ふ抜けのふ在証明
戯曲形式の作品です。
[登場キャラ]
藍染隼人
袴田花怜
越前隆貴
男
大人
看護師
隼人「袴田花怜が記憶喪失になった。俺がその報告を聞いたのは、俺の元恋人である花怜を奪い取った越前隆貴が、花怜と相乗りしたバイクで事故を起こして死亡した翌日のことだった。これは、間抜けで意気地なしな俺が幸せを掴もうと悪足掻きをするバッドエンドの物語である」
花怜、登場。
花怜「隼人、ごめん。もう別れよう」
隼人「んな、どうして...」
花怜「ハヤト以外に好きな人ができたの」
隼人「好きな人って...」
花怜「同じ学校の一つ学年が上の先輩。ハヤトよりもカッコよくて、ハヤトより運動も勉強もできる人。だから、ごめんね。もう別れよう」
隼人「そんなこと言われたって納得できないよ...まだ、まだ告白した訳じゃ───」
花怜、小さく首を横に動かす。
花怜「告白して、オッケーもらったんだ。だから、これ以上付き合ってると浮気になっちゃう」
隼人「浮気になっちゃうって、どうして俺が悪いみたいになってんだよ!先に付き合ってたのは俺だっただろ!それなのに...それだってのに!」
隆貴、上から下へ(または下から上へ突っきる)
隆貴「花怜、帰ろうぜ」
花怜「うん!」
隆貴「あの男、誰?」
花怜「あー...ちょっと告白してきてね」
隆貴「あ、そう。人の女にちょっかい出してんじゃねぇぞ!」
隆貴の腕に花怜がまとわりつきながら退場。
隼人「俺は花怜を寝取られた。いや、寝てはいないからただ俺は取られただけなのだけれども、そんな小さな差異は気にしないとして。俺は恋人を取られた。その事実は、恒久的に変わることなんか無く俺の心を蝕み続けた。ギリギリギチギチと縛り付けるように、心の臓を圧迫させては、肺に一生出ていかないと思わせるような、重く淀んだ空気を残らせていった。俺は、花怜を失った。だけど、花怜のことを嫌いになってなんかいなかった。俺の花怜に対する愛情は形を変えずに心の奥底に残っていたし、それどころか花怜を失ったことによって、花怜へ対するこの熱情は日が経つに連れて大きくなっていた。そして、俺が花怜を取られて一ヶ月が経つ頃。冒頭でも話した通り、隆貴と花怜が乗ったバイクが事故を起こし、隆貴は都合よく(咳払い)運悪く死亡して、花怜は記憶喪失になったのだった」
花怜、ベッドの上で上半身を起こしている。隼人は花怜とは反対側に出ていく。看護師、登場。
看護師「花怜さん、お友達が面会に来てくれましたよ」
花怜「───」
看護師「花怜さん?」
花怜「───は、はい。わかりました。呼んでください」
隼人、登場。
隼人「花怜!」
花怜「えっと...」
隼人「看護師さんから聞いたから、説明は必要ない。えっと...記憶喪失に、なったんだっけ?」
花怜、小さく頷く。
隼人「───なら、俺のことも?」
花怜「ごめんなさい」
[停止]
隼人「再三再四言うが、花怜は記憶喪失になっていた。花怜曰く、国語や数学などの勉強によって手に入れる知識はあるらしいのだが、どうやらこれまで関わってきた人達と、花怜自身の記憶というものが無くなっているようだった。俺は、記憶喪失なんてものは漫画や小説・アニメの中の世界のものだと思っていたし、もし現実にあったとしても都合よく対人関係だけがスッポリと抜け落ちることなんてないとも思っていた。でも、花怜は実際に俺や越前隆貴のことを忘れていたから信じることにした。ここで、俺はある一つの嘘をついたのである」
[開始]
隼人「忘れてるんだったら...自己紹介が必要だよな。えっと...俺の名前は藍染隼人。同じ学校に通っていて...えっと、まぁなんというか...花怜は俺の恋人だ」
花怜「恋人?」
隼人「あぁ、恋人だ。嘘じゃない」
花怜「私と、アナタは付き合ってたってこと?」
隼人「そうだ。もし恋人じゃなければ、病院に駆けつけるはずなんかないだろう?」
花怜「そうね」
隼人「疑ってるだろ?」
花怜「しょうがないじゃない、私が誰かもわからないのに、今日会ったばかりの人に恋人だ───なんて言われるんだから」
隼人「じゃあ...別れるか?」
花怜「いいえ、別れないわ。アナタがいるとどこか安心するもの。なにか記憶を取り戻せる手がかりになるかもしれないし」
隼人「そうだね。俺との思い出を思い出してくれると嬉しいよ」
花怜、退場。
隼人「そんなこんなで、花怜は再度俺の彼女になった。越前隆貴と浮気したことを咎めようとは思わなかったし、そんなことをして話をこじれさせてしまう必要はなかった。嬉しいことに、その越前隆貴は花怜が記憶を失くした事故で死んでいるのだ。花怜は俺が恋人であると思っているので、どこにでもいる彼氏彼女ということにした」
花怜、登場。
花怜「ごめん、待った?」
隼人「いや、全然待ってないよ」
花怜「今日はどこに連れて行ってくれるの?」
隼人「水族館。記憶を無くす前に一緒に行ったから。何かを思い出せるかなって思って」
花怜「そっか」
花怜は、水槽を見て回るような演技。
隼人「花怜は、記憶喪失のまま退院した。家では花怜の両親が、学校では俺がいるから、彼女は日常生活を取り戻すことができたのだった。最初の方は、通学路が思い出せないという理由で、車だったり、母親と一緒に登校したりしていたが、退院から一週間も経つと、記憶を無くす前と同じく一人で登下校をするようになっていた。そして、俺達は毎週日曜日に、花怜の忘れられた記憶を刺激しそうな場所に行くという体で、デートをしていた。もちろん、俺は記憶を取り戻されるなんてことは溜まったもんじゃないので、行ったこともないような場所を適当に案内しているだけだった」
花怜「隼人、見て。クラゲ」
隼人「そうだね」
花怜「そうだ、ずっと聴きたかったんだけどさ。越前隆貴先輩って...どんな先輩だったの?」
[停止]
隼人「俺は、聴きたくない名前を聞いてしまった。俺から花怜を奪った耳障りなその名前に虫唾が走った。などと、悪態を付くのは簡単だが、嘘を憑くのは難しい。俺が花怜の恋人だったとついた嘘からでた齟齬を埋め合わせなければならないのだ。嘘が嘘だとバレないように、あたかも真実のような言葉で花怜を騙し続けなければならない。嘘を憑くと心が痛むものだけど、なぜだか花怜に憑く嘘は心が傷まなかった。それどころか、逆に心が安らいでくるのだった。きっと、愛とはこのことを言うのだろう」
[開始]
隼人「越前先輩か...いい先輩だったよ。俺達に優しくしてくれた」
花怜「そう...あの時、どうして私は先輩の一緒に?」
隼人「俺がお願いしたんだ。花怜を駅まで送ってくださいって。だけど、そのせいで事故が───」
花怜「───ごめん。聞かないほうが...よかった、よね..」
隼人「俺は、事故のことを話しづらい内容だと思わせることとともに、越前隆貴のことについても嘘を憑くことに成功した。だけど、その嘘が俺を裏切ることになった。俺のその言葉が、墓穴を掘ることになってしまった。花怜は、都合悪く(咳払い)運良く、記憶を取り戻したのだった」
花怜「隼人、嘘...憑いてたんだ」
隼人「嘘って...何が?」
花怜「記憶」
隼人「もしかして...」
花怜「戻ったよ。生まれてから記憶を失くすまでの十数年の記憶が全て戻った。私に嘘憑いたでしょ?いいように私を利用して嘘憑いてたでしょ。事故に遭う前も記憶を失くした後も今の私は覚えてる。だから、隼人が嘘憑いてたことも知ってる。もう、別れたよね?それなのに、どうして嘘なんか憑いて付き合ってたって───」
隼人「それはお前が浮気をしたからだろ!」
花怜「───は?」
隼人「お前が越前なんかと浮気したからだ!俺はこれだけお前を愛しているのに、お前は越前なんかを選んで!俺はなにか間違えたか?俺はなにか釣り合わなかったか?違うよな、お前が浮気した理由は越前の方が優れているからだよな!俺は悪くないのに、お前は良い方を高望みしたんだよな!」
花怜「高望みをして何が悪いの?」
隼人「高望みが悪いんじゃない...浮気が悪いんだよ!」
花怜「じゃあ、浮気と嘘はどっちが悪い?何も覚えていない人に嘘を憑くのと、高望みしたが為の浮気だったらどっちが悪い?」
隼人「浮気に決まってんだろ!」
花怜「違う!嘘を憑くほうが悪いに決まってる!だって...だって私は事故を起こして何も覚えてなかったんだよ?それなのに嘘を憑いて騙して...犯罪者!隼人は犯罪者だよ!死んじゃえ、死んじゃえ!隆貴なんかより、お前のほうが死んだほうが何倍も社会のためだった!浮気されるようなお前なんかよりも、何もかも優れている隆貴の方が何倍も価値があった!」
隼人「こンの、クソ女!」
隼人、花怜を押し倒す。
花怜「きゃあああああああ!!誰か、誰か助けて!!」
隼人、花怜の首を絞める。
隼人「いっそのことお前も死ねば話は早かった!それだってのに、生半可に記憶喪失なんかになりやがって!」
花怜「───いや、やめ...」
大人「おい、何やってんだ!」
[停止]
隼人「結局、俺は乱入してきた大人に止められた。花怜は、終始俺のことを睨んできていたので俺もずっと花怜のことを睨んでいた。まともに話し合う事もせずに、俺と花怜はここで自然消滅───いや、必然消滅したのだった。最後に、花怜が『犯罪者め...』と呟いていたことが、俺の耳に残ってイヤーワームのようにグルグルと頭の中を回っていた。これが、これまでの俺の人生である。───と、これだけ話しているが、一体全体今はどうなっているのかと疑問を持つだろう。俺の言葉を逐一交えて、過去回想のように語られた花怜との道程。これらは、全て俺の走馬灯なのである。死ぬ刹那、俺はこれらの記憶を脳内で逡巡させては、生きる術を探そうと足掻いていたのである。そう、俺が花怜を俺のものにしようと藻掻いたかのように」
暗転。
***
明転。
場には男に馬乗りにされて首を絞められている隼人。
男「花怜さんを弄びやがって!このクソ男が!死ね、死ね死ね!」
藻掻く隼人。抵抗しようとしても、全て遮られる。
男「お前がいなければ...お前さえいなければ花怜さんはずっと僕と付き合っていたのに!」
そのまま、男は強く隼人の首を絞める。そのまま、隼人は動かなくなる。
男「───お...お前が悪いんだからな。お前さえ...お前さえいなければ!」
男は隼人から離れて、首を絞めていた両手を交互に眺める。
男「もう一回...もう一回花怜さんが記憶喪失になれば...僕にもチャンスは...」
そのまま、男は走ってはける。
隼人、立ち上がる。
隼人「どうやら、俺は殺されたようだった。死んでも尚、こうやって口を動かして何かを物語るのが、俺の運命なのかもしれない。なんとも、皮肉なものだ。俺が、越前隆貴に花怜を取られたように、俺を殺した名前も知らぬあの男も、俺に花怜を奪われていたのだった。俺が───俺だけが悲劇の主人公だと思っていたのだけれど、そうではないようだった。何度も何度も花怜は男を乗り換えていたようだ。聞くに堪えない酷い話である。それを批判して口論をしても、花怜は被害者面して騙される方が悪いなどと俺達のことを罵っては何処かに行ってしまうだろう。そんなことは火を見るよりも明らかだったし、そもそも俺はもう死んでいるのだから花怜に異議を唱えることさえも許されない。死人に口なしなのだ。全く、酷い話である。愛とは、嘘であると共に呪いなのだ」