これはただの女子高生だった私が軍人になるまでの話:DATA 02
家に上がり、アリサさんと共に洗面台で手洗いうがいをする。
アリサさんはどちらかと言うと粗っぽく、手を洗うのも雑で、洗面台はびしゃびしゃになる。
手洗い洗剤をとにかく使いたがり、泡もこにもしてしまう。
子供とはそういうもので、きっと私もそうだったのだろう。
「ダメですよ。アリサさん。使ったところはちゃんと綺麗にしないと。お母さんに怒られます」
「ミズキやっといて」
「一緒にやりましょう」
「じゃあね~」
言って、アリサさんは洗面所から出て行ってしまう。
まだまだ幼い。
しょうがないだろうと私はため息を吐いた。
タオルを取って洗面台を中心に拭き始める。
ふと床のきしむ音がして振り返ると出ていったはずのアリサさんが後退りをするようにして戻ってきた。
その手はハンズアップしていた。
洗面所に戻ってきたアリサさんの前には、真琴さんがいた。
腕を組んでアリサさんを見下ろす真琴さん。
その背中には鬼が見えた。
無言の圧だ。
アリサさんはハンズアップの姿勢のままゆっくり下がってきて、私を横目で見た。
「ミズキ、助けてくれ」
私に言う。
私は肩をすくめて何も言うまいとした。
真琴さんは眉を跳ね上げて言う。
「ミズキ、お姉さん、だ」
真琴さんの言葉は、端的で、鋭かった。
アリサさんはハンズアップの姿勢のまま横目で私を見ていっそ額に汗を浮かべて言った。
「ミズキ、ねえ、ちゃん」
お、はなかったが真琴さんは頷いた。
「自分で使ったところは?」
真琴さんは続けて言う。
アリサさんは梅干しかレモンでも丸呑みしたのかってくらいに酸っぱい顔になる。
「自分で、片付ける」
アリサさんの返事に真琴さんは再び頷く。
「ミズキお姉ちゃんがやってくれてる。手伝いなさい」
「わかったよ」
「あ・り・が・と・う・ございますは?」
ございます、だけは普通の口調で言ったのは面倒だったのだろうか?
アリサさんは少しだけ不貞腐れた顔になって「あじゃます!」と言った。
真琴さんは「及第点だな」と言ってタオルを手に取ったアリサさんに頷いた。
「アリサ。そのままお風呂入りな。ミズキ、そこ拭くところまでごめんけど頼むな。そろそろ大輝帰ってくるから」
「はい」
私が返事をすると真琴さんは微笑んで戻っていった。
しっかりとママさんだ。
なんだか、切れ長の目だから正直最初怖い人かなと思ったけど実際触れてみると優しい優しい。
言葉が多い訳ではないけれどしっかりとアリサさんへの教育も行っている。
まだ今年二十歳らしいが。
今年十歳になるらしいアリサさんと、真琴さんとでは年齢的に違和感を覚えるが、まあ、突っ込まないでおこう。
でもよくよく似ているのだから、実子なのだろうなと感じる。
「ほら、早く綺麗にしてしまいましょう。お父さん帰ってきますよ」
目を細めて、口もへの字にして如何にも嫌々と言った感じに「へ~」と返事をするアリサさん。
この子は、少しだけ我が強い。
自分に素直と言ってもいいだろう。
我儘だけど、荒っぽいけど、でも人の言う事を無下にするわけでもない。
いい子だと思う。
粗方飛沫を拭き上げて、アリサさんの手を確認してちゃんと汚れが落ちているかも確認する。
靴はちゃんと履いていたし足は汚れていない。
お風呂に入るように促すとアリサさんは部屋へ走っていった。
走ると危ないという間もなくその背中は消えていった。
めちゃくちゃ足が速いのだあの子は。
私は諦めてタオルを洗濯機へ入れる。
その時後ろに気配を感じた。
意識して気配を発したというタイミングだった。
振り返ると、瀬戸さんがいた。
瀬戸大輝さん。
この家の主。
真琴さんの旦那さんで、アリサさんのお父さんだ。
そして、あのストーカー事件から私を救ってくれた張本人。
少し長めの髪。
気だるそうな顔。
やはり変わらずジャージ。
右目の眼帯は今は外している。
瀬戸さんは洗面所出入口の縁に寄り掛かって腕組をしている。
変わらず気だるげだが鋭いその目で私を見て口を開いた。
「すっかり、姉貴みたいになったな」
そう言う瀬戸さん。
瀬戸さんは、あのストーカー事件後、まさかのその犯人の親まで出張ってきたことでカオス化した状況を収束させるまでの間と言う条件で自宅への居候を許可してくれた。
もちろん、両親はさすがにご迷惑になると辞退したが、とりあえずで間借りしている間にも家ではストーカー男の両親が頻繁に訪ねてきて嫌がらせに近い状態だったので私の両親も折れて私はここにいる。
ちなみにストーカー男の両親は、逮捕されたらしい。
そんなこんなで、安全を考慮した結果、私をここに置くことが一番だと両家納得の上ここに来た。
何より、この瀬戸さんは、私がやろうとしている執筆活動、ゲーム制作にかなり参考になる人物だ。
何せ彼は、現役の作家だ。
日本ではないが、某国で軍事物の小説や解説書などを出版しているプロ作家。
私は、そんな人に、いわゆる執筆の指南を受けている。
あくまで瀬戸さんは日本語外の言語なので文法だとか言葉選びだとかはそう参考にしきれない部分はあれど、それでも私の目線に落とし込んで指南をしてくれるいい人なのだ。
「お疲れ様です。師匠」
私がそう言うと瀬戸さん、師匠は頬を掻いた。
「それ辞めろってくすぐったい」
言いながら彼は組んでいた腕をほどいて下ろした。
その右手には何やら大きな袋が握られていた。
本屋さんの袋のようだ。
師匠はその袋を差し出してくる。
近付いて受け取る。
お礼を言って中身を見る。
ライトノベルの書き方、的な本が数冊入っていた。
「俺はあまりアニメだとかは見ないからな。指摘はしてやれても一から教える事も出来ないし世界観もいまいち理解してやれん。こんな形ですまんが、自習しといてくれ」
そう言って、師匠は少しばつの悪そうな顔をする。
この家に来て数か月。
私は知っている。
これは照れ隠しだ。
師匠は感情表現がすこぶる苦手だ。
しかし、それでも優しい人なのだとは、もうわかっている。
そうでなければこんな教科書買ってきてくれるはずもない。
そもそもこの家に私を住まわせてもいない。
私はもう一度お礼を言った。
師匠は「ふんっ」と鼻を鳴らして去って行く。
初めて出会った時に感じた怖い雰囲気、『死』を彷彿とさせるオーラのような物は今は感じていない。
普通の、男性というか。
気難しい人だという印象はやはりあるのだけれど。
着替えを持ってきたアリサさんが師匠とすれ違った。
「転ぶなよ。出来るだけ家では走るな」
「あい。おかえり」
「はいただいま」
何気ないそんなすれ違いの会話。
う~ん。
親子なんだなあと。
そうしみじみ感じてから私も自室へ移動した。




