第9話 資源探査船スズカゼ
『地球連邦軍は幹部候補生を募集中です。お問い合わせは、お近くの地球連邦政府地方事務所まで』
僕が透明なフレームレスのゴーグルに、中国の春秋戦国時代の出来事を記した歴史書『戦国策』のテキストデータを投影して読んでいたら、急にネット動画の広告が画面に表示された。
僕じゃない誰かがネットの動画コンテンツにアクセスして、勝手に僕の端末に動画をシェアしてきたのだ。邪魔な事この上ない。
「何すんだよ」
僕じゃない誰かといっても、ここには他に一人しかいない。僕はそいつの方に視線を向けて思い切り文句を言った。
読書を邪魔されたのも腹立たしかったが、広告の内容にも無性に苛立っていた。僕は二度と地球連邦の公職にはつけないのだ。
僕の視線の先には、副操縦士席でシートベルトを外し行儀悪くふんずりかえっている若い男がいた。年齢は僕と同じくらいか、それとも少し上だろうか。
野性的で、火星人の割には背が低く、胸板が厚い。癖のある黒い髪は長く、眉は太く濃い。瞳はくすんだ緑色だ。
「暗い野郎だな。時代遅れのテキストデータなんか、ちまちま読んでんじゃねえよ!」
「うるさいな、ダニエル! 僕の趣味の邪魔すんなよ!」
彼も僕もお揃いの赤い簡易宇宙服に身を包んでいた。
胸に『アスクレウス資源開発』というロゴが入っている。
「いいや、ダメだね。ただでさえ乗員が二人しかいなくて辛気臭いのに、相棒が根暗の引きこもりじゃ、話しになんねぇ。お前には俺様に付き合ってもらうかんな」
「はぁ? 意味が分かんない」
フレンドリーというか、わがままというか、僕とはタイプがまるで違う困った奴だった。
せめてもの救いは、遠慮する必要が全くないということだろうか。まだ、出会って間もなかったが、丁寧な言葉で話す必要性を感じない。
資源探査船スズカゼは、惑星間航行能力を有する小型宇宙船だった。
全長三〇メートル、全幅二〇メートルのエイのような形状で白銀に輝き、乗船定員は三名、鉱物資源の試掘、探査、分析に必要な各種機材を搭載していた。
操縦室は狭く、前に二人、後ろに一人が座ると、いっぱいになるくらいの空間しかない。
ちなみに後ろの座席は乗員用ではなくゲスト用だ。
この席を見ると、ラッセルを連れてくることだってできたのにと思うが、成長期の子供に長期間の無重力環境は身体にいいわけがない。おまけに、僕は彼に嫌われてしまっていたので、きっと、彼の方から断ったに違いない。
今頃は、あのユウリとかいう女性に可愛がってもらっているだろう。だが、特殊な性癖があるようなので変なことをされていないかが心配だ。
『バーチャルではないリアルな感動があなたをお待ちしています。マリネリス渓谷観光ツアーへのお問い合わせは、火星観光協会まで』
結局、僕はダニエルに付き合って、一緒にネット動画を見ることになった。中継衛星のおかげで宇宙船の中でもネットワークを利用することができる。
『太陽系きっての物流拠点、宇宙ステーション『ダイアナ2』の緑に囲まれた一等地に、三和グランドハイツがオープン。最新のAI技術に支えられた快適な暮らしをあなたに』
ゴーグルの内側に洒落たマンションの室内映像が浮かび、中にいるような気分になった。
バーチャルリアリティーのリアルな映像にかぶせて様々な説明の文字が空間に現れ、最後に三〇〇〇万ユナイテッドからと価格が表示された。
「今の給料じゃ、一〇〇年経っても買えないじゃねえか!」
価格に反応してダニエルがぼやいた。
こいつは出港以来、ともかく口数が多かった。ネット動画でさえ黙ってみることができないタイプらしい。
最初、会ったときは、結構アウトローなにおいを漂わせていたので、もっとハードボイルドな奴だと思っていたのに、これじゃあ、お笑い芸人だ。
しかし、このおしゃべりのおかげで、まだ一週間も経っていないのに数年来の知り合いのような気分になることができた。
「一〇〇年も生きたら医療費もかかるよ。細胞の若返り治療に二〇〇〇万ユナイテッドは必要らしいしね」
科学の発展は人間の不老長寿を可能にしていたが、その恩恵を受けられるのはごく一部の富裕層に限られている。
「はん、貧乏人は死ねってことだな……それにしても何だよ、このネット配信サービス、広告ばっかじゃん」
「文句言うくらいなら、別のサイトに変えればいいだろ」
最初会ったときは、採用担当者だったので敬語を使っていたが、今ではすっかりタメ口だ。ダニエルもそれを咎める様子はない。
「けっ、火星からこんだけ離れると、通信遅延が発生して、別の番組に切り替えるのに、すげえ待たなきゃいけねえんだよ」
「じゃあ、我慢するしかないね」
「ああ、イライラすんなぁ」
「で、何見る気?」
よく考えたら、これを真っ先に訊くべきだった。
「何って、映画だよ」
イザベルが好きだった大昔の2D映画だろうか。ダニエルのことだから少なくとも恋愛ものじゃないだろう。
「どんなやつ?」
「これだよ」
ダニエルは、ダウンロードファイルのジャケット画像をピックアップして、バーチャル画面の中央に投影した。
背後ではまだCMが続いていて、宇宙食の総合メーカーのイメージ映像が流れている。
『絶倫メイドの百人斬り 少女は恍惚の表情で快感とつぶやく』
ジャケット画像は、タイトル名とともに金髪ロングのきれいなお姉さんが肩を露にして、こちらに流し目を送っているものだった。どう見てもアダルト映画だ。ラッセルが一緒だったら、絶対見ちゃいけない奴だ。
「何だよ、この思い切りいかがわしいタイトルは! ここ職場だろ!」
「いいじゃねえか硬いこと言うなよ。それとも何? 君はもう固くなっちゃったの?」
「な、何言ってんだよ!」
軍隊だったら、勤務中にこんなもの見てたら懲罰ものだ。
「このむっつりスケベが! それに、お前は勤務中かもしんねえけど俺はオフなんだよ」
「えっ?」
「十二時間づつ、俺とお前は交代勤務することになってるだろうが」
「ちょ、ちょっと待って、君はいつも僕と同じ時間、ここにいるよね」
「当たり前だろ、一人で仕事してたら、つまんねえじゃねえか」
「は? 僕たちがいないときはどうなってんの?」
「いまさら聞くか? 人工知能のサラちゃんが仕事してるに決まってんじゃん」
そもそも通常航行に人間は要らないのかもしれない……
「ちょっと、いろいろ問題があると思うんだけど」
「問題ねえだろ!」
「え~と、話を戻そう。職場でアダルト映画を見ることの是非だよね。問題は」
「会社のネットワーク利用規程には、勤務中にアダルト映画を見てはいけないとは書いてねえぞ」
あまりに常識的過ぎて規程に盛り込む必要がないだけなのではないだろうか。
「書いてないからといって、いいとは限らないよね。それに、アダルトサイトに、コンピュータウィルスを仕込むっていうのは古典的な手口で……」
「ワクチンソフトで、ウィルスチェックしてるから大丈夫だよ! アップロードは情報漏洩の恐れがあるから厳しく規制する必要があるだろうけど、ダウンロードは通信事業者からリベートも取れるから会社としてはウェルカムなんじゃねえの?」
「確かに通信料は、ばっちり給与天引きされることになってるけど」
なんか、うまく丸め込まれているような気がした。
「わかったか。俺様が映画を奢ってやんだからありがたく思え。おっ、はじまった」
僕も男なので興味がないわけじゃなかった。だから唾を飲み込んで画面に集中した。
「確かに、ジャケット画像通りのかわいいメイドさんが出てきたね」
映画は九〇分ほどだった。
結局、僕はダニエルと一緒に最後まで映画を見てしまった。
「ああ」
僕の横でダニエルは放心状態になっていた。
「内容もタイトル通りっていや、タイトル通りだったね。ブラック企業の社長と悪徳政治家と手下のチンピラを仕置き人のメイドさんが高周波ブレードでバッタバッタと斬りまくる爽快アクション映画、悪人たちを成敗した後、『快感』って言ってたね」
そう、僕たちの見た映画はアダルト映画ではなく、B級アクションスプラッター映画だったのだ。3Dのバーチャル映像だったので物凄い迫力だった。頭から返り血を浴びたイメージが今でも抜けない。
「畜生! たっぷり広告見せたうえに一五〇〇ユナイテッドもコンテンツ料金とりやがって、お色気シーンはシャワー浴びるシーンの五秒だけじゃねえか! しかも隠すところはしっかり隠してたし!」
ダニエルは、エロいシーンがなかったのが、相当御不満らしい。
「普通、お金払うんなら、事前にネットの評判をチェックするよね。ホント、軽率で金遣いが荒いんだから」
「うるせえよ!」
ダニエルに罵声を浴びせられながらも僕は楽しかった。別に特殊な性癖があるわけじゃない。
給料も安くて拘束時間も長かったが、ここでは誰も殺す必要がなかったし、僕も死ぬ恐れがない。
ここでこうしている限り、僕は宇宙港で出会ったラッセルのような孤児を生み出さないで済むのだ。僕は、この時、軍隊をクビになって幸せなのかもしれないと本気で思い始めていた。
しかし、その気持ちは、それから一時間もしないうちに大きく揺らぐことになった。