裏切りの価値
「――ベルナルド王太子殿下、私と結婚してくださらない?」
そう告げた時のベルナルドの瞳は、普段の冷めた色が更に深く沈み、真意を問うように怪訝なものとなった。
この人はどこか自分と似ている。
だからこそ、了承するに違いない。
エリザベートにはそんな確信があった。
「……理由次第だ。私がここへ身を寄せなければならない事と関係しているのだろうな?」
目論み通りの答えが返ってきた事に安堵し小さく顎を引き、それからエリザベートは周囲を見渡した。
四方を白壁に囲まれた吹き抜けの温室は王宮よりも簡素で静かだった。
整った芝の上には不自然に林檎の木が一本だけ植樹されている。
ここはソフィーナ公爵令嬢の叔母にあたる、オリハルト公爵の妹の邸だ。
彼女は既に他界しており、邸の管理はオリハルト家が行っている。
リュートスを使いベルナルドを襲撃から助けたのち、この屋敷まで連れてきた時点で、エリザベートが味方であることは伝わっているはずだ。
なぜならこの家は、ベルナルドとシェリルの実母が所有していたもの。
この邸宅の意味を知るのは、エリザベートを除きオリハルト公爵と国王だけではないだろうか。
いや、実際はそう推測しているだけで誇大妄想なのかもしれないが。
「殿下には、私の隠れ蓑になって頂きたいのです」
「君ほどの女性が追い詰められているのか?」
納得と疑問を同時に言い含む問いに、エリザベートの心臓は疲弊したように弱々しい痛みを覚えた。
ロイドの暴挙には予感があった。
魔法使いだと紹介する少女二人を己の所有物のように扱っていた時点で、常軌を逸していたのだから。
結局はロイドも父に似ていたということだ。
しかしあの頃はまだ、ロイドの憎しみはフランドール家にのみに注がれていた。
根底にはガスト・フランドールを象徴とする貴族に対する憎悪があったことは容易に想像できたが、それが現実に肥大して、さらに王家にまで手が伸びたのは予想し難いことだった。
なぜなら――憎むことだけなら容易に出来る。
しかし一線を越えるのは、精神を擦り減らす不快な感情を凌駕するほどの勢いが必要だ。
つまり己を正当化し、実行し続ける精神。
ロイドにはその原動力があったというわけだ。
エリザベートは、ベルナルドの言葉の棘ごと呑み込みながらため息を零した。
”君ほどの”というのは、実の妹を冤罪に追い込んだという意味が含まれている。
そのことに全くの後悔がないわけではなかったが、エリザベートは冷静に答えた。
「……ロイドは名前を使って人探しが出来る魔法使いを抱えているのです」
「なるほど」
「本当は、もう逃げ出したいのですが……私にはロイドの暴走を止める義務がありますから。私が止めなければ」
零れた本音に一瞬、ベルナルドが目を瞠る。
鉄の仮面を被ったまま理由を述べるつもりだったが、一刻の猶予を争う切迫感は疲弊した感情をどうしても吐き出さずにはいられなかったのだ。
「混乱を避けるため、神殿と共にロイドを秘密裏に捕まえる算段を立てています……しかし私の所在を探知されては支障が出てきますのでお力添え下さいませ……」
ドレスの裾を掴み片脚を引いて可能な限り低く腰を落とす。
可能な限りの深い礼を見せると、しばらくの無言のあとベルナルドが問う。
「――なぜ私なんだ?」
「確実に信用できるのが殿下だからです。それに……殿下は探知できない名をお持ちでしょう?」
視線を上げて伝えると、ベルナルドからは呆れたような吐息が零れる。
「……やはりここに連れてきたのは偶然ではなかったのか」
「他言はいたしません。私は罪人ですから、この一件が収まればすぐに離縁いただき裁いて下さいませ」
――そう。後始末は自分でしなければならない。
ヒストリアの冤罪を隠し通し、フランドールのお家騒動が誰の目にも留まらず忘れ去られればエリザベートの勝ちだった。
だが、ロイドによる王家の乗っ取りにまで発展してしまった。
エリザベートには暴走を止める責務がある。
その強い意思を、ベルナルドは理解してくれたようで静かに頷いた。
「分かった。君と結婚しよう。欲しいのは私の真名だろう」
やはり彼ほど王に相応しい人物はいない。
ロイドにこの国を握らせてはならない。
――――しかし、このあとエリザベートはロイドの真価を見ることとなった。
己を正当化し、実行し続ける精神。
この二つ以上に必要なのは、もしかすると”強運”なのかもしれない。
ユリアンを放ち、ドラゴンに転身して逃亡する姿に安堵しきっていたのがいけなかった。
国王や重鎮のみならず、脅威となる生物にまで姿を変えることの出来るユリアンをロイドから引き剥がせば神殿の騎士で容易に制圧できると踏んでいた。
しかし、目の前に広がるのは崩れ落ちる騎士達の姿。
雨粒が叩きつけるなか、叫びや嗚咽、虚ろな瞳で譫言を零す。
そんな騎士らを物陰から見ていたエリザベートは動揺していた。
引きつれていたリュートスも状況を飲み込むべく緊張の面持ちで、ロイドを庇うように立ちはだかっていた老齢の男を見ていた。
不思議な現象を起こしたことから察するに、魔法使い。
そしてロイドは直ぐに私兵を使いアリアを連れてこさせた。
「ユリアンの行き先を教えろ。あいつの動きには迷いがなかった。姉のお前なら目指す場所が分かるだろう」
瞳を閉じ、項垂れたままのアリアはロイドの声を無視している。
しかしロイドがアリアの首を掴み絞り上げると、その黒い瞳を覗き込みながら命令する。
「素直に吐け。でなければ探知しろ、アリア」
「っあ゛……は、っ……」
「ついでにエリザベートも調べろ。僕を追い詰めた気になっているあの傲慢な女を始末する」
憎々し気に吐き捨てるロイドの言葉に緊張が走る。
ロイドの性格からして自尊心を傷つけたエリザベートを野放しにしておくはずがない。
そうなる前に、早急に事態を収拾する手筈だったがあの魔法使いによって阻まれた。
「お嬢様、退きましょう」
今は一刻も早く退避し距離を取るべき、そう理解すると同時にリュートスの声が落ちる。
頷き、撤収の意思を伝えるため、更に後方へ控えていた神殿の使者を見遣る。
大司教より、正式に捕縛するための立会人として同行が義務付けられていた男に呼びかけようとしたが、彼は感嘆の声をあげていた。
洗脳を受け、ふらふらとした身体でアリアが探知を始めるために手に光を灯し呟いている姿に感激を受けているようだった。
「素晴らしい……本物だ」
――おかしい。
心酔したように恍惚とした表情を浮かべる男にエリザベートはぞっとした。
「行きましょう」
違和感を覚え、男を残しドレスを抱え走り出す。
追随するリュートスだったが、不意に立ち止まると声を上げ、短剣を投擲する。
「お嬢様、お逃げ下さいっ!!」
エリザベートの顔の横を短剣が鋭く飛ぶ。
その先の狙いは物陰から現れた大司教だ。
しかし短剣は護衛の騎士の盾により弾き落とされ、刃物が地面とぶつかる高い音が響く。
「危ないですね……どこへ行かれるのですか?エリザベート様」
神殿に居るはずの大司教が静かに歩みより、エリザベートは息を呑んだ。
その恰幅のよい身体を包む銀白のローブを両手を広げて問う表情は、これまで見てきた慈愛に満ちたものとは異なる笑みを浮かべていた。
「……見物を終えたのよ。大司教様こそ、いきなりこのような場所へ出てこられるのは危険ですわ。当たらなくて本当によかった」
心にもないことを告げ大司教の出方を窺っていたが、直後に後ろからロイドと共に魔法使いが現れ、リュートスに向かって手をかざす。
光が真っすぐに伸びて避ける間もなくリュートスを捉える。
眼を瞠りその場に崩れ落ちるリュートスに、エリザベートは今度こそ迷いなくドレスに隠し持っていた拳銃を構えた。
その銃口は魔法使いでなく、ロイドだ。
「止めさせてちょうだい」
しかし背後では神殿の騎士が剣を抜き、エリザベートへ向けている。
「エリザベート様、その銃を降ろしてください」
大司教は至極穏やかに言った。
「なぜですか……?ロイドは国王を殺したのです。彼を捕まえることは神殿の意思では?」
振り返らずに大司教に問えば荘厳な語り口で信じられないことを告げた。
「――――変わったのです。そちらの魔法使いが素晴らしいことを教えて下さったのでね。神殿は、聖者ロイドを支持します」
その宣言にロイドの隣に佇む魔法使いはにやついている。
「ロイド様がその気になればシルドバーニュだけでなく他国も服従させられる」
その言葉にエリザベートは悟ったように銃口を降ろした。
それを見た大司教が回り込むように歩み寄り、媚びるようにロイドの前に跪く。
「……聖者がいれば世界を支配することも容易い。王家よりもロイド様を国の象徴にいたしましょう。神殿は助力を惜しみません」
――裏切られた。
だが嘆いている場合ではない。
ここで終わるわけにはいかないのだ。
足元で痙攣するリュートスを苦し気に見遣ったあと、余裕の出で立ちで近づいてくるロイドに向き直り眇めた視線を流した。
「どうして僕の邪魔をした?君は賢いと思っていたが見損なったよ」
久しぶりに顔を見たロイドは少しやつれているように思えたが、それはお互い様だろう。
疲れと憎悪に満ちた表情でエリザベートをなじる言葉に片眉?を上げる。
それから口角を持ち上げて、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「邪魔だなんて……試しただけよ」
「なに?」
「ロイド、あなたの前から去ったのはあなた自身が冷静さを欠いていたから。その魔法使いがいなければ追い詰められていた……違う?」
視線を魔法使いへと流し、エリザベートは自分が正しいといわんばかりの高圧的な口調で言った。
「何が言いたいんだ」
「証明して欲しかったのよ。あなたが理性を保って行動しているか。運命はあなたを選んだわ……。私は無駄な足掻きで破滅の道を歩むのが嫌いなの。知っているでしょう?」
通じるかは怪しいが、これがロイドの自尊心を削がぬ最良の言葉だろう。
あからさまにならないように、しかし意図が伝わるように、本当に見限ったわけではないと主張した。
友人を救えなかった過去に重ね、嘘と本音を言い混ぜて。
「つまり僕が破滅するか見定めたかったと?」
疑念の眼差しを向けながら、ロイドは問う。
袂を分けた日も彼は言った。
エリザベートとユリアン達がいれば王家を乗っ取れると。
つまり、ロイドは一人を想定していない。
これから魔法使いや神殿が味方につくとはいえ、ロイドは疑い深い男だ。
いきなり擦り寄ってきた人間とは言葉の重みも違うはずなのだ。
六年。その歳月を共にした実績は、エリザベートの行為を単なる裏切りで終わらせられない感情を抱かせているはずだ。
「そうね。運があなたを選んだのだから、これからは大人しく従うわ。リュートスと私を生かすなら、あなた達が望む印になって差し上げてよ」
会話が成立しているのがその証拠。
結局、厚かましいと言われようとも、媚びを嫌う男には同等以上に接するのが効果的なのだ。
心の中の震えを押さえつけエリザベートは目を細めた。
「は……裏切り者がよく言う…」
「あら。行方不明者や死者の体裁を整えるのは苦労するのじゃないかしら」
ロイドは訝しんでいたが、しかし魔法使いは楽しげに言った。
「良いのでは?神殿もエリザベート様も手に入るのは都合がいい。手に掛けるのはいつでも可能だ」
その進言にロイドは舌打ちし、落としどころを見つけたように告げた。
「……いいだろう。こいつが言うなら今回だけは見逃してやる……次に裏切れば……分かってるな?」
「ええ。勝手にすればいいわ」
ロイドが魔法使いを見遣るとリュートスは瞼を閉じ、正常な呼吸を取り戻した。
気を失っているが生きている。
エリザベートは慎重に、安堵の吐息を密かに零した。
――これで時間をかせぐことが出来る。
今後は別の手立てを考えなければならない。
だが、もうエリザベートひとりでは手に負えないことなのかもしれない。




