいて。

 女の子たちは京の盾となる様に、校舎の前に陣取る集団と、千恵への攻撃に加わっている二つに分かれ、那由他に直接構う者は一人も居ない。

 ちょうど、那由他の周りだけぽっかり空間が拓けていて。距離的には、京を攻撃するにも千恵を助けるにも、一歩踏み出せばすぐにも女の子たちに手の届く距離。

 だが、呆れるほどに誠実で律義で――土地や人を守る土地神を自負する彼は、その拳を痛そうな程に握りしめ、怒りと悔しさで震え、京を見据えるその目は、常の黒からほのかに赤みを帯びている。

 京を攻撃するにも、千恵を助けるにも、間には女の子たちが居る。京に操られた彼女たちが、黙って通してくれるはずがないだろう事など、容易に察せられる。

 那由他は、彼女たちを傷つけたくないのだろう。

 京の好い様に言い包められたらしい彼女たちに責任が無いとは言えない分、単なる被害者と言うにはさすがに抵抗があるが、今回の場合、彼女らは巻き込まれた側である。

 千恵だって、彼女たちを巻き込んだ責任は感じている。――でも。

 「ねえ、京。確かあなたは、私が滅茶苦茶にされて『きゃー』とか可愛く悲鳴をあげてる姿が見たかったって言ったわね? でも残念、……お生憎あいにく様。悪いけど私、そんなキャラじゃないの。それともう一つ、ご愁傷様。私はね、那由他みたいに優しくなんかないんだよ」

 隠れていた木の陰から飛び出し、京の前に並ぶ女の子たちの首後ろの急所を狙って素早く手刀を繰り出し、彼女たちの意識を強制的に奪う。

 次々と倒れ伏す女の子たちを冷たく見下ろし。

 「私は、ただ守られ庇われしてきゃーきゃー悲鳴をあげてるだけなんて、とてもじゃないけど我慢できないもの。自分の大事なものは自分で守る。……その大事なものを壊そうとする相手にまで情けをかけられる程、私の心は広くないから」

 ピッとまた一筋頬に傷が走る。

 「ただの人間でしかない私も、京……あなたに直接手出しするのは難しいけど。素人の女の子が相手ならこの位は――」

 千恵は飛んでくる石つぶてに構わず突っ込み、もう一つの集団に迫る。

 顔や腕、脚――直に空に触れている箇所に、細かな傷を幾つもこしらえながら、それでもしなやかな動きで一人一人確実に仕留めていく。

 「――私にとっては朝飯前……じゃなかった、昼飯前だったわね」

 最後の一人が地面に沈んで。

 「うーん、確かにこれは僕のミスキャストだねえ」

 やけに芝居がかった声で、いかにも残念そうに京が言う。

 「……京よ。私の契約者に傷をつけ、私の庇護下にある者たちにまで手を出した以上、覚悟はできているな」

 今や完全に赤く染まった瞳で京を静かに睨み、那由他がようやくそこから一歩踏み出す。

 そしてまず先に千恵の許へと歩み寄ると、頬に幾つも走る傷から滴る血をそっと指で優しく拭い、指を染めた血をぺろりと舐め。

 「……すまなかった。護ると言いながら、お前に怪我をさせた」

 那由他は、謝罪の言葉を口にした。

 こちらを見下ろす優しい眼差しを向ける瞳の、人ならざる赤い色がとても綺麗で。

「大丈夫だよ。だって私があなたと結んだ契約内容は、京から私を守る事。言ったでしょう? 普通の人間相手なら負けないって。この程度の傷、舐めとけばすぐ治るし……ってか、あなたの“印”のお陰で既にもう殆ど治ってるし」

 実際、腕や脚にできた傷のあらかたはもうとっくに血も止まり先にできた傷は既に塞がりかけている。

 今、那由他が拭ったのは一番新しくできたばかりの傷だ。

 「あーあー、見せつけてくれるねえ。ごちそうさまー。……でもさ、ちょっと油断し過ぎ」

 京にとっては万事休すな状況のはずが、彼は余裕の笑みを浮かべる。

 「……まあ、ちょっと旗色が悪いから。今日のところは退散するけど」

 「私が、お前を見逃すと思うのか?」

 「見逃さざるを得なくなるだろうね。僕は彼女たちに、僕と一緒にカラオケで楽しく過ごす代わりに、『君達の心を僕にくれない?』ってお願いしただけだったんだけど」

 一様に倒れ伏した少女たちの中、むくりと身体を起こした少女が一人。

 ――音矢夕子、だ。

 起き上がった彼女に、意識がないのはすぐに見て取れた。なのに、ゆらゆらと不安定な足取りながら、こちらへ歩いてくる。

 「彼女は僕ともっと深い関係になる事を望んだ。僕の口づけ一つと引き換えに、彼女は心だけでなく、身体もくれたんだ。……僕のキスは特別製だからね」

 那由他は京にのみ聞こえる声で尋ねた。

 「……彼女の血を、吸ったのか」

 「まあね。でも、そこはお互いさまじゃない? ……吸ったんでしょ、僕のイヴの血を。ねえ、僕のヴィンテージ・ワインの味はどうだった?」

 京はニヤリと笑い、同じく那由他にのみ聞こえる声で答えを返し、悔しげに睨んだ後で、小さく肩をすくめ、京はわざとらしくひらひらと手を振りながら、悠々と廊下を歩いて去っていく。

 「じゃあね、後よろしく頼むよ」

 「……キス一つと、引き換え? 何、じゃあこの子、京とそんな事しときながら、私に那由他と別れろだなんて言ってたワケ? あっきれた!」

 いくら自由恋愛が基本、遊び半分の付き合いも珍しくない時代とはいえ限度はある。

 そうぷんぷん怒る千恵の横で、那由他が一歩前に出る。千恵の前に腕を差し出し、自分の背後に庇おうとする。

 「千恵、下がっていろ」

 だが千恵は、

「大丈夫だよ。……女の子相手に怪我はさせたくないし、巻き込んだ事は謝んなきゃだけど、正直あんまり同情してあげる気にはなれないし。悪いけど、ちょっと痛い思いをしてもらって……」

言いながら、那由他の影から飛び出した。

 ……既に意識は無いのだから、失神狙いの急所突きが無意味なのは分かっている。取り敢えず、関節を固めて動きを止めるつもりで軽く組み合い、捉えようとした身体が……するりと、腕をすり抜けた。

 それは、素人の女子には不可能な動き。

 「――え?」

 千恵をかわした拍子によろめき、木にぶつかる彼女を振り返れば、先だって投げつけられたカッターナイフを力任せに抜き、那由他へと向かっていくのが見えて。

 那由他は、身軽に木の枝へ飛び上がってそれを避け、そこから更に跳躍して千恵の前へ飛び降り、那由他は苦々しく言った。

 「下がっていろ、千恵。彼女は確かにまだ人間ではあるが、今の彼女は普段秘められているはずの力……いわゆる火事場の馬鹿力が、京に無理矢理引き出されている」

 ゆらりと振り返りながら、一瞬ガクリと崩れかけ、彼女の顔が僅かに歪む。

 「本来備わっている筋力の全てを行使しようとすれば、身体が耐えられず、筋肉が壊れる。本来であれば、無意識にそれを抑制するのが当たり前なのだが、京に操られ続ける限り、彼女が己の心身を省みる事は無い」

 「そんなっ、酷い事……」

 「……安易にモノノケに心身を捧げ渡した愚かさの代償、と切り捨てるのはさすがに酷だな」

 カッターを振りかざし、ゆらゆら近づいてくる少女に那由他は憐みの視線を向けた。

 「千恵、下がっていろ」

 もう一度厳命を下し、那由他が一歩踏み出した。少女は那由他目掛けて刃を突き出す。那由他はあえてそれを避けもせずに素手で受け止め、刃が掌をつき通し手の甲まで貫通するのを冷めた目で見下ろしながら、それごと少女の手を掴んで捕えた。

鈍く光る刃の先で、ぬらぬら赤く染めていく血を、那由他はもう片方の手で拭った。血に染まった手を握りしめ、再び開かれたその掌の上には、見覚えのある赤い勾玉が乗っていて。

 那由他はそれを指でつまんで少女の唇に押し当て、口内へ――そして喉の奥へと押し込み、無理矢理それを飲み込ませた。

 「――那由他の名に於いて命じる。今この場で京との契約を破棄せよ」

 少女が、弱々しい小声で何かを呟き。途端、少女は糸が切れた様にカクンと膝を折り、しなだれかかる様に那由他の胸へと倒れこむ。

 それを抱き止めた那由他を見た途端、千恵は胸がチクリと痛むのを感じ、ふと胸を押さえ、無意識に息を詰めた。……胸が、苦しい。

 彼がそうしたのはほんの一瞬の事。

 彼女を静かに地面に下ろし、掌を貫通したカッターナイフを抜きにかかる。

 ――見るだに痛々しく血に染まった手。

 しかし那由他は何でもない様な顔をして抜いたそれを放り捨て、辺りを見回して苦々しく言った。

 「……逃げられたな」

 「いや、それより……大丈夫なの、それ。超痛そうなうえ、ガンガン血が出てるんだけど。血が失くなると動けなるんじゃなかったっけ? 血、飲んどく?」

 「この程度なら問題ない。それに、血なら先程既に貰った」

 赤から黒へと戻った瞳に苦笑を浮かべ、那由他はもう一度、千恵の頬をなぞった。

 そうだ。確かにさっき血を舐めていた。ちょっと切っただけの小さな傷から滴ったほんの数滴の血。

 うっかり思い出し、顔から火が出そうになる。全く、一々心臓に刺激的な行動ばかりしてくれる。

 「……さて、この娘たち。さすがにこのまま放置するわけにはいくまい? 千恵、起こすのを手伝え」

 と、昼休み終了の予鈴が鳴り響いた。

 「……あ、お昼御飯食べ損ねた」

 くきゅるるる、と間抜けな腹の音を響かせた千恵に、那由他はつい噴き出しそうになったのを慌てて堪えた。

 「帰る途中で何か食べて帰るか?」

 「うん。今日は寒いしラーメンとかうどんとか……あ、でも牛丼の新メニューも捨てがたいんだよね」

 「帰るまでには、決めておけよ」

 言いながら、堪え切れずに笑いを洩らし、肩を震わせた那由他の姿に、千恵の心臓が、無性にざわめいた。

 


 「……さて。今回の敗因はやっぱり僕のキャスティングミス、だよね。あーあ、那由他には有効だったんだけどなぁ」

 京は屋上で寝転がり、ケータイをいじりながら呟く。

 「大事なものは自分で守る、か……。なら……その大事なものが相手なら、君は……どうする?」

 パタパタと、階段を駆け上がる音を聞き付け、京は立ち上がり、開いた屋上の扉から顔を出した少女を振り返った。

 「やあ、柊木ひいらぎさん。ごめんね、突然呼びだしちゃって」

 甘い笑みを浮かべて京は言う。

 「ねえ、僕と付き合ってくれない……?」




 「……千恵。お前の胃袋は一体どうなっているんだ」

 学校帰りに寄ったのは、牛丼チェーン店。

 テーブル席で向い合せに座りながら、普通に並盛を食べる那由他の前で、みそ汁とサラダつきメガ盛り牛丼をぺろりと平らげる様に、那由他は引きつった声を出した。

 「昼食を食べ損ねて腹が減っている、というのは分かるが――」

 どう見ても、女性が一人で食べる量ではない。見ているだけでこっちの腹の方が一杯になりそうだ。

 「千恵って、アレなんだよね。痩せの大食いってヤツ」

 千恵の隣でミニ牛丼を食べながら、風花が言った。

 「ほーんと、羨ましいったら」

 肘でえいえいと軽く小突かれ、千恵は苦笑を返す。

 「……そういや昨日の晩飯、あんま食ってなかったよな。よく考え……なくても一昨日の昼も、晩飯も。やっぱ、どっか具合悪かったんじゃないのか?」

 那由他の隣で大盛り牛丼を食べていた夏也が言った。

 「……昨日? ……普通に一人前を平らげていたと記憶しているが?」

 昨夜、夏也宅で出された鍋料理を、遠慮なく突いていた様に見えたのだが。

 「ええっ、それは絶対におかしい!」

 風花がすかさず突っ込んだ。

 「一人前? いつもの千恵なら鍋一つ平気で食べちゃうのに!」

 「鍋……、一つ?」

 那由他の顔の引きつり具合が増す。

 「最近の千恵、なーんか変だよね。だって、突然倒れたのだってその一昨日じゃない?」

 風花がずずいッと獲物を狙う目つきで千恵を下から覗き込むように見上げ、

「あやしーなー。やっぱり何か隠してるでしょ。悩み事があるなら言ってよ、いつでも相談に乗るよ?」

言いながら、彼女は一瞬ハッとした顔をし、

「……まさか。千恵、ホントに恋煩いとかじゃあないよね?」

それを聞いてゴフッと夏也が汚く吹き出したが、当の千恵は不思議そうに首を傾げながら、胸を押さえてキョトンとしている。

 「恋、煩い……?」

 「千恵がおかしくなったのって、あのハロウィンの夜からでしょ? ……もしかして、京に一目惚れしちゃった……とかじゃ……ないよね?」

 その問いに、千恵は首をぶんぶんと勢い良く左右に振って即座に否定する。

 「違う、あり得ない! 京とだけはそういうの、絶対ないから!」

 「そう?」

 風花は一瞬ホッとした顔をした後で、

「でも……京じゃないとすると……」

ちらりと那由他を見ながら、千恵の耳元にボソッと吹き込む。

 「若宮君、とか……?」

 胸に当てた手を見下ろし、考え込むように黙り込んでしまった千恵に、

「まさか夏也じゃないよね?」

更に尋ねた。

 これには、

「え……、何でそこで夏也が出てくるの?」

と即座に逆に尋ねる答えを返した。

 隣で夏也ががくりと項垂れる。那由他は取り敢えず、夏也の背をいたわる様に叩いてやった。

 「ねえ、千恵。今日これからヒマ? ――ヒマだよね? ちょっと私に付き合って。たまには男抜きで女同士のお喋りしましょう。……若宮君、ちょっと千恵、借りてくね? ああ、夕飯時までにはちゃーんと返すから」

 皿が全て綺麗に空になったのを見計らい、風花は相変わらずの強引さで千恵を引っ張って行ってしまった。

 「おい、お前はこの後ヒマか?」

 それを那由他と共に見送った夏也が不意に尋ねてきた。

 「……特に予定はないが」

 「なら、お前は俺に付き合え。ああ、風花が千恵を解放するだろう頃合いまでには開放してやるから安心しろ」

 ついて来い、と席を立ち店を出る。

 「……?」

 そうして連れて行かれたのは。

 「道場……もしかしてここが千恵の言っていた……」

 「ああ、祖父ちゃんがやってる道場で、親父も通ってたってんで、昔は俺や兄貴も通わされてた。千恵に……女相手に全然勝てなくて悔しくて、面白くなくなって俺は早々にやめちまったけどな」

 カラリ、と引き戸を開けて声を張り上げた。

 「おーい、祖父さん居るんだろー?」

 建物の外観は、この街に数ある住宅とほぼ変わらぬ装いだ。取り立てて古くも新しくもなく。扉の先には一本、縦に長い廊下が裏口の扉まで続き、左右の壁に幾つか引き戸が並んでいる。

 その一つががらりと開き、柔道着を着た男――おそらくあれが夏也の祖父なのだろう、それを踏まえれば歳は七十前後と思われたが、年の割にはまだ若々しく、かくしゃくとした雰囲気がある。

 その彼は、つかつかと孫へと歩み寄り。

 いきなりガツンと、夏也の頭を容赦なくグーで、殴りつけた。


 

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