第三話 縁談
政宗様のお屋敷で働き始めて二月が経とうとしていた。
相変わらず寒い朝が続くけれど、日に日に暖かさが増しているのを感じているともうすぐ春の到来を予感させる。
竹箒で庭掃除をしながら、桜の木を見つめる。
枝には未だに蕾すら見当たらない。もうそろそろ出てもおかしくない時期ではあるのに。
(おかしな桜の木)
いや、おかしいの自分だ。
最近、政宗様の事を考えると胸が締め付けられる。
屋敷でそのお顔を見ると、全身が茹でられたように熱くなり、直ぐにその場から離れてしまう。
寝ても覚めても、何時も政宗様の事を頻繁に考えるようになった。
(やっぱり、これって……)
けれど、その気持ちは仕舞っておかなければならない。
政宗様のご実家は位の高い武士の家柄と聞く。そんな方と何かの間違いがあれば、非難されるのは政宗様。
こうして側に居るだけで私は本望だ。
そんな時、入口の門から編み笠を被ったお侍様がやってくる。私と目が合うと、笠を外して会釈をしてくる。
無精ひげを生やした、強面の侍だった。
「御免! ここは久我政宗殿のお屋敷で間違いないか?」
「は、はい……何か御用でしょうか?」
「某は『佐久間』様に雇われている家来の『柴田』と申す。政宗殿のお目通りを願いたい」
「佐久間……!」
佐久間と聞けば、該当するのは一人しかいない。
この辺りで幅広い商いを行う大金持ちの商人『佐久間新右衛門』だ。
「わかりました。政宗様にお聞きしてきます」
庭掃除を止め、屋敷の方へと向かい政宗様にお伺いを立てる。
柴田と名乗る武士を通すことを政宗様は了承。今はお二人で家にある客間で何かの話をされる。
お飲み物を、と思い、二人分のお茶を用意して配膳の盆に乗せて運ぶ。
客間の前に来ると、二人の話し声が聞こえてくる。
一旦盆を床に置き、客間に続く障子に手を掛けた時。
「縁談……ですか」
中から政宗様のお声が聞こえてきた。
「左様。わが当主様には一人娘の綾音様がおられる。その綾音様が貴殿と祝言をあげたいと申されておる」
「失礼ですが、私はその綾音様とは面識がない。見ての通り、こんな小さな屋敷の主人だ。どなたかと間違えておられるのではないか?」
「数日前、酒に酔った浪人に絡まれていた女子を助けはしなかったか?」
「それなら覚えがあります。まさか、あの女性が?」
「そう、綾音様その人。助けてもらったそなたを滅法気に入ったようで、良ければ祝言の方……如何か?」
二人の会話に聞き入ってしまう。
祝言? 政宗様が、他の女性と一緒になってしまう?
「お話はわかりました。ですが、ただ一度の助けでそこまで話が飛躍するのはどうかと」
「これも何かの縁。政宗殿が綾音様を助けたのは、きっと神のお導き。聞けば、政宗殿のご実家は格式高い武家とお聞きしました。ならば、綾音様との祝言は何の問題もない」
柴田様の言葉に政宗様は沈黙してしまう。
自分がそこで二人の話に夢中になっていたことに気づき、慌てて障子を開ける。
「し、失礼します。お茶をお持ちしました」
「ん? おお、これはかたじけない。ではいただこう……」
持ってきたお茶を手に取り、柴田という侍はぐいっ、と飲む。すると、突然咳込みお茶を吐き出す。
「ごほっ! ごほっ! なんだこの茶は! 不味くて飲めん! 茶の分量を間違えておるぞ!」
「も、申し訳ありません! すぐに新しいのを」
「よい! こんなものを飲まされて、次の茶など期待もできん。さっさと下げてくれ!」
「は、はい……」
吐き出したお茶を片付けながら、政宗様を見る。
このようなお茶をお出しするわけにはいかない。
政宗様にお出しせず、そのまま下げようとすると。
「その茶は置いてゆけ。私の為に入れてくれたお茶であろう」
「で、ですが……」
「構わぬ。丁度喉が渇いていた頃だった、礼を言う」
その一言は、私の目に熱いものを呼び出させる。
そっと差し出し、私は二人のお邪魔にならぬよう部屋から出て障子を閉めた。
暫く政宗様に向けて頭を下げた後、お茶を片付けに立ち去ろうとすると。
「一つ確認しておきたい。先程の女性は政宗殿の奥方か?」
そんな声が聞こえた。
「いや、あれは私が雇った女中であります」
「そうであったか。佐久間様の所にも働く女中は五人ほどおられるが、あんな出来の悪い女中は一人としておらぬ。もし、綾音様と祝言をあげられ、夫婦になればあんな女中に悩まされることもありませぬぞ」
ガハハ、と不快な笑いが耳に入ってきた。
分かってはいたけれど、言葉にされると心が悲鳴を上げたくなり、思わず口元を手で押さえて声を殺した。
「……柴田、と申されましたか。この一件、少し時間を頂けませんか。事が事なだけに考える時間を頂きたい」
「考える事などありませぬぞ。このような素晴らしい縁談を断る理由などないではござらぬか」
「考える時間を、頂きたい」
「……わ、分かりました。それでは帰ってそのことをお伝えさせていただきます」
柴田というお侍が立ち上がったのが障子越しに見え、私は慌てて隠れる。
隠れたと同時に、部屋から柴田という侍が出てきて、歩き方が大股でドスドス、と大きな音を立てて帰っていく。