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第拾話 an ordeal

 「良いのか、本当に。……たかがモノノケ一匹の為にお前は命を捨てると申すのか?」

 チエに問うたのは、人づてならぬモノノケづてにようやく見つけた神だ。

 「――必ず戻ると、お約束したのです。あの方を、あそこからお救いする術を携えて、必ず戻ると。再びお会いできるその日を夢見て……それだけを支えに私はここまで参りました」

 降って来るような荘厳な声に、チエは首から下げた赤い勾玉を胸に抱き、静かに答えた。

 「長く、辛い道のりでしたが……今もあの方が感じてらっしゃるであろう苦しみを思えば、大した事ではございません。そして、今ようやくあの方をお救いする術を見つけることができたのです」

 

 あの日――あの町を旅立ったあの日から、チエは歩き続けた。


 那由他を封じた術がどういったものなのか。

 それを知るため、遠く他所の教会へ出向き、彼を封じた神父と同類の者らが集う中で、彼を害した教えを必死に学んだ。

 祓魔師エクソシストが扱う術は基本的に彼らの「神」に仕える天使の力を借りたものである事。

 あの時展開された魔法陣から、地水火風を統べるとされる大天使の力を用いた術である事も知った。

 だが、その力を打ち消す為の術など、当然と言えば当然だが、どの教典にも載ってはいなかった。

 だが、チエは考えた。彼らの言う天使とは、位の高い精霊の一種の様なものなのではないかと。

 それならば、同等の力をぶつけて相殺すれば、術を打ち消せるのではないかと。


 そう考えたチエは、今はもう懐かしい、那由他と過ごしたあの山へと出向き、彼から預かった力を使い、山のモノノケたちに話を聞いて回った。

 そこで得た情報を頼りに、モノノケからモノノケへと、噂を集めて回った。

 ……モノノケ相手に、ただで情報を得る事はできない。

 例えば、髪や生爪だったり。例えば血や肉だったり。あるいは寿命の一部だったり。まさに文字通り身を削りながら辿り着いたのは、四獣と呼ばれる神の獣。

 地の玄武、水の青龍、火の朱雀、風の白虎。

 彼らの棲まう地を、これまたモノノケ伝いに探し当て、彼らの“印”を分けて貰って歩いて。

 そうして集めた力を今、術として成す為に訪れたのは、四獣の長である神、応竜のを祀る社の奥、異界との狭間の谷間で。

 「これは私にとって最後の試練なのです。もう一度、あの方にお会いするための……あの方との幸せな永久の日々を得る為の試練を受ける代償が、今世の命なのだと、ただそれだけの事です」

 山の頂。深い霧のかかる幻想的な景色。――そこは既に人の世とは一線を画した神域。

 「その術を扱うのに、人の身では耐えられない。一度魂だけの存在になる必要があるだろう。その身体で死を迎え、転生を待つ間に魂の中で術は熟し、再び転生してこの世に戻って来た時、初めてその術は発動する――が、一度転生すれば今ある記憶は全て魂の奥へ封じ込められ、新たな生ではまず思い出せなくなる。……事実、前世の記憶など今思いだせるか? 思い出せないであろう? だがその術は、そのモノノケとやらが封じられたという棺に直接触れるか、もしくはほど近い場所に十余年あまりもの間居続けねば効果は無い。まあ……一日たりとも離れてはならん、とまでは言わぬがな」


 それを聞いたチエは、胸を撫で下ろした。

 「……“あれ”を、彼らに託してきて良かった」

 だから、大丈夫。


 「応竜さま、お願い致します。術の完成の為、お力をお貸しください」

 チエは迷う事なく応竜に頭を下げた。

 「――決心は、揺るがぬのだな。良いだろう、承知した」

 とぐろを巻いた竜神が、三つ指の手に持った龍玉を掲げた。

 「お前の死後、術を仕込んだお前の魂を確実に天へ送り届けると約束してやろう」

 龍玉が、淡く光る。――と、チエの前に杯が一つ現れた。杯は透明な何かの液体で満たされている。

 「杯を干せ。さすれば、魂を穢れさせる事なく確実に死ねる。……ただし、苦しまずに死ねるなどとは思うなよ。自ら命を断つ行為が罪である事に変わりはないのだからな」

 「……ありがとうございます」

 神に、助力の礼を告げ、チエは杯を手に取った。そのまま口元へ運び、くぴっと一息にあおる。ごくり、と、ほんの一口分の量の液体を飲み込んで――杯が、手からこぼれ落ちた。

 杯は、地に落ち割れる前に霧の様に消え失せ、代わりにチエの身体が地へと倒れこんだ。

 全身に雷を打ち込まれた様な凄まじい痛みが走る。

 せめて、この神の前で悲鳴を上げてみっともなく転げ回る様な失態だけはすまいと必死に地面を掻き、歯を食いしばって悲鳴を堪える。

 痛い、痛い、痛い。頭の中にそれしか思い浮かばなくなるが、それでも脳裏に焼き付いて離れないのは、那由他の顔で。

 この痛みは、彼を救うための試練の一つ。そう思えば、この位は耐えられる。

 次第に思考がぼやけ、那由他の顔もぼけていく。

 その凄まじい痛みすらも、暗闇の奥の更に奥底へと沈んでいき――


 そして、何も分からなくなった。


 

 「……あ、いけねぇ。俺ぇ、もしかして寝過しちまったかも? うわぁ、やべぇ! い、急がねぇと、チエ様にブチ殺される!!」

 むくりと、ほら穴から顔を出し、辺りを見回してから、慌てた様にそこから飛び出し、深い山の奥、生い茂る森や林の中を、神速で駆け抜ける大きな獣があった。

 「大事な預かり物、主に届けろってご命令だったな。……ああ、懐かしい。確かに、主の匂いと気配だ」

 獣は、嬉しそうな顔をした。

 「チエ様、やったんだな。さっすがチエ様! もうしばし、待ってて下せぇよ! 今すぐ、馳せ参じます故!」

 山の獣――猿や鹿が怯えて逃げまどい、冬眠前の食い溜め中の熊でさえ、慌てて路を譲る中、獣は巨体に似合わぬ軽快な足取りで疾走を続け――




 ……何だろう、またまた、またしても何だか妙な夢を見た気がする。

 炊飯ジャーの蓋を開け、きちんとご飯が炊けているのを確認し、湿したしゃもじで十字を切り、ふんわりとかき混ぜながら、千恵はため息をつきつつ眉間にしわを寄せた。

 妙な夢を見た、という気はするのに、やはりというか夢の内容が思い出せない。

 考え込みながら、鰹出汁と薄口しょうゆを煮たてた鍋に、溶き卵を流す。

 と、キッチンタイマーが鳴った。

 コンロ下の魚焼きグリルを開け、ジュウジュウと鮭の皮目に程良く焦げ目がつき、良い焼け具合なのを確認し、皿に盛る。

 塩茹でしたブロッコリーをゴマで和え、盛り付けた皿を食卓へ運ぶ。

 四人掛けの食卓に掛けながら、興味深そうにテレビを見ている那由他の横に、もう一人――いやもう一羽居る。

 「……これはテレビ、という機械……道具でございまして。遠く他所で写したものを、これで見る事ができるのです。これは毎朝やっている報道番組で、いわゆるかわら版の映像版みたいなものでして……」

 と、文明の利器について説明しているのは――あの昨日のからす。

 「え、……と。ご飯、出来たんだけど……そちらは?」

 那由他の前に皿を並べつつ、尋ねると、からすが頭を下げ、

「我が名は天羽――約150年、この家に憑いている家神に御座います」

と、人の言葉を喋った。

 「……千恵。お前、天羽が視えるのか?」

 その横で、那由他がからすと千恵とを見比べながら尋ねる。

 「え……? そりゃぁ、まあ。だって……普通に居るし。……でも、そういえば夏也は気付いてなかったみたいだったよね、昨日」

 「千恵様の持つ魂の御力――なのでしょうな、やはり……」

 天羽はポツリと小さく呟き、その言葉に2人が怪訝そうな表情をするのを見て、

「……迅め。一体何処で道草を食っておる。よもや、まだどこぞの穴ぐらで寝こけている等とは申すまいな」

忌々しげに呟く。

 「――待て。今、迅、と申したか? 迅を知っているのか?」

 「……迅の事は、覚えておられるのですね。はい、存じ上げております。那由他様が封印されてしまわれた後の事ではございますが、直接会いましたので」

 「!、お前は当時の事を知っているのか?」

 「――直接は、存じ上げておりません。私は、とある方から事情を伺い、そのお話の内容を存じているのみでございます」

 「……とある方?」

 「はい。その御方は那由他様にお仕えしておられた最後の巫女様に御座います」

 那由他の脳裏に一瞬、夢の中の笑みがちらついた。

 「最後……、私の記憶にある一番最後の巫女の名はユリ……そう、任期を終えた彼女を見送って――」

 見送って、そして――

 「……その後の記憶が――ない。封印から目ざめた直後はまるで頭にもやがかかった様で、自分の名すらまともに思いだせなかったが……」

 那由他は、ちらりと千恵を見やった後で目を伏せる。、

「あの夜、千恵に触れた時に感じた熱がそのもやを掃い、私は自分の素生を思い出せた。それでもまだ朧だった記憶も、千恵から血を得て取り戻した。だが、その記憶だけ、未だ深い霧に覆われ、良く思い出せない」

 「……ユリ様は、かの方の前任の巫女にございます。彼女に代わり、次代の巫女として選ばれたかの方は、那由他様が封印された後も、那由他様の巫女として、那由他様の為に、その封を破る術を探し続けておられました」

 「……巫女、が? まさか――」

 天羽は、ふさふさの胸元の羽毛を掻き分けるように嘴を挿し入れ、そこから何かを咥えて取りだした。

 それは、赤い珠――いや、それには見覚えがあった。赤い、勾玉……。

 「これは、かの方から託され、今日まで丁重に御預かりしていた物。記憶の封を完全に解く為に必要な三つの鍵の内の一つにございます」

 天羽は、それをそっとテーブルに置いた。

 那由他は怪訝な顔でそれを眺めながら手に取り、そして首を傾げた。

 「……特に、何も感じないのだが」

 「はい。……残念ながら、それ一つだけでは何の用も為しません。三つのうちのもう一つの鍵は、迅がかの方から託され、護っているはずなのですが――」

 「――迅、が? 巫女の……人間の頼みごとを聞き入れた……と?」

 ポカンと大口を開けて唖然としながら、那由他は信じられない、と小さくぽそりとこぼした。

 「鍵は、三つある、と言ったな。後の一つは……」

 「すでに、揃ってございます。ですから、迅が持つ鍵が最後の一つ――それさえ揃えば」

 天羽は、千恵を一度真っ直ぐ見据えた後で時計を眺めて言った。

 「ですが……今は、迅がそれを持って参らぬ限り、どうにもなりません。――お時間もそろそろ無くなってまいりましたし……この続きはまた後ほどにして、今はお食事をお召し上がりになられては如何ですか?」

 天羽の視線につられて振り返った千恵が悲鳴を上げた。

 「ぎゃあ、もうこんな時間!! 早くしないと遅刻ー!!」

 慌ただしく食卓につき、猛然とご飯を掻き込む。

 「……」

 那由他はまだ何か考え込んでいる様だったが、それでも茶碗と箸を手に持ち、黙々と食事を始めた。

 微妙に固かった表情が、一瞬、和らいだ。それは、ブロッコリーの胡麻和えを口へ運び、一度、二度と咀嚼した時の事。

 どうやら好みの味だったらしく、「……うまい」と千恵の耳にぎりぎり届く程の小声でポツリと呟いた。

 もくもくと、皿に盛った分をあっという間に平らげてしまった。

 時間は正直結構切羽詰まってきている状態なのに、自宅での食事――とくに朝食に限っては一人で食べるのが当たり前だった千恵は、なんとなく漂うほのぼのとした空気に思わずそのまま和んでいたい気分になる。

 ――が、もちろん現実にはそうはいかない。食後のお茶を啜る那由他をしり目に、大急ぎで2人分の弁当を用意する。

 

 そして。十数分後。

 隣で小馬鹿にした視線を向ける夏也と、張り切る千恵とを那由他は引きつった顔で交互に見比べた後で、ため息をつき、顔を引きつらせたまま一応、尋ねてみた。

 「……千恵。私に、一体何をしろと?」

 「うん? だって那由他の自転車は無いし、そもそも乗った事無いでしょ? だから取り敢えず私の後ろに乗ってって」

 千恵が、自転車の荷台を指して言った。

 「もうちょっと時間に余裕があれば歩いてでも行けるんだけど……、」

 「今から歩いて行ったんじゃ、確実に遅刻だな。別に、一日か二日位なら、兄貴の自転車貸しても良いけど、……乗れないんだろ、お前?」

 「……確かに、乗った事はないが――」

 へへん、と少々得意げな表情を隠しもせず鼻で笑った夏也に、少しムッとしながら答えるも、

「今は『初めての自転車講習』やってる時間はないんだ。……とはいえ、お前と千恵とで二人乗りなんかさせられるか。おい、お前。千歩譲って俺のに乗っけてってやるから、うだうだ言ってねーでとっとと乗れ」

 ――千恵の後ろに乗るよりは……と、渋々彼の後ろで荷台にまたがるハメになる。

 忙しない朝の街を、2台の自転車が軽快に走り抜けて行く。

 今日も、天気は良さそうだ。だがその分朝の空気は冷え、頬に当たる風が冷たい。

 那由他は、遠い青空を仰ぎ、眩しい日差しに目を細め――。

 千恵は、それを少し後ろから眺めつつ、朝の話を思い返し――ツキン、と心にできたささくれ傷が地味に痛むのを感じ、首を傾げながら、自転車のペダルを思い切り踏み込んだ。


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