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聖女は幸福の歌を思い出す

ヒストリアは窓辺で考えていた。

ラキュウス辺境伯の来訪から半月、今日も外ではベリル達が連れたきた雇人らとルーメンとが現場への出発前に瘴石採掘の進捗について話し合っている。その姿を眺めているうちに、ふとルーメンと視線が合った気がしたが、さりげなく外されるのを見てヒストリアは眉根を寄せた。


辺境伯の来訪以降、ヒストリアとルーメンの関係はヒストリアが感じるに、少しぎこちないものとなっていた。


表面上は至って変わらない。しかしどこか距離を感じさせるのだ。

理性的で清廉な姿はいつもと同じ。だが気を許されているかの如く時折見せる、ヒストリアを揶揄して愉しむ一面が鳴りを潜めていた。

適切な距離と言われればそれまでだが、ヒストリアにとっては不満である。


少し寂しく、そして何よりルーメン自身のことを殆ど知らないのだと気付かされ、もどかしかく目を細めては眉尻を歪めた。


なにより気になるのはラキュウス辺境伯の発言だった。

『よその国の人間に』

確かにそう言っていた。

辺境伯の言葉から察するに、ルーメンはシルドバーニュの出身でない、他国の人間なのだ。

そんなことすら知らなかった。

ルーメンは未だに謎が多い。

二人で過ごす日々の中で勝手に分かった気になっていたが、実のところ生い立ちも、研究に固執する理由も、本人の口から詳しく聞けた試しがないのだ。


しかしそのことを悠長に悩んでいられるほど、今のヒストリアに余裕はなく、瘴石を両手を握り締め大きく息を吸った。


聖歌に力が宿るよう祈りを込める。


起源は民衆の子守唄。音階を間違えぬよう、どこまでも遠くに響くよう、皆を守れるように歌う。

たちまち白銀に輝いて、それは浄化石作った時よりもさらに強く、大きな光になった。このまま握り締めた瘴石に聖力を込め浄化すれば浄化石が出来上がることだろう。

しかし瘴石が熱を持つよりも先に光はすぐに消えてしまった。


やはり安定しない。

瘴石の採掘計画は順調に進んでいるというのに、ヒストリアはとても浄化石を作れる気がしなかった。


初めて作った浄化石、あの時は命がけで、時間もないなか意地で作り上げたもの。その時の感情は今も変わらず持っているが、何か特別なものによって後押しされ聖力が安定していたようにも思う。

今の不安定なままでは、大きな石どころか手元の浄化石と同じ大きさのものすら不可能かもしれない。

採掘も進み、これからだというのに。


ヒストリアが使い物にならなければ意味がない。

胸で大きく息をつき、俯いた。


子猫が傍にきて慰めるように鳴くので、瘴石を机に置いて抱き寄せてみるが、未だに胸に残る棘は絡みつくようにその存在を示した。


父の言葉が蘇る。

大聖女の印を持ちながら、力を使いこなせないヒストリアの現状を神官から伝えられた時の失望した表情。五感が記憶している。


『まいったなぁ……甘やかし過ぎたか。悪いがヒストリア、その印の責務が果たせない人間に興味はない。私に会いたければ聖女教育に専念しなさい。君なら出来るから』


笑みを浮かべる一方で酷く冷めた瞳でそう言った父は、数日後に王都の邸を当時の家政婦長であるウィラー夫人と共に出て行った。

二人が愛人関係にあったことは姉と取り残されたあとメイドの噂で知ることとなり、一層裏切られた気持ちになって周囲に当たり散らしていたことも鮮明に覚えている。


そして次にヒストリアの父親が帰ってきたのはロイドを連れてきた時。

その時も父親は義兄となったロイドにかかりきでヒストリアの目を一度も見なかった。相変わらず聖女教育が芳しくない窮状を知っていたからだろう。


大聖女の印の出現によって、父の愛とこの国の権力者を得たはずが、気づけば印によって苦しめられていた。

大きな希望のあとに落胆されることほど堪えるものはない。



「お姉ちゃーん!」

不意に知った声が扉の外で響いた。

「……あら、どうしたの?」

扉を開けてみれば双子を連れたベリルの姿があった。


片腕を失ったベリルは今、事務的な面でルーメンに協力している。

賃金の良い現場の仕事をしたがっていたがそうもいかないため、瘴石と雇人らの管理や現場の監督などを行っているのだ。


だが、たしか今日は休みにしていたはずだ。


「悪いが少しの間だけ面倒見てやってくれ。現場で揉めてるっつーから見に来たんだが、ボラフ亭の婆さんが体調悪くてよ」

「かまわないけど、大丈夫なの?」

「そりゃどっちの話だ?」

「どっちもよ。揉めてるのも、お婆さんの体調も」

「あー……どっちも大したことはない。クソみてぇな理由で揉めてんだ。婆さんもただの風邪だ」


歯切れが悪くうんざりした様子のベリルだったが、しかしヒストリアが声をかけるより先に間髪入れずロマが手を上げ声を張った。


「ばあちゃん元気だよ!」

「おい」


えっ、とヒストリアが聞き返すと同時に、ベリルもロマに向き直るが尚も不思議そうに尋ねる。

「なんで嘘つくの〜?」

「だめよロマ。昨日ケンカしたばっかだから行きづらいんだよ。ベリルってほんとガキだから」


マセた物言いで窘めるティアに対し、ロマは納得した様子で「そっか!」と明るく答えていた。

そんな双子に挟まれ、顔を顰めるベリルが舌打ちを鳴らすのでヒストリアはなるほどと笑った。

「それならよかったわ。私はかまわないから、どうぞ行ってきて」


彼らのやり取りに凝り固まっていた肩の力は抜け、ヒストリアは双子を引き取りベリルを見送ることにした。

どうせ焦ったところで浄化石作りは煮詰まっていたのだ。



ロマとティアに会うのは久しぶりだった。

最後に会ったのはベリル達を伴った瘴石の採掘前で、あれから随分と経っている。


双子はヒストリアの家に入ると振り返り、にやにやと含みのある笑みを向けた。


「ねぇねぇ、なんでケンカしてるか知りたい?」


ロマの言い方は居ても立っても居られないといった風だった。見聞きした話を誰かに言いたくてたまらないといった感じである。

「ベリルとおばあさんがなんで喧嘩してるか?」

「ううん。ベリルのおしごとの人とこの」

ヒストリアが訊ねると、ティアが首を振る。

それからロマが興奮気味に捲し立てた。


「なんかね、ボラフの二階にお姉ちゃんがいるんだけどね、すんごいエロいんだけどね、おじちゃんたちが自分のほうがまんぞくさせてるー?とか言って、ケンカしちゃったんだって!ぼっこぼこにしてるって!」


殴る真似をする姿に、高揚しているのはボコボコの部分なのだとヒストリアは理解したあと、苦い笑みを浮かべる。

いったい誰が子供のいる前でペラペラとありのままを喋ったのだろうか。


「それ、誰から聞いたの?」

「スレイが言ってた!ベリルのとこきて、いっぱい喋ってた」

「スレイって声おっきいの!」

双子が告げる名は確かに配慮の文字がなさそうな人物だった。

ベリルを呼びにきて説明する姿が想像でき、なるほどと独り言ちる。


「あっ、この石おもしろい!すごい色してる~」

ロマが机の下の木箱に置いていた石を拾いあげ頭上に掲げた。それを見たティアまで木箱に駆け寄る。

「危ないから置いていてちょうだい」

一瞬のことで子供の機敏な動きに驚かされる一方、尖った石で怪我をしないか気が気でない。


素直に双子は石を置いたが、その際に訊ねられた言葉にヒストリアは瞳を揺らした。

「これが”じょーか石”になるの?」

「お姉ちゃんが作るんだよね、聖女だから」


純粋な瞳と視線が交じりドキリと心臓が脈を打つ。この子達はたしか聖女を毛嫌いしていた。

誤解からヒストリアを勇者と呼んで、悪い聖女を殴ったいい人と思い込んでいたはずだ。


しかし先ほど、何てことのないように問いを投げ、ベリルに連れて来られてからヒストリアへ態度は以前と変わった様子はなかった。


「……二人は、私が聖女って知ってるの?」

「うん!ベリルが教えてくれたよ。どーせすぐみんな知るからって!ベリルのこと助けてくれたんでしょう?」

ティアが溌剌とした笑顔で言うのでヒストリアははっとした。

確かに瘴石の採掘が進み、このまま研究を続けていく以上、大聖女であることはともかく聖女であることを隠しておくのには無理がある。

そうなればディート地区の人間に認知され、二人が他人づてに事実を知ることも出てくるだろう。ベリルはそれよりも先に、ヒストリアの事を考え双子に話してくれたのだろう。自身の欠損した腕のことも交えて。


「ありがと、ベリルを守ってくれて。やっぱり勇者だねぇ」

二人がヒストリアに抱き着きエプロンワンピースに顔埋めて嬉しそうに言う。


「ねっ、ねぇ!ぼく、じょーかするのみたい!」

「あたしもー!おねがい!見せて、セシルお姉ちゃん!」

顔を上げた二人は澄んだ眼差しをしていて、期待を向けられていることが分かる。

ヒストリアは瞬きしたあと困ったように笑った。


「見せてあげたいけど、実はうまく出来なくて……」

「お歌で”じょーか”するんだよね?たのしそう!」


ロマが頬を上気させ無邪気に言って、ヒストリアは短く頷いた。

「えぇ。聖歌に祈りを込めて歌うのよ。でも楽しくはないわね」


言ってヒストリアは自分の感情を噛みしめた。

聖力を使うことに楽しいかどうかなど考えたことはない。必要なのは、より多くの聖力を正しく歌声に乗せることだ。意識を集中させ強い願いで力を注ぎ続けることは精神的に疲れる。


それを今まで楽しいと感じたことはない。


ヒストリアの言葉にティアが戸惑いがちに「お歌、楽しくないの?」と言った。

「そうね。どちらかといえば、だけど」

「僕たちお歌だいすきなのに」

「歌って遊ぶの楽しいのにねぇ!」


ロマもティアも歌は遊びの一貫であるらしい。

ヒストリアは考えを巡らせたあと二人の頭を撫でたのち炊事場へ移動しながら言った。


「わたしは聖歌しか歌ったことがないから、お勉強みたいな感じよ。間違ってたら叱られて、下手だと文句いわれてたの。楽しいはずないでしょう?なんて、あなた達に話したっていけないのに」


思い出すのは聖女教育を受けていた頃である。神官の顔色も、現大聖女である王妃の難しい表情もなにもかもが気に食わなかった。


ミルクを温めて二人に椅子を勧めようとしたが、まともな椅子が一脚しかないのに気付きベッドへ促す。ベッドの下に避難していた仔猫は、双子が座り軋む音にびくりとして顔を出しかけたが、二人の脚を見て再び驚き身を隠す。

「じゃあさ、楽しいお歌うたお!」

ミルクを受け取ったロマが言った。

「いろんなお歌があるんだよ。ボラフ亭のお姉ちゃんたちにいっぱい教えてもらってるの!あたしが教えてあげる!」

明暗だとばかりにティアも言った。


「じゃあ教えてもらおうかしら。ベリルが戻るまでまだ時間はありそうだもの」


二人の無邪気な姿に羨望の眼差しを向け頷くと、ミルクを飲み干した二人が立ち上がりヒストリアの前に立つ。そして二人は互いに小さな声で話し合うと笑顔を向ける。


「これはね、お花の妖精のうただよ」

「だいすきな子と一緒にいれて嬉しいって妖精が踊ってる感じだけど、元気すぎちゃだめだよ。じょーひんに、はなやかにね!」


覚えた言葉をそのまま言ってるような調子で説明する。これもボラフ亭で教えてもらったのだろうか。

二人は「せーの」と言ったあと、鈴のような声で歌いはじめた。


辿々しい歌詞だがリズムは取れている。なにより二人が心の底から楽しんでいることがヒストリアにも伝わった。


どこか聞き覚えのある歌は、懐かしく、気づけば瞼を閉じヒストリアも口ずさんでいた。


記憶の深い部分で眠っていた思い出。軽やかで明るい、幸せに満ちた歌をよろこんで歌っていたのはヒストリアだ。

温かな日差しの中で、ハープの音が聴こえる。

笑い声が満ちた庭園には茶菓子の甘い香りと美しい花々が咲き乱れていた。



「ヒストリアの歌が大好きよ。とっても楽しそうに歌うんだもの……聴いてると幸せな気持ちになるわ」



そう言って抱きしめてくれたのは、姉のエリザベートだ。

あの頃の父はヒストリア愛は与えてくれなかったが、エリザベートはいつも優しく包んでくれていた。


蘇ってきた記憶に胸が苦しくなり、気づけば一筋の涙が頬を伝った。


するとヒストリアの身体を青白い光の粒子が纏い、その色は白銀へと色を変える。それからオーロラの如くさまざまな色を微かに滲ませて眩い光が部屋から溢れる。


どうして今まで気付かなかったのだろうか。


大聖女の印の得た代わりに失ったのは姉だ。


ただの嫉妬だと思っていた。だから他人や噂を用いて自分を悪者に仕立てるのだと、姉のやり方に癇癪を起こしずっと腹を立てていた。

上手くいかないのは全て姉のせいだと決めつけて。


けれど蘇る記憶の中の姉は、ちゃんとヒストリアを愛してくれていた。それは父の軽薄な愛情とは比べ物にならない。


あの家で二人は手を取り合うべきだったのだ。

ヒストリアは歌いながら理解する。



自分が先にエリザベートを捨てたのだ。

大聖女の印を得たあの日に。



ヒストリアはそっと瞼を開く。

自分の過ちを受け入れた瞬間、光は弾け、木箱に積んであった瘴石がたちまち無色になってゆく。

光に包まれ、それを吸収して透明度の高い浄化石へと変化したのだ。


「お姉ちゃん……きらきらしてる」

「すごいよ!きれい……」


二人の声にヒストリアは瞳を揺らし、意識を戻す。

「私、分かったかもしれないわ……二人のおかげよ。


ロマとティアを抱き寄せヒストリアは顔を寄せた。

その傍で、子猫が石のように固まって目を瞠り、ヒストリア達をじっと見ていた。



直後、爆撃音のような音が轟く。

それは採掘現場に向かうためのトロッコが設置されている方角だった。


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