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Rの証明Ⅱ  作者: 蒼井ふうろ
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 翌日、喫茶「糸」のソファ席に深く腰掛けた琴子は、らあらに手渡されたファイルに目を通していた。目の前の座席に座るらあらはそんな彼女の様子をじっと見つめている。大雑把に目を通し終わったらしく琴子は顔を上げてミルクティーを一口飲んだ。ふう、と息をついて目の前のらあらをじろりと見やる。

「それで」

 あなたはこの依頼、受けたいと思って持ってきたんですのね?

 静かな声色でそう問われる。らあらは予想していなかったリアクションに内心驚きながら、しかし平静を装って頷いた。

「……例の佐々熊の一件は、瀧本たち【九之山】の退魔士たちがいなければ自分たちにとってはかなりきつい依頼だったじゃん」

「ええ、そうですわね」

「まずこれ、対象規模が佐々熊よりもかなり小さい。(うち)が苦手な索敵をそこまで重視しないから、自分の呪文と、場合によっては佐々熊でココがやったしらみつぶしが使える。あれと違って被害者が死んでない上に前任の退魔士が解決してくれなさそうだから、新参にもそれなりに対応してくれると思う」

「資料を見る限り前任は三チーム派遣されているんですのね。それは、被害者家族からすれば藁にも縋る思いでしょうが……そもそも事務所級の退魔士三チームが軒並み被害者側に回っているのに、わたしたちに打つ手があると?」

 琴子の主張はもっともだ。前の事件では被害者は一般人に限られていたが、今回は妖魔に対してある程度抵抗力を持つ退魔士が軒並み返り討ちにあっている。前任たちの力量もあるだろうが、単純に妖魔が前回のものよりも厄介だと考えるほうが安全だろう。対退魔士性能が高い妖魔というものも一定数存在する。仮に天川町の妖魔が退魔士に特化したような能力を持っていたとすれば、二人しか人員がいないRでは対応が難しい。

「前任の退魔士は総勢十一名。全員が正規の退魔士であるにも関わらず、被害者の五分の一が退魔士ですわよ?」

「当該チームは三人、四人、四人の編成で依頼に当たってるけどその中に十家に関係のある退魔士はいない。正規退魔士であっても経験は薄かったかもしれないし、能力の濃さだけを考えるなら自分たちにも十分対抗はできる。加えて編成情報を見る限り、近接型と呪文型が同一チームに配属されていた感じはない。編成状態が変われば突破口にもなるかもしれないでしょ」

 元々退魔士が三人以上でチームを編成しようとするのは、妖魔が保有する能力と担当退魔士との相性が悪いときに対応するためだ。もちろん一人で対応できない場合は複数人数での協力が不可欠になる。保有する能力の組み合わせによっては力が増すことも、その逆もある。

 天川町の依頼に当たった退魔士の組み合わせは決して悪いものではない。正式に依頼に当たるチームなのだからそのあたりの配慮は当然だろうが、お互いに感情のある人間である以上人間関係も依頼に影響する。そのあたりを鑑みれば、らあらは自分たちの力に少なからず自信があった。

 琴子はしばらくそんならあらを見つめて、それから大きくため息をついた。

「別に咎めようと思って聞いたわけではないんですのよ。ただ、あなたがそこまで依頼に積極的になるのが珍しいと思っただけですわ。それこそ佐々熊の件で広域でのしらみつぶしはこりごりだ~なんて言っていましたのに、どういう風の吹き回しかと心配になるのは当然です」

 確かに琴子の言うとおりだ。これまでのらあらは依頼所に持ち込まれ透経由で渡される小さな依頼や、顔の広い琴子が受けていた依頼をゆるゆるとこなすことを好むことが多かった。琴子とチームを組んでからそれなりの月日が経つが、それこそ初めてではなかろうか。

 らあらは僅かに目線を左上にあげる。なんとも、今の気持ちを言葉で説明するのは難しい。自分の力量を示したいだとか、これを持ち込んできた青垣に報いてやりたいだとか、そういった気持ちはあまりない。ただ漠然とひっかかりのようなものがあった。

「……今朝、珍しく夢を見たんだ」

 もう内容も思い出せない、そのくせ妙に腹の中にもやもやとしたものが残る夢。普段夢など見ない性質であることも相まってかやけに気になった。

「……ふむ」

 らあらの言葉に琴子は口元に手を当て、考え込む。居心地の悪い沈黙がその場を支配し始めたころ、「あら~」と柔らかな声色が二人の耳朶を叩いた。

 「糸」のマスター兼黒本退魔依頼所所長、黒本透はゆったりとした足取りでソファー席に近寄ってくるとすっかりぬるくなってしまっている琴子のミルクティーを見て眉根を寄せる。

「せっかく入れた紅茶がこんな温度になるまで話し込んで……どん詰まるといい案なんて出ないわよぉ」

「ごめんなさい、少し話が盛り上がったものだから。おかわりをいただけるかしら、マスター」

 琴子の言葉に透はゆったりと返事をすると、カウンターのほうへ戻っていく。その後ろ姿を見ながら琴子は小さな声でらあらに問うた。

「……以前、佐々熊の件が終わった後にした話を覚えていますか?」

「……うん」

 ——もし自分らの予想が的中した場合、十家でも対抗できない勢力が妖魔に出来かねない。

 ちょうど四ヶ月ほど前に佐々熊市で起きた“赤ずきん連続殺人事件”。その加害者となった人物を取り巻いた状況の異質さから、琴子とらあらの二人は“妖魔を操る妖魔”の存在を危惧していた。整えられる舞台に、あつらえたような妖魔、そのあまりにも気味の悪い状況から二人は裏で糸を引いている存在がいるのではないかと推測していた。無論、確固たる証拠があるわけではない。あくまでもそう考えたほうがつじつまが合いやすいといった程度のものだが、しかし二人は同時に抱いたその感覚を無視することもできなかった。ぞっとするような嫌悪感は、常々妖魔に対峙した時に感じるものとよく似ていたからである。

「もし、あの話が事実やそれに近しいものであれば、そんな夢を見てすぐに夢に関係しそうな依頼が転がり込んでくるというのも納得ができますわね」

「青垣が何か知ってるとかかな」

 つい先日まで顔すら知らなかった女が急に依頼をしようとしたわけ。本人はらあらが認められてほしいからだと宣っていたが、それが事実かどうかは図れない。

 そう思って口にした言葉だったが、意外にも琴子が首を横に振った。

「あなたのところの青垣さんは、そういうわけでもない気がしますわ。だって、あなたを害そうとするだけならもっとたくさんタイミングがあるじゃありませんか」

「まあ、それは確かに」

 常日頃本家筋の人間たちから疎まれているらあらである。わざわざ本家の人間が知らぬうちに依頼を出し、こっそり消すことにはほとんどメリットもない。秘密裏の処理であればもっと即効性のものがあるのだから。

「そう考えると、これは【四之坂】絡みの陰謀……って考えるより、自分たちが前考えた状況だと仮定したほうが分かりやすいね」

「ええ。わたしたちが二人揃って思春期特有の全能感だったり特別感だったりを感じているわけでないのなら、その可能性が高いでしょうね」

「二人揃って中二病ってやつだとしたら、本当に笑えないからね」

 はは、と乾いた笑いを上げていると透が琴子用のミルクティーと、らあら用のほうじ茶ラテを持ってくる。コトリコトリとカップを置いた彼女は二人のほうを向いて「そういえば」と声を上げた。

「御用って何だったの~?」

 目線はしっかりとらあらに注がれている。それに気づいたらあらは、ああ、と軽く頷いてから話を切り出した。

「実は、自分の知り合いから少し大きめの依頼を頼まれそうでさ」

「お友達?」

「いんや、うちの使用人」

 らあらの言葉に透の表情が若干曇る。それはそうだろう、元が付くとは言え退魔士のトップたる存在である国家退魔士だった彼女が【四之坂】の内部事情を知らないわけがない。次期当主の腹違いの妹であるらあらに対して行われる数々の嫌がらせの一環ととらえるのは何の不思議もなかった。表情からそれを読み取ったらあらは彼女にしては珍しく、「世話になっている使用人だから心配には及ばないよ」と付け加えた。

「遠方というにはお粗末だけど、佐々熊ほど近所の事件じゃないんだ。ただ、自分によくしてくれる使用人たっての依頼だから、できることなら受注してやりたいし解決してやりたい。トールちゃんが頷いてくれるならあとでその使用人に正式に依頼書を持ってこさせる手筈までは整ってるんだ」

「あら……そんなに準備が進んでいるの~? 珍しい……」

「まあ、たしかに阿良々木がここまで言うのは珍しいですわね。どうでしょうマスター? 先ほど話を聞いた限りでは対退魔士性能の高い妖魔かもしれませんが、危なくなったら逃げればいいわけですし、分の悪い話ではないと思うのですけど」

 琴子の追撃に透はうーんと唸る。もう一押しだろうか、とらあらが二の句を継ごうとしたとき、透は彼女にしては珍しく歯切れ悪く問いかけた。

「その……退魔の依頼でないなら、近接創造の琴子ちゃんはあまり戦力にならない気がするんだけどぉ……それは、分かってる? 大丈夫?」

 気まずい沈黙。意気揚々と話していた琴子が固まり、ギギギ、と接触の悪い機械よろしくらあらのほうを見た。見間違いでなければちょっと泣きそうな顔にも見える。らあらは一度大きくため息をついた。

「まあ、ココは退魔だけじゃなくてコミュニケーション能力があるからさ。自分一人だとある程度の規模の範囲が絡む任務じゃ、ヒアリングが難しいし」

 月並みな慰めだったがその場の空気を取り持つには十分だったらしい。固まっていた琴子は「そうですね、妖魔との戦闘が難しいなら作戦を立てたりヒアリングをしたり、サポートに努めることにしますわ」と発言できるようになったし、気まずそうな顔をしていた透は「そうよね! 琴子ちゃんを頼りにしてるわね」とこれまた何とも言えない慰めの言葉を述べた。

 前途多難そうだともう一度らあらは大きくため息をつく。実際のところ、冷静で頭が良さそうに見える琴子は直情型の戦闘狂であり、作戦参謀はらあらが引き受けることが多い。その役割がスイッチするだけでも多少の不安があるが、今回はそうも言っていられない。不可抗力だったとはいえ、佐々熊の一件のように第三者が協力してくれるわけではないのだからあるもので依頼を遂行するしかないのだ。

 からんころん。

 静かにドアベルの音が鳴る。顔を上げた三人に向けてその人物は礼儀正しく頭を下げた。

「失礼いたします、黒本退魔依頼所の所長、黒本透さまに依頼をしたいのですが」

 青垣が先日らあらに見せたのと寸分たがわぬ無表情でそこにいた。


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