⓵赤い湿疹
引っ越して一週間。美咲の家のインターホンが鳴ったのは、夕飯の支度を始めた午後六時のことだった。
「これ、実家から届いたばかりで。お口に合えば」
隣室の、いつも丁寧な身なりの老婦人が差し出したのは、透明な保存容器に入った煮物だった。里芋、人参、蓮根。どれも角がきれいに面取りされ、出汁の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「すみません、いつも頂いてばかりで」
美咲は恐縮して受け取った。実際、これが三度目だった。最初はリンゴ、次は手作りのジャム。
「いいのよ。一人暮らしだと、つい作りすぎてしまうから」
夫人は上品に微笑み、去り際に一言だけ付け加えた。
「……少し、塩が強かったかしらね。感想、また聞かせてね」
その夜、美咲は煮物を食べた。完璧な味だった。塩辛いどころか、これ以上ないほど滋味深く、どこか懐かしい。
しかし、異変は翌朝に起きた。
洗面所で鏡を見た美咲は、思わず声を上げた。唇の端に、小さな赤い湿疹ができていたのだ。疲れているのかな、とその時は気に留めなかった。だが、その翌日、夫人が持ってきた「お裾分け」の漬物を食べると、今度は首筋に同じ湿疹が広がった。
怖くなった美咲は、三度目に来た「お裾分け」のひじき煮を、悪いと思いながらも生ゴミとして捨てた。
すると、翌朝の肌は驚くほど白く、滑らかに戻っていた。
――やっぱり、何か入っていたの?
そう確信した美咲は、隣人の親切を断る決心をした。
ところが、その日の夕方。美咲が玄関を出ようとした瞬間、チャイムも鳴らさず夫人が立っていた。手には、真っ赤なイチゴが乗った小皿。
「美咲さん、最近お疲れでしょう? 顔色が悪いわ」
夫人の目は笑っていなかった。ただじっと、美咲の肌を見つめている。
「い、いえ、もう結構です。最近、胃腸の調子が悪くて……」
美咲が断ろうとすると、夫人は遮るように言った。
「あら、残念。昨日のひじき、口に合わなかったかしら。ゴミ箱の中で、寂しそうにしていたわよ」
背筋に氷を押し当てられたような衝撃が走った。
なぜ、捨てたことを知っているのか。
「今度は、もっとあなたの体に馴染むものを考えたの」
夫人はイチゴの一粒を指でつまみ、美咲の口元へ近づけた。
「あなたの肌が荒れるのはね、私の料理が足りないからよ。もっと、もっと食べなさい。そうすれば……あなたも私と同じ、一人になれるわよ」
震える美咲の視線の先で、夫人の手首に、自分と同じ形の「赤い湿疹」がびっしりと並んでいるのが見えた。




