裏切られた誠意
「教えて欲しいの。エリザベートのこと」
ヒストリアがそう言ったあと、二人の間には緊張感が流れた。
「姉が感情的になったのは、あなた達に対してだけだったわ。私よりあなたの方が姉を知っているはずよ」
あの裁判所で名を呼び泣き崩れているエリザベートをベリルが見逃しているはずがない。
ベリルの父が起こした事件の顛末に対し、エリザベートが自身の取った行動に後悔し、自分たちに思い入れがあったであろう心の内に気付かないわけがないのだ。
「……なにを語れって?」
重い口調で口を開いたベリルは剣呑な眼差しをしていた。
柵を背に肘をかけ凭れかかりながら、ヒストリアを見遣る姿には棘のようなものがある。
「なんでもいい。少しでいいから、なにを考えていたのか知りたいの……姉は、あなたから見てどんな人だった?」
ベリルは顎をやや上に傾けたあと視線を逸らし、肩で息をつくように長い息を吐く。
沈黙が落ち、目の前の姿には迷いと疲れの色が見える。
当然だろう。
姉を語らせることはベリルに過去を思い出させる行為なのだ。
「ベリル……お願い」
ヒストリアは懇願した。
これまで蔑ろにしていた姉を今更気にするなど、二人が友人関係であったという事実を思えばベリルにとって面白い話ではないだろう。
今までのヒストリアに対する態度から見るに、過去はなかったこととして”辺境に追放されたただの令嬢”として今のヒストリアを見てくれていた気さえするから尚更だ。
わざわざ抉り出すことのない話を蒸し返し、姉を思い出させようとするのはベリルの気心に対し礼を欠く行為ともいえるだろう。
だが、ヒストリアは譲れなかった。
「うまく出来るか分からないけれど、姉と向き合いたいの。そのためには私の記憶だけじゃ足りない」
瞳は揺れ、胸の鼓動が高鳴る。
暫くしてベリルは諦めたように言った。
「……あいつは悲観論者だ」
その言葉の意味をヒストリアが飲み込もうとしているとベリルは続けて噛み砕くように告げる。
「まだ起きてねぇ最悪ばかり考えてた。危機管理と言や響きはいいがな……」
そこで言われてようやく胸に落ちる。
まだ見放されていなかった時期に、姉から受けた注意の数々。
それはヒストリアを思っての言葉だったかもしれない。
あの時だって。父の目の前でケーキを譲ろうとした時、姉は受け取らなかった。
ヒストリアが聖印を授かるまでの扱いを考えれば、父が不機嫌になるという未来が視えていたのかもしれない。
些細な行動の結果から生まれる周囲の感情を読み取っていたのだろう。
姉の行為の数々を、ヒストリアはずっと意地を張っているものだと思い込んでいた。
だがもしかすると……。
エリザベートは父の愛は得られなくとも姉妹の絆にだけは、まだ期待していたのかもしれない。
行動の裏が読めなかったヒストリアを姉はどう思っただろう。
小さな期待を何度も挫かれ、最後は無駄だと考えたかもしれない。
「なまじ頭がいいってのも考えもんだな。先を見過ぎて、ついでに欠点まで見つける。どうしてそうなったんだか」
ヒストリアを見遣るベリルの視線に喉の奥が苦しくなる。
「私や父のせいね……」
絞り出した言葉は自分に向かって襲い掛かってくるような気がした。
「今さら分かったのか?」
ベリルの冷めた声には非難が混じっている。
しかし続く言葉は反転して、いつもの軽口に似たものだった。
「まぁ、地の性格もあるだろうがな。お前が冤罪でここに追放されたって話にあいつが関わってるなら、悪い方に前向きになったようだな」
――ラキュウス辺境伯に一刻も早く事態を伝えるために、ヒストリアは鞍の上で馬に揺られていた。
慣れない振動と高い視界は恐ろしく感じたが、これが最速で身軽な移動手段と言われれば従うしかない。ルーメンと一緒に行くと言ったのは自分なのだ。
乗馬は初めてで当然ひとりで手綱が握れるわけもなくルーメンと同乗している。
ヒストリアは馬が駆ける勢いに軸がぶれそうになったが、その身体をルーメンはしっかりと支えてくれていた。
ユリアンはといえば鳥に姿を変え、追随するように飛行している。
始めこそドラゴンに姿を変え二人を運ぶと主張していたが、それは目立つから今は馬の方がいいと希望するルーメンに従った結果の姿だった。
「ベリルとは話せたのか?」ルーメンが訊く。
「えぇ。姉のことを聞いたの。ベリルは昔、姉と交流があったから……」
どこまで説明すべきか悩みながら、それだけ言うとルーメンは「そうか」とだけ返し深く問うことはなかった。
その様子を背中で感じながらヒストリアはルーメンの反応に恐怖を感じているのだと自覚した。
既に醜態は晒してきたが、敬愛以上のものを感じ始めた今は以前とは違う。
こんなにも緊張するなんて。
軽蔑されるかもしれないという恐怖に顔を強張らせながら、しかし知っていて欲しいとも思う。
迷いの色を浮かべながらヒストリアは考えた。
伝えるなら今が一番なのかもしれない。
密着しルーメンは背後にいる。今なら正面から顔を直接見なくて済む。
だから言えることもある。
「私、ベリルのことで姉を傷つけることを言ったわ。父の真似して、平民は家畜だって……関わるべきじゃないって。平民はみんな野蛮だと信じてたから。過剰な制裁を加えようとする父を正義だと思ってた……きっと落胆されたと思う」
通りすぎてゆく木々を視界も端に捉えながらヒストリアはとりとめなく告白した。
姉がベリルの家族と交流があったこと。
ベリルの父が起こした事件。
そもそもの原因は父にあったこと。
罪に対して重すぎる罰を父が求刑したこと。
それに賛同し姉のためを思いヒストリアが発した言葉。
時折激しい揺れに落ちそうになる身体をルーメンが腕を回して抱き寄せる。
「……君はもう平民を家畜だと思ってないだろう」
「えぇ……彼らは貴族の所有物でないし、平民だから野蛮だなんて決めつけられない。……階級や呼び方なんて、国が上手く回っていくための記号なのよね」
「そうだな」
「でも。だからって冤罪まででっちあげられる謂れはないとも思ってる。姉を理解したい気持ちと憎しみが両方あるの」
ヒストリアは少しずつ形を成していく姉の姿にこれまでの自分の態度を反省する一方で、極論に至った姉の行動をまだ完全には理解できないでいた。
「当然だ。人間らしいじゃないか」
ルーメンはヒストリアを否定することなく手綱を握り前を見据えたまま静かに言った。
「でもこんな私って聖女らしくはないわよね……」
ここはしおらしく自分も悪かったと許すところだろう。そういう人間の方はきっと懐が広いと評価される。
しかし同居する感情の一つを完全に消すことが出来ない。恥いるように告白したのはルーメンに答えを求めていたからだろう。
「前も言ったはずだ。自分の価値は自分で決めろと。聖女らしさも同じだ。生きていれば感情は複雑になる。感情を無理矢理削る必要はない……君の中で生まれた感情を共存させた上で、どうありたいか考えればいい」
「私がどうありたいか……」
確かにルーメンは以前も同じような事を言っていた。
聖女に献身を求めることを嫌い、祈りは自分のためにするものだと。
どうありたいか考えればいいという言葉に、ヒストリアは押し黙ると風を切りながら考えた。
――憎しみは削るのでなく、御することが必要なのだろうか。
実に一日をかけ移動し、ヒストリアはラキュウス辺境伯の元へと辿り着いた。
ラキュウス辺境伯がディート地区に近い街に拠点を構えていたおかげで早々に謁見することが出来たのだ。
辺境伯らしい最低限の調度品が飾られているだけの実務的な屋敷は、華美を好む父の趣味に塗り替えられていたタウンハウスよりも質素で冷たい雰囲気を感じさせる。
襲撃があったことを報告し、それがロイドの手のものであること、ユリアンの証言によりヒストリアの罪が冤罪であったことを報告すると、その冷徹な表情は微かに揺らいでいた。
そして何よりもラキュウス辺境伯を驚かせたのは国王が既に暗殺されているという事実だった。
「まさか国王が死んでいるだと!?……では今あの椅子に座っているのは誰だというのだ。王宮内で異変は起きていないはずだ」
「分かりません。……影武者、あるいはユリアンと同類の力を持つ魔法使いの介入などが考えられるでしょう」
ルーメンが仮説を立てるとラキュウス辺境伯は窓辺を見やり暗闇を見つめていたが、その姿は心を彼方に向けているようにも見えた。
「この国はロイド・フランドールによって密かに乗っ取られようとしているのだな……」
放心とまではいかないが、棘を抜かれたような声音でラキュウス辺境伯は呟いた。
思いつめ、一度は王位簒奪すら考えていたラキュウス辺境伯にとって、あまりにもあっけなく私的な理由で国王が殺されたことは動揺するに十分だったはずだ。
「ラキュウス辺境伯。早急に国王の正体を暴かなければなりません」
「あぁ、そうだな……」
辺境伯は息を吐き、傍に控える騎士を見遣ったあと頷いた。
「国務は通常通り執り行われているようだが、問題のシェリル王女とロイドの婚約については式の日取りが決まってしまった」
「それはいつですか……?」
ヒストリが恐る恐る問うと、ラキュウス辺境伯は固い声で告げた。
「明後日だ」
「そんなに早く……?」
あり得ない話ではない。急ぎの理由がある場合は婚約間もなく正式に婚姻するものだ。
だが王族となれば貴族以上に政治の調整に慎重になるものだ。
本来ならばシェリル王女は外交目的に他国からの婚姻の打診があるはずで、恋愛を理由にロイドとの婚姻を急いで進めるためには国王以外にも強い後ろ盾が必要になる。
「私が貴族院を通して正式に抗議したことが、返って逆撫でしたのかもしれんな」
いくら貴族から遠巻きにされているラキュウス辺境伯とて、王弟という立場は揺るぎなく発言権が強い。
ラキュウス辺境伯を盾に、シェリル王女とロイドの婚姻に難癖をつけたい重鎮らとの思惑が一致し、正式にロイドとの婚姻に対する抗議の文面を送り付けたらしいが、ヒストリア達に対しラキュウス辺境伯は重々しく告げた。
「結局、抗議は退けられた。最終的な決め手となったのは神殿までもが国王を支持したことにある」
その発言に皆が押し黙る。
「ロイドこそ神殿と繋がりなんてなかったはずです……しかも姉は神殿の騎士まで動かしてユリアンの逃亡を助けたというのに、切り捨てられたっていうの……?」
ヒストリアは混乱していた。
エリザベートはロイドを見限り、神殿に協力を仰いで暴走を止めようとした。
神殿は姉の、いや、国の味方ではないのか。
その疑問の答えを提示するかの如くルーメンは暫く考えたあと静かに言った。
「接点のなかったところが何らかの思惑の一致で繋がったか……。もしロイドが聖者であると証明されたなら、神殿はそちらを選んだのかもしれないな」
魔法使いを洗脳する力を持つ聖者。
その驚異的な力で忌諱されていた魔法使いを自在に操る力は、大聖女よりも有益ともいえるのかもしれない。
それを理解した瞬間、ヒストリアは胸の内を濁らせた。
「そんな……だったら姉はどうなるの……」




